シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年05月13日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回は「日本が世界一貧しい国である件について」という本に触発されて、日本に住む人たちの洗脳られぶりを紹介してみたが、尻切れトンボに終わった感が否めないので、続けて、この本を題材にして、洗脳られぶりを紹介する。

 この本をネット検索すると、様々な読後感想が書かれているが、とりあえずは非常にまとまっている書評を以下に抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

書考空間
http://www.tfm.co.jp/timeline/smartphone/index.php?itemid=64731&catid=1485

 『自分が日本でかかっていた洗脳。競争しなくてはいけない、家族や友より仕事、進歩は偉い、田舎はださい、自販機とコンビニは重要、電車とバスは定時でなければいけない、痩せてなければいけない、群れなければいけない、流行は追わないといけない。どれも自分を不幸にしていた。』

 これは、「@May_Roma(メイロマ)」の名前で多くのフォロワーを抱える、ロンドン在住の元国連職員、谷本真由美さんの2739回リツイートされた、つぶやきです。
これを含む、彼女のつぶやきのまとめは40万回も閲覧され、話題となりましたが、“なぜ40万回も閲覧されたのでしょうか”。

 本書は、著者が抱いたこの疑問からスタートし、『日本は「本当に豊かな国」なのか?』『日本が本当は貧しい国である理由はなんなのか?』『貧しい国である根本的な原因はなんなのか?どうしたら豊かな国になることができるのか?』を明らかにするものです。



 無理な働き方をするため私生活がなくなり、家族と過ごす時間がなくなって家庭は崩壊し、精神や体を病む。

 それでも多くの日本人は自分から何かを変えようとはせず、何かが変わることを他人に期待する。

 自分では何も行動をとってこなかった日本人の態度や考え方に問題があるはず、と説いています。

 つまり、重要なのは、「受け身ではなく、自発的に考え行動すること」。

 これは、基本的なことではありますが、いきなり実行に移すことは難しいはず。ひとまず、社畜的な働き方によって育まれた、受け身の考え方を変え、自発的に考える癖をつける。このあたりから始めてみるのがいいのかもしれません。

 ☆  ☆  ☆

 というように、この本に書かれている日本人(日本人という言い方も1つの洗脳だが)の洗脳られぶりをみると、日本がいかに管理しやすい国であるか、が伺える。

 日本人といわれる人たちの洗脳られぶりで、有名なのは、「他人と同じでないと不安になる」が第一に挙げられる。

 この「他人と同じでないと不安になる」洗脳を利用して、日本の管理(支配)者は、社畜的な働き方を強要してきたことが挙げられる。

 実は、この洗脳は、八切史観から探ると、仏教に起因することがわかる。大まかにいって、東西で生活様式が異なるのは、東が家康による薬師寺系の仏教、西が秀吉による浄土宗系の仏教に由来し依存してきたからである。神道は、薬師寺系に融合された。

 仏教が日本社会で支配的なのは、八切史観によれば、大陸から輸入した律令制度にあるらしい。郭ムソウこと藤原鎌足が進駐してきて、日本の住民は捕虜となり、奴隷化されたそうだ。山に逃げ込んだ住民の末裔がサンカになったそうだ。



 郭ムソウこと藤原鎌足を中心とする藤原勢力に対して、それまでの神道を中心とする反藤原の動きもあり、戦国時代まで続いたが、徳川体制下では、仏教で統一をみたそうだ。生類憐れみの令などは、皮製品を取り扱っていた薬師寺系神道信徒への弾圧の法令だったようである。

 さて、この歴史の流れをみれば、社畜的な働き方が、戦国大名に通じることが実感できるだろう。つまり、会社は、戦国大名家と考えるとわかりやすい。だからいまだに、信長、家康、秀吉という中世のメンタリティに憧れを抱いている日本人が多い。しかし、それらの像が、実は、仏教が流した虚像であることはあまり知られていない。

 例えば、八切氏が指摘しているが、比叡山を焼き払いもし、反仏だった信長の墓が、仏教の寺にあるのはいかにもおかしく、史実的にも、信長の遺骸は残っていないはずで、銭稼ぎの見世物商売であることがわかる。

 つまり、社畜的な働き方が、戦国大名のお家大事からきており、それは、中世では、輪廻転生が信じられていて、家系が存続していれば、輪廻転生が可能であることを仏教がウリにしていたせいである。だから、お家存続のために、自己犠牲が尊ばれ、家系を継がない者は坊主として出家に出された。

 そして、生活万事に仏教や坊主が介入し、考えることや、仏教とは異なる思想は排除されてきた。だから、「日本が世界一貧しい国である件について」という本の著者が指摘しているように、「受け身ではなく、自発的に考え行動すること」ができないのである。



 以上の奴隷根性の源流を探るのに、八切史観は非常によいので、以下に面白い話を抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

一般庶民は奴隷
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/448.html

義理と人情とは

----前人未到で、これまで何人もなしえなかった日本古代史への入門を、何の参考らしいものとてもなく、まったく自力で独特解明してこられたのは何故でしょう。まったく、これまでの日本史では例外ともいうべき納得できる真実で読めば合点でき、これが本当だなと判るのですが----

 民族の血の流れでしょう。誰もできなかったのは、日本という国は儲かることでなくてはしない。真実の歴史の解明なんか一銭にもならぬ。だから身銭をきってまで馬鹿なことをするようなのはなかっただけです。解明し後学のために書きあげた八切史観の初め五冊は、あんまり詳しく書くとわかりにくいから、

