シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年08月09日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 続けて、シュタイナーの講義を再び転載する。

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 人類進化の第三段階は、「死者の書」として伝えられてきた古代エジプトの先史的、歴史的物語の中に示されている。そこには、二元性に加えて、第三の存在が現れてくる。

 人々は太陽の光が地上を照らし、光線が地中にまで浸透し、そして大地の中に眠る種子や生物たちを目覚めさせ、そして根源存在が、必ず実り豊かなものになっていく様を見た。

 この三つの統一、母なる大地と受精と新しい生命とは、象徴化され、オシリス(太陽や光の神)、イシス(物質)、ホルス(発展していく生命)として表現された。これが古代エジプトの三大神となる。

 この三元性が、後の全ての宗教の叡智の核心となる。

 父と言葉(ロゴス)と聖霊、イシスとオシリスとホルス、アートマとブッディとマナス、というような三位一体として、様々な宗教の中に神性が現れてくる。様々な宗教の中に、三元性が現れる。人智学は、その源流を認識した。

 その源流は、アジアにおいてもエジプトにおいても、宗教的な絵画や像や言葉の中に示されている。同じことは、ギリシア=ローマ世界の中にも、アウグスティヌスの場合にも、さらに中世においても見つけることができる。

 中世においては、原音という表現も用いられた。原音は、人間が生じさせた根源でもある。人間は現在の姿にまで進化を遂げ、そして今、本性が求めるまま、未来へ向かって努力している。



 かつて人々はみずからの内にある、その力を、言い表し難き神の存在と感じていた。それは、いま三つに分かれた世界の最初の存在と同質だった。更にまた、現在、人間の中の至高の存在に向かう努力、換言すれば、今人間の中に働いている神ロゴスから生まれた言葉、父に由来する子をも、感じとっていた。

 「父なる神から子なる人間が生じた。」

 この父なる神が未来においては、より完成された人間を形成する。そして過去においては、第二の人間本性であるブッディを創造した。ブッディはまだ完全ではないが、人間が完成へ向けて努力できるのは、このブッディの御蔭なのである。

 これは人間における第二の本性である。

 しかし過去においても、この父なる宇宙原理は働いていた。かつて、眼に見える人間が父なる宇宙原理によって創造されたように、今日の眼に見える人間のなかで、形態として輝いている存在もまた、同様に過去に根源の存在から現出し、そして今、出来上がった存在となっている。

 色、音、匂い、触感の中で知覚する万象に眼を向けると、それらはみな、言い表し難い根源の存在から湧き出たものである。このような点で、人間という被造物のために現象している、この根源存在を、キリスト教の意味でも、聖霊と呼ぶことができる。

 しかし宇宙は、究極的な創造にまで至っていない。宇宙はまだ萌芽の段階であり、自らの内の、未来への意志を担った存在もいまだ萌芽であり、子なる存在である。だから、この努力は、言葉、ヴェーダ、エッダと呼ばれた。

 第二の存在は、今日の人間の内なる力であり、未来において、人間の中に知覚されるものである。それは、人間凡ての魂の奥深くに存在している万有の父なる根源なのである。

 この根源を実感すること、内なる表象の内容にすること、それは三位一体を実感することである。ペルソナとは仮面であり、外観であり、隠蔽である。それ故、今述べた真理の核心を、宗教は霊、言葉、父という三つの異なる仮面の中で示している。

 こう述べることで同時に、キリスト教に通じる宗教信仰にふれたことになる。もし、このことを本当に理解しようとするなら、この宗教真理をキリスト教信仰の中にも見ることができる。

 最深の福音書のヨハネ福音書の中でも、人間の形姿をとって現れた崇高な意識との結びつき(religare)について理解し、受肉したロゴス、人間化した子なる神、現在の神についての教えの本質を知ることができるようになる。



 このように子なる神は、父なる神から発し、同時に神霊と結びつき、今、人々を父なる神へ導こうとする大いなる予告なのである。このことは、「何人も、私によらずに父へと至ることはない」という言葉が示唆している。

