シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年10月03日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 ヨガといえば、ほとんどの人は、インドを思い浮かべるだろう。インド人といえば、なぜか、蛇使いが想い浮かぶ。

 実は、生命の樹と、クンダリーニの図を照らし合わせると、蛇使いが、ヨギ(ヨガの実践者)であることがわかる。

 ヨギの物質化が、蛇使いなのである。

 生命の樹も、クンダリーニの図も、人間の脊髄や背骨を表現したものであることを、これまで述べてきた。生命の樹は、人間全体を表し、脊髄や背骨だけではないが、中央の柱は背骨を表していることは確かだろう。

 背骨は、端的にいって、あの世と、この世をつなぐ橋であると前回述べた。背骨が大体33
段あるのは、天国にいけるまで精神を老熟させるのには大体33回の修行が必要で、この世の卒業には、33回の学年が必要というわけである。その由来から、メーソンの石工、つまり、松果体の制御技術者組合は、33位階をもつことは既に述べた。

 非常にSFチックな話は、唯物論者から生まれるが、生命の樹を、そのまま物質化すると、宇宙船になる。面白いことに、井口御宅博士のサイトのUFO紹介欄に、生命の樹にそっくりなUFOの構造図をみつけたことがある。唯物論者は可笑しい生き物である。

 唯物論者の頭の構造からも、想念が、世界をつくることが実証される。

 さてUFOよりも、まだSFではないのが、蛇使いである。勿論、蛇は、脊髄のことである。脊髄の下部に潜んでいる火の蛇のことで、ヨガでは、通称、クンダリーニの蛇と呼ばれている。この蛇は、3回転半のトグロを巻いているといわれている。



 そこで、インドの蛇使いのイメージといえば、背骨のような笛を吹いて、蛇を使役する(躍らせる)光景が想い浮かぶだろう。笛にある7つの音階の穴は、7つのチャクラに相当する。

 実は、蛇使いの吹く笛のイメージに、ヨガの回答がある。笛は、呼吸により、音を鳴らす道具である。だから、背骨を笛のように使って、背骨の下に棲む、3回転半のトグロを巻くクンダリーニの蛇を、使役する(躍らせる)、という意味なのである。

 さて、著書「ヨガの真義」によると、クンダリーニの蛇を使役する(躍らせる)笛を鳴らすには、ヨガによる呼吸法が必要で、そのヨガの呼吸法とは、左右の鼻の穴を同時に使って呼吸する方法が必須となるそうだ。

 現代人のほとんどが、左右の鼻の穴を、大体1時間毎に、交互に使って呼吸しているという。ヨギは、意識的に、鼻の穴を自由自在に開閉して、左右同時呼吸を可能にするという。

 左右の鼻は、神経を通じて、各々が左右の脳につながっているので、左脳、右脳の役割の違いの観点から考えれば、左右からくる呼吸の働きの違いが、現代人でもある程度は想像がつくが、脊柱下部のクンダリーニの蛇を動かす道具となることは、オカルトでないと理解できない。

 だから、オカルトの知識がないと、脊髄や脊椎を、火の蛇を動かす笛として奏でることはできない。「ヨガの真義」によると、鼻の左の穴は、大気中にわずか1%にも満たない宇宙のエーテルの陰のエネルギーの流れを吸収し、反対に、右の穴は、陽のエネルギーの流れを吸収するという。エーテルのエネルギーの流れが、細胞の核にイメージを伝えるそうだ。

 現代人が行う通常の左右交互の呼吸では、適度なリズムもないので、一方が他方を揺さぶるだけで、いわば中央を支点とした左右に上下するシーソーのようになり、シーソー自体(支点)を上昇、もしくは下降させることはなく、生命の樹でいうところの中央の均衡の柱にある経路にエネルギーを流入させることができないので、脊柱下部の火の蛇を動かすことはできない。

 現代人の通常の呼吸では、脊柱下の蛇を起こすことはできず、眠ったままとなる。だから、呼吸の偏りは、宇宙のエネルギーを万遍なく吸収することができずに、自然と、老化し、病気を発生させる。

 ヨガによると、脊柱の中央の均衡の柱には、7つの回転する車のようなチャクラ(蓮華)があり、身体の左右の経路からくるエーテルの陰陽のエネルギーを中央で融合合流させ、脊柱の中央の経路へと流し、中央の均衡の柱にある7つのチャクラを回転させないと、4次元の扉が開かないことを、蛇使いの喩えで表しているようだ。

 ちなみに、中央の4次元の扉、つまり陰陽の合流したエーテルエネルギを流す4次元の経路(菅)を「スシュムナ」といい、その言葉は、「他世界の道」という意味をもつそうだ。チャクラは、4次元世界への回転ドアのようになっている。

 また、左右同時の呼吸でも、呼吸自体にリズムがなければ、音楽を奏でることはできない。リズムをつけるには、心臓が奏でる鼓動を利用する必要があるという。心臓の鼓動は、8回を目処にリズムをつけて、左右同時の呼吸を行うのがよいという。



 聖書で有名なバブルの塔が、言葉の法ともいわれるのは、生命の樹からくるからである。7つのチャクラの回転が乱れたので、民族により使う言葉が異なってきたわけだ。

 蛇使いは、素晴らしいリズムで、音楽を奏で、火の蛇を昇天させるが、失敗すると、蛇を怒らせ、蛇に噛まれることになる。火の蛇は、毒蛇なので、失敗すると、破壊や死を招く。

 右の陽のエネルギーが多いと、この世に執着をもち、左のエネルギーが多いと、あの世へに未練をもつそうだ。左右を融合させたエネルギーを活用すれば、自由自在に幽体離脱もできる。オカルトだろっ?

