シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年09月13日
XML
カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

レムリア文明には、線画や色彩画を用いた意思伝達法が存在していました。

 彼らには、そうした極めて特異な情報伝達法があったのです。レムリア人の芸術は多くの点で、貴方がたのものよりも格段に優れており、様々な芸術形態が貴方がたには恐らく理解しがたい方法で互いに繋がりあっていたのです。その概念自体が貴方がたには全く未知のもので、説明を試みることは極めて困難です。

 例えば、簡単な動物の絵などを想像してください。

 貴方がたには、それは単なる動物を描いた絵に見えますが、レムリア人にとっては、絵に表わされた線とは、目に見える1本の線以上のもので、ただの線にみえるものが、ほとんど無数に識別できる特徴によって、特定の音波としても知覚され、自動的に翻訳されたのです。

 その絵を見た人は、視覚イメージにとらわれる前に、望めば、音に翻訳することもできました。ですから単なる動物の絵から、一瞬のうちに、その動物の歴史的背景全てが語りつくされ、理解できたのです。

 絵を表現する直線や曲線や角度などの全てが、絵画のなかで客観的な役割を持ち、音の高低や長短、音色などの極めて複雑な一連の多様性を表現し、それらは「不可視の言語」と呼ぶに相応しいものでしょう。線と線の間の距離は、音と時間の感覚として翻訳され、線画や彩色画において、色は意思伝達に特有の言語表現として用いられました。

 貴方がたにとっても、色彩は、幾分意思伝達の性質を帯びているように、感情の変化を表していました。またレムリア人の絵画は、その大きさによっても独自のメッセージ性を持ち、表現の緻密性を細部において備える一方で、その意図を伝える範囲については、十分な自由を保障していたのです。このような絵画は、言語表現が極めてコンパクトに濃縮されたものに他なりません。



 たとえ彼らの絵画が残っていても、貴方がたには、それを甦らせることはできないでしょう。現存する洞窟の中でも、特にスペインやピレネー山脈地方の特定の地域やアフリカにある、かなり古いものは、実は自然のものではなく、人工的な建造物であることを、ここでお伝えしておきます。

 さてレムリア人は巨大な塊を動かすことができた人々でした。

 彼らは先に述べたように、「音波」に精通しており、極めて高度な技術で音波をコントロールできたために、実際に「音波」による物質の運搬ができたのです。彼らは最初の地下トンネルを、「音波」の技術を用いて掘削し、本来はほとんど自然の洞窟がなかった地域に、「音波」を用いた方法で、人工の洞窟を築いたのでした。

 (シュタイナーの話では、当時の地球の大気は、水を多大に含んだ水蒸気のようで、音波といっても、現代の音波とは厳密にいえば異なるはずである。現代でも水圧で掘削したり、水流で物質を運んだりするように、当時の大気は、水蒸気だったので、水圧や水流を利用できたと考えれば、ピラミッド建造や、宇宙船の推進装置がイメージできるだろう。)

 その洞窟の壁に描かれた絵画の多くには、高度に言語化された情報が表わされ、それは貴方方の社会で用いられる看板と似たようなもので、その地域に棲む動物などの生物を描写した図鑑でもあったものでした。そうした絵画は、一般的に、貴方がたのいう「歴史」に実在した初期の穴居人類の後の手本とされたのでした。

 貴方がたは、何か言葉を聞いたときに、それに関連したイメージが心に生じるのに気づいたことがあると思いますが、レムリア人の場合には、音を聞くと、即反射的に、しかも驚くべき鮮明さで三次元的な制約を越えてイメージが生じ、聞き手のうち深く取り込まれていったのです。

 (例えば、日本人は、虫の声などを、主に言語を扱う左脳で感知しているといわれているが、このことから、日本人がレムリアの末裔かもしれない。)

 つまり「音」による驚くべき識別が行なわれ、「音」には反射的に見事なイメージを創り出す力があったのです。レムリア人には内なる視覚と外なる視覚という区別があり、会話中に意思疎通がより明瞭になるように、目を閉じることはごく自然な行為だったのです。

 目を閉じることによって、やりとりした言葉に伴う「音」により、次々に変化する内なるイメージを楽しんだのです。

 (日本人の相手の視線をみない会話や、以心伝心などは、このレムリア人の特性を引き継いでいるように思われる。古代では、書き言葉よりも、話し言葉が優遇されていたが、特に日本では、口伝を重要視していた。)

 レムリア人は学習速度の速い人々でした。



 しかし同時に、彼らのそうした資質と知覚機能のゆえに、本来の彼らの弱さが、そこに生み出されてしまうことになりました。

 (昔の日本の音読に重要を置く教育にも引き継がれている。)

 つまりレムリア人は自ら果敢に立ち向かい、破壊行為に対する自らの恐怖心を克服することができませんでした。

 そして、この逃避は当然のように、外に向かう特定の積極性をも厳重に阻止するという事態を引き起こしていたのです。そうした領域でのエネルギーの流れが抑制されていたために、実際にレムリア人には力をためる性質だけでなく、力の感覚までもが欠如してしまっていました。

 私が言っているのは肉体の力だけではありません。レムリア人のエネルギーは、あまりにも多くが、破壊行為の回避に向けられていたために、通常の積極性さえ、破壊行為以外の分野にもエネルギーを注ぐことができなかったのです。




現代人に引き継がれる「破壊的行為」への「恐怖心」の克服

 私はレムリア人についてある程度詳しく伝えてきましたが、それは彼らの霊的遺産が貴方がたの一部となっているからです。レムリア文明以外の2つの文明は、多くの点で、レムリア文明以上に成功を収めたと言えますが、レムリア人の文明の背景にあった頑なな意図が極めて儚いものであったことも事実です。

 しかしながらレムリア人は、自らの現実における破壊行為に対する問題を解決できませんでしたが、彼らがあれほど強く抱いていた願望は、実は、現代の貴方がたの現実のなかの霊的な領域において、今も鳴り響いているのです。

 過去・現在・未来というものは、今現在の、この一瞬に集約されるという時間の真の本質ゆえに、貴方がたの見地から「かつて」存在していたレムリア人は、実は今現在も同じように存在しています。

 貴方がたの霊的領域にたびたび「イメージ」の浸透というものがありますが、これは偶然に起きているのではありません。そこには一見極めてかけ離れたように見える存在の間に、ある種の協調関係が生じ、「イメージ」が、その存在間を超えるような効果が与えられたとき、そうした「イメージ」の浸透が起こります。

 ですから貴方がたの文明とレムリア人の文明との間には、そのようにしてこれまでにも「イメージ」の浸透が起きているのです。

 これまでに様々な古代の宗教が、レムリア人の思想を取り上げてきましたが、その一例が「猛々しい神」の姿でした。レムリア人は、その姿に彼ら自身の力や権力や攻撃性を投影してきました。

 彼らは、「攻撃しないだけでは自分たちを守りきれない」という状況下で、この神が自分たちを守ってくれるようにと期待を込めたのでした。彼らの「イメージ」の浸透のなかには、貴方がたにとっては、まだ未開発で現在準備段階にある能力もあり、その中にレムリア人の芸術やコミュニケーションの概念を、貴方がたが初歩的な段階にあっても、見つけることができるでしょう。

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013年09月13日 14時59分27秒
コメント(0) | コメントを書く
[軟弱日本を斬る!] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: