シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年02月12日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 ニセモノの宗教家が巷を徘徊しているので、病や死や悪だなんだと騒がしく差別している。そもそも差別こそ、唯物論の賜物であろう。

 そもそも宇宙をつくっているのが神様であるなら、神様が愛する人間に悪いものなど与えるはずがないではないか?

 巷の似非宗教家は、この肝心な問いを忘れてしまっている。

 つまり、この観点から、親鸞の悪人正機説なるものが生まれるが、世間に流れている親鸞のこの説も悪人と区別してしまっている点でまだ不足である。

 悪とは何ぞやといえば、不十分な善である、というのが恐らくその応えだろう。

 善に足るのに不足だから悪といわれる。悪と善の区別ほど困難なものはない。

 しかし、善にはこれだといえるものがないから、果てしなく向上していかねばならない。善は留まりを知らないから、善といっても、それは善の不足分にしか観えてこないから、本質的には善も悪に帰してしまう。

 だから、善くなろうとする悪が、善の要素の1つである、と親鸞が覚ったにすぎない。

 「お前、善人ぶるのもいい加減にしろ!(悪人のくせして)」という意味である。そもそも善くなろうとしている奴が、自分が善だということを表明などしないはずである。善に足らない悪だからこそ、善になるにはどうするか知るわけである。はじめから善といえば、偽善で嘘つきである。



 その不足分の悪をみて、「正直に白状するが、実は俺もそうなんだ。なんとかなおそうと努力しているつもり」と覚らない奴は能無しで、「はよ死んでまえ」ということである。そういうわけで、巷で善人という奴ほど信用できないわけなんである。

 つまり、巷では、ウイルスが悪だ、病気が悪だなんだとのたまうが、いまの自分に相応しいからこそ、神様が与えてくださっているわけで、お前の生活の仕方や生き方が、ウイルスと同じだぞ、病気のようなもんだと、教えてくださっているわけで、差別し、避けるのは偽善なんである。

 だから、善くなる有り難いチャンスなんである。何事も反省というわけである。

 そういうわけで、そのようなシュタイナーの話を紹介する。

 ☆  ☆  ☆

輪廻転生とカルマ

アルファの神とオメガの神(改変)

 仏陀、ゾロアスター、ピタゴラスの間には普遍的な関係が存在する。世界に影響を与えるのがその関係性からくる霊力や事実だからである。霊的に発達した人物は共同で働く。彼らは無駄に同時代に生まれるのではない。

 人類の進化を前進させる偉大な意識力は交じり合って相互に働く。

 ゾロアスターはゴルゴタの出来事を通じて、人間が実現すべき見本を指して、将来、人間自らが、内面の(精神)霊力を通じて、進化の歩みを前方に向け、益々進化し、神界に参入できるようになることを説いた。

 同じ頃、仏陀は、霊界が存在し、霊界に比べて、感覚(物質)界はマーヤー(幻想)であり、地上の存在としての渇き(欲望;アーリマン)が目覚める前に、汝らが元々いた世界へと歩みを向ければ、神のなかで魂が安らぎ、涅槃に参入できることを説いた。



 仏陀は「後方に歩めば魂は神に会う」と語り、ゾロアスターは「前方に歩めば魂は神に会う」と語る違いがある。

 神はアルファ(前方)に探究しても、オメガ(後方)に探究しても出会う。前方に向かって歩んでも、後方に向かって歩んでも、神に到達するのである。

 (三次元では、前方と後方は異なるが、四次元では、同一になるから。)

 いずれにしろ、人間の内面の