 占領軍の方が、黒染の黒。要するによく外国で、宣教師を先に送っておいて、それで人民を手なづけてから占領軍が入ったみたいに墨染の衣を着た坊主を先に入れました。今でも岡山へ行くと、黒住教という宗教が残っています。それに対するに被占領軍の方は白となして、黒と白で八切史観はいってます。

 しかし、本当はそれよりも、古代海人族は赤でその方が多いんです。これは神社で言いますと、白木造りの神社って申しますね。あれは白木じゃなくて新羅造りなんです。日本において、新羅の方が多くて、高麗(こま)は九州の薩摩だとか肥後もっこすが高麗ですが上州の方も強いんです。埼玉県には高麗神社がありますけれども、彼らはその氏子なんです。同じ騎馬民族として共闘したのですが、勢力が今の慶尚道の新羅の方が強く、やがて、その下に入ったものだから白木造りの神社の前には、必ず狛犬が置いてあります。ガードマンみたいに、左右に二匹ならんでいるのがそれです。

 古代海人族の方は、原住民の立場でいいますと、馬方は、民族カラーの白いフンドシです。ところが、カゴカキだとか、それから蓮台渡しだとか、馬を使わない方の人足は全部が赤フンドシです。要するに、生魚をかじりながら日本へ流れついた連中ですから、私たちの子どもの時には、海で水泳する時には先生がみんな赤フンしめさせたもんです。僕は白いフンドシだと汚れるから赤いのかと思ったら、そうじゃないんです。海へ入るのだからです。

 大体において、白と赤とは庶民の大半どころか殆どだということになるゆえ、紅白の水引とか紅白歌合戦だとか赤と白に限ってます。坊主相手のお葬式の時だけは白と黒になるわけです。

 郭ムソウこと藤原鎌足が最初二千人連れて白村江の戦いに663年勝って日本に入ってきて、その次の664年の五月には御所へ入っています。で、日本の歴史年表をみると、郭ムソウが表函を進む、要するに進物をプレゼントするということになっているんです。

 ところが、マッカーサーの時を思い出してもらうとわかるけど、第一生命ビルですから目の前の二重橋を渡れば入れるのにマッカーサーが宮城まで行って表敬訪問はしてないわけです。おそれ多くも天皇陛下の方でマッカーサーのところへ行き、腰かけてでも写真をとればいいものを、占領軍は立って写真をとるもんだから、情けない変な写真になり、申訳けなさに私は関東軍若手将校と共に付合いで、もちろん浅く切って左右へ知らず助かりましたが腹を切ってしまったんです。

 私なんかは子どもの頃から天皇陛下万歳で育ってきたし、紀元節の時にはちゃんと紅白のマンジュウもらっていたから、マンジュウを頂いたための義理です。義理と人情をハカリにかけりゃ、義理が重たい男の世界って高倉健さんが歌うとカッコウいいけどね、義理というのは全部、物もらうとか金もらうことであります。人情からいえば、田中某は評判が悪いし悪い奴だけれども、しかし田中某のお陰で道路工事の仕事が回ってくるとか、田中の側に投票をすると幾らになるとか‥‥

 (中略)

----藤原というのは、結局、郭ムソウの流れということですね。

----そうです。唐です。軍人は前後ともで四千人です。これをみな「防」というんです。これの隊長が「坊主」なのです。それがいつの間にか坊主になっちゃったから‥‥判らなくなる。

----その藤原氏の流れが偽史シンジゲートといいますかね、日本の歴史偽造の‥‥

----偽造じゃなくて、彼らの都合のいいように創作しただけの話です。偽史というと、何か正史があって偽史があるみたいだけども、創作史ですよ。勧学院というものができましたのが西暦八百年頃です。いまでいうと各種学校で、英語の学校ができるみたに各地に設立。

----そうすると、藤原家の政権が確立されてから1300年ぐらいなりますか。この1300年間の日本の権力構造というのは、唐の占領軍ですね、大体多くみて二万人ぐらいですか‥‥

----兵隊は合計で四千人ですが、軍人軍属が倍の約八千人それにくっついてきた一旗組がいっぱいいるわけです。だから武力で御所を押えてしまい、危なくなると百済系の天皇をもってきたり、これは吉川弘文館から出てた『和気清麿』をみてもよく判るけれど、この桓武天皇の皇后から、御所全部の監督する女官までがみな百済人です。ずっと代々にわたって八十年程は続く。

 やがて、足利中期になってからだが、当時、はっきり言って、日本には山金がゴロゴロあった。南部馬追唄に、田舎なれども南部の里は黄金の山が何とかとか、それから会津磐梯山は、黄金の山よ、など、他に何も特産物はないけど山金だけはゴロゴロしておったんです。言うなれば黄金咲くみちのくですね。だが金というものは、結局、軟らかいだけで刃物にもならなきゃ鍋にもならないんです。だから金売り吉次が当時の消費都市である京都へもってゆき、金を売りに行ったわけですけども、当時、金歯もなけりゃ金時計もないし、うっかり装具に儀礼用はいいけど、実戦用に刀なんかにつけたらピカピカ光って敵にすぐ目をつけられてしまうから、さっぱり金は売れない。だから代わりに歩き連れていける人間をかっぱらっていったわけ、奴隷商というのが一番、当時はいい商売になったからです。

 ☆  ☆  ☆

 坊主がいかに史実を美化しても、坊主の贅沢な格好や生活をみれば胡散臭さが伺える。 





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Last updated  2013年05月13日 16時01分54秒
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