シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年03月21日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 なぜ、体罰が行われるのか、というのを、歴史的背景から考察してきたが、八切止夫作品集を読むと、それは原住民系を虐げた大陸による侵略や進駐軍にも要因があることがわかる。

 つまり、闘争や戦争を利用して、金儲けや立身出世をすることで、自らを神格化し、他を支配するやり方に、問題があることがわかる。そして、自らの神格化に都合が悪くなると、権威により歴史を捏造し、真実を知るものを闇に葬る悪行が数限りなく行われてきた。

 その世界的に有名なサンヘドリンによる極悪行為が、キリストの処刑である。

 連中は、この世に地獄を作り出している張本人である。連中の目論見は、日本の歴史を学ぶことで、あきらかになる。

 そこで、八切止夫作品集から、続けて、日本の歴史を抜粋紹介し、再考する。

 ☆  ☆  ☆

 長州より招かれて御抱え教師となり、現代日本史の開祖となったアドルフ・リースが、先進国にならって日本でも、「博士号設定」となった際に、彼は歴史屋なのに理学博士や医学博士は認めたけれど、

 「独・英・仏・伊には歴史学博士の称号はあるが、この国にては、その設定は無理なり。文字を弁じうる程度なれば、文学博士にて間に合わすべきである」

 と、後にベルリン陸大の歴史教授となって、「ゲルマン民族優秀説」を発表しナチスに利用させたリース歴史学博士は、日本では開明学校が東京大学になると、「史学会雑誌」を刊行させはしたが、歴史学博士号は許さずに帰国した。



 なにしろ日本以外の国では、歴史を愛国心を育てるために重点的に教える。大学入試でも、歴史は必須科目として必ず受けさせられる。しかし日本ではディスカッションし学生たちに研究討議させる重要科目ではなく、中学生の頃から文字通り教科書を暗記させ、年号を覚えさせるだけであって、大学の入学試験にも歴史を必須受験科目にするようなところは全然ないのである。

 なにしろ各時代の権力者によって、日本歴史は都合よく美化され創作されているにすぎないのは、各会社が自費出版して得意先や関係会社へ配付している社長伝や社史と同じことである。

 それゆえ歴史を受けもち講義する者は、恩師に対し弟子として領分からはみ出さぬようにのみを心がけて、昇任昇給だけを望み、隠れたベストセラーともいえる文部省検定歴史教科書をだせるようになって、莫大な印税を得られるようになりたいとの願望だけのみであるらしい。

 それゆえ、騎馬民族は日本海を渡ってきて裏日本へ入ってきた潮流学を無視して、日本書紀に合せ鴨緑江をわたってクダラ人みたいな騎馬民族とし、体制に合わせ江上教授も発表した。

 大伴家持が飼戸の「四つ」の奴隷頭ゆえ、いくら働いても認められず癪にさわって飛び込み憤死したのを、日本書紀に辻つまを合わせてた梅原教授も、今では学長にまで昇任した。

 みなお利口さんは御用歴史作家であるが、彼らとて歴史の講義をする教授ではなく、他科目の教授である。というのは、いくら体制べったりにそっての、事なかれであっても、歴史畑であれば、恩師が言っていないことを発表するには、立場が拘束されていて、絶対に不可能のせいだろう。

 つまり監督官庁の文部省の指導方針にそい、恩師の口ききがなくては立身出世の途がひらけぬからである。他の考古学畑にしても、やはり親方は文部省で、宮内庁の権威が影についているから、少しでも日本書紀からハミ出しては、枠内からの落ちこぼれとみなされてしまう。

 世界最大の墳墓といわれる仁徳陵の発掘を、絶対に宮内庁が不許可にしているのも、日本書紀に記載されているのとは、どうも違う結果がはっきりしていて、はたして仁徳陵といっても、どなたが埋められているか判らぬといった危惧があるせいらしい。

 なにしろ学校歴史では、「民のかまどは賑わいにけり」と高屋から望みみられたもうた御情け深い御方となっている。

 しかし、民のかまどから炊煙が絶えるくらいに搾取され、暴動を怖れて淡路島へ待避しておられたのが、浪花へ戻られ、また高所から民の有様をご覧になり、そうおっしゃられたというのは、恐らくまた戻ってきて、これなら課役が増やせて良いと、のたもうたのではあるまいか。

 広大な仁徳陵と称せられるような大規模なものになると、ブルドーザーもなかった昔ゆえ、何千どころか数万の奴隷が鞭打たれつ何年も働かされて構築されたものゆえ、古代史の中では、奴隷社会の始まりといえよう。もちろん同国人を奴隷にしてまで、ひどく酷使できる筈はない。



