シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年11月12日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回は、現代の国家の多くが、プラトンの理想国家とは程遠く、一部の権力者の奴隷と化した状態となっていることを紹介した。では続ける。

 ☆  ☆  ☆

このように、僭主になる人物というのは、最初は市民のために様々な施策を講じると演説し、支持を集める。しかし、いざ指導者の地位を得ると、たちまち狼に変身してしまう。自らを守る軍隊を編成し、民衆が力をつけないよう財産を没収していき、民衆を常に疲れた状態にさせるため絶えず戦争を行う…。

 こうして、快楽に溺れて正しい判断力を失った民主制における民衆は自らの手により、知らず知らず僭主の登場を許してしまい、自らの生活を苦痛なものにしてしまうのだ。

 <優秀者支配制の有効性>

 さて、僭主独裁制が優秀者支配制のまったく逆のものであることが理解できよう。どちらも特定の支配者を持つ政体だが、前者は私利私欲にとらわれた独裁者、後者は知恵を愛し適切な判断力を持つ哲学者である。こうしてプラトンは、考えられる政治体制をいくつか挙げながらその特徴を述べ、やはり哲人政治がベストなものであるということを結論付けている。

 結局のところ、正義が宿るのは哲人政治を展開する国家であり、前述の説明でもわかるとおり、名誉支配制、寡頭制、民主制、僭主独裁制いずれも不正義がはびこる国家なのである。ここでいう正義とは、国民を幸福にするものであり、不正な国家とは国民を不幸にしてしまう国家のことである。以上、これがプラトンの国家論である。

 (優秀者というより賢者というべきで、賢者とは何も国家試験ができるというような現代の官僚ではないことは確かである。何度も言うが、賢者とは、神々の考えを理解し、人類の進化を導き得る者のことである。瞬時に本質を理解し、その可能性を高めることができる人である。)

V:哲学者はどうあるべきか〔イデア論〕



 さあ、ここからがプラトン哲学の最高峰へ向かっていくところである〔言い方を変えれば、この現実の感覚の世界を離れ、おとぎばなしのような理解しがたい世界に突入する・笑〕。

 「 哲学者とは、つねに恒常不変のあり方を保つもの(神々)に触れることのできる人々であり、他方、そうすることができずに、さまざまに変転する雑多な事物の中にさまよう人々は哲学者ではない 」 (下P18)

 上にあるように、プラトンは最善なるものを「恒常不変のあり方」と表現している。つまり、正しいものとは、いつどこでも不変なんだ。じゃあそれはどこで見つけることができるのだろう。残念ながら、現実世界ではそれらに触れることはまずできない、とプラトンは言う。???だよね〔笑〕。

 (内にある神と、外にある神をみつけること。例えば、「晴れてよし 曇ってよし 富士の山 元の姿は変わりなきなり」というような山岡鉄舟の表現のようなものか。)

 いつどこで誰もが認めてくれるものが真理だ。少数の者が、あるいは特定の地域の人々が、あるいは特定の時代の人々が支持するものは真理ではないし、それは先に表現したような「恒常不変のあり方」とはならない。

 この理論を踏まえ、例えば、最高に美しい花はこの現実世界に存在するのか? 残念ながら存在しない、ということになる。なぜなら、恒常不変にその美しさを留めている花なんかないでしょ、花なんか数日もすればだんだん枯れて、やがて土に帰るんだから。

 では、真の三角形はこの現実世界に存在するのか? 残念ながらこれも無理。なぜなら、私たちは真の三角形などこの世で見ることは不可能なんだ。紙や黒板にきれいに描いた三角形、どんなに美しく描こうともそれは偽物、「三角形」のようなものを似せて表現しているだけ。だって三角形を成り立たせる3本の線、これは点の集合体だ。真の点は面積を持たない、ってことは真の線に長さはあっても幅があってはならない、つまり真の三角形など見えるはずがないのだ。

 プラトンに言わせれば、人間の感覚器官なんて不完全なもの。そんな不完全な感覚器官に頼るうちはあらゆる真理は得られるはずがない。

 (唯物論では駄目ということ。なぜなら物質は必ず壊れるからである。本当の美とは、物質ではなく、その物質を形作る素で、想念のことである。なぜ美しいと感じるのかといえば、その美を発している宇宙の本当の美を感じとれるからである。



 ではどこに最善なるものが存在するのか。この現実世界に存在しないのだから、現実から離れた別の世界である。彼は現実世界とは別にイデア界が存在すると言う。このあたりから、プラトンの思想は独自の宗教的カラーを帯びてくる〔笑〕。

 ちなみに、イデアとは「不変の真の姿」という意味で捉えておこう。このようにプラトンは、不完全な現実世界と、完全なるイデア界の二元論を唱える。現実世界に存在するものはすべてイデア界に存在するもののまね事や似せて作られたものに過ぎない。先の三角形が好例だ。花だって、似せて作られたものだから不完全ですぐ枯れちゃう。

 (プラトンは、外の神と内の神の呼応、照応を、イデアと呼んでいる。)

 そして、イデア界を知ることができるのは哲学者だけであるとプラトンは言う。だって、哲学者は視覚や聴覚など不完全な感覚器官に頼ろうとはせず、魂の持つ理性で物事を見つめようとするから。哲学者は、魂の理性的側面をフルに活用しようとするから、イデアに近づけるのである。

