シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年02月03日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回は、世間でいう「ゆとり教育」と「詰め込み教育」をオカルトから考察し、シュタイナーの話を紹介した。

 シュタイナーは、教育とは自己教育でしかありえない、とも述べているが、キリストが説く無償の愛とは、完全に独立し、自立した自己意識でないとありえないのだから、とどのつまり、自分で自分を教育するしかないのである。

 例えば、現代人は、食物を食べないと生きていけないから、ある意味、食物の奴隷であり、食物をつくるのをカネで買わないといけないから、カネの奴隷となっているわけで、逆説的にいえば、カネで買う分、自立生活をどんどん切り離し、何も自分でできない怠惰を生んでいることになる。

 このことは、電卓を使えば、暗算できなくなり、ワープロを使うことで、漢字がかけなくなることでわかる。何かに頼る分、どんどん馬鹿になる。このままいくと、自分の人生も他者に委ねるカオナシ君になってしまう。

 教育とは、本来これとは逆に、カネがなくても生きていけ、食物を食べなくても生きていけるように、人間を環境から独立させることだから、この現代人の怠惰な流れとは逆向きになるはずである。

 このまま進むと、カオナシ君のように、人間はますます自立できなくなり、現代教育は、現代教育自身を否定し続け、分離することで、生き残ろうとする傾向になる。つまり、現代教育とは、無駄だとわかっていることを、わざわざ無駄と否定するために行なうクダラナイ代物になっていくのである。

 このことは予算消化のためだけの公共事業をやっている土木会社をみればわかる。原発再稼動も同じで、国から独立できない無駄な事業だから、国家の財政に寄生しようとする。

 さて、このような怠惰な方向とは逆に進むために、前回のシュタイナーの話を続ける。

 ☆  ☆  ☆

古代の太陽観

 現代の物理学者や天文学者は、地球から約2千マイル離れたところに巨大なガス体(太陽)があり、さながら、それは燃焼している宇宙の巨大なガス・コンロのように思い込んでいる。

 このガス・コンロは壁の前に置かれていないので、あらゆる方向に、光と熱を放射している。これが現代人の唯一の太陽観である。

 けれども次のことを考えてみてほしい。

 地球上で、我々は、光に包まれて立っている。周囲の至る空間から光がやってくるが、その光をそのまま反射するような鏡はどこにもない。光は進めば、どこからも戻ってこないので、光がどこかに進んでしまった空間は完全な闇になり、何も見えない完全な闇になるはずである。

 光が進んでしまった空間は、完全な闇になるはずである。光がどこかで捉えられ、反射し戻ってこなければ、全くの闇になるはずである。

 だから古き良き時代には、天上には、巨大なガス・コンロがあるなどとは思わず、そこには空虚な空間、というより、空間にならない空間があり、いわゆる負の空間になっている、ということを知っていた。

 今日の物理学者が太陽のところまで出かけていったら、きっと吃驚仰天するだろう。巨大なガス球があると思っていた場所には、そんなものはなく、想定された通常の空間もなく、空間が抜き取られたような空間の吸収力が働いているからである。

 空間がスッポリ抜かれた領域が存在する。空間が至る所にあれば、負の空間、マイナスの空間もある。ただその際、「通常の空間よりもマイナスである」という言葉を具体的にイメージしほしい。一文なしの状態よりも、更にマイナスな状態、つまり借金している状態のようにイメージして欲しい。

 しかし空間は一定の境界をもつので、負の空間が宇宙の光を捉えると、光を通過させずに、そこで光の反射を受けるので、そこで、眼に見える太陽となって現われる。その負の空間の至る場所に光が現われる。

 太陽という存在は、光を反射する存在であり、光を至る処へ向けて放射する反射機関なのである。

 宇宙の光は古代ギリシア人の考え方によれば、その起源を黄道の獣帯よりも更に遠い領域にもっている。それは遥かな宇宙の果てから来る。我々の空間(3次元)の延長上からではない。



 太陽が自我と結びつくのは、太陽が空間よりもマイナスの存在であり、空虚な空間よりも更に空虚であり、太陽の存在する領域では、全物質が存在をやめて、霊性が吐き出されるからである。

 だから古代ギリシア人は、存在全体を霊的に理解していた故に、自我を太陽と身近に感じた。

 西暦6世紀まで、特に4世紀中葉までは、西洋の人びとは天を見上げれば、霊界へ参入できるという、生き生きとした感情を持っていた。だから、人智学で、惑星について述べるときは、眼に見える物質的な惑星ではなく、天使、つまりヒエラルキアの存在のことである。

 つまり惑星をつき動かす存在のことで、この霊性を生き生きとイメージできれば、この世の自分を、人間としては、これまでとは全く別様にイメージできるはずである。(14歳からのシュタイナー教育 P154-P155)

新しい建築様式への道

馬は透視能力なしには人間を観ることができない

 人間が、この世界を見ているように、動物も-高等動物もまた-同じように見ていると信ずるのは無意味である。この点については、現代人は正しいことを全く理解できないでいる。

 例えば、現代人が、馬の傍に立つとき、彼が馬を見るのと全く同じように馬も彼を見ていると信じている。馬が眼を持つからといって、人間が馬を見るように馬も人間を見ていると信ずることは、現代人にとってはごく当たり前な思い込みである。

 しかし、やはりそれは馬鹿げた間違いである。というのは、人間は透視能力なしには天使を観ることができないが、同様に馬も透視能力なしには人間を観ることができないからである。

 というのも、馬から観える人間は、単なる物質存在ではなく、精神存在として映るからである。馬はある特定の透視能力に恵まれているが故に、馬にとっては天使にあたるような人間を知覚できる。

