シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年12月21日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

 よく女の人が難産で、子供を助けるか母体を助けるかという場合、日本以外の国では、又女性には出産する機会はいくらでもあるからと、母体を必ず尊重するのに日本では如何にも母性愛の美談のごとく、「この身はどうなっても構いませぬゆえ・・・子供の方を助けて下さい」等とさも尤もらしい扱いをするが、当の母体が死んでしまっては母性愛も何もない。

 しかし、「腹は借りもの」との建前からすれば、正室の方では産ませてしまえば不要の女であるし、妬情もあるから、そこは、処分するなら早くと使い捨て精神で子供だけ取り出した後は見殺しにしたかも知れない。

 何しろ武家社会にあっては、上は殿様から下は足軽まで、跡目相続を無事にすることが世襲扶持という永代給付権利確保に大切な事だった故、何としても男児をもうけねばと焦って「大の虫を助けるには、小の虫は犠牲になるもやむをえん」とした考えなのであったろう。

 処が、これまでの日本史では、女人の性を考察するのに此処まで思考が及ばず、女体を無理矢理犯されたとか、佳い女だから捕らえて側室にされたと、好色的にするが、大女だからとか、出産経験者で頑丈な腰回りゆえ「子供産ませ用」にされたというのは、書かれていない。そうした行為の結果が妊娠、そして出産といったコース的な考え方しか史家もしないせいだろう。

 しかし、子を産ませようとの目的で、手を付けられた女の歴史は極めて多い。これは江戸期に入っても大名で将軍家の息女を貰ったものが、もし身重にさせて出産の際に死なせでもしたら、御家の一大事というので、接しても洩らさす゛、放出用の女人を直ぐ近くに、股間を開けて寝かせておいたり、京の関白や摂家がその姫を嫁に出す際、「もしお産でもして子を産む時に死にでもしたら、折角縁組みしても何にもならぬ」というので、その時の代用侍女を何人も伴わせて東下りしてきている。

 つまり政略結婚が憐れだというのも、これまでの考えのように、「好きでもない厭な相手に嫁がされ、泣く泣く身を任す」ことではなく、「せっかくの女体を生涯只何となく持て余さなければならぬ悲劇」からであると、見るべきである。

 幕末の和宮様だけでなく代々の将軍家は、それぞれ遡れば京より正室を迎えているが、誰も一人の御子をもたれてないのは、この事実の何よりの証拠であろう。



 「・・・これこれのお方さま」と正室が決まり、側室も自分で勝手に選ぶ様なことは許されず「これがお世継ぎを産む係の女ごゆえ、きばってお励みなされませ」とリモコンされていたのであって、美貌で側室になり子を産んで「愛妾何々の方」となって、悪家老と組んで御家乗っ取りといったことは、実際に有り得ない事である。つまり子産み係も乳人係も御用が済み次第お払い箱が定法だったからである。

 つまり 春日局が実家蜷川の圧力で京から江戸へ出てきて、表向きは乳母の格で江戸城に詰め、家光が二十歳になって将軍になるや、ますます専横を極めた 。だから後藤庄三郎の前述の反骨ぶりは、己が命どころか、家門まで棄ててかかった前代未聞の行為だった。

 彼にすれば、〔春日局といっても、世が世ならば唯単に子産み用の使い棄ての女ではないか〕といった憤りと、〔金を頭ごなしに否定し、金座つまり金を作る後藤の家へ鉄のビタ銭作りを命ずるとは何事であるか〕といった鉄に対する金の立場に立つ男の反撃だったと見るべきだろう。

 そして 春日局は、倅の竹千代こと家光をマザーボーイに育てたゆえ楽な生涯を送ったが、それまでの子産み専門の女はいかに悲惨であったかも、これまでの歴史では抹殺されているが、せめて一掬の涙を彼女たちにそそいでもらいたいものである 。

 【引用参考文献】

 八切止夫「八切日本外史」、「野史辞典」、高柳光寿「戦国戦記」、「戦国史談」、本多平八郎忠勝聞書・美濃旧記・当代記・信長公記・寛政譜・田辺戦記フロイス日本史・細川家記・丹後旧事記・浅野家文書・秀吉事記・松平記兼見卿記・言継卿記・西国巡渉記・京柴野大徳寺文書・その他

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 というように、八切史観によると、明治以前はどちらかというと女性上位の社会だったようである。女性も正妻になり家を切り盛りするタイプと子を産むだけの側室タイプに分かれていたようである。

 武家の正妻で子を産むのは珍しいそうだ。戦国大名は、女子を他家に嫁がせて、勢力を広げることで拡大してきた。戦国時代は、信長の視点から書かれているものが多いが、例えば、斉藤道三からの視点でいえば、信長は婿であり、奇蝶を嫁がせたのは、信長に織田家を継がせ、尾張まで支配領域を拡大することであることがわかる。



 八切史観のように、当時の風習を知ることだけでも、歴史の謎を説くことができる。明治以降の男尊女卑の歴史創作により、戦国時代の女性の歴史はほとんど無視され、誤った形で伝わっているから、例えば、本能寺の変が光秀の裏切りにより起きたというような誤りを生んでいるといえる。

 八切史観によれば、光秀が信長に協力するのは、間をとりもった奇蝶の存在が大きいというし、光秀が、足利義昭に会見する金銭の工面にも、関わっていたのではないかと予想されるのである。当時、貴人に会うにはそれなりの金銭を要したという。

 戦国時代は、女性の地位が重要だったが、明治維新により、女性は子を産み育てるのが仕事という価値観だけに固定化されてしまったことがわかる。下らない人物の水戸光圀が、英雄のように語られるように、その人物の実像とはアベコベのイメージがつくられ、美化されて、過去の歴史の真相が全く隠され、見えなくなってしまったから、もはや歴史から何も学ぶことができなくなっている。偽装に気づかずになってしまった!

 このような偽装を、八切氏の「大江戸意外史」は暴いているので、非常に面白く、英雄といわれている人物が、現代の一般市民以下で、全く偉くもなく、全く普通のクダラナイ人物であることがわかるから、人間関係を学ぶのによいので、ここでも出来る限り紹介していくが、是非参照して欲しい。

 例えば、その本によると、水戸黄門漫遊記の原本はエロ本だったそうである。幕末に斉昭が将軍になるための水戸黄門の宣伝本を出したのを、井伊直弼だったかが、その宣伝本を売れなくするために、宣伝本を茶化したエロ本を出させ、そちらの方が売れてしまったので、いつのまにか、その2つの本が合体して水戸黄門漫遊記となったそうである。






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Last updated  2013年12月25日 11時08分22秒
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