 なぜなら、実は魂はイデア界の住人なんだ。一番最初に述べたように、この世で生成された肉体は、それだけでは動かない。それに魂が入り込み、はじめて意志を持った人間として動き出すのだ。つまり、魂はイデア界からこの地上の世界に下りてきて各肉体に宿る。死ねば、魂はまた肉体から抜け出ていく。さて、この不滅の魂、本来はイデア界にいるべきもの。



 だから、厳密には、魂の理性の側面を駆使して真理や真の道を知ることは、発見ではなく「想起する〔思い出す〕」ことなのだ。視覚に頼ると幻覚に、聴覚に頼ると幻聴にだまされる、だから自らの理性と頭脳でもって答えを探ろうとすると、魂に刺激が与えられ、徐々に思い出してくれるってわけだ。これがプラトンの「想起説」だ。

 そして、そのような魂に配慮した善い生活を送っていると、魂はだんだん昔のことをもっともっと思い出したくなり、自然と「知や美や善なるものにあこがれる強い衝動〔エロース〕」が心の底から沸き起こってくる。

 (「エロース」の語源は、エロヒムのエロア、つまり神々のこと。神々との会話は、理性を通してなされるので、エロースは、理性ともいえる。)

 ソクラテスの思想で言う「知への愛」だね。これらを踏まえて、『国家』に出てくるあの有名な「洞窟の比喩」などの部分を読むと理解が深まるかもしれない。授業では紹介するが、ここでは省略、興味ある人は原典に触れてみて〔笑〕。

 では、エロースは自然と沸き起こるものか? そうして自然と哲学者は誕生するものか? 答えはノー。それ相応の教育プログラムが必要だ。

 「そもそも教育というものは、ある人々が世に宣言しながら主張しているような、そんなものではないということだ。彼らの主張によれば、魂の中に知識がないから、自分たちが知識を中に入れてやるのだ、ということらしい。あたかも盲人の目の中に、視力を外から植えつけてやるかのようにね」 (下P115)

 「一人一人の人間が持っているそのような〔真理を知るための〕機能と各人がそれによって学び知るところの器官とは、あらかじめ魂の中に内在しているのであって、ただそれを魂の全体と一緒に生成流転する世界から一転させて、実在および実在のうち最も光り輝くものを観ることに堪えうるようになるまで、導いて行かなければならないのだ。そして、その最も光り輝くものというのは、われわれの主張では、<善>にほかならぬ」 (下P115)

 「教育とは、まさにその器官を転向させることがどうすれば一番やさしく、一番効果的に達成されるかを考える、向け変えの技術にほかならないということになるだろう。それは、その器官の中に視力を外から植えつける技術ではなくて、視力ははじめから持っているけれども、ただその向きが正しくなくて、見なければならぬ方向を見ていないから、その点を直すように工夫する技術なのだ」 (下P116)

 ここでは、教育とは知識の植え付けではない、知恵や知識は持っている前提でそれを正しくどう活用すればよいのかを身につけさせるのが教育であると論じているのではないか。これは、ソフィストらを批判しているようにも思える。

 これらの引用文に続けて、プラトンは「世には巧妙な手口や手段で悪さをするやつがたくさんいる。鋭い洞察力と計画性があるから捕まらずに犯罪を犯せるのだ。しかし、このような悪党の持つ素晴らしい知恵の活用の方向性を変えれば、彼らは優れた統治者になる可能性もある」というようなことを論じている。その通りである。

 小さい頃から沢山の教育を受け、柔軟な頭脳と豊富な知識量を持っていても、それらをどう正しく活用するかを教えられなくては、大成しないだろう。これは現代にも言えること。君たちだって、教科書にある「四元徳」「想起説」「イデア」などの言葉を頭に詰め込んでも意味がない、こうして原典に触れながらそれらを体系的に理解し、そこから著者が言わんとしていること、当時の社会問題にどう対応しようとしたのか、現代にも活用できる知恵はないだろうかを吟味するからこそ意味があるのだ。だからテスト対策のみの暗記学習はやめましょう〔笑〕。

 話を戻そう。いずれにしてもプラトンは、哲学者はどこにでも自然発生的に誕生するのではなく、相応の教育を施さないと誕生しないと考えている。もっとも、最初のほうで紹介したように、プラトンの理想国家は、徹底した分業社会である。

 哲学者になるべき素質のある者は小さい頃からそのような教育を、軍人になるべき恵まれた体格のものは小さい頃からそのような訓練を受けるべきなのだ。哲学者が自覚しなくてはならないことは、

 「自分はそのように〔磨かれた理性で正しく統治するリーダーに〕なるべくして、適切な教育を受けてきたのだ、だからいくら学に志そうとする気持ちが強くなろうとも、自らの職責を放棄してはならない。また与えられた権力は常に公共のために行使すべきである」

 という点である。哲学者は哲学するだけではダメ、よき哲学者であると同時によき統治者でなくてはならないのだ。統治者は権力の行使者だけであってはダメ、よき統治者であると同時によき哲学者でなくてはならないのだ。

 引用: プラトン著〔藤沢令夫 訳〕 『国家 (上・下)』 〔岩波文庫〕

 ☆  ☆  ☆

 物質文明の崩壊の足音が忍び寄っていることだけは確かである。しかし、賢者は何人いるのかといえば、ほとんど皆無というべき状態である。哲学が死んでいるからである。哲学が蘇るのはいつのことだろうか?





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Last updated  2013年11月12日 16時20分01秒
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