シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年12月20日
XML
カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

 そして 三年後の寛文三年〔1663)正月に、二十七歳になられたばかりの後西さまを、十歳の霊元帝に換えた 。仙洞御所に入ってもらっては、ずっと竹矢来をはるのに出費が掛り過ぎると、今の京都御苑の北隅に「後西帝凝華洞祉」の棒杭のあるあたりに、二間四方程の小屋をたて外側に竹矢来をかけたから、外観は竹籠のごとくみえた。

 つまり 後西帝は従弟の伊達綱宗に、御所の勝手許不如意を訴え、献金を求めただけなのに、でっちあげで謀叛通謀とされてしまったのである 。

「何人でにてあれ、大公儀に対し異心を抱かれるにおいては、かくの如し」と、見せしめの為に、京所司代の立札が立てられた 。そして、この年から貞享二年二月二十二日に四十九歳で崩ぜられるまで二十三年間も、ずっと閉じ込められた侭だった。

 (この後西帝失脚を遂行したのが赤穂浪士で有名な吉良だという。)

その間に家光の末子上州十万石綱吉は、生母が京都の八百屋の娘の於玉とされているが、当時京坂には多く住まっていた済州島の出身だというので、大老酒井忠清と水戸光圀が反対して、京の有栖川幸仁親王を五代将軍に立てようとした 。

 三田村鳶魚の考証にも詳しくでているが、下馬将軍と全盛をほこった酒井は江戸屋敷まで没取され閉門、御三家(鹿島説だと御三家ではないそうである)だが光圀も、水戸の西山とよぶ特殊な居付き地に押し込まれ、竹矢来で出入りを監視された。

 春日局の孫娘の夫、堀田正俊が大老、前夫稲葉正成と春日局に産まれた子の孫が、若年寄筆頭の稲葉正休と、幕閣が春日局の孫や外孫によって固められていたから、下馬将軍も水戸光圀も、彼らの勢力には勝てずで追い落されて、綱吉が迎えられて五代将軍になったのだ。

「赤穂義人纂書」に鍋田晶山が詳しく書いているように、済州島の血をひくゆえ、日本人よりは貴種であると、やがて綱吉は千代田城を朝廷とよび幕閣を公家と称するようにさせた 。

よって京よりの勅使は大納言とか侍従といった官位をひとまず返上。前大納言、前侍従となり無位無官で遠慮して江戸の伝奏屋敷に入り、京へ戻ると前官にまた復していたものである 。

 「元禄忠臣蔵」で真山青果が「恐れ多くも勅使下向されて、お戻りになる日に松の廊下での刃傷沙汰は、京のみかどに対しても不敬のきわみ」と書くのは、皇国史観での誤りである。

 さて、「都にては近頃は雀を大籠に入れて‥‥」と始まるこの時代の「京雀」の一巻は、後西さまを憐れんで江戸への当てこすりだったが、それに対しても公儀は神経をとがらせてしまい、「京雀とは、口さがない者が、詰らぬことを言いふらす流言ひがごとなり」ときめつ
けてしまった。

 さて幽閉された侭の後西さまは、おおいに立腹され、灯油は僅かゆえ夜明けより日没まで、


 つまり 後西さまは、江戸が朝廷にすり変ってしまった事への憤りから、自分らの方こそ正しいのだと、せっせと口惜しさに書き上げられたのが、今も残る東山文庫所蔵本の成立である 。

 黒板勝美は歴史屋なのに、こうした時代背景をすこしも調べていないから、その巻頭に、「天地に墨界を施し一行十数字の外題なしの渋表紙巻子本五十巻を特に御聴許をえて、東山文庫の貴重なる御本を拝観するを得たるは、無上の光栄とするところなり」と有難がってだけいて、ものを書く衝動とは、憤りか何ともならぬ悲しみと口惜しさだけだとも、てんで気づいてはいない。

 つまり 今われわれのみられる日本書紀は、西暦720年のものではなく、江戸時代の五代綱吉の頃の、恐れ多くも後西さまの徳川家に対しての怨みつらみで、よせ集めて書かれた悲しみのもの 。

「大正三年刊の国史大系の日本書紀」は、やはり江戸時代の松下見林や伴信友の書いたものから作り直した黒板のものなのだが、その後の第九次日本書紀は、後西さまのものなのである 。

 だからして、学校で教わったままでゼロックスもない八世紀のものが、その侭と思い込んで信じている人の書いたものでは、日本書紀の原本が実際は江戸期製とも知らぬための著作ゆえ、それを読んで参考にしては、解明どころか、かえって誤りのもとといえる。

 ☆  ☆  ☆

 という顛末で、八切史観では、日本書紀は出鱈目ということである。このような驚愕の内容が、八切氏の「大江戸意外史」には書かれているので、興味がある人にはお勧めしたい。

 ちなみに、この本によると、現代有名な水戸黄門の虚像ができた経緯がわかり、それは幕末に、水戸藩主斉昭が、朝廷工作から将軍宣下を受け、倒幕するための宣伝だったようである。この本を読むと、水戸黄門の実像は現在とは真逆の欲ぼけ悪人であることがわかるから面白い。

 水戸黄門、つまり水戸光圀は、いまでいえば大企業の御曹司の馬鹿息子で、助さん、格さんの助格は、当時馬廻り役の名称で、いまでいえば、暴走族の遊び仲間みたいなもんだったようである。