 産業革命以来でも、主だった発明や発見は、みな専門分野の者ではなくて素人だったという。

 現在の天気予報でも、気象衛星まで使っているオカミよりも民間のお天気おじさんの方が確率がはるかに高いみたいに、天文学でも新星を発見するのは日本でも学者と自認する人たちより、素人で見つけている例の方が多い。歴史の分野でも、やはり保守的な日本書紀派より、畑違いの人による解明の方が、昇進とか教科書作成といった夢をもたぬだけに、きわめて大胆である。

 私にしても、父方と母方の宗旨違いで、亡兄の入籍に数年かかり、ようやく届出ができた時には、当人は小児急性肺炎で天野病院で亡くなっていたので、またもめるのは厄介だからと亡兄の戸籍をその侭で引き継がされ、名も生年月日も亡兄のもので、私には本当の名も生れた年も知らされていない、さながら透明人間みたいな存在ゆえ、たえずそれに悩み自殺未遂も何度もして、「真実とは、はたして実存するものか」と、過去の具象としての歴史を、まことに本
当なのかと生まれてきた時よりの挫折感を、なんとかして打破しようとして取り組んできてしまった‥‥

 初めは当時の日本へきていたイエズス会派資料という裏付けのある戦国時代から検討して入ってゆき、「信長殺しは明智光秀」するのも、光秀のライバルだった秀吉、本当の黒幕は家康だが、仏敵と信長光秀をみたて負けた石山本願寺の一向宗の今の本願寺派が説教節できめつけてしまって、日本全国の居付き部落に説教僧を送り込み、面白おかしく説教にして定説化しただけと判りもした。



 紙がない時には口約束ゆえ、「武士の言葉には二言はない」といった用語も残される。

 江戸期に入っても外出の侍が「懐紙」といって夏でも白紙を大切に持ち歩き、今でも財布のことを「紙入れ」とよぶのも、万一の際に落し前の約手をかくための大切な用紙だった名残り。

 プロとは、今のプロレスみたいに、やたらに致命的な負傷などはせぬもので、山中鹿之助は約手をとっても集金せずだったから、彼を生かしておいては後に毛利の家中の者が迷惑すると、「約手のパクリ屋」なみの毛利方の者によって、上月落城後、備中合の渡しで殺されたのである。

 だから、その伜が大阪で鴻池の店を開くにあたって、約手の決済をしてなかった連中が銀を集めて送って開店させたのである‥‥といった従来の歴史とは相反する資料が得られたが、発表すると、勇ましい講談を頭から信じこんでいる人々からは、ただ意想天外とされたにすぎぬ。

 しかし尼子方は滅亡しているから何も残っていないが毛利方の「吉田篭城記」によれば、本日の合戦は、先手の者は石つぶてに当り一人傷つきたれば全軍とって返す」と、あまり殺生沙汰はなかった記述が多い。常識で考えても人口の僅かな時代に、とっては投げ突き刺して殺すみたいに派手にしていたのでは、みな死に絶えてしまって両軍とも戦う者がいなくなってしまう。

 美化というか勇壮化されて伝承されているものの、プロの武士道は、落し前をつけるだけのものが本当の処。となると中世紀の宗教戦である戦国時代の前は、どうなるかと問題になる。

 江戸期でさえ、「やつこさんは辛いね」とか「奴女郎」の名称があり、「町奴幡随院長兵衛」は勇ましく水野十郎左に突き殺されるが、奴とは寺の奴隷のことゆえ、寺奴で、仏教側のガードマン。

 とすれば後までそうだとなると、古代史とは、縄文日本人が権力者によって鉄製武器で征服された弥生時代が、日本の古代史つまり奴隷社会の始まりということになると、それへ突入し真実とは何かと逆のぼって解明していったのが、この入門書をかきだした私のノートともいえる。

 ☆  ☆  ☆

 古代史から研究しないと、この国の奴隷根性の起源がわからないようである。つまり、現代の体罰問題は、歴史的経緯でいえば、縄文日本人(生徒や後輩)が、権力者(指導者や先輩)によって鉄製武器で征服された弥生時代の奴隷社会の始まりにあるようだ。

 例えば、当時は、漢字を公用語として強要されたが、現代は、英語を公用語として強要されるのと同じである。価値観の強要に、人の下に人をつくる行為が隠れている。





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Last updated  2013年03月22日 09時53分13秒
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