シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年12月18日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 では、前回紹介した北朝の末裔とされる堀川辰吉郎とは一体どんな人物なのか? 同筆者の話を、あるサイトにみつけたので、以下に一部抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

★清朝宝物の運命 落合莞爾

 この辺で堀川辰吉郎の正体を明かさねば、本稿はもはや諸賢に認めて貰えまい。辰吉郎は明治十三年、孝明帝の血統を享けて京都の堀川御所に生まれた。明治二年、西郷・吉井・大久保の薩摩三傑が宮中改革を図り、孝明帝の女官を京都に留めたことは周知であるが、その女官たちは、維新後も京都堀川御所に住した京都皇統に仕えたのである。

 (中略)

 堀川御所は昭和三年に廃止されたと聞くが、皇統の本拠としての意義を果たし終えたからであろう。

 京都皇統の中核的人物として生まれた辰吉郎は、井上馨の実兄・重倉の籍に入ったが、生地に因み堀川姓を称した。(重倉については未詳だが、玄洋社員と聞く)。幼くして玄洋社に預けられた辰吉郎は、上京して学習院に入る。

 皇族・華族の子弟教育の機関で一般民の入学を初等科に限っていた学習院に入学したことは、辰吉郎の貴種たるを暗示する。明治三十二年、清国の革命家・孫文が日本に亡命した時、その支援を図る玄洋社は、実質社主・杉山茂丸の計らいにより、弱冠辰吉郎を孫文に付して、その片腕とした。(中略)ともかく、常に伴う辰吉郎を日本皇子と称したことで、孫文の清人間に於ける信用が俄かに高まったのである。

 愛親覚羅氏が日本に接近するのは、日本の実力を目の当たりに見た日露戦争の後である。接近は西太后の側近・袁世凱を通じて行われたが、東京皇室は固より、政体・桂太郎内閣も敢えて対応を避けたのは、東京皇室と京都皇統の間に国務分担の密約があり、皇室外交と国際金融は京都皇統の分野だったからである。



 辰吉郎を盟主と仰ぐ京都皇統の芯核は孝明帝の祖父・光格帝由来の宮中勢力で、光格帝と実賛同血統の鷹司家を始めとする旧堂上の一部である。之に加えて、孝明帝の皇妹・和宮が将軍・家茂(紀州慶福)に降嫁した公武合体に発する紀州藩・会津藩の勢力もあった。辰吉郎傘下の実行部隊は玄洋社だけではなく、京都に根拠を張った寺社勢力がそれで、東西本願寺が当時の棟梁格であった。

 外郭の中で、最も強大な勢力は薩摩ワンワールドで、在英海洋勢力の支部として杉山茂丸の指示に従いながら、辰吉郎の経綸を実行していた。また丹波大江山衆は、光格帝の実母・大江磐代(大鉄屋岩室氏)に由来する禁裏の外郭で、亀岡穴太村の上田吉松を頭として江戸時代から禁裏の諜報に携わっていたが、多くは玄洋社に誘われて満洲に渡って馬賊となり、或いは清国本部に潜入して国事に備えていた。彼らが創めた大本教が、玄洋社と並んで辰吉郎支援の実行部隊となり大正時代には民国内に実質支部の紅卍会を建て、辰吉郎はその日本総裁となる。

 ◎薩摩ワンワールドが辰吉郎の経綸を実行していた。

 「満州に渡った丹波大江山衆が大本教を創り、玄洋社と共に辰吉郎の実行部隊となった。
紅卍会はその実質支部であり、辰吉朗が日本総裁となった。
この経緯と以下の説明の繋がりがよく分かりませんが・・・。」

 上田吉松と結んで大本教を開いた綾部の出口ナヲの次男・清吉は、高島鞆之助の計らいで近衛に入隊し、日清戦争後の台湾土民平定に参加したが、凱旋中の輸送船上で蒸発し、北清事変で軍事探偵・王文泰として手柄を挙げた後、満洲に渡って馬賊に投じた。

 この王文泰が馬賊仲間で三歳年下の張作霖を指導し、親日に誘導して日本陸軍の支援を取り付け、満洲の覇王に養成するのである。堀川辰吉郎は辛亥革命後、しばしば満洲に赴いて張作霖と慇懃を通じ、長子・学良と義兄弟の盟約を交わしたと謂う。

 辰吉郎は、漢族自立を図る孫文、満洲保全を望む愛親覚羅氏の双方と親しく交わったが、その立場に毫も矛盾はなかったのは、蓋し双方とも満漢分離で一致していたからである。

 (中略)

 新生中華民国が群雄割拠となったのを国情の必然と覚った袁世凱は、共和政は不可能として帝政復帰を図るが、これを孫文にとって重大な障害と観た辰吉郎は、革命党に手を回して大正五年に袁を毒殺させたと聞く。



 在英ワンワールドの戦略に従う辰吉郎は、張作霖を地方政権として育成し、満洲を特殊地域化する戦略を立てた。張作霖が乾隆秘宝を接収したのは大正五年十二月で、大連派に対するジェスチュアとして、秘宝強奪の形を取った。