 この本の話によると、水戸黄門漫遊記は、馬鹿光圀が若者のとき助格をつれて江戸町内の辻斬り巡りをしていたのに尾鰭がつき、悪事が善事にかえられてかかれたものだとわかる。

 あるとき、その辻斬り巡りが、寺社奉行下の見廻りにみつかり、ドラマのごとく、「控え、控え、控えおろう、ここにおわすのは天下の副将軍、水戸光圀であるぞ」と威勢よくやったが、全く無視され、お縄になったのを、奉行側がためしに翌朝に水戸藩に問い合わせてみると、本人と発覚し、そのため寺社奉行は腹を切らされたために、寺社奉行のなり手が長い間いなくなったというから、水戸黄門はとんでもない悪人である。

 このことが父頼房に知れ、謹慎を命じられたのに、何処から聞き出したのか、当時流行の楽器(三味線のようなものらしい)を習いたいといいだし、頼房が親心で、女子の先生をつけたのを、孕ませ、謹慎中の子だからといっても、徳川家の血なので、仕方なく親戚の高松藩に預けることになったという。

 このように八切史観によれば、世に伝わる水戸黄門などは、その実像とは真逆の出鱈目であることがわかる。この水戸黄門のように、徳川幕府が滅んでも、徳川家の悪事が露見しないどころか、かえって徳川家に親切な宣伝がなされているのも、勝海舟が徳川家の管財人になり、地上げで大金を稼いだのが、使われた可能性が大きいことが伺える。

 慶喜は終始勝を嫌悪し、その財産は渋沢に任せたので、渋沢は日本資本主義の父となりえたようである。

 以前にも勝海舟の裏話として紹介したが、その話を、次に紹介したい。

 ☆  ☆  ☆

地上げの元祖・勝海舟

 【紹介者・注】

 勝海舟を書いたものは、「八切幕末史」全十冊の中に「若き日の勝海舟」(日本シェル出版)がある。この本は小説仕立てで面白く書かれているが、良く資料を調べ新しい視点で幕末の人間像に迫っている。登場する人物は実に多彩で、変革期を駆け抜けた人間臭い彼らが生き生きと描かれており、共感を覚える。

 登場人物〔清川八郎、新門辰五郎、吉田松蔭、近藤勇、佐久間象山、松岡 萬、勝小吉、千葉周作、久坂玄瑞、徳川慶喜、村上俊五郎、山岡鉄州、その他〕

 以下に紹介するのは「八切日本外史」〔日本シェル出版〕の論考的なものである。美化された海舟ファンには申し訳ないが、実像とはおよそこんなものであろう。

 土地成金という言葉がある。これのはしりは勝海舟その人である。というのは、それまでの日本には地租、つまり土地の私有権は無く、その為税金も掛からずだった。収穫した物だけに課税されていたのである。

 が、明治になって収入源を新しく作らねばならぬので、土地そのものへ課税し、従って土地売買も認可した。だが、明治新政府の構成員というのは、各藩の下級武士か郷士。それに訳も判らぬ公卿ばかりで、それまでの人材は皆粛正されていたので、 土地へ税金をかける案は海舟だ といわれるし、それゆえ 事前に当人は判っていたゆえ、彼はべらぼうに大儲けした というのである。

 さて、明治元年の九月に天皇は初めて東京へおいでになり、翌年には京へ戻られはしたが、当時の京の人達は当然のことながら非常に怒った。それで仕方がないというので、当座は京都に天皇は居られたのだが、又その翌年三月に東京へおいでになりとうとうそのまま東京に居着きになってしまった。その結果京都は唯の観光地になってしまったのである。

 何故かというと勝は当時二束三文だった東京の土地には手付け金を広く打っていたが、京になどは投資していなかったからである。さて、芸者さんが非常に綺麗な職業のように、テレビドラマであり、それも女流作家の書く物に多い。が、実際には芸者さんは接客業なのである。おたみ、さんは十七歳から芸者になっていた訳で、六年も経てば今で云う旦那とか、パトロンというのが何人か相当居た筈である。

 さて、 その勝海舟が駿河まで迫ってきた薩軍の西郷の許へ山岡鉄舟をやり「江戸を砲撃しないでくれ、官軍は箱根の山の向こうで待ってくれ」と頼み込んだわけだが、俗説では戦火による江戸町民を救うためだとか、色々恰好良くされている 。

 果たして本当の理由は一体何だったのかというと、それは前述した地上権問題だったのであ。

当時は勿論土地は私有ではなく、旗本屋敷も徳川家から貰ったものだった。そして官軍が次第に迫ってくるというので、家財道具も古道具屋に叩き売って旗本は殆ど居なくなり最後に残ったのは屋敷だけだった 。

 これに目を付けたのが勝海舟の偉い点で、 僅か五十銭から一円という手付けだけで上手く買い取ったのである 。家屋敷といっても旗本の武家屋敷だから、十五間から二十間もある大きな家もあった。勿論これは海舟自身が直接表に出てやったわけではない。

 ☆  ☆  ☆

 最近も勝の子孫だとかが財務省で増税をきめ、圧制で庶民を苦しめる法案を通したが、血は争えぬというか、勝というのが根っからの詐欺師で極悪人であることがわかる。自分もコロリと騙されていたので迂闊だった。まだ鉄舟のほうがマシだろう。勿論、西郷は全てを言っていて、勝など相手にしていない。次回に続く。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013年12月20日 12時29分25秒
コメント(0) | コメントを書く
[軟弱日本を斬る!] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: