シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年01月10日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

ヤ号はその名残り、つまり天下布武とはいっても、居付地に収容されていた原住民の「八」が解放され新武器の火銃で、延暦の昔は失敗したけれども、今度は天の王朝を復活させようと信長へ協力し守りたてたのです

秀吉の頃からは、出征にはどこどこを攻めろといい軍資金は出しています。だが織田信長は軍資金なんてものは一文も出してないんです。だから、例の勝軍地蔵といわれる愛宕山へ行って蜷川一族の金[かね]を借り、武将どもは出陣しているわけです

 (秀吉は、当時使い道のない金を外国に売って軍資金をつくったようである。部落民は山金の民とされ、金だけは大量にもっていたそうである。当時は金より銀が高価だったので、銀閣寺は、銀張りでないそうである。対して金閣寺は金張り。金の使い道は装飾品しかなかった。だから秀吉が金商売の元祖といえる。)

 しかし、今日行って銀行の窓口と一緒で、今日すぐは貸してくれない。そこで待たせている間に、あんまり金がかかることやって、ご馳走するのはもったいないからというので、費用のかからぬ連歌の会かなんかをしていた。

 つまり 愛宕詣りするということは、当時は金を借りに行くことです

 つまり 信長の天下布武というのは結局のところ「八」の連中たちがやった仕事なのです

----信長には一つの明確に、藤原体制とは別個の枠組みたいなものがあったんでしょう。そうすると、やっぱりそういうものは書き物とか文書とかそういうもので‥‥残っていますか。

---- 何もかも秀吉の代で焼かれてしまい残っていません 。それに 信長という存在は江戸時代においても、絶対に避けられていた人物 。秀吉の方は『絵本太閤記』みたいに、茶化したものは許されたけれど、いま 桑田忠親の『信長公記』の本が出てますが、これは全部彼の鑑定用の茶器茶道具の宣伝です

 よく読めばまこと呆れてしまうが、朽木越えに信長が浅井長政に裏切られて逃げる敗戦の大変な時なのに、『信長公記』では「お茶会を召さり松風の茶碗や何とか何とかの名器を集められて」と、まったく考えられぬことが出ているし、それから本能寺の変の時だって、「その晩は、お茶会を開いて夜分遅くまでなしたからやられたのである」というように書かれているが、これはやはり茶器の宣伝と、忠臣蔵の芝居からの思いつきでしょう。

 (八切氏によると、利休も後年の創作で、茶人ではなく、宗易で、タダ同然の竹細工などを暴利で売って商売にした部落民の親玉だったらしい。秀吉は大陸侵攻した後の反乱を恐れ処罰したという。秀吉に殺されて、暴利の商売が出来なくなったので、「利」が「休」みになったで、「利休」と渾名されたのが後世に残ったという。)

 さて切腹は、出血多量で死なせる酷い刑罰だが、その作法というと全部これまた芝居の、「仮名手本忠臣蔵」の塩谷判官の腹切りの場からの模倣で、三宝を尻にあてる。

 だが、あの三宝というのはデパートへ行って、結婚結納売場へ行けば実物が桧の薄皮でつくってある。あんなものを尻の下に敷いたら、ペチャンコになってひっくり返るだけ。



 テレビでも小説でも切腹作法とされているのは、全部この芝居からきているわけです。

日本の歴史は全部、芝居とテレビからといわれるのもこの訳です

信長は後年ポルトガル船の船首についていたアポロの神像を自分に似ると、全部の者に安土城で礼拝させてたから、『フロイス日本史』には、カリオン神父は「悪魔の如くおそれられていた信長が、ついに髪の毛一本残さずふっとんだ」と 、ああよかったよかったとは書いてないけれども、そういうふうになっているのが読みとれる。



 信長につき従って天下布武をしたのは「八」の連中であって代々の臣ではない。それに 「八」の殺された先祖を拝礼するのゆえ民族的儀礼(白山信仰) だから、信長を拝む気遣いではなく誤報であるといえます。徳川中期以降の近世ではなく、まだ宗教戦争の中世紀のことである。そこをよく考えねばならぬようであります。

 さて家康も部落解放だが三代家光から反対になった徳川だが、松平元康ではない世良田の二郎三郎が松平元康だと偽って、守山崩れで元康が殺されたあと築山御前から頼まれ、人質になって熱田の加藤図書頭のところへ行っていた後の岡崎三郎信康を、清洲城へ受け取りに行った時に、熊野権現の誓書を書いて、信康を取り戻すために彼は松平元康として欺き通した。

 しかし家康は信長に露見していると後には気づき、何事も彼の言いなりに臣従したが、天正十年五月には、許しを乞うため首代として金五千両をもって安土へ行った。

 しかし信長は許すといわず京へ送った。だから カリオン神父は六月二日早朝に本能寺に集まった一万三千の丹波兵は、家康を討つためだといっていたと本国へレポートを送っている 。もちろん 家康も戻された黄金を斉藤内蔵介にわたし、五月二十九日の夕刻に信長が上洛するや挨拶にもゆかず即刻京を逃げ出している

 堺から船で逃げようとしたが、堺の政所松井友閑にとめられ、やむなく伊勢のカブト山越えに服部半蔵らに守られ白子浦まで逃げ、渥美湾へでて本国へ戻り、すぐさま兵を集め斉藤内蔵介救援の軍勢を、酒井忠次を先手にして津島まで出しているのである。

 しかし 秀吉が早手廻しに光秀の娘婿の細川忠興の山崎円明寺川畔の勝竜寺城で、まんまと瞞し討ちにして光秀勢を始末し、京に入ると、謀反随一の斉藤内蔵介を討ちとった

 まぁ和平交渉は相当早くしていないと、六月二日に本能寺の変があった翌日に、備中高松を開城させられぬ。早々に姫路城へ戻った秀吉が、どうも信長殺しの黒幕としては、やはり臭い‥‥と言われたのも、あまりにも早手まわしのせいである。

 明智光秀が庇っていた時の正親町天皇の後継ぎの誠仁親王を秀吉がホウソと称し殺したと、「多聞院日記」の中にも明白にでている。そして、である。

 今までの御所では狭苦しいと京の中央の人家や社寺を取り払って豪華な聚楽第を建て、己が新御所とし、自分は後奈良帝の遺児なりと帝位を求め、自分が日本国は統治するからと、兵を出し中国を征服して、御所にはお里帰りをしてもらおうと進言し、御所には中国の中央にて四ヶ国、各公家にも、それぞれ一ヶ国ずつ進呈しますといって‥‥承認をうけているのです。

----ちょっと誇大妄想ですね。
---- 中国よりの藤原政権に苛められた仕返しだと 思ったんでしょう。 フランシスコ派から新開発のチリー新硝石を入手できるものと九州の名護屋で自分も渡海するため待機していたんです

 (結局、秀吉はイエズス会に裏切られる。)

----中世の仕上げをなした権力者は、三人ともアプローチは違うわけですか‥‥

古代史解明の必要

----日本シェル出版で刊行している「徳川合戦資料集大成」の中に全文収録されている処の、根岸直利の『四戦紀聞』によれば、 信長が桶狭間でしたのは裏切りです 和平交渉が進んでいるのに裏切ったんだから、この時の生き証人は佐脇甚八、山口飛騨守らの側近の四人だが全部、第一線にもってゆき棄て殺しにしようとしているのに、彼ら四人は気づき、家康のところへ逃げ込んだ

信長には弱みのある家康は、いざという時の生き証人として彼らを庇護したわけです 。ですから、高天神城合戦の時などは、信長はいくら求められても援兵を出さずゆえ、この四人を仕方なく家康は第一線へ出して殺してしまって、はじめて信長は生き証人の四人が死んだのを確認してから、ようやく本腰を入れて長篠の合戦で、武田方を三段構えの鉄砲隊で信長は討ちとり、家康の味方をして勝ってのけたのである。

 (三段構えの鉄砲隊は虚構という説もある。)

秀吉は後奈良帝の遺児と自称した程ゆえ千の宗易に味方するササラ衆を「茶せん」とし部落へ収容したけれど、信長に次いで部落解放を部分的だが敢行したのは家康であったといえる

 このことの裏づけとして、小田原征伐後関東へ移された家康は、江戸の荒川というのは、現在の川幅の四倍ぐらい大きい川だったわけで、そこの中州島には武蔵七党のくずれ、つまり騎馬民族の「四つ」の三河島衆が前述のごとく何千と押しこめ居付限定地の橋のない川の処だった。

 領地が三倍から四倍に増えて、人手もない時だから、これを全部、御家人とか旗本にしたわけです。『野史辞典』をみると、三河譜代は太郎左と与五郎の二人になっている。これはいつの間にか、三河譜代というのは島の字を抜いたせいで、本当は 江戸創業に働いた三河島譜代です

----最初に『日本原住民史』という本をお出しになりましたね。それで、公けの今までの歴史に対し、日本原住民史というのがあるんだということを打ち出された。最初はこんがらがるから、白対黒という一つの対立として出したけれども、実は白といっても、原住民の中には白と赤と、それから雑色とかに分かれるのですが‥‥そうなると、 日本原住民の中の最も純粋な、最も頑強に抵抗したのがサンカという ‥‥ことになるのでしょうか。

----それを庶民と分けて、日本純民と名付けたわけです。今でこそ、庶民は容貌が落ちるからとか何とかいって、子供一人か二人のところが多くても、総人口の八割五分おるけど、片っ方は十人以上の子供を作っているわけですから、何年かたてば比例は違ってくる。

 だけど、かつてナポレオン戦争の時にオランダがナポレオンに負けて、世界中どこにもオランダの旗は立っていなかったのに、日本の出島だけがオランダの旗を立てていた歴史があるが、 唐が契丹に滅びても、唐は藤原氏として、日本では厳然たる勢力を発揮しておったのです

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2014年01月11日 08時37分01秒
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