シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年12月13日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

 さて、今で言う官途にこのエビスの者が就こうとすれば、後年の踏み絵のごとく、頭を丸められてから「ナムアミダ」をくり返し唱えさせられてから、その名も○○阿弥、というように転向者と判るように付けられた。

 それでも警戒されて武士には登用されず、活花、画師、などの無難な役目に限られていた。何しろ自由人として商売するには、官界に渡りをつけるしかないのは、今も昔も変わりない、まこと 体制べったりでなくては生きて行けぬお国柄が、この国である 。

堺の者は別に足利家に仕えるためでなく、足利家の三好衆によって阿弥名を貰い、商売をしていた。勿論限定職業である 。

利休とよばれる宗易の祖父にしても「千阿弥」だった 。「同朋衆」と呼ばれたのは、えびすから常人扱いされ、彼らも同胞並になった衆との意味である。しかし 織田信長の出現で世の中は変わった。下克上という世変わりである

近江八田別所出身の後裔で、拝火宗の多い尾張を地盤にのし上がった彼は、商売の権利をヤ衆にだけ許可し、三好衆庇護で勝手に商売している堺に対しても、蜂屋頼隆らのヤ衆を差し向けて、これまで勝手に商売していたのはけしからん、と今までの落とし前に二万貫の請求をした 。

が、限定職業の皮革業や魚屋、染料屋、鋳物屋の堺では、信長がヤ衆に商売を限定し、ヤ号をつけさせ、近江屋、尾張屋とさせているのが判明すると、自分らも元来はヤ衆だからと妥協した 。

信長も後に堺とマカオ間に硝石輸入のため、海流を利用して年一回の定期航路を開くぐらいだから、堺衆が竹で茶筅を作り出すと、次男三七の後の信雄に「茶筅丸」と命名している 。

己の前頭部が禿げ上がってくると残りの毛を棒のように立て、茶筅髷と名づけて流行させた。信長としては「天下布武」の計画に彼らの協力を得るための、同族間の信頼獲得の手段だったろう 。

 信長が死に秀吉の代になると、利休こと宗易宗恩夫妻を叛乱予備罪で刀狩りの後で始末し、その与党を区別地へ押し込んだ。ゆえに今でも岡山当たりでは未解放地を「茶せん」とよんでいる。

 堺衆の者たちが、かって心ならずも、 先祖が阿弥を名乗ったのを恥じらい、詫びの茶 を始めたので、 信長は自分も応用する事にした

 〔 現代はワビ、サビの茶として権威あるものとされる。が、虐げられ続けた原住民が、悪党と罵られながらも武者働きして、一城の主になったり、商人として成功し、店の一つも持てる身分となった。祖父や曾祖父の頃までは山間僻地で苦労してきた、その頃を忘れぬように反省し互いに協力し励まし合うため、侘びしく静かな、先祖を偲ぶ寂しい茶湯。この精神がワビ、サビの由来である 。〕

 なにしろ戦国の世である。かっては忠誠を誓い、長子新五郎に信長の重臣明智光秀の長女を貰い受けた荒木村重でさえ、美童の万見仙千代を信長が奪ったとなると、叛乱してくる時勢である。

「いくら血判を押させたり、神祇誓文を呑ませても口先だけの忠誠など信用できぬ」と信長は茶室から逃げ出さぬようにし「にじり口」と呼ぶ狭い出入り口を考案して、忠誠を申し出て来る者らを集めると、

「わしが点てる青茶を服すがよい」と試験をするのに応用した。

うかつに一気に飲みほしたら腹が痛み出しておっつけ死ぬかもしれんぞよ〕と皆怖じ気を震い、ゆっくり三口にも四口にも分けて服用した 。

 つまり 茶席が今も厳粛なのは、死の儀式でもあったからである 。

 亭主と呼ばれる側は茶をたてるだけで、「乾杯」と絶対に一緒に呑まぬのは、茶席に招くのはなにも互いに親交を温める為でなく、御馳走するのでもない。(信長により) ただ忠誠心をテストする試験だからである 。

 さて緑茶はそれ程には猛毒ではないが、 胃腸疾患のある病弱者は死んだ 。伊達政宗が小田原陣へ降参をし、忠誠を誓いに行った時も、先ず底倉で青茶テストをされたが、若くて元気がよく無事であったという。

 それゆえ始めは本家本元の堺衆は順繰りに、茶頭の亭主役から、かって阿称名を貰った者やその子や孫が服用し、時に胃弱な者が、それでばったり急性で倒れたりすると「たたりじゃ」と 先祖に対するお詫びの茶の意義を強めた 。

 信長を真似た秀吉や家康も風流や数寄ではなく、 あくまで自己保全のための信頼テストに利用し、やがて武家社会に広まったのだ 。

 (茶席に呼ばれるのは忠誠心が疑われていることになる。)

 「わが母は亡き後奈良帝の寵を受け身ごもって尾張へ戻って産んだのが、この秀吉である」と時の正親町帝に譲位を求め、皇太子誠仁親王が邪魔だからと、はしかと言う事にし急死させた秘話は、奈良興福寺の多聞院英俊が書き残している。

