シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年09月05日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/674.html
 上記のサイトからの抜粋要約を続ける。

 『リンドン・ラルーシュらの「麻薬株式会社ドープ・インク」の第三部八章は、「RIIA(英国王立国際問題研究所)は、どのようにして麻薬その他の汚いお金を動かしているか」を詳細に解き明かしています。RIIAは1919年に設立された、と記録されています。つまり、まぎれもない、第一次世界大戦の終了の直後です。

 王立と名が冠せられているからには、れっきとした英国王室公認の機関であることが分ります。RIIAとその周辺、その関係諸団体の実相について、必ず参照しなければならない古典的学術書は、アメリカ、ジョージタウン大学(これはイエズス会系です)の教授をしていたキャロル・キグリーの「悲劇と希望-我が時代の世界史」という1300頁余の大著といわれています。』

 『キグリー教授の説明によれば、19世紀の末に大英帝国の支配層の中に、ジョン・ラスキン、セシル・ローズを中心とする秘密結社が結成された。そしてこの秘密結社が次第に成長して、円卓会議(ラウンド・テーブル)、セシル・ローズ奨学金、ミルナーグループ、などとなり、アメリカにもその支部のごときものがつくられた(それをアメリカでは東部エスタブリッシュメントなどと称する)、この秘密結社の「フロント組織」としてRIIAが設立された、というのです。一応こんな具合に記述されるのですが、セシル・ローズもミルナーも、実は、英国ロスチャイルド財閥の使い走りに過ぎないように見えます。』

 『ラルーシュらの「麻薬株式会社ドープ・インク」によると、世界の麻薬貿易(及びその他の汚い商売)の頂点に、RIIA司令部(ロンドン、セント・ジェームス・スクエア、チャタムハウス)が位置している、とあります。

 RIIAは英国の国家そのものと言ってもよい。英国政府の政治的承認及び、世界の金融市場、世界の金とダイヤモンド市場の力のすべてをもってする支援と便宜なしに、RIIAが管理する世界麻薬ビジネスの運営は不可能である-と、ラルーシュらは述べています。』

 『幕末の尊王攘夷の志士たちは、英国が清国に仕掛けた阿片戦争の不正、邪悪をしっかりと意識批判していました。ところが、手品でも使ったように、明治の新政府から英国への警戒感、英国が悪魔的麻薬ビジネスに関与していることへの批判が消えてしまうのです。のみならず、世界の超大国、大英帝国への崇拝、媚びへつらいの感情が支配的になっていくのです。

 その結果、「日本の皇室のモデルは英国王室である」などという、途方もなく愚かな見解が、堂々とまかり通っているのです。歴史の真相を知ると、真に日本人として、顔から火が出るかと思われるほど恥ずかしい話です。



 『筆者は最近、アメリカで発見され、復刻公刊されている、一冊の超極秘文書を入手しました。それは「静かな戦争のための沈黙の兵器(サイレント・ウエポンズ・フォー・クワイエット・ウオー)と題されています。この秘密文書は、1986年にカリフォルニアで、全く偶然に発見されたそうです。

 それによれば、1954年、国際エリートが会議を開き、全世界の大衆を家畜化(そして集団的大量殺害)するための第三次世界大戦をひそかに宣戦布告した、というのです。この静かな戦争の主たる兵器は、コンピューターであり、生物兵器、心理兵器であり、戦争を仕掛けられている大衆は、それに気づかない。

 この「国際」エリートが依拠する根本思想は、あの初代ロスチャイルドが発見した、と銘記されていますから、「彼ら」の正体が国際ユダヤ指導部であることは自明のところでしょう。現代の麻薬は、実に、この沈黙の兵器体系の一つ(しかも最も重要なものの一つ)として位置づけられているらしいのです。』

 以上抜粋。

 太田龍は中曽根と麻薬ビジネスについて言及している。中曽根元海軍主計は吉田茂のコネクションである。では吉田の「右腕」といわれた白洲次郎とは何者か。

 昨今白洲次郎&正子ブームが到来する陰で、次郎叩きも同時進行している。次郎は「日本一カッコいい」「風の男」なのか。はたまた「プリンシプルのない」「日本一最低の男」なのか。次郎の相反する言葉の中にヒントがある。

 『素朴な正義感は貴いものだと思う。これだけは死ぬまで捨てない。僕の幼稚な正義感にさわるものはみんなフッとばしてしまう。』

 『僕は知らんよ!知ってたとしても僕は何も喋らんよ。僕は口が堅いからここまで生きてこれたんだっ!』

 次郎は「葬式無用」「戒名無用」と正子に遺言した。これはカッコいいセリフとして写真付きで公開されている。しかしそこには無惨な心情が潜んでいると私は思う。次郎の一見カッコいいセリフの裏には常に別の本心が隠されている。私は白洲次郎という男は、正義感どころか誇りさえ持てなかったと思う。

 白洲次郎はそういう宿命を負って生まれてきた子どもである。彼は生涯『素朴な正義感』を持つことが許されなかった。いざというときフッとばされるのは『僕の幼稚な正義感』の方だったのだ。真実を知ってたとしても喋ることはできない。口が堅くなければ生きて行けない。
エージェントとして宿命づけられた白洲次郎のプリンシプルである。



 父の生涯を通じてのイギリスの友人、ロビンおじによりますと、ジローは大学に入ってきた時にはもう英語が出来たというのです。父にそのことを聞いてもはっきりとは答えてくれず、後年不思議に思って叔母に聞きますと、ハイカラだった彼等の家庭では、子ども達を神戸の日曜学校に行かせていて、教会の牧師様に英語を教わっていたということでした。』(牧山桂子『次郎と正子 娘が語る素顔の白洲家』より)

