シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年12月18日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き

 ☆  ☆  ☆

【家康二人説】(2)

 石が瀬合戦から、森山くずれ、さらに武田信玄は、「家康、元康別人知悉説」までを箇条書きにしてみます。

 遠州服部村の鍛冶屋の家を溜まり場にして、弓矢を鍛えさせ、武具を整え人集めした若き日の家康は、この天下争乱の時一旗上げようとした。だが今川義元亡きあとの氏真は出て戦わず、尾張の信長も勝って兜の緒をしめよと清洲城から動かない有様。

 そこで業をにやした家康は中に挟まれた弱体の三河を奪い盗ろうとしたて、遠州から矢矧川の上流を渡って攻め込んだ。この時松平蔵人元康は放ってはおけず、これを石が瀬の原で迎え撃った。

 しかし何といっても、松平党は長年にわたって父祖の代から君臣の間柄。一方家康側は烏合の衆である。正面衝突してはとても松平党の敵でなく、負けて降参してしまう。降人した時家康は松平の家来にされるような話しだったが、抜け目のない家康は直ちに山中城を攻め、城主の松平権兵衛重弘を追って自分が城主となってからは、もう元康の家来ではなく合力衆のような形になった。刈谷城の水野信元を攻めた時など、岡崎勢の先手となって十八町畷まで押し寄せて戦った。

 ついで家康は元康に協力して野伏り衆を放って、挙母の砦、梅ケ坪の砦と火を付けて廻ったから、元康も喜び「この分なら織田信長を攻め滅ぼして人質に横取りされてしまっている吾児の信康を奪還しよう」と、桶狭間のあった翌年の十二月四日、合力の家康や三河党をもって尾張に入り、岩崎から翌日は森山へ兵を進め本陣を移した。

 処が、 その陣中で、粗忽な家臣の為に、元康は間違って討たれてしまった

 これが世に謂う「森山崩れ」だが、討ち果たされたのは、永禄三年より二十六年前の天文四年のことで、 討たれたのは元康の祖父の清康と通説はなっている 。

 しかし天文三年なら、信長の父織田信秀が岡崎城と目と鼻の先の安祥の城まで確保して、三河の半分は織田の勢力に入っていた頃、どうして岡崎衆が入りこんで尾張の森山へ陣取りなど出来るだろう。

 この頃の信秀は小豆坂合戦で今川や、松平を撃破して「東海一の弓取り」とうたわれ、尤も威勢の良かった時である。

 だから、それまで互いに戦いあっていた二人(元康と家康)が、合併してその時から一人になる。つまり 松平元康が急死したので、当座しのぎの恰好で家康が後始末する為、元康の後釜に入った 。

 ついで、 尾張の熱田に居た、信康を取り返すため、家康は元康の死を隠して、まんまと顔の知られていない事を奇禍として、自分が化けて代わりに乗り込み、清洲城で信長と談合して起請文を入れ和平を誓い、信康を戻して貰った 。

その手柄を買われて松平の家来共の衆望を担い、如才なく家康は立ち回り、幼い信康の後見人に収まり、やがて松平党を、その属とした 。

 〔ここは大事な処なので重複するが詳細に記しておきます〕

殿様の松平元康が誤って家来の阿部弥七郎の手に掛かって急死した 、岡崎城では跡目の信康がいないから困った。その時三州山中城を自力で乗っ取り、次々と放火して手柄をたてた家康が「和子を尾張から奪い返す計略として、俺を亡き殿の身代わりに仕立てい」と言えば、松平党の面々は「これは殿の喪を表沙汰にし、他から攻め込まれなくとも済む安全な上策である」と、賛成したものと思われる。だから、諸説は色々あるが、家康、元康の入れ替わりはこの時になる。

 そこで、 まんまと松平元康に化けてしまった家康は、恐れ気もなく永禄五年三月には清洲城へ乗り込み、三河と尾張の攻守同盟を結んで、熱田に居たか、清洲に居たか〔大須万松寺天王坊の説もある〕はっきりせぬが、当時は四歳になっていた信康を貰い受け、岡崎へ戻ってきた 。

 この手柄は大きいし、それに 山中城主になっていた家康自身が、もうその時は、既に何百と私兵を持った大勢力だった から「この儘で、元康様が成人の時まで後見人」ということになった。時に家康二十一歳だから、その年齢で四歳の子持ちというのは少し早いが、何しろ苦労してきたので、ませた風采をしていたのだろう。



 そして足かけ三年も尾張にいたのだから、信康がすっかり可愛くなっていて、自分の倅らと仲良く遊んでいる様子に、 その頃生まれた女の子に「信忠、信雄、信孝信康も加え、五人で五徳のごとく輪になって確かり地に立てや」と初手から嫁にやる気で五徳と名ずけた 。

 その縁談も信康を戻す条件として家康に持ちかけたものだろう。この時家康は一時の便法でまんまと信長を欺き元康に化けたものの、どうせ信長などたいした事はない、その内誰かに滅ぼされるだろうと、高をくくっていたが、これがどうして、頑張って美濃も攻略し稲葉山の井ノ口城をとって大普請し、岐阜城と改名。