 しかし、天変地変が次々と続いて「故親王の祟りなり」と山科言経に言われた秘話は私の「真書太閤記」「秀吉と女たち」に詳細。

 秀吉も十六世紀では迷信には勝てなかったのだろう。「やむをえぬ」と親王の忘れ形見の後陽成帝を立てはした。

だが折角京の中心を取り壊し、己の新御所にと建てた聚楽第が無駄になるからとそこで秀吉は大陸進攻をを考えた 。

【紹介者・補記】

秀吉の野望は自分が天皇になって、豊臣天皇として新皇統確立を目指したものと思われる 。 公家とは元々が大陸からの征服者の系統だから、大陸に帰ってもらう。だから朝鮮は通り道としただけで、占領する計画は無かったと思われる 。

 侵略を美化したり正当化するつもりはないが、世に征韓の役と言われるものの実体はこうなのである。 秀吉はライバルであった明智光秀が、信長の急死の後、征夷大將軍の勅をかしこき当たりから貰っていたという事実があったので、その後塵を拝すのを嫌って「それならわしは天皇になったる」となったのだろう 。

 大陸系の公家連中を排除するのに、なにも大陸進攻までしないで、隠岐や対馬へ島流しにすれば済むようなものだが、大明国突入という無謀な戦争を起こした事は失敗である。しかし 秀吉も日本原住民系の出身だから、占領され、奴隷化されていた民族の復仇戦と見れば頷けるものがある 。

「帝には北京を中心に四カ国、公家の連中にも向こうで一国ずつ進上し、日本は秀吉の国となす」と遠大な計画をたてた 。

 さてそうなると、後顧の憂いを取り除き挙国一致体制をとる必要が出てきた。その為に先ず 叛乱防止のために刀狩りと称し、密告制をとって庶民の武器を没収した 。さて、五世紀から七世紀にかけて大陸から進攻してきた連中が、白人がキリスト教をもって有色人地帯を押さえたように、(秀吉が)西方極楽浄土の教えを持ち込んだのに対し、日本列島の原住民どもはこぞって次々と反抗した。

 (反仏がスローガンなのに、また仏教が布教されたので、原住民が離反した。)

 山中や離島へ逃げ込んだ彼らの子孫が、足利期にできた被区別地の末裔と一つになった。アメリカで南北戦争の後、解放奴隷のアフリカ人が追われてインディアン居留地へ逃げ込み合体したのと同じ事である。

 そして、「山がつ」と呼ばれる山者はウメガイとよぶ彼らの山刀を「ささら」といわれる竹細工の箕の直しも、青竹割の刃物を商売道具として、 秀吉の命令を聞かず手放さなかった 。

 さらに、京の周辺の桂や白川の者らも堺の者と共闘体勢までとりだした。「 これでは従来の古ぼけた御所の代わりに建てた聚楽第さえ、大陸遠征の留守の間に奪われかねぬ 」と秀吉は、まず 堺衆の山上宗二が八瀬大原の者らと結託していると聞き、召し捕って拷問にかけ「しゃつら見るだに憎々しい」と耳をそぎ、鼻を削った生首を見せしめに堺のえびす口の門へさらさせた 。

 つまり 利休こと宗易が、かねて竹細工の道具や瀬戸のカトウ衆の同信心の者らに焼かせている黒碗を、彼が高値で売り捌いているのは、彼らの軍資金集めのためと密告があったからである 。

 通俗歴史は、秀吉が利休の娘に惚れたのに拒まれたから殺したと説明し、その「お吟さま」で直木賞を取った人もいる。

 しかし彼女は未亡人ではなく万代屋新太郎宗安という、れっきとした夫と四人の子も居たのである。少女趣味というか十代の若い娘が好みであった秀吉が、四十に近い女への横恋慕はおかしい。今も昔も男の好みはそうそう変わるものではない。

資力や人望からみても、利休こと宗易が反乱軍に担がれるものと秀吉は見たから殺したのだし、妻の宗恩が蛇責めの拷問で死んだのも、今で言う地下組織を白状させようためではなかったかと「利休殺しの雨が降る」に私が書いたのは 、当時の伊達家の「鈴木文書」に、「戻橋に八付にされる」の一行を見つけたからである。それで徹底的に調べだした。

張付と呼ぶ死刑方法は信長がキリストの画を見て、始めて真似させたものだが、手首や脚は荒縄で縛っての刺殺だった。ところが秀吉の代になって寺側から政治献金を受け取り出すと、反仏教系のヤ衆とかハチと呼ぶ日本原住民系の処罰には、手足を縛らずに太釘で打ち付ける残酷な方法を始めた。これを八付とよんだ 。

 木像とはいえ釘を打ち付け曝したというのは、秀吉が彼を原住民子孫の過激派とみなした証拠である。茶湯開祖として温厚なワビスキの利休居士は後年の儲けんがための者らの作為で、 実像はレジスタンスの指導者だったらしい 。

大陸遠征準備に新開発のチリ-硝石入手のため呂宋へ助左を派遣したものの失敗した秀吉は、従来通り島原の口の津で硝石輸入をする必要上、交換輸出に原住民系の人間狩りを徹底的にやったらしく、それへの反撥が日本原住民系の神祗の連中の不穏な形勢になったら しい。でないと、ここの辻つまが合わない。

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 次回に続く。





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Last updated  2013年12月13日 14時26分50秒
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