シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年03月15日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 現代のマスコミが出鱈目であることはもはや周知の事実だろうが、というのも、日本の歴史についても、連中は無知蒙昧だからでもある。

 某公共放送は、出鱈目な歴史ドラマを延々と流し続けてきた怪しい歴史をもつが、それも表現の自由だから許されるとしても、その出鱈目に洗脳されて命を犠牲にしないことを願うばかりである。

 そこで、今回は、八切止夫作品集から、マスコミの出鱈目振りを現す話を改めて抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

われらの造反 学術文化の浪花節

 「TVガイド」という小雑誌で『天と地』の演出担当ディレクターの岡崎君が私(八切止夫氏)に対して、

 「かなり前に岐阜から聴視者の老人が長距離電話をかけてき、謙信は女だという云い伝えがある、とうるさくいってきた。どうもその爺さん頭がおかしいようだと思ったけれど、それと同じように論じちゃ失礼だが‥‥」

 と、いうような言い方をし、ついでに、「謙信が不犯だったのは肉食妻帯を禁じていた真言宗への深い帰依だったのを考えぬか」とまでやっている。

 私はNHKのディレクターで立派な人も沢山知っているだけに、こういうのには呆れるが、NHKは一般から視聴料をとっているのだから、そこの禄をはんでいる限り、公共事業の職員として同君は私にとやかく言うのは許せるが、親切に長距離をかけてきたという年寄りを、そんなキチガイ扱いなどしてはいけない。



 「四年間にわたって 謙信が女人と解明した のは、以前には誰もしていない前人未踏のもので私がなしとげたライフワークである。とはいえこれによってゼニを儲けている連中からは好かれんことは見えている。こうした労多く効少ないことは利口な人のやらない事で、私みたいなバカ者が、<真実とは何か>という手掛かりをつかむため一つの試みとして根気よく追求してみた迄である」

 との自嘲めいた附記もはっきりつけている。

 だから岡崎君なるものが、「八切はばかだ」というのなら私は何もいわない。しかし八十歳の年寄りがわざわざ局へ電話をかけてきたというのに、<頭がおかしい>と公言するのはどうだろうか。親切な老人は敬し尊ばねばいけない。

 また岡崎君は真言宗もろくに知らないらしい。勉強不足である。だが上杉家が高野山へ帰依したのは江戸期の元禄事件の後からの事である。

 なにしろ日本では、正しいとか正しくないとか対比決定が、常識や状況で判断されずに、「権力」によって決められるから困る。とはいえNHKは裁判所ではなく岡崎君も判官ではないはずである。

 なお、ここまで書くのは気の毒だが、高野山には各塔頭ごとに訪問者の名を何百年にもわたって記録されたものが残っているから、元禄年間から初めて仏縁をえたことはそれを調べてみても判る。

 また謙信が詣でているのは真言宗ではなく天台の延暦寺で、宗旨も<七福神法>なのである。

 『血戦川中島』についで刊行された『利休殺しの雨がふる』、解明の先端をきってくわしく、読売新聞に連載した<謙信は男か>も入っているから、その差違をよく読んで欲しい。

 さて話は違うが私の許へもよく七、八十歳位の方から電話を頂く。そして、これまでの通史とは、まったく反対のことを、「代々の口伝えだが、わしには書き残しもできぬから聞いてほしい」と、いうお頼みなので、録音にとらせて貰ったり、その異説の裏づけとなるものを、現地までとんで行き拝見したりしている。

 こうしてみてゆくと、活字になっている正史とは別個に、まるで北海道のユーカラみたいな口伝の歴史というものが、根強く語り伝えられているのが判る。これは機動隊と学生が衝突したような場合、後になると双方の事情説明が違うようなもので、権力者は自分の都合のよいように発表しこれが歴史となり、負けた方は口惜しいから、いいつたえで、「真実はこうなんだ」と残しているらしい。