 こうなると家康たるもの、化けの皮が剥がれて瞞していたことが判ったらどうしようと戦々恐々とした。よって元康と家康が別人であったなどという証拠は、ことごとく湮滅させた。

 だから、 三河の一向門徒の騒動とは、所詮は家康が元康に変身した為に起きた宗門争いである。というのは、三河岡崎衆は、尾張長島の一向門徒と手を組んでいた。そこに、野州二荒別所から、駿府の久能別所にいた家康は、その家臣達も大久保党は七福神系、本多一族は白山神社系。榊原康政は伊勢白子の松下神社の氏子。酒井一族は修験者あがり、といったようにどれもが神信心の者達で占められている 。

 時はお寺とこれらの社は仇敵同志の世の中である。反目している内に・・・・ 先ず岡崎城で、亡き松平元康の家老であった酒井將監が松平一族を糾合して家康に叛心を抱いたが失敗して猿投山中へ逃亡した 。

 ついで 昔は城代までしていた三木領主の松平信孝も、その他出中に三木の館を徳川党に襲われ、戻ってきて明大寺合戦で一族もろとも家康に皆殺しにされている。この後、松平大炊助好景も、幡豆郡長良の善明丹宮で家康側に包囲され全滅 。

そこで堪りかねた松平党の三河武者が、浜松や伊勢から来ている他所者の徳川党と戦ったが独力では無理なので、一向宗の力を借りたゆえ、表向きは一向宗騒動となったのである 。

その後は三河岡崎城では最早家康に楯突く松平衆は居なくなった。家康に忠誠を誓う者は、松平姓でもそのまま許され懐柔策はとられていた 。

 しかし 合戦の時は徳川衆は「東三河衆」と呼ばせて、これを酒井忠次に率いさせ、いつも危険なところや先陣は石川数正率いる「西三河衆」を使った 。 たまりかねた石川数正は小笠原秀政らを伴って徳川を見切って、太閤秀吉の許へ走ってしまったのである 。

【家康二人説】(3)

<<武田信玄は家康の正体を知っていた>>

 上州。ここは当時、榛名山麓箕輪城長野信濃守の勢力範囲で、厩橋城の長野左衛門が世良田辺りは押さえていた。処が天文二十年の大洪水で、それまで北を流れていた利根川が今日のごとく前橋の西へ変わったから、関東管領として上州平井城にあった上杉憲政がこれまでの天険の防ぎを失い、やむなく越後の長尾景虎の許へ逃げ込んだ。

 そこで上杉の姓と管領の肩書きを譲られた景虎〔謙信〕が、関白近衛前嗣卿を伴って上州へ攻め込み厩橋城を占領。そこを近衛卿の城として、関東制覇のため小田原攻めを敢行した。

 永禄四年九月十日が川中島合戦になるのだが、謙信は小田原攻略に失敗したので、近衛卿が帰洛した後は、北条〔きたじょう〕高広が景虎の命令で厩橋城の城代をしていた。が、永禄六年十一月になると、武田信玄がこの城を力攻めで奪った。そこで上杉方も放っておけず取り返した。三年たった永禄九年に、箕輪城を落とした信玄は又も厩橋城を奪った。そして今川義元亡き後の駿遠二カ国もついでに己が領国となさんと信玄は企てた。

 信玄は本願寺裏方の姉三条氏を妻にしている立場を利用して、当時一向宗と呼ばれた石山派の僧たちを、住民宣撫工作に招いた。元亀二年の織田信長の比叡山焼討ち後は、英俊、亮信、豪盛と呼ばれる延暦寺の名うての僧たちも、焦土と化した山を下って、信玄の庇護を求めてきた。

 そこで信玄は彼らを<宣撫工作班>として信州、上州の各地に派遣し寺を建てて近隣の住民を集め「信仰は御仏、領主は武田」といった説教をして聴かせた。 この武田の進出に怖れをなしたのは徳川家康である 。

自己防衛のため織田信長と攻守同盟を結び、元亀元年十月には「上杉家文書」「歴代古案」によれば、越後の景虎の許へ音物〔金目の贈り物〕をなして、同盟を結び信玄に対抗した 。

 (通説では、信長になっている。)

 しかしそれでも武田の仏教宣撫班が、「武田の権僧正鬼より怖い、どどっと来たって、どどっと斬る」といった触れ唄を御詠歌調で口から口へ流すのには閉口した。

 何しろ幕末まで、この地口は伝わり、「甲斐の吃安、鬼より怖い。どどっと吃れば人を斬る」と転用される程だから、その当時にあっても、権僧正の位をもつ武田信玄の威名は鳴り響いていたのだろう。そこで 家康は、今は仏法僧で名高い愛知県挙母鳳来寺の猿女と呼ばれる者たちの居る薬師寺に対抗策を講じるように求めた 。

 現代で謂う「宣伝合戦」である。 そこで「家康こそ何を隠そう、鳳来寺薬師寺十二神將の一体の生まれ変わりである」と説いて回った 。 後には関ヶ原合戦で薬師寺系の大名を皆寝返りさせた程の実力のある全国的な組織ゆえ、「かしこまって候」と、鳳来寺から各地の医王山へ司令が飛び、それぞれの修験者達が家康のために武田に対抗した 。

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2013年12月18日 16時06分04秒
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