シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年02月04日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 これまでシュタイナーの話から、自我(自己意識)の発展について紹介してきたが、ではシュタイナーは、どのような未来社会の理想を思い描いていたのか?

 以下に紹介していきたい。

 ☆  ☆  ☆

社会の未来

社会生命体の三分節化の基本理念(改変)

 生活上の精神と法と経済の理想的形態は、これまで厳格に統一国家として形成されてきた無機的な社会を三分節化した有機的な社会生命体に変えるときにのみ実現できる。

 法治国家に必要な制度全般(行政、司法)は民主議会の中で管理されるべきである。これに反し、精神活動全般は、この政治、法律の(行政、司法、立法)組織から切り離され、自由に自主的に管理されるべきである。他方、経済活動も政治組織から切り離され、独自の形態や条件から、実用知識と専門能力に基づいて自主的に管理されるべきである。

 (民主議会圏と、精神活動圏と、経済活動圏にわけるべきという。シュタイナーはそれぞれを人体の胸部、頭部、腹部と四肢にあてはめて解説している。)

 今日の主題に移る前に、まず序論として、社会生命体の三分節化の基本理念を要約して述べる。以前、人間社会の生活上の要求が三つの基本要素から生じていること、つまり、社会問題が、国家=法律=政治問題、精神問題、経済問題の三つから成り立っていることを説明した。



 このことが十分に深く理解できれば、未来の社会の中では、公共の生命としての社会生命体が、政治=国家=法律関係の自主管理、公共の精神(特に教育制度における)の自主的な精神管理、そして経済の完全に自主的な管理の3つに分節化されざるをえないことがわかる。

 現在は国家という唯一の管理体制が生活上の、この三要素を統合している。だから今日、社会の三分節化について語ると、即座に誤解が生じてしまい、次のように言われる。

 「生活上の法律、国家、政治の自主管理や、精神のための自主管理や、経済のための自主管理を要求するのは、民主議会と文化議会と経済議会という三つの議会を求めるのと同じだ!」

 もし上記のように言われるなら、社会生命体の三分節化の理念を全然理解していないことになる。この三分節化の理念は、近代の人類社会の発展経緯の中で、歴史的に生じた様々な要求を真剣に受けとめようとしている。そして、その様々な要求を、-既にスローガンにもなっているが-三つの言葉に要約できる。

 しかしスローガンで、現実を表わそうとする場合には、これら三つの言葉の中に、歴史的にも、正しい認識が含まれている必要がある。その三つの言葉とは、自由への意識であり、民主主義への意識であり、そして社会共同体を形成しようとする意識である。

 この三つの要求を真剣に受け止めるならば、それら三つの要求を唯一の管理体制の中に1つにまとめて押し込めるわけにはいかない。というのも、そうするなら、必ず一方が他方を妨害せざるをえなくなるからである。

 例えば、民主主義を生活上の全分野に適用しようする人は、次のように主張するだろう。

 「国民議会や国民投票の中で成立する民主主義において、ある成人が別の成人と同等の地位に立って、決定を下すことができる。民主主義の地盤の上では、成人した個人の判断によって、どんなことでも決定することができる。」

 この主張に対し、社会生命体の三分節化の立場から、次のように反論できる。

 「確かに、それぞれの成人が、生活の上で、それぞれの民主的な意識から同等に発言するように求められる分野がある。すなわち法律、国家、政治の分野であるが、民主主義を真に尊重し、法律、国家、政治の分野を完全に民主化するなら、他の精神や経済の分野を、その民主的な管理体制の中に組み入れてはならないのではないか。」

 民主的な管理を行なうには何らかの議会が必要になるが、そのような民主議会が精神や教育活動をも含む分野の項目を決定することは許されないのではないか。後に詳しく取り上げるつもりだが、今回は導入として、次の点を指摘するだけにしておく。



 特に公共の場や学校他の教育施設においては、自主性が求められる。何をどのように教えるかは、国の命令によって決定されるべきではない。実際に教育に携わっている人たちが、教育活動そのものの管理者であるべきである。

 言い換えれば、小学校低学年から高等教育に到るまで、教師は何をいかに教えるべきかについて、政治的、経済的な権力から独立し、自主的に決定する必要がある。教育内容については政治とは独立した精神組織内部で決める事項である。

 そして教育活動全体、更には生活上の精神分野の共同管理者にもなれる時間を残せるように、個々の教育者は授業時間を配分すべきである。

 後の講義で、生活上の精神に関わる自主性について、個人の精神を全く新しい基盤の上に置く必要があることを述べたい。また偏見が行き亘っている今日、とても信じられないことだが、次の事項が可能となる必要があることも明らかにしたい。

