シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年01月24日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 いつも訪問させて頂いている播州武侯祠遍照院さまのブログで、「黄金の金玉を知らないか?」さまが説く「カオナシ君」というのを知って、マスゴミらの洗脳の強さに驚いてしまった!

 この「カオナシ君」を、簡単にいえば「自分の人生を生きていない」人のことである。つまり没個性ということである。

 以前、シュタイナーの話と絡めて、都市圏の砂糖消費量の少なさから、都市圏の没個性を論じ紹介した。そのときにわかったことは、都市圏ほど没個性で、洗脳されやすく、マスゴミなどが流す出鱈目のゴミ情報に振り回されやすいということである。

 そして、その対極にあるのが、自作自農の独立意識で、例えば、砂糖消費量の多い長野県なのである。

 都市にいれば、カネを出せば、生活に必要なものを代わりに代行してくれるが、その代わりカネをかせがないといけない。要するにカネの奴隷となる。逆に、田舎にいけばいくほど、独立して生活するので、生きていくには自分自身でなんでもやるしかなくなるわけである。

 そうだから簡略化し、逆説的にいうと、都市ではカネの稼ぎ方でしか個性を見つけられないが、田舎では自然に沿って、独立の道は多様に用意され、様々な生き方が個性となるわけである。勿論、昔から分業体制になっている田舎もなくはないが、生活が不便である意味で、個性化の余地がある。

 面白いことは、「黄金の金玉を知らないか?」さまのブログで紹介されている「カオナシ君」は、東京から長野にきたというところにある。没個性の土地から、個性の土地にきたわけである。個性の土地では個性が当たり前なので、没個性の人が来ても、帰れといわれるのがオチなのだ! 

 個性とは、誰それに伝授するものではない。遺伝として既に備わっているもので、それに気づくか気づかないかの問題である。それでも土地の風習からくる砂糖消費量が多くなるかもしれないので、少しは気づくかもしれないが…。

 個性とは自分でみつけるもので、他者から与えられるものではない、ましてや、カネなどで、買えるものではない。どんな人も生まれながらにして自己意識をもつように、個性はうまれながらにして見についているものなのである。



 個性とは、自分でしか発見できないことを発見することである。

 まず、自分が羨む金持ちや美形にもし自分がなったことを想像してみればよい。それはただ仮面を被っただけで、もって生まれてきた個性を生かすことではないことに気づくはずだ!

 とどのつまり、自己否定なのである。自己否定から生じるものは、結局、自己否定に終わることに気づいていない。願望どおりの金持ち、美形でいるうちは満足かもしれないが、例えば、金持ちでなくなれば、人生は終わりであり、美形でなくなれば、人生は終わりと否定する余地を生じさせるだけなのである。

 なにより人生は、個性を生かすかどうかで自由に生きることができるのに、取るに足らない願望から生じる拘りで、もって生まれた個性を制限し、全否定してしまうことになる。

 そういう人には、金持ちでなければ、美形でなければ、人生を生きる意味はないのか?という質問を浴びせたい。生きることを容易く考えてもらっては困る。

 ゴキブリだって、ネズミだって、美形でもないのに、一生懸命生きているではないか、そんな考えこそ、不幸の元凶の何者でもない。

 そもそも個性を他者に求めるのが間違っている。あらためて考えてみると、職業柄、「カオナシ君」といわれる没個性の人物によく遭遇することがある。特に若者は流行を追いがちなので、没個性なところがある。

 「自分が何になったらよいのかわからない」といった発言はその典型である。少しでも親の社会的な暮らしを観察してきたら、そんな発言は出ないはずである。このような発言は大体が親任せの苦労知らずに多い。子供を育てるのにどれだけ労力がかかっているのか、考えてみればよい。

 そういう奴には、「何になったらいいのかは、苦労してみて、その苦労が嫌かどうかでわかるだろう」といってやる。

 しかし、得意なものがない限りは、嫌だからといって避けることはできない。最低限、生活に関わる苦労は避けることができないからである。魚が水の外では生きていけないのと同じだ。だから、自分でなんでもやってみないかぎりは、何が向いているかどうかなんてわかるわけがないだろう。

 学校では習わなかったという言い訳をするアホにもよく出くわす。学校で教わることが全てではない。そういう考えをもつから、学校で習う出鱈目に洗脳されてしまうのである。学校で習うことなど、ほんの一部の最低限度にすぎない。勿論、出鱈目もある。



 このような基本を理解していないので、このようなアホ馬鹿は、すぐに答えを聞こうとする。それでは勉強法ではなく、暗記法を習っていることになるではないか? 馬鹿か!

