シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年01月15日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前の続き。

 ☆  ☆  ☆

 甘粕が日華事変の長引くのはユダヤの陰謀によるものと断じ、世界を牛耳るのがユダヤであり、大川をその手先の者として厳重に監視するように指示したのは、いったいどう解釈したらよいのか。

 表面は大川の指示で動いているように見せて、実は大川の動きを封じる策に出ていたとみるべきであろうか。甘粕は「南方に出張しました」と言っては大川宅に立ち寄り、妻女にワニ革のバッグなどを土産として持参していた。

大杉栄殺害の裏にユダヤ禍(159P)

 北一輝が刑死して、その遺骸が北家に送り届けられたとき、焼香に来た大川を北夫人が拒絶した話が伝えられていた。その大川は機会をとらえて、北と自分の関係が最後までうまくいっていたように見せようとしていた。

 自分が北に信じられていたということを、ことさらに印象づけようとして、極端に作為したのはどうしたことか。それは遠藤無水氏や横山雪堂和尚に尋ねる必要もなかった。愛国陣営の大川に対する不信を糊塗するための作為にすぎなかったのである。

 革命者として一家を成した北一輝が、単にその場その場だけの気分に駆り立てられる煽動屋にすぎなかった大川を、どの程度相手にしていたかは、北の腹のうちにあったことであり、私の想像は許されない。



 その北一輝がヨッフェ問題では、その来朝を願っていたところの大川や満川亀太郎らとは反対の行動をとり、これが原因で北が大川や満川らと訣別するにいたった、と言われるほどの態度に出たのは何ゆえか。

 *北一輝『ヨッフェ君に訓〔おし〕ふる公開状』は、大正12年5月9日付で約3万部が全国に配布されたという。

 ヨッフェの来朝の工作をしたのは藤田勇だともいわれ、あるいはその以前に、大杉栄が後藤新平の内意を受けて北京に潜行し、事前の工作をしていたのだとも言われていた。その大杉を死なせた甘粕が、出獄してから川渡〔かわたび〕温泉に身を潜めていた理由は何か。単なる静養のためではなかったはずである。

 朝日新聞の国見特派員が甘粕を川渡温泉の高友旅館に探しあてる前に、既に渥美先生の懐刀の熊谷甚平〔寂〕先生が甘粕を訪ねている。そのとき甘粕は身辺に危険を感じ、身を潜めていたという。

 甘粕が出獄後、身辺に危険を感じなければならなかった理由として熊谷先生から説明をうけたが、大杉は愛国陣営から好感を持たれていたからだったという。

 大杉たちが憲兵隊員に連行されたときも、淀橋署員が尾行していたし、検束されたことが直ちに警視庁に通報されたのも、大杉に対する警察当局の特別の慮りからだったと当時の愛国陣営では考えていたようである。またある者は、大杉は警視庁の特命を帯びて危険思想の陣営に入りこんでいたとも想像していた。

 この大杉の★警視庁密偵説の真偽を確かめるため、私が私設秘書をしていた貴族院議員で元警視総監の赤池濃氏に尋ねたことがあったが、氏は言下に否定された。ちょうど会話が大和の水平社や朝鮮人の頭目の鄭寅学のことにふれていたときであった。

 「私が警保の当路にあたったときのことであり、間違いない」とのことであり、故意に事実を蔽うふうでもなかった。生前の赤池氏からは、大杉栄と後藤新平との接触のこととか、ヨッフェ来朝の真意などについても聞いておくべきことが多くあったが、空襲を受けて話も中断し残念なことをした。その後間もなく大阪駅で暗殺の厄にあわれ、まったく心残りであった。

 大杉栄の警視庁密偵説を赤池濃氏にただしたことには付記することがある。甘粕が大杉を殺さなければならなかった理由を、甘粕自身の口から聞くこととする。

 ―上海のガーデンブリッジを渡り、一つ目の四つ角を右に入ったところに、酒池肉林の地下室を持つキャバレーがあり、その奥の部屋に、長身で黒眼鏡に鳥打帽の男が入っては消えてゆき、数日間は出て来ない男といえば、それは上海においての大川周明のことであった。