 さて某局の教養番組で、『大坂落城』をみたら、旭堂南陵がまず画面に現われ、大坂夏の陣の一席を伺い、そして、このよき芸人は淡々としてその後で、「東京でやる時は、秀頼は死なせます。が地元では殺さんと、秀頼薩摩落ちということにせな、お客はんが承知しまへんよって使い分けでやってま」と楽屋話を画面でしていた。

 講談とはこういうものである。それをはっきり言ってのけるのはよいことで感心した。

 しかし、この講談が作家の手にかかると、内容はそのままなのに、きわめて真実そうに化けるところに問題があり、それに便乗して史料さえ手作りするような、太鼓もちの歴史家まで出てくるからややこしくなる。

 なにしろ今日の日本史は明治製で、頭山満が軍部のために、桃中軒雲右衛門に、三国干渉への国民の復仇心をアジるため、「花は桜木、人は武士」といった美文名調子をつくらせた時代にできたものだから、「浪花節や講談」がそのままナチュラルに、歴史の仮面をかぶって今もまかり通り、頭の固い人には既成概念となっている。そしてテレビの大河ドラマが今や正史である。

 なにしろ前年十一月三日の文化の日に「学術文化振興のため」と勲何等かの勲章を浪曲師寿々木米若に授与されるようなお国柄なのである。



 マスコミは、他国の歴史教育が反日的だというが、日本の歴史教育も反日、つまり反原住民的で、差別的であることに気づいていない。出鱈目な通説を鵜呑みにし、愚民化政策に加担しているだけである。

 例えば、日本人は無宗教だと外国人にいわれるが、歴史的経緯をみれば、無宗教なのではなく、他宗教なので、その判別ができていないだけで、TPOで、変えているのである。

 だから、元旦には神道の神社に初詣に行き、クリスマスはキリスト教で祝い、死ねば、仏教で、葬式をするというような多様的な信仰の形態をとっているだけなのである。これは、日本が他民族国家であることの証でもある。

 そのような話を、興味深いので、八切止夫作品集から抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

無宗教の生きる道

 さても驚いたのは鶴田浩二主演の、『組長』という映画である。関西の親分が、大政党の黒幕らしい政界実力者に札束の山をわたして政治工作をし、関東のてきやと、「愛国同志会」の結成式を橿原神宮社頭であげ、そこで各親分が、「七十年安保に際して、お国のために、左翼や新左翼を叩き殺す」と、宣誓してから、「君が代は千代に‥‥」と合唱しているところへ鶴田浩二が一人でドスを背中にかくし持ち、襲ってゆくのである。

 それが、「高倉健」だと、(死にたくなんかないが、これも義理だ仕方がない)といった感じを与えるし、「若山富三郎」だと(面倒くさい死んでこまそ。この阿ほんだら)というイメージだが、「菅原文太」だと、やっと死場所がみつかった、死んでゆけるという穏やかさをみせる。

 さて、「展望」に吉本隆明が、

 「現在でも作家たちは、如何に文学者として死ぬかを自問する時機にきていると思います。みんな死に方が下手だなあという感想をもちます。死に方が本質的でないと、その文学が蘇るにも蘇えりようがあるまい、という問題を抱えこんでいるわけです」

 といっているが、鶴田浩二のものには、これに通ずる(死に場所を求めて死んでゆく男)の具象が的確に表現されている。三島さんの死にも関連してくる。だから、それはそれでよいのだが、君が代という国家があるがこれでは、やくざ行進曲に堕落する。

 なにしろ『日本暗殺秘録』などの映画まで作られ、やがてそのうちにかけて起こるだろうテロの時代を予言するみたいに堂々と公開される世の中だから、また何をかいわんやだが、さてこの春、リスボンへ行っていたとき。

 ひとりたびの気安さで観光バスにのったら、「日本語だ」というインターホンをガイドがかしてくれた。そこで説明をきくつもりでいたら、

 「私は日本人で、無宗教な恥ずかしい人間でした。それが此方へきてから受洗して、一人前の人間にようやく立ち直れたのであります」

 イントネーションが、はね上る口のきき方で録音テープがきこえてきた。現地案内のつもりでいたら若い日本女のザンゲ話である。アルジェリアの観光バスにのった時にも、

 「異邦人である宗教のない、つまり魂のない女でした私が、今日こうして信仰に生きられるのは‥‥」

 というのをきいた覚えがある。

 声帯が違うらしいから別の日本女性の吹きこみらしかったが、なんでこんなバカを吹きこむのか当人にきいてみたいものである。

 リスボンから太陽海岸とよばれるエストリールへ行って、そこのリッツホテルに泊っていたとき、ホールに顔をだしていたらステージへあがってきたチョマ姿の姐ちゃんが歌う前に、客席を見廻して最敬礼し、

 「私はコリアン。哀れな孤児でしたが、お情け深いアメリカの何とかの基金のおかげで面倒をみて頂き、こうして一人前の女になれましたことを、ここにあつくアメリカの皆様にお礼をいいます」

 とやっていた。すると客席からパチパチと拍手。はてと思って手を叩いている側へいったら、なんとアメリカのバアさん達の観光グループが国威発揚とばかり、かたまって喜んでいた。

 つまりこういう単純な女性たちが、「朝鮮戦争は正義人道のため」、「ベトナム戦争も住民のため」と思いこんでタカ派となり、アメリカの銃後をまもって、「それ行け、つわものアメリカン男児」と、おおいに戦争に協力しているのだろう。

 また、このためにニューヨークあたりの芸能社は、東洋人のタレントにはこういう前演説を無理じいしているらしい。かつてラスベガスでも雪村いづみが、やはりこんなことをステージでやっていたのを、私はヒルトン・ホテルで聞いたことがある。

 しかし日本人というのは、なにも、ここは地のはてのアルジェリアやリスボンへゆき、「無宗教ですみません」とあやまる事はないのである。何故なら、いわゆる天孫民族は、「仏教」、騎馬民族系は、平野四神を主とする「カラの神々」そして土着先住民は、拝火教徒であるからして、「エビス、ダイコク七福神多神教」と立派に沢山の神々をもっていた。

 もちろん当今の歴史辞典の類は、七福神や頭の大きな福助を、縁起ものとして扱うが、かつての彼らは原住民一般にとっての神さまだった。

 つまり吾々も、かつては多神教とよばれるごとく、ありあまる程の神様をもっていたのである。

 ところが、頃は元禄十一年九月六日。

 「勅額火事」とよばれる大火が江戸中を総なめにした。すると、流言蜚語の類であろうか、これは原住系のつけ火からだと、故意か偶然か噂がひろまった。

 ありていは関東大震災の時と同じで、(朝鮮人の暴動だ)という具合に、原住系の人間が叩き殺されるような弾圧が始まった。

 といって、この時が発端ではなく、話は十八年前にさかのぼる。四代将軍家綱が亡くなったとき、跡目がなかった。そこで実弟にあたる上州館林の綱吉をという声もあったが、ときの大老酒井雅楽頭が綱吉を毛嫌いして、強硬に突っぱね、「有栖川宮親王をお迎えして」とまで、これに反対した。だから延宝八年[1680]八月二十三日付で、綱吉が五代将軍になると、
「憎っくきやつめ‥‥」と早速、大老の酒井をくびにしたが。

 が、それでも腹がいえぬとみえ、翌年正月十五日には、今の大手町にあった酒井の屋敷すらとりあげ、これを綱吉は気に入りの堀田正俊に与えた。この結果、「下馬将軍」とまであだ名され権勢をほしいままにしていた酒井も、ここに反体制とされてしまったのである。

 ☆  ☆  ☆ 

 文字数制限を超えるので次回に譲る。 





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Last updated  2013年03月15日 15時45分03秒
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