 蛇に心地好い音楽なのか、不快な音楽なのかは、中央の脊髄にある7つのチャクラ(音符)で奏でる音楽を背景に、松果体で、良き想念をつくるか、悪しき想念をつくるかに、かかっている。

 要するに、言葉使いでもある。言葉使いにより、人の心は、天国のように機嫌良くなったり、地獄のように機嫌が悪くなる。



  ☆  ☆  ☆

第一章 道の道とすべきは

 これが「道(真理?)」やてミンナが言うてる「道」は、絶対変わらへんホンマの「道」ちゃう。
 価値観は時代や個人の環境なんかで色々変わって行くモンや。
 これが「名」やてミンナが呼んでる「名称」は、絶対変わらへんホンマの「名」ちゃう。
 その時と場所で使えるだけのモンや。区別するだけの記号や。

 一番はじめ、言葉に言い表せることが出来へんホンマの「名」があって、そこに「道(宇宙法則)」があっやんや。
 そしてそこに天と地が生まれたんや。その天と地間から数々の名が生まれた。
 天地は名のある全ての「おかん」や。

 いっつもに欲張らんとピュアにいたら、その微妙な根源的な「しるし」が見えるんや。
 反対にいっつも欲張っていたら表面的な現象が見えてくる。

 根源的なしるしも表面的な現象も、一見違ってるように見えても出どころは一緒や。
 でもな、名前はちゃう。呼び方がちゃうだけやねん。
 名前と言う制約でちゃうように見えるだけやねん。

 言葉の壁を越えた向こうに、ホンマ(玄)の世界がひろがってるねん。
 ちょっとの出来事や意味ないと思ってしまうモノなんかにでも、
 思いもよらへん色んな「ホンマ」が隠れているんやで。

読み下し文
 道の道と可きは、常の道に非ず。名の名と可きは、常の名に非ず。
 名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。
 故(まこと)に常に欲無きもの、以(もっ)て其の妙(みょう)を観(み)、常に欲有るもの、以て其の徼(きょう)を観る。
 此の両(ふた)つの者は、同じきに出(いで)たるも而(しか)も名を異(こと)にす。
 同じきものはをこれを玄(げん)と謂(い)う、玄の又た玄は、衆妙(しゅうみょう)の門なり。

白 文
 道可道、非常道。名可名、非常名。無名、天地之始、有名、萬物之母。
故常無欲、以観其妙、 常有欲、以観其徼。此両者、同出而異名。
同謂之玄、玄之又玄、衆妙之門。

老子 第一章 道の道とすべきは、常の道に非ず

 第一章

英訳文
“A way” you can call it way is not the great everlasting way. “A name” you can call it name is not the true unchangeable name. There was no name when the world was created. After all things were created, they were named. So if you are disinterested, you could see profound forms of all things. If you are greedy, you can see only surface of them. The source of both of them is the same one. I named it “deep mystery”. And the further source of the mystery is producing all phenomena and things of the world.

現代語訳
 これが「道」だと言い表せる様な道は、偉大なる不朽の道ではない。これが「名」だと呼べる様な名は、真実不変の名ではない。天地が創られた時には名など存在せず、万物が生み出された後にそれらは名づけられたのだ。だから無欲な心をもってすれば、万物の深遠なる姿を見る事ができるだろう。欲望の虜のままでは、万物の上辺の姿しか見る事ができない。この両者の根源は同じ一つの物であるのに、それぞれ別の名を持っている。その根源を「玄 – 深遠なる神秘」と私は名づけたが、その玄のさらに玄からこの世の全ては生み出されている。

 Translated by へいはちろう

 (さて、続けて「タオの法則」から)



 耐え難き孤独か

 それを決するものこそ

 性である


 空間を超えて万物と1つとなり、時間を超えて未来を変容させ、創造する。そうした人間の意識本来の働きは性エネルギー(陰陽のエネルギーの合流)とともにある。老子が暗に語る性エネルギーとは、生命だけでなく、宇宙の本質でもあり、全てが、そのエネルギーにより、悦(タオ)として活動している、というのである。

 「電子が原子核の周りを回るのも、原子と原子の出会いも、それは一種の愛であり、性交だ。原子はただ動いているのではない。それを楽しんでいる。悦として行っている。そうした悦とした微細な活動の背後に、それら全てを抜き超え、統括する、見えざる働き、大道が潜む。それのみが永遠の意識であり、常道(チェンタオ)だ」

 宇宙が与える聖なる働きは本来、人間を、あるべきところへと導く導き手であり、宇宙大の自由と解放へと導く促しである。本来ならば人間を最もダイナミックに解放するはずの力に、人間が縛られるのは、宇宙本来の性の充足の素晴らしさを知らないからである。それに出会う時、束縛の性を超え、囚われることのない至福へと至る。

 孤独か完全愛かのわかれ道の本質が、そこにある。

  ☆  ☆  ☆

 音楽を歌うのなら、宇宙に鳴り響くような楽しい音楽を歌うべきだ。皆が、一緒に踊れるような音楽を奏でれば、皆が幸せになる。宇宙は皆、幸せの歌を求めている。男も女も、陰も陽も、皆、踊り、歌いあうような、宇宙全体が幸せになる道が本当の道であり、性である。ヨガは宇宙の心と1つになることだ!





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Last updated  2012年10月04日 12時06分31秒
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