シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年08月29日
XML
カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 随分とまわりくどく明治維新の背後の戦いを紹介していくことになってしまったが、南朝革命が現実味を帯びるのに重要な人物が、やはり坂本龍馬だといわねばなるまい。

 松重楊江著「二人で一人の明治天皇」を読むと、南朝革命の日の丸は、恐らく、南北朝合一の旗印なのではないかと思う。つまり、両朝交互即位の条件を意味するものなのではないか、と思う。

 坂本龍馬は、日本を洗濯すると、姉の乙女に手紙を送っているが、日本の洗濯とは、南朝革命のことで、日の丸を立てる、ということなのではないかと思う。

 だとすると、この本が説くように、坂本龍馬の背後には、慶喜の構想があり、その窓口が勝海舟と考えると、明治維新は非常にわかりやすくなるが、この動きに呼応して、グラバーのメーソンが絡んでくることで、龍馬の動きも途端に怪しくなり、暗殺されてしまう。

 当初、慶喜には、後の熊沢天皇という玉がいたはずだが、途中で、長州に妥協して、大室明治天皇にかえてしまう。恐らく長州征伐の背後の駆け引きが、熊沢か、大室かのどちらかだったのだろう。

 この本によると、「1865年には、慶喜は、大室を担ぐことを決め、全国の志士と勝海舟を長崎に集め、大室と宣教師フルベッキ博士父子を囲む、後にフルベッキ写真といわれる記念写真を上野彦馬の写真館で撮影し、明治天皇のお披露目興行とした」という。

 恐らく、この写真は、後に南朝革命の証拠として、明治政府を揺さぶり、幕府存続を図るためのものであろう。慶喜が、明治天皇を作った、という意味のものなのだろう。つまり、家康の公家法度に沿ったものだ。

 更に

 「このとき、慶喜の意を受けた勝海舟の、



 2.やがて将軍家茂が亡くなったら停戦する(暗殺の前触れ)。

 という提案を受け入れ、全員が了解し合って解散した」という。

 しかし、この後、慶喜は、第2次長州征伐で、大室に関する支配権を求めたというから、海舟の長州との密約は破談ギリギリになったといえ、海舟は、面目丸つぶれとなる。

 つまり、慶喜の長州征伐の目的は、大室の身柄確保にあったわけである。当時の南朝の落胤は、水戸の熊沢天皇、尾張の三浦天皇、そして長州の大室天皇だったという。恐らく、格からいうと、大室に正統性があったのかもしれないが、慶喜は、幕府が確保していた熊沢、三浦には見切りをつけ、大室に絞り、長州を利用するために、水戸と長州での、前回紹介した「成破の約」を結んだのかもしれない。

 ともかくも、慶喜は、海舟に長州との上の約束を結ばせておいて、長州征伐という名目の下に、大室の身柄確保を図ったようである。しかし、伊藤に、大室を隠され、長州側に、慶喜と慶永による家茂暗殺を暴露されるのを恐れてか、家茂暗殺後、事後収拾して、大政奉還の路線に進み、孝明天皇の暗殺誘導へとボールを投げ、長州の出方、つまり、南朝の下に、徳川幕府の存続という返事を待つことにしたようだ。

 長州が返答を渋れば、フルベッキ写真を外国に公表するというような手段がある。つまり、長州が担いでいる天皇は、慶喜がつくったということになる。

 このような慶喜の二枚舌は、歴史の建前からはわからない。

 結局、水戸も長州も、相手を利用するための「成破の約」だったのかもしれない。第2次長州征伐後に、伊藤により孝明天皇が厠において刺殺されてから、大室天皇を中心とした長州幕府による討幕へと傾いていく。恐らく、メーソンが討幕に加担したものと思われる。

 長州の南朝革命から討幕への流れは、薩摩の西郷と、坂本龍馬の動きから調べることができる。恐らく、西郷は、龍馬を通じて、慶喜の動きを知ったのだろう。だから、西郷は、龍馬を薩摩に誘ってまで泳がしている。穿った見方だが、龍馬の妻のお龍は、薩摩か、あるいは、慶喜配下の隠密くの一の可能性もある。龍馬暗殺後は、海舟が、お龍を世話したから、幕府側の可能性が高い。龍馬は、西郷を、「小さく叩けば、小さく鳴る。大きく叩けば、大きく鳴る鐘のようだ。」と評しているが、それは西郷が、龍馬の動きを偵察していたためだろう。

 慶喜の南朝革命と、薩長の南朝革命の違いは、大政奉還後にある。龍馬の新体制構想は、慶喜を議長にした共和制だったので、南朝革命ならぬ、メーソンお得意の王政打倒の市民革命になってしまうので、薩長には到底受け入れることはできない。

 薩摩は、身分制度撤廃という点では、龍馬に同意だが、あくまでも虐げられてきた南朝(多くは下賎民に落ちぶれていた)を中心とした体制にある。長州も、その点でかわりはないが、長州幕府という利権獲得が付随した点で、薩摩とは大きく異なる。薩摩の久光も、利権獲得にあったようだが、西郷は久光を無視した。久光は、古代中国の故事に準えて、西郷を安禄山と罵っている。



 最初に暗殺されたのは龍馬で、そして、勝と慶喜が狙われることになる。なぜなら、明治天皇が大室だと知っているのは、勝や慶喜だからで、口封じをしないといけないからだ。つまり、先手を打って、龍馬の慶喜議長共和国案を封じるために、薩長は、龍馬を暗殺した。

 龍馬の暗殺は、薩摩の西郷が、龍馬の隠れ場所(近江屋)を、土佐の後藤から聞き出し(この時点で、土佐藩も加担、岩崎弥太郎も絡んでいるという話もある)、幕府の密偵に情報を流し、京都見廻り組と新撰組共同で、原田左之助、佐々木只三郎、今井信郎に暗殺させたという。だから、後に、西郷は、龍馬殺しの罪で自首し囚われた今井信郎を赦免したわけである。憐れなのは、薩摩藩邸に逃げ込んだ中岡である。中岡は軽症だったというから、薩摩に暗殺された可能性もある。

 つまり討幕は、薩長による、勝や慶喜の口封じと捉えることができる。だから、西郷は、あくまで慶喜の首に拘ったようだ。勝と西郷の江戸無血開城の会議の重要案件は、大室の黙秘のことだろう。ともかくも、戊辰戦争は、薩長による慶喜と勝の口封じにあるから、両者は徳川家を存続するには、薩長から逃げ回るしかなかった。だから、幕軍は、慶喜に切り捨てにされたわけである。しかし、徳川家の面目もあるので、適度に強さを薩長に見せ付けないといけないからややこしい。

 面白いことに、この本の著者の松重楊江は、他の本で、江戸無血開城に至る前の山岡-西郷会談に、山岡鉄舟とともに西郷と面会した益満休之助が、戊辰戦争で、幕府側の補給活動を担うはずだった弾左衛門を、下賎民の身分撤廃と引き換えに、薩長側に寝返らせたことが書いてある。

 だから、西郷は、自分の命令で、江戸を混乱に陥れた益満休之助が同席しているのに驚愕したはずで、それは、慶喜-海舟が、弾左衛門の寝返り条件を知っているよ、という西郷への圧力にもなる。



 しかし、最終的には、フリーメーソンを利用して、伊藤が権力を握り、西郷も殺され、薩摩は捨てられ、長州の天下というよりも、伊藤が明治天皇を利用して政敵を抹殺したので、伊藤が政権を私物化した政府ができてしまう。「総理」という名称は、伊藤の父の別名だというから、明治政府が、伊藤政府であることが伺える。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012年08月30日 12時56分26秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: