シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年05月24日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 大切なのは、薬の生体内と生体外での作用の相違などを見通すことである。健全な考察(合理的な思考)を通じて、精神医学に対しても、洞察力を鋭くしておかなければ、内と外の相違などを見通すことはできない。

 思い切った表現をするなら、人智学者[Geisteswissenschaftter]は、単なる「精神病」という言葉を聞いただけで苛立ちを覚える。

 というのも、精神(霊、[Geist])とは、常に健康で、本質的に病むことなどないから、精神病(精神の病)[Geisteskrankheit]という言葉を用いるのは根本的に間違っているからである。精神の病などを語るのは、本来、無意味である。

 (自我「霊」、アストラル体「魂」、エーテル体「幽」、肉体の4つの体のバランスが悪いと、病気になるわけで、霊「自我」自体が、病むことなどはない。)

 精神自らの発現能力が、物質的な生体組織に妨げられることはあっても、決して霊や魂が病むことはない。病気は全て、精神の発現能力と物質的な生体組織の妨害などにより生じる単なる症状にすぎない。

 けれども個々の具体的な症状に対する洞察力も鋭くする必要がある。例えば、「宗教的な狂気(妄想性人格障害)」やそれに類する症状に対して、精神医学分野での病名のつけ方は、非常に混乱を呼ぶもので、正確とはいえないが、現代人にわかるように話すには、やはり、このような病名を用いざるを得ない。

 (現代でいう統合失調症など。)

 「宗教的な狂気(妄想性人格障害)」の最初の萌芽、もしくは、更にそれが進行した症状が顕在化していくのに気づくことが重要となる。

 いわゆる精神病全般は、単なる症状にすぎないが、精神病にみえる症状が顕在化する場合に大切なのは、このような顕在化の経過全体に対して1つの病像が獲得できることにある。



 というのも、精神の病と同様に、脳の病[Gehirnkrankheit]という表現も、本質的には正しいとはいえないからである。「精神病」という表現を完全な間違いとするなら、「脳病」という表現は、半分間違っている。脳の変性も、二次(副次)的な症状だからである。

 俗にいう精神病といわれる病気の根本的な病因は、人間の上部組織のなかには決して存在せず、常に下部組織のなかで起こる。根本的な病因は、本質的には常に、肝臓、腎臓、心臓、肺という4つの器官組織のなかにある。

 外の生活への関心を失い、内的に思い悩み、妄想に囚われる、というような狂気(妄想)への傾向を持つ人の場合、何よりも重要なことは、背後に隠れている肺の状態に対して気づくことにある。

 (妄想⇒胸の疾患、例えば、思想家の多くは、胸の疾患で死んでいる。例えば、王陽明の結核の死など。)

 同様に、我儘や頑固さ、独善と呼べるような、いわば固定的な考え方、固定観念に凝り固まった人の場合、当人の肝臓の状態の調査へと導くことが重要になる。

 なぜなら、固定観念は、内的な化学機構が正しく作用していない結果として現れるからである。例えば、俗に脳の軟化と呼ばれている症状(痴呆、統合失調症)ですら、二次(副次)的である。いわゆる精神病の場合、観察が容易でないことが多々あるにしても、主因は、器官組織にある。

 (例えば、アルツハイマーの老人斑はアミロイドベータと呼ばれる蛋白質の変成で生じるが、二次的で、本質は、内的な化学機構にあり、例えば、肝臓などの新陳代謝の問題と考えられる。)

 主因が器官組織にあるため、精神的な治療処置を通じて対処できることはほとんどなく、むしろ、器官の疾病に対する治療処置を講じることを認めなければならない。逆にむしろ、いわゆる「精神病」よりも実際、通常の器官の疾病として現れる方が、(ストレスの軽減などの)精神的な治療処置を通じて成果を挙げることができる。

 精神病を、薬剤で治療する習慣を身につけていく必要があり、精神病の主因が、下部組織にあることが本質である。そして、これは、外(唯物)的な医学が、人智学の方向に沿った治療法を探求するのに必要な新しい分野に他ならない。

 この分野のなかで、正しい観察を行うには、根本から本質的に洞察力を鍛える必要がある。というのも、いわゆる精神病として現れる症状は、しばしば暗示として現れるだけで、途方もなく多様なので、実際、徐々に、正しい観察法を獲得していかざるを得ないからである。



 奇妙なことに、頭が弱く、愚鈍[schwachsinnig]にみえるような特性を備えながら、逆に才気に溢れ、天才的な創作を行うこともあり得る。このような一見すると、真逆の能力が存在するのは、愚鈍さによって、暗示に罹り易く、周囲の隠れた影響を、容易に自らのなかに反映できる、という理由による。

 (オカルトでいう、憑依、霊媒体質のことで、霊媒体質は、愚鈍さにあるから、第三者的な助言者が必要なので、審神者「サニワ」が必要となる。)

 この理由については、例えば、文化-病理学的な興味深い観察ができる。勿論、このような観察の成果として、個人名を挙げる必要はなく、個人名を伏せると、信憑性がある程度乏しくなるかもしれないが、やはり、個人名は伏せる。

 特に、ジャーナリズムにおいて、奇妙な現象が起こっている。本質的に、愚鈍な頭脳の持ち主が、良いジャーナリストになれる。それは愚鈍さにより、自分の意見ではなく、その時代の意見を提示できるからである。

 つまり、その時代の意見が、愚鈍な人を通じて反映されるので、例えば、愚鈍なジャーナリストの記事は、知性鋭い[starksinng] 自分の見解を表明するジャーナリストの記事よりも遙かに興味深い。



 自分の意見を絶えず作り出そうとする知性鋭いジャーナリストよりも、愚鈍なジャーナリストの方が、社会全体の意見に通じる。

 (日本は、知性鋭いジャーナリストの官僚の意見ばかりしか聞かないから、益々駄目になる。駄目になるとは、先行きを見通すことができなくなるという意味である。社会の底辺に存在するようなホームレスなどの意見の方が、時代を反映する。

 評論家の意見が正しかったことなど皆無である。検証すればわかる。特に昨今酷いのが、統計を用いた情報工作である。統計を用いて情報を誘導している。)

 ジャーナリストは、極端なケースだが、人生のなかでは、頻繁に起こる現象である。愚鈍という本質に対する強度の遮蔽とも呼べる真逆の能力が現れてくる。最初は、天才的とさえ言える能力が現れてくるために、その根底にある愚鈍さに気づかない。

 (カリスマ性などは、この現象を良く現わしている。俗に、一発屋というのも同じで、愚鈍さが根底にあるものと思われる。当人は、その愚鈍さ故に、なぜ人気になっているのかわからないはずである。)

 当然のことながら、通常の日常生活においては、この現象は些細なもので、記者の愚鈍さにより新聞が書かれていても、結果として、時代を反映した良い意見をもたらすのなら、害がないからである。

 (例えば、報道はできるだけ私見が混じらないほうがよい。また、洗脳するには、愚鈍さを誘導することにある。)





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Last updated  2012年05月24日 10時45分39秒
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