 そのまま大人になると、自分の人生のことを、他者に聞いたり、問題が生じると、自分で解決せずに、すぐに専門家に聞いて暗記し、洗脳されてしまい、他者の意見の奴隷となり、自分の人生を生きるという自覚がなくなってしまうわけである。

 例えば、呆れるのは、哲学(この言葉も問題だが)が、難しい問いを考え出すことだと錯覚している者までいる始末である。哲学は、問いを発することではなく、自分で解決すること、自分なりの回答をみつけることに重点がある。個性の発見である。


 このように没個性人間が都会には増殖中で、そのような没個性が都知事選でアホ候補に自分なりの何の考えももたずに投票するから、カネの奴隷になり、自分の人生を生きずに、生活がどんどん苦しくなったと嘆くのである。



 ☆  ☆  ☆

 カオナシ君がやってくる 2
http://golden-tamatama.com/blog-entry-1351.html

 さて、これは1年以上も前の話なのですが。

 まぁ、どこの団体でもあることかもしれませんが。

 いろんな人に会うと、 時々困ったちゃんが来ることがあります 。

 ワタスが良く言うカオナシ君というか、逆さ人間というか。

 以前、こんな記事を書いていました。

カオナシ君がやってくる

 カオナシ君とは、自分の心の羅針盤がすっかりぶっ壊されて本来の顔がなくなってしまった人です。そう言う人が時々来るのです。

 ワタスのブログを見て長野まで来るぐらいなので、陰謀論や現代社会批判は大変詳しい。スピリチュアルだの陰謀だの言ってるのですが、実は、現代社会を批判して抜け出たようでいてまったく抜けきってない。

 長野くんだりまで来て、また現代社会とまったく同じ道を歩もうとする人がいます。何かピラミッド的な組織を作って自分達が上に立ちたいという人達でした。

 おいおい。
 こんな限界集落に来て発展も何もないでしょう。
 北海道の夕張市に行って発展したいと言ってるようなもんでしょ。
 おバカな価値観を追い求めたければ東京に戻りなさいよ。

 ったく。
 可哀想に。。
 ワタスは、そう言う人を見ると早く治って欲しいと願うのですた。

 ワタスが言うカオナシ君とか逆さ人間とはどういう人達を言うのか。

 オウム真理教の例を出して、作家の上野千鶴子さんが面白いことを言っていますた。
一部、引用します。(リンク先で参照してください。一部抜粋)

他人ではなく自分が自分を評価して生きる新しい時代

『サヨナラ、学校化社会』 上野千鶴子著  太郎次郎社エディタス
http://golden-tamatama.com/blog-entry-1351.html

 自分の人生に最後に評価をくだすのは、親でも先生でも他人でもありません。
自分が死ぬときには、親も先生もこの世にはいない。自分の人生に「ああおもしろかった」「生きてきてよかった」と言えるのは自分だけなのです。だったら、自分が一番納得できる生き方をしてみようではありませんか。

 自分が好きなことだけやった結果を第三者が評価しようがしまいが、自分が好きなことだけやって生きてこれたのならそれでOKではありませんか。人に言われたことばかりやって人に頭を撫でてもらう生き方と、人に言われないことを好きなようにやって、自分で「ああおもしろかった」と言える生き方とどちらがいいかなのです。

 今の若者たちは、二言目には「好きなことが見つからない」と言います。

 しかし親や教師に言われる通りのことをやっているときに感じる違和感の中に、自分がやりたいことのヒントがあるのです。ただそれに確信が持てず、自信がない。誰もそれをサポートしてくれないし、逆に水を浴びせたりする。若者の「好きなことがわからない」を額面どおりに受け取ってもいいかどうかは疑問です。

 ある有名校で講演したときに、ある男子高校生が「僕はつまらない学校教育を受けてきたことが、上野さんのお話でよくわかりました。こんなつまらない教育を18年受けてきた僕らは、これからどうしたらいいのだろう」と先生方の前で堂々と発言したのです。私は、「君がそう思ったその時、君はすでにそこから脱しているのだから、これまでの取り返しはいつでもできるよ」と答えました。

本当に好きかどうかはやってみないとわからないでしょう。

 やってみて失敗したら、やり直せばいい。それだけのことです。そうやっているうちに、自分はこれしかできないとわかることがあるでしょう。その時は、その道一筋でやって行けばいい。それでも、あれも好き、これもやりたいと気が多かったら、あれもこれもやったらいい。食うためには食うための仕事を必要なだけやればいい。そのためには人さまに役に立つスキルの1つや2つは身につけておいてもいい。

 大事なことは、いま自分にとって何が快いか、キモチいいかという感覚を鈍らせないことです。それこそが「生きる力」なのですから。

 いみじくも上野千鶴子さんが言うように。

 東京からやってくる逆さ人間さん達。

 別にそういう方々を責めるつもりは毛頭ない。

 そういう人達は、学校的価値観の被害者だからです。

 (確かに学校にも問題はあるが、学校のせいにするのも没個性的意見)

 決してあなたが悪い訳じゃない。

 (中略) 

 あるがままに。
 なすがままに。

 疎開村は大きくなんかならない。
 どちらかというと、はかなく弱い存在であり続ける。

 花はそこにそっと咲いて、励ましてくれる。
 やさしすぎて誰も気づかない。

 我々は、その波動を広める。
 その波動の源になる。
 絶対に、この狂った現代社会に飲み込まれたりはしない。
 そして一番尊いものは何なのか、多くの人達が気づいてくれるのを待つ。

 本当にありがとうございますた。

 これは80年代のヒット曲 シャーリーンさんのI've Never Been to Meです。

 そして誰もが羨むような幸せを手に入れたけど本当の私がみつからないの 

 ☆  ☆  ☆

 つまらない、出鱈目を習ったからといって、無駄にはなりませんし、むしろ、そのことに気づくということが重要なのです。教師が「つまらない」といったのを、「つまらない」と受け取る感性こそ、「つまらない」のです。

 「先生はそういったけど、自分はどうだろうか?」と思うのが、明日をつくる学生の個性なんです。





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Last updated  2014年01月24日 13時48分02秒
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