シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年01月10日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

 それに七福神は七曜神風俗ですが、今はアラブじゃなくサンカの信仰です。だから、渥美半島になぜ米軍の彼らが上陸したかは、伊良子岬で有名な半島全体が、今も毘沙門さん大黒さんと七福神の御旗がはためく土地。

 今でこそ鯨のことで騒ぐけれど、江戸時代はアメリカの捕鯨船がみな日本へきていて、あそこだけは特別地域で薪とか水をアメリカ捕鯨船に配るのを大目に認められておったせいです。だから田原藩の家老渡辺華山が、「慎機論」や「西洋事情御答書」を書いて、蛮社の獄に連座して割腹。

 つまり (渥美)半島全体が、江戸時代にあっては特殊地でした。それに、家康四天王の大久保一族の出身地で半島の中間にはバス停で兵助畑っていうのがあるんです。大久保彦左衛門が若い頃、女の子を引っ張ってレイプしていた畑だといいます

----兵助というのは大久保彦左衛門の若い頃の名前ですか。講談で有名なので、バス停留所名‥‥
----日本では古代史はテレビや芝居であまりしないから、判らぬ侭で今になってます。が書かれているからといって全然ひどすぎるものが多い。徳川時代の朝廷の歴史を書いたものに『皇統紹運録』という本があるけれど、これは監督官庁の京都所司代の検閲のものだから全部デタラメです。

 「謎だらけの日本史」[日本シェル出版]の本に詳しいけれど、華族令が出た時に、畏れ多くも明治大帝が、華族は皇室の藩屏なりと仰せられ、為に 徳川時代の歴史は何ひとつ解明されず、みな嘘ばかり今もまかり通っている

 ローマのバチカン法皇庁の法皇みたいに至上は今では象徴でいらっしゃるから、たとえば自民党の世の中だと自民党の天皇でいらっしゃるのは仕方のない話です。

 七世紀の白村江の戦いで郭ムソウが日本へ入ってきて占領してから、日本が中国大陸と対等になれたのは、秀吉の朝鮮征伐で明兵と対決した時、というより明治の日清戦争からです。今だってアメリカにもフォードもあるし、コダックもあります。失業率がいまや二割ともなれば日本は邪魔というか不用でしょう。

 といって、またアトムを落としてしまうよりは、アメリカの国益のために活かして使おうとするのだろう。そのうちには海外派兵も命じてくるだろう。敗戦国民ゆえ「ノオ」とはいえまい。その時に、まさかアメちゃん万歳と叫んで死んでゆけぬ。どうしても昔通りだろう。

 今は敗戦の結果、国ぐるみでアメリカの奴隷だが、日本の古代史をよく見直せば、やはり、原住民古代史は、どうしても奴隷史といえよう。となると、 せめて外国の為に戦死せねばならぬ者たちの為にも、隠さない真実の日本の古代史を、よく知っておかない事には 、殺される日本人の彼らとしても、どうしても、やはり死んでも死にきれまい。

 さて、「クダラにあらざれば人にあらず」とされて、今でもクダラヌ奴とかクダラナイ事とされている桓武時代は、みな金大中の全羅南道の百済だが、周防とか安芸のように岡山に接近している中ツ国の近くは、魏の時代に多く移ってきた中国大陸人に接収されたから、大内の多々良も鉄屑精練をしていたことで大陸系であるが正しい。

 (Y染色体アダム説でも大まかにいえば、西日本は中国-朝鮮系で、東日本が原住民系である。東北人が、関西弁を嫌うのも、このせいなのかもしれない。)

 なにしろ皆だれも黄色人種ゆえに区別をはっきりさせるのは、当て字の逆転しかないだろうとは、タタラを踏むの言葉からの考究である。

 皇国史観の頃は、えらいさまの歴史ばかりなので帰化族などといっても、日本列島にきた進駐権力に対して帰化帰順したのが正しく、白村江の戦いで母国を喪失してしまった百済人らがそうで、彼らは忠誠を示そうと高麗系新羅系を蕃族と日本原住民を追討目標にして人間狩り。

 よって高麗系は遥か昔の移住では日本書紀に合わないというのが、これまでの日本の古代史である。それに五代将軍の徳川綱吉の神仏混合令によって生まれた吉田習合神道が、異也を夷也としてしまった。

 が、今では稲荷で、狐とされている。伏見稲荷の神官荷田春満は出府して、赤穂の討入りを当局のヤラセとはみずに、加担するようは反体制志向に走ったのも、やむにやまれぬ原住民の血の流れであるといえよう。 つまりこれまでの古代史はみな作為されている

 また淀川畔に幕末まであった淀姫宮の御神体はサマとワカとオノさまの御三体で、貝原益軒の紀行文には、淀殿と秀頼と大野修理の木像三体が、ご神体として信仰をあつめているとある。いわば、 この信仰は女上位の原住民のもので、オカミのいう賎民の臭いがつきまとって興味深い

 同時に 信長は部落解放をしたが秀吉は部落差別を非常に強化したゆえ、淀どのは大野修理の子をうんで、日本原住民系の世にしようとしていた謀みでもあったわけらしいとみられます

----部落出身の人は出自を隠すためか部落の人を非常に嫌うものです。いま何とかリサーチとかいうところで、部落別の判る本を何万円で売ってるとかっていって、騒ぎまくっているが、部落出身の社長は、絶対に己が会社には部落の人間は採用したがらぬ方針のゆえだそうです。

初めは部落解放をした家康も、大坂落城後は豊臣一族の再起を恐れ死期が近かったせいか、主だった生き残りを集め、九州に「豊臣松園」といった新しい部落さえも作っています

 さて、蘇民将来すらも訳もわからずに、俳句の季題にさえも奇麗事にされて今は入れられている。が、それならば伊勢二見ヶ浦の「蘇民将来 来福之守」などという御札は、現代でも配布されていて、伊勢市の各戸の入口に掲げられ出ている筈はないのにも気づかないらしい。

 「 蘇民将来とは、後に源氏系になる蘇我の民の後裔をさすもの 」と、真実を解釈しなくては、てんで辻つまが合わぬ。それを疫病除けなどとゴマカシはコジツケも甚だしいもので、ただ兄弟だなどと美化したり恰好づけだけしていては、てんで話にも何にもならぬ。

 己れらの生まれ育った国は、愛し護ってゆかねばならぬ。それには明治大正みたいな押しつけの義務教育では駄目。いいころ加減なゴマ化し歴史で恰好づけなどせず、真実の古代史をはっきりさせるべきだろう。七世紀からはトウ政権に苛められた。今度も、ベトナムみたいに国内戦にもちこんだら枯れ葉作戦をやられたかも知れぬが、結局は勝てたかも知れなかった。

 それなのに、それができなかったのは、好いころ加減な歴史しか教えていなかったゆえ、本土決戦となったら、国民の八割以上をしめる賎の民が暴動を起こし、良を捕らえるのではないかと自信がなく、水際で無条件降伏をしてしまった事への反省を、改め愛国心で新たにすべきだろう。

 (どうやら八切氏は、ニセユダの策略までは研究できなかったようである。)

 ※「同時代批評」5号誌による八切止夫氏インタビュー対談。岡庭昇、太田竜の両氏

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 以上のような歴史的な背景がわかると、現代とのつながりがわかってくる。日本史は原住民の奴隷史であり、戦国以来、奴隷解放が行なわれてきたが、結局中途半端なままで終わっていることがわかる。





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Last updated  2014年01月10日 17時00分42秒
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