 大川は上海に現われると、その宿舎とされていたホテルやビルには入らずに、大抵は、まずこのキャバレーを通路としていずこへか消え、上海に出先機関を有するユダヤ財閥と連絡を保っていた。



 甘粕がその大杉を抹殺しなければならなくなった理由は、★大杉がユダヤ財閥と深い関係を持っていたからであり、その殺害は、ユダヤと大杉との関係を絶つためであったという。警視庁は、親英米派である重臣どもの息がかかっていて実行できないから、憲兵隊でこれを始末するしかなかったというのであった。

 甘粕のこの説明のなかで、特に興味を覚えるのは、彼がはっきりユダヤ禍を口にしたことである。そのユダヤの陰謀が日本に禍いしていたこと、さらにはユダヤの陰謀に大杉が関与していたことを甘粕が知っていたということである。

日本の重臣どもが既にユダヤの虜となっており、その重臣の意によって動く警視庁では 、このユダヤの禍根は絶ち切れぬと甘粕らが判断してかかった事実は、ユダヤ問題をナチスの宣伝とした大川や石原らの主張に反駁するに足る証左といえよう。

ローマ法王の工作員、サビエルの挑戦(191P)



 それゆえ東方占領地においてキリスト教に改宗しない土民を殺戮し、財産を奪い、焚刑に処し、寺院を焼き払い、暴虐の限りを尽したのである。異端・異教は悪魔の教えであるとして、愉しければ愉しいほどキリスト教の神は悦ぶとした。欧州・東方・南米において、キリスト教によって虐殺された人の教は一千万を超す。

 私が20代の頃、仙台の東北学院神学部で講義を受けてい教授に出村剛という教授がいた。キリスト教会史の講義の時間にいつも述懐していたことは、キリスト教のこの異端・異教を虐殺した事実であった。そして教授は、キリスト教による異端虐殺史を集大成して世に問うことを念願していると告白したものである。

 異端・異教迫害に関する研究書の頁を開き、挿絵を示してくれたが、女性を全裸にして、陰部から杙〔くい〕を突き刺し、頭蓋まで貫いていたのを裸馬に跨がらせて練り歩いているエッチングであった。「キリスト教ほど、このような罪悪を犯した宗教はない」と幾度も呟いていたのを60年後の今日でも思い起こす。この絵はローマ法王の命によるカタリー教徒皆殺しのときの情景の一つであった。

 これは異端皆殺しの例であるが、異教の地インドにおけるポルトガル宣教師らの土民虐殺と財宝奪取、南米太平洋岸諸国のスペイン宣教師の手引きによるスペイン軍隊たちの人民殺戮と財宝収奪とは、歴史上顕著な事実であり、西欧諸国のキリスト教宣教師らによる先導によって植民地占領がなされていた事実も蔽い隠すことはできまい。

 しかし、そのようなことは日本においては果たすことはできなかった。その理由は次に示すイエズス会のドン・ロドリゴとフランシスコ会の宣教師フライ・ルイス・ソテロらが、スペイン国王に送った上書に記すところである。

 「殿下を日本の君主とすることは望ましい。しかし、日本には住民が多く、城郭も堅固であるため、軍隊の力による侵入は無理であるから、福音を宣伝する方策をもって日本の国民が殿下に悦びいさんで臣事するように仕向けるほかなし」 と、敵情報告に判断を付して諜報している。



 武力占拠は断念し、諸藩を貿易の利潤で誘い、キリシタンの布教を公許させる方策に出たのである。いずれも日本乗っ取りの方策の謀であった


 この書翰に見るように、キリシタン・バテレンたちの正体は、対日諜報員であり、対日工作員であったのだ。日本をまずキリシタンにしてしまってからキリスト教国の属国として占領してもよく、キリスト教国の属国として占領してからキリスト教化してもよかったのである。

 以前、アメリカ・ミッションから差遣されていた宣教師たちが帰米するたび、まず軍の関係機関に立ち寄って報告を終えてからそれぞれの地に帰ったという話を、留学を終えて帰国した日本人神学生に聞かされていた。

 ☆  ☆  ☆

 次に続く。





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Last updated  2014年01月15日 13時55分56秒
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