★辰吉郎と閑院宮皇統

 辰吉郎は孝明天皇の世に隠れた直系で、遡れば孝明→仁孝→光格と三代の天皇が続く閑院宮系皇統の直系である。江戸幕末が光格帝に始まるとの論が近来盛んで、慶応大学講師竹田恒泰氏も、先年の講演でその事を強調していた。竹田講師の父は竹田恒和日本オリンピック委員会会長で、伏見宮皇統から出た北白川能仁親王の曾孫に当たる。

 ◎辰吉郎は光格帝の流れを閑院宮系の直系である。



 皇統の変改はこの上もない重大事であるから、関係者は極く少数で、同期する関係者たちの第一世代が、光格天皇(1779~1840)・関白鷹司政煕(1761~1841)・将軍徳川家斉(1773~1841)・薩摩藩主島津重豪(1745~1833)らである。

 鷹司政煕は光格帝の叔父に当たるから、禁裏側は親族がペアを組んだものである。幕藩側は、家斉の叔母・一橋保姫が重豪の正室で、家斉の正室が重豪の娘という間柄で、これも縁戚のペアである。巷説では、家斉側に頼まれた重豪が将軍・家治の世子家基を暗殺して家斉の将軍就任を導いたというほど親密度の高い仲であった。

 「◎ここから落合莞爾によって禁じ手が仕掛けられる。自分だけが仄聞したこととして皇統の改変を物語る。光格天皇、鷹司正煕、徳川家斉、島津重豪が皇統の入れ替えをした、という。」(引用サイトの管理者の発言)

 関係者の二世代目は、孝明帝(1831~1866)・関白鷹司政通(1789~1868)将軍家茂(1746~1866)・福岡藩主黒田長溥(1811~1887)である。孝明帝は光格帝の孫で、関白政通は政煕の子だから、二人は又従兄弟のペアである。また将軍家茂は家斉の孫、黒田長煕は重豪の実子であるから、幕藩側もペアである。この中で、孝明帝の妹で家茂の正室になった和宮親子内親王(1846~1877)が触媒の役割得を果たす。

 ◎孝明帝、鷹司政通、徳川家茂、黒田長溥が二世代目の皇統入れ替えを行う。
 家茂の正室和宮が触媒の役割を果たす。

 右の二世代にわたる関係者が、皇統の変改を核とする幕末維新の仕上げをしたと仄聞するのだが、詳細を語るほどの情報をまだ得ていない。ともかく公認史実と異なる事実は、

  1)孝明帝は慶応二年には崩御されず、維新後も御生存。
  2)孝明帝の御子は、維新後も生きて堀川御所に住んだ。
  3)和宮は明治十年には薨去されず、その後も御生存。
  4)家茂も慶応二年には薨去していない。

 以上が真相ということであるが、これには和宮の家茂への降嫁と東京遷都が深く関係しているらしい。

 鳥羽伏見の戦いの後、江戸城における評定で新政府軍に対する交戦継続を主張して罷免された小栗は、三野村に米国亡命を勧められたが応じず、勘定奉行を辞任して領地の下野国・権田村に隠遁した。慶応四(一八六八)年、無血開城の江戸城に入った官軍は、例のインサイダー取引による莫大な利益を知っていたから、城内の金蔵が空なのは小栗が隠匿したと判断し、小栗が大量の荷駄を赤城山に運びこむのも目撃されていたから、直ちに派兵して小栗を捕え、厳しく吟味するが結局解明できず、小栗ら三人を斬首した。

 真相は、この利益金は秘かに京都西本願寺に運ばれ、孝明帝に献金されて公武合体基金となったと聞くが、無論大老井伊直弼の発意であろう。幕末開国に向けた工作も既に最終段階に達していたから、この孝明基金は王政復古ではなく、明治以後の国事に充てられることとなった。

 堀川政略の中心人物が、維新政府の高官として宮中改革を進めた吉井友実、西郷隆盛、大久保利通の薩摩三傑であることは確かである。就中自らこれに処したのが吉井で、各省の卿を歴任して当然の身ながら進んで宮内省に入り、官歴をほとんど局長級で終始して中々次官にさえ就かなかったのは、姿勢を屈めて明治宮城の護持に専念していたのである。

 吉井と相携えたのが実質閑院宮の鷹司家から入った徳大寺実則で、実弟が西園寺公望と住友友純であるから隠然政財界に通じていたが、宮内卿兼侍従長として明治天皇に常侍し、片時も傍らを離れなかった。長州人では、辰吉郎の戸籍上の叔父となった井上馨で、公武合体資金や玄洋社への炭田払下げなど各所に、堀川政略に関与したフシが窺える。

 公武合体を理念的基盤とする堀川政略の財務的基盤は、前月稿で述べた小栗上野介の公武合体資金であるから、当然ながら徳川氏側にも関与者がいた。まず将軍家茂の側近であった勝海舟で、西郷・大久保ら薩人とも昵懇で、維新後は家定未亡人・天璋院と誼を通じて旧幕臣の要となり、明治海軍増強のための資金供給に携わった。今一人は一橋家旧家臣で、井上馨の後援下に実業界に対する資金供給を担当した「実業王」渋沢栄一であった。

 次回に続く。





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Last updated  2012年12月19日 10時16分30秒
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