 精神の自主性を通して、個人の精神は、国家や特に経済についても実りある働きかけを行うことができるようになる、ということである。自主的な精神だけが、灰色の理論や世間知らずの学者的な観点から離れ、実際の精神の中に働きかけ、経済にも役立ち得るような認識を与えてくれるからである。



共同利益社会(改変)

 古い権力社会が交換社会に移行したように、今日では進化の深奥から来る意識が、この交換社会を特に経済の地盤の上で、新しい社会に変えようとしている。

 というのは交換社会は、次第に精神を社会規律の中に取り込んできたことで、自由な精神を不自由にし、自由な精神活動を社会から疎外し、そして社会そのものを単なる機械仕掛けの経済社会にしてしまったからである。

 たとえ過激な社会主義者が、そのような単なる機械仕掛けの経済社会をむしろ求めているとしても、今日の人類の極めて強い内的な意識は、交換社会を特に経済の領域で、共同利益社会と名づけられる社会へと移行させようとしている。

 この名称には納得いかないところもあるが、新しい事態に対しての名称である。新しい事態に対しては、一般に適切な名称を日常語の中から見つけ出すのが困難だが、ともかく交換経済は共同利益社会へ移行しなければならない。 

 現代では個人の生活圏が益々地球上に広がり、それと共に事態が益々多様化して現われるようになった。狭い地域内での経済であった古い国民経済に代わって、世界経済の時代になると、ほとんど全ての文明社会では、地球の別の場所で生産されたものを消費するようになる。

 しかしそうなっても、人間の理念や魂の基調は、この世界的な要求には追いつけず、世界経済を可能にする様々な制度に従って、世界経済を運営するのに人びとは大わらわになっている。

 それでは世界経済はどのような条件の下でなら可能なのか?

 -以前の講義で述べたように、人々が未来へ向けて新しい社会秩序を形成する必要を理解したとき、つまり古い暴力利益社会や現在の交換利益社会の代わりに、共同利益社会を形成する必要を理解したとき、はじめてその可能性が見えてくる。

 (中略)

 この共同利益社会という、未来の国家が求めるであろう社会形態は、国際問題との関わりとは、どのような関係をもつべきなのか? 経済との関係から国際問題はどうあるべきなのか?

 いまわかることは、世界は世界経済を求めているのに、その世界経済の中で個々の国民国家が個々別々に分かれて存在しているということである。

 個々の国民国家はそれぞれの歴史的な成立条件の相違を別にすれば、一緒に生活している人々の利己主義から生じてくるものにより、ともかくも団結を見せている。最も高貴な民族性の表現である文芸、芸術他の中にさえも、利己主義から生じてくる想像力があり、それが様々な民族の集団を結びつけている。

 さて、この様々な民族の集団が、世界経済の全領域の中に入り込む。それは19世紀の間に益々強力に入り込み、そして20世紀初頭にその頂点に達した。言い換えれば、かつての古い暴力社会を想わせる色々な利害関係がこれまでの国家間を支配していたが、次第に交換社会の原則が国際社会の中で優勢になり、20世紀の初頭にその最盛期を迎えた。

 他国に商品を提供したり、他国から商品を受容したりする各々の国家の生産活動、消費活動全般は、各々の国家の利己主義によってきめられ、各々の国家の利害関係だけによって支配されてきた。国家の相互関係はもっぱら通商の原則だけによってきめられてきた。それは商品の循環に関する交換社会の支配原則に従っていた。

 しかし現在、単なる交換社会の原則だけではどうにもならない段階まで来てしまった。そして「何とかしなければならなくなった」ことが、今度の(第一次)世界大戦の破局を惹き起こした主因だった。

 後から次第に明らかになってきたのは、世界経済が求められている一方で、世界経済に関わる各々の国家が世界経済を促進しようとはせず、関税他によって門戸を閉ざし、世界経済の成果を自分だけのために利用しようとしてきたことだった。このことが(第一次)世界大戦の破局を招いた。たしかに別の要因も働いていたが、破局を招いた主因は、このことだった。

 単なる交換社会の原則とは異なる原則に従って、広範囲に亘る経済行為を行えるようにすることが、国際社会にとっては何よりも必要である。

 共同利益社会においては、個人が経済の全領域、商品の消費と生産と循環とに関心をもって働くことが必要になるが、各々の国家にも他国に対する真実の関心をもとうとする意識が働かなければならない。

 民族間に「偶然の市場」に似たものを形成するのではなく、民族相互の真に内的な理解を育成することが大切である。

 (中略)

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2014年02月04日 16時06分17秒
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