 (馬は人間のこころをみているようである。)

 馬が人間の中に観るものは、人間が馬の中に見るものとは全く別物であり、歩き回る人間は高等動物にとっては、まさしく幽霊のような存在なのである。もしいつか動物が固有の言葉で、現代人が、今日の動物に叫ばせる《語らせる》ようにではなく、語ることができたなら、動物は人間を自分たちと同等の存在と看做すことは決してなく、自分たちよりも高等で、霊的な存在と看做すことを人間はきっと理解するだろう。

 自らの肉体が血と肉から成り立つと動物たちが考えたとしても、彼らは決して人間を血と肉から成り立つとは考えないだろう。(P214)

民族魂の使命

民族とは何か

 民族とは、ある一柱の大天使によって導かれる人々のグループのことである。民族の成員の各々は、民族の一員としてなにをおこなうべきかについて、大天使から霊感を得る。地上の人間が各々異なっているように、個々の民族霊はそれぞれ異なっている。

 (人間が馬のもつ透視能力をもつと、民族霊がみえるそうである。)

 様々な民族グループの各々のなかに、アルヒアンゲロイ〔大天使〕は個的な使命をもっていることがわかる。世界史のなかで民族が民族に続き、また民族が民族に並んでいることを霊的に解き明かすと、民族に生起する出来事全てが、その霊(大天使)から霊感を受け取っていることを、少なくとも抽象的な形でイメージできる。(P26-P27)

 (馬が透視能力をもつのは、馬の種全体の霊から霊感を受け取るためである。)

民族のオーラと土地のオーラ

 地表の様子は、地域によって異なっている。地上の様々な場所に、民族の特徴や個性を発展させる様々な条件が与えられている。その地方の気候や、植物相、水質などが、その他の自然環境などとならんで、民族の特性や特質などに現われる決定的な要因となる、と唯物論者は説明する。

 物質思考や唯物論者が上記のように説明するのに驚く必要はない。物質界での意識は、目に見えるものしか認識できないからである。霊視力をもつ意識にとっては、これとは全く異なって観える。

 霊視力の認識をもって、地上の様々な地域を歩きまわると、それらの土地の植物の物質形姿や岩石の配列のなかに、その地域について知り得る情報全てが含まれていないことがわかる。

 唯物論的な思考の持ち主にもわかりやすく、その地方独特のニュアンスや、その地域のオーラについて抽象的に語るなら、霊視から、それぞれの地域に独特の霊の雲の姿、その地域独特のエーテルのオーラが映る。

 スイス、イタリア、ノルウェー、デンマーク、ドイツなどで、そのエーテル-オーラは、全く異なったものになっている。人間各自が独自のエーテル体を持つように、地上のそれぞれの地域は独自のエーテル-オーラをもっていることがわかる。

 このエーテル-オーラは、人間のエーテル体のオーラとは本質的に異なっている。人間のエーテル-オーラは、人間が生きている間、すなわち生まれてから死ぬまでの間だけ、その人間に結びついている。

 人間のエーテル-オーラは物質体に結びつき、人間が知性、道徳性などに関して進歩を遂げることでのみ変化していく。人間のエーテル-オーラは、内面から変化していく。内面から輝くものを取り入れる。

様々な地域に知覚されるエーテル-オーラは異なっている。その地方のエーテル-オーラには、確かに基調があり、長い間持続するが、このエーテル-オーラのなかには、素早い変化も観られる。

 人間のエーテル体のオーラは内面からゆっくりと変化するが、土地のオーラには素早い変化も観られる。これが、土地のエーテル-オーラと人間のエーテル-オーラとの違いで、様々な地方のオーラは、人類の歴史のなかで、民族が土地を捨て、他の場所に移住すると変化する。

 土地のエーテル-オーラの在り方は、その土地から発するだけでなく、どのような民族がその土地に居を定めるかにもよる、という特徴がある。

 人間の運命の真相を追究するなら、その地域のエーテル-オーラの絡み合いを追究すべきである。民族移動の頃のヨーロッパのエーテル-オーラは、いまとは非常に異なっていた。このことから、土地のエーテル-オーラが変化することが、わかるだろう。

 ある地域のエーテル-オーラは突然変化し得るもので、その変化はある意味、外からもたらされ得る。ある地域のエーテル-オーラは、その土地に由来するものと、民族の移動によってもたらされるものとの合流なのである。(P35-P37)

 様々な地方のオーラは人類の歴史のなかで、民族が土地を捨て、他の場所に移住すると変化する。土地のエーテル・オーラの在り方は、その土地から発するだけでなく、どのような民族がその土地に居を定めるかにもよる、という特徴がある。P36-P37

民族は枝分かれすることがある

 ドイツ民族と共通の基盤を持っていたオランダ民族が分離したのは、そのような事情からでした。オランダとドイツは本来、共通の大天使をもっていた。(P69)またスペイン民族とポルトガル民族は、1つの民族を形成していた。(P70)

地球の力

 アフリカでは、地球の力が幼年期の特徴を表現し、アジアでは、地球の力が青年期の特徴を表現し、ヨーロッパでは、地球の力は熟年の特徴を表現している。これは1つの法則である。

 人間は輪廻転生をとおして、様々な人種に受肉していくので、誰かがヨーロッパ人は黒人や黄色人種よりも優れているというような異説を唱えようとも、実際は、そのような差は存在しない。(P87)

 ヨーロッパ人が侵入してきたのでインディアンは滅びたのではなく、インディアンは死へと導く力を受け取らねばならなかったので滅びた。(P88)

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2014年02月04日 09時01分25秒
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