 日曜学校で英語を習った程度で、次郎のような言語的奇形にはならないだろう。兄弟姉妹もケンブリッジ入学レベルを修得していたとでもいうのだろうか。次郎は物心ついた時から有用な道具となるべく、言語矯正を受けさせられていた。

 彼がどもる癖があったのは強制的な言語教育のストレスが考えられる。友達と口論するとどもりながら次第に激昂し相手に手を出したという。次郎は正子との日常会話でも英語を使っている。手紙はほとんどが英語である。次郎のスマイソンのスケジュール帳も9割がた英語で予定が記録されている。

 次郎が正子に送ったラヴレターも英語である。二人には本物の情愛があったと私も感じる。
婚約者正子へ書き送った最大級の賛辞も次郎の本心だと思う。彼は最愛の正子への手紙の最後にジョンと署名している。これが彼の本当の名前なのである。だから正子も「私の愛するJon」と返信している。彼にとって本名はジョンなのである。



 『次郎は吉田茂元首相の右腕だったと聞きましたが、なぜ彼が戦後、あれほど力を持っていたか分らないのです。また、彼は普段、手紙もメモも作成せず、口頭でメッセージを伝える事が多かった。電話でも多くを語らず、アポなしでぶらりとオフィスを訪ね、用件だけ言うと、すっと消えていきました。だから、彼のメモすら残っていないのです。 』(徳本英一郎『英国機密ファイルの昭和天皇』より)

 しかし彼は家族のためにシナリオの一部を洩らしている。

 『白洲夫妻が東京郊外に移住を決めたのは、太平洋戦争開戦前夜の1940年のこと。それは白洲次郎がこのころ既に「日本とアメリカが戦争になれば日本が負けることが明白であり、物資の不足が懸念される」という予測を立てていたから。そこで二人は食料不足となっても困らないようにと田畑付きの農家を探したのです。

 鶴川で見つけたその家に移住したのだ43年のこと。その際は疎開のつもりだったものが、結局は終の棲家となり、それが現在公開されている、「武相荘(ぶあいそう)」なのです。』(和楽ムック『白洲正子のすべて』より)

 もちろん次郎は日米開戦の正確な時期も知っている。43年4月18日に五十六が暗殺され前半の区切りがつく時期も。シナリオでは戦局が悪化していく合図なのである。だから次郎は翌月の5月11日にに家族を連れて鶴川に疎開する。彼は東京大空襲も事前に知っている。

 『「確か昭和20年の春でした。灯火管制の時に、夜、工藤さんが突然すうっ・・・・と来たんです。私は本所に住んでいたんですが、あと二~三日したらここは空襲になるから、荷物をできるだけ持って逃げろと。それで私は○○の方へ逃げたんです。本所が三月の九日か一〇日だと言ってました。

 そうしたら、本当にその日に東京大空襲があったんです・・・」これは不思議な話だ。なぜ工藤孝次郎は東京大空襲の日時を知っていたのか。もし亜細亜産業が軍部から情報を得ていたとすれば、国は東京大空襲を知っていながら市民を見殺しにしたことになる。もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか・・・』(柴田哲孝『下山事件 最後の証言』より)

 『戦前、この会社は闇貿易をしていた。前述した陸軍と財閥の癒着のなかから誕生した昭和通商と結びつきアヘン貿易に従事していた。この会社に白洲は出入りしていた。柴田哲孝の祖父がこの会社の重役であった。柴田は「我が家に白洲次郎と思われる人物が祖父や矢坂玄(亜細亜産業社長)などといっしょに写った写真が残っている」と書いている。』(鬼塚英昭『原爆の秘密 国外編』より)

 『クリストファーによると、晩年の白洲は、S・G・ウォーバーグから肩書きも受けとっていなかった。しかも1982年創業者のシグムンド・ウォーバーグ卿が亡くなった後も、彼はクリストファーの後見役を続けた。「ウォーバーグ卿と次郎の関係は、個人的な友情に基づいていました。

 そのウォーバーグ卿に頼まれた以上、それに応えるのは自然の事だったのでしょう。また次郎も、われわれの進出は日本のためになると信じていました」』(徳本英一郎『英国機密ファイルの昭和天皇』より)

 『創業者のシグムント・ウォーバーグは、ドイツのハンブルクに本拠地を持つウォーバーグ家からイギリスに派遣され、SGウォーバーグをつくり、ロスチャイルドとともに、ヒトラーを育てたのである。そのウォーバーグ家の一族がアメリカに渡り、ロスチャイルドの血族シフ家と結ばれる。

 FRBをつくりあげたのはポール・ウォーバーグ。その息子のジェームス・ウォーバーグはOSSの中に入り日本向けの情報担当者となる。白洲次郎はウォーバーグのエージェントとなり、国務次官グルーからの情報を、ヨハンセン・グループに流していく』(鬼塚英昭『原爆の秘密 国外編』より)

 以上は抜粋だが、その後の内容は山本五十六の弁護で読むに価すものではない。真珠湾とミッドウェイに対して、山本が指揮官として何の責任もとらなかったことで、弁解の余地はないように思う。山本暗殺についても、生きていたという証言もあり、不明である。昭和天皇も、山本の国葬に疑問を投げかけているところをみると、山本が昭和天皇を裏切ったか、生きていたかのどちらかだろう。

 ともかくも、死後、英雄視される人物はほとんどが胡散臭い人物といえる。





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Last updated  2012年09月06日 09時13分24秒コメント(0) | コメントを書く
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