 その「私」とは現在の神の本質的な核心のことである。更に、子なる神は、今日既に世界に存在している霊の本質的な核心である聖霊を送る、と示唆している。

 「私は世界の終末にいたるまで常にあなた方のそばにいる」というキリストの言葉が真実であるように、彼が再び来る、ということも真実なのである。

 キリスト教全体は、新しい宗教のための1つの準備だった。

 今のところ、認識や科学を超えた形で、霊が存在している。今のところ、宗教として、過去に教えられてきた通りに教えられている。宗教の様々な文献が、手もとに残され、神学者たちは、それらを研究、解釈し、教義を立てている。



 これまでは、あらゆる教育施設で、プラトンやアリストテレスなど古代賢人の著作が頼りにされてきた。そこには、研究者ではなく、解釈者がいるだけだった。

 人間が、直接、自然から学ぶようになった後世から、神学が中心だった時代のことを考えると、もはや、神学者の時代のことは、理解できないだろう。当時は文字に記されたものへの信頼が絶対だった。

 例えば、神経は心臓からではなく、頭脳から発している、と或る自然研究者が主張したとき、神学者は、「アリストテレスは別のことを言っているから、彼よりもアリストテレスの方が正しいにきまっている」、と言ったのだった。

 たとえ、当時の自然科学者の主張の方が事実に即していた、と思えたときにも、神学者は解釈を優先した。

 今日の多くの人々が、天文台や実験室で、感覚世界の様々な事象を確認するのと同じ方法で、霊界の様々な事象を、確認する研究所や研究方法が存在する、とは思わないだろう。

 しかし、近年、人類の霊的な研究所というような場所が存在することが言われるようになった。人智学者たちは、ヘッケルが「これはこういうことだ」と発言するのと同程度の確かさで発言している。

 ヘッケルの主張が、研究を通して証明できたものだと考えるのと同様に、宗教原典の記述は、事実を通して真実であると判明したものだ、と人智学者は考える。

 また、人智学徒の中には、宗教原典の典拠にまで遡っていくことのできる人物たちもいる。人智学は、霊学センターが存在し、そこには霊学研究者たちが働いていることに注意を促す。人智学は超感覚的な事柄について経験を通して語る。

 かつての霊界探究者たちが内的な経験を通して宗教原典を創ったのと同じである。四百年前に自然科学が再び復活できたように、今日の人智学は直接的な霊的研究の復活を意味する。

 現在、人智学は、タオから偉大な人類救済主にいたる共通の真理の核心にたち返るべき段階に立っている。以上、人智学と、様々な宗教が共通している真理の核心との関係を取り上げた。

 (中略)

 人智学の行おうとしているのは、共通の真理の核心を様々な宗教、宗派の現存する文献の源泉にまでたち返って見つけ出すことなのである。その源泉に立って考察すれば、現存する文献を、よりよく理解できるはずである。

 そうすれば、新しい生命が人類の中に流れ込む。キリスト教は、人類の未来のために用意された宗教で、「子」の宗教といってよいが、「父」をも同じ途上で見つけ出すことのできる宗教なのである。キリスト教を理解することは、人智学の最重要な課題の1つである。

 だからこそ、凡ての宗教の中に真理の核心を求め、キリスト教の中にも同じ真理の核心を見つけ出そうとするわけである。宗教は子どもっぽい考え方から生じたのではなく、最高の叡智から、霊的な探究を通じて生じた。

 人間は、科学の高みに立ちながら、同時に宗教的人間でもありえる存在である。このことが認識できれば、百年以上前の秘教学者の1人、ゲーテがかつて呼びかけた言葉を、実感できるはずである。

 その言葉は人類にとっての素晴らしい命題を表現している。それは、真の科学からの認識こそが、宗教上の真理を正しく受容でき、凡ての宗教が、人類の最高の目標の核心部分を担っている、と教えている。

 科学と芸術を持つ人は、宗教を持っている。

 それらを持たぬ人は、宗教を持てばよい。





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Last updated  2012年08月09日 15時16分14秒
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