シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年03月21日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回からの続き。

 ☆  ☆  ☆

 日本人の九割を占める庶民とは、江戸期亨保時代に部落をば脱出し、寺人別を銀や銭で購入した「八つ」の者や、「四つ」の連中なのに、最後まで残ったのを部落者扱いで人非人して非人と誤る。破戒僧とか心中し損ないを非人頭へ生涯奴隷として、着のみ着た侭で払い下げ。ボロを着て引き廻しの罪人について廻る姿を映画でも見ての連想らしい。彼らの人口が増加というが、明治四年の壬申戸籍に申告したのは本願寺派に帰依した者だけ。無申告の方が遥かに多くて百倍もいた。

 明治革命には、ヤジの「八」やウマの「四つ」を動員したものの、あまりに日本原住民の部落民が多く、「棄民政策」と称して北海道樺太やフィリピンやブラジルへ彼らを送り出して口減らしをした。「サンダカン八番館」とか女不足のアメリカの「ガールハウス」へ次々と島原娘が身売りしていた。

 が、まだ思いのほかに原住民が多いのがわかり狼狽。治安維持のため男は島流しみたいに労働者としてベンゲネットやボルネオ移民。女は性業婦とし輸出して外貨を稼がせ国益とした政策である。

 国内で虐殺する代りに「生かして使え国のため」と居てもらいたくない原住民の追い出し策だった。

 江戸時代は大蔵省が国民皆税で片っ端から搾りとるような時代はかつてなかったから、戸籍は坊さんの私有財産を守る為の寺人別帳が主であり、町人別は銭さえ包めばすぐにも認めたから、紀州湯浅の居附地で、死なせてもよい奴隷水夫とし荒天の海へ出す蜜柑船にのせられた文左衛門らだけが沈没しなかったため、船底に繋がれていた者共は命拾い。

 漂着した相州の浜で蜜柑を売り江戸へ出ると、同じ山者ゆえ各地の材木を後払いで集めたのが大火で大儲け。銭を出し町人別や寺人別も購い、ついでに限定収容で残っている湯浅の者もみな呼び寄せたから、「東京都江東区史」には、「別所文左エ門」の名前で、はっきり今も残っているのである[紀国屋文左衛門の事か]。

 こうした複合民族の分類がまったく判らずじまいで、七世紀の良賎の大宝律令の侭で解明しようとするから全く学校歴史は、「本当の事を言えば身も蓋もない」こととなってしまう。



 三韓征伐はまったく逆で、馬韓弁韓辰韓が日本列島を三分しコロニーの時代。特殊部落は西暦663年に世変わりした時に、仏教の宣教師坊主を真っ先に送り込み徹底的に教化しようとしたのに、あくまで抵抗した連中が又しても収容されたのがゲットーの居附部落と知らぬらしい。

 続いて藤原王朝が中華の風俗に馴染もうとせぬ日本原住民の、降参し奴隷にならぬ徒輩を橋のない川へ追いたて貝を食わせ、尽きると自滅させた。日本後紀や続日本紀に記録されている。

 「八つ」はマレーシア語の黒潮渡来族ゆえ農耕漁業製塩をなし、食料増産奴隷とされ、東海地方三河の額田の王(きみ)に率いられ、中大兄の韓国系に食料確保の政策上から子を生まされたり、大海人皇子には政略結婚で妃にされたが、終りには岡山のゲットーへ収容、奴可郡の地名を今も残す。

 「四つ」は崇神御孫景行帝が「八つ」の八坂姫に生ませた日本武尊の死からは、共に反体制視される。

 彼らは韓国勢力大陸勢力に追われて山がつ餌取りと差別とされ、特殊部落民とされてゆく。

 恐れ多くも陽成帝でさえ藤原基経に追われ山へ逃げて木地師とならせたまう。が、11世紀は青眼の賊船が次々と来襲。山から原住民を人間狩りしてきて出征させたが、戻ってから叛かぬよう片刃の刀をもたせた。一を唐語で「イ」と呼ぶから「刀イ(伊)の乱」。

 この時、頼光四天王として坂田金時らも現れるが、唐語のブシン(不信)から出たのが武士ゆえ、従五位止りで昇殿は不許。

 ようやく文治革命で夷津[伊豆]の夷頭[伊東]の北条政子の世になると京を征伐し、尊い方を隠岐や土佐へ流罪にし、御所への目付に六波羅探題をおくが、世変わりして足利期になると新しく散所奉行ができ、北条氏の残党と共に、足利創業時に邪魔した南朝方の子孫をも特殊部落にしたから地名にも残る。

 「天の古代史」「庶民日本史辞典」「野史辞典」の三冊をぜひとも順に読んで散所を産所と誤らぬ為にも真相を把握してほしい。

 また、イザナギ・イザナミ二神が天の浮橋で互いにみそめられたまい、「エな男」「エな女」と呼び合われた故事で、エ民の多い処をエ多と呼ぶのも語源。

 また、騎馬民族の蘇我の末裔が「吾こそミナモトの民」と呼ばわっていたのが、白旗の源氏である。先住民族の「セン」を「千」に換えて「千軒」と、ゲットーだった地域の押し込め居附地を呼ぶのとこれまた同じである。



 「除地」として大名領でも天領でも年貢なしだったのが、明治新政府が収穫物にのみ対しではなく土地を私有化にし地租課税。よって河岸や山頂を当てがわれた部落は納税のために貧窮化した。

 八母音を使う名古屋弁のような太平洋岸から日本列島に這い上がって住み着いたのが「八つ」の民。今もイランのヤスドに祀られている天地水火を拝む祭壇があるゆえ、ヤー公とかヤジとよぶ。

 裏日本へベーリング寒流で入ってきたのが騎馬民族で、「四つ」とよぶゆえ、今いう白系ロシア人も入っていたので、新潟や秋田には白人の肌を今も伝える色白な美人も産出するのである。

 治安維持のため江戸期になっても、夷をもって夷を制すで、「八つ」と「四つ」は交互に、互いに監視し牽制しあうように「四つ」の弾左ヱ門家の下に、「八つ」の車善七。その下に四谷者、又その下が谷津もの。とされていたのを、例の「ヤジキタ」もので、共に仲良くしあって、世直しをと煽動された。

 その結果、幕末からはポルノでもない東海道膝栗毛の貸本に影響されキタの騎馬系の末孫の馬方が、「八つ」の大井川の赤フン[褌]の川越人足のために「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と白フン[褌]を振りつつ、向こうでは酒手をはずむようにと旅人に馬子唄ですすめもしたものである。



 ☆  ☆  ☆

 とあるように、日本は他民族国家なのは明らかで、先住民は、大陸の進駐軍により差別奴隷化されてきた歴史をもつことがわかる。

 このように歴史をみれば、秀吉の唐討ち入りも、大陸から差別されていた被支配民の仕返しとも考えられる。しかし、イエズス会が、秀吉を裏切り、硝石の輸出を禁止したから、秀吉の朝鮮出兵は失敗する。

 なおオカルト的には、八は、ヤー、つまりヤハウエのユダヤ教につながるので、平氏の末裔に古代イスラエル人が絡んでいるようである。以前述べたが、平氏のタイラはトーラーとも呼べ、赤は、モーセの象徴の色で、古代イスラエルと関係があるように思える。





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Last updated  2013年03月21日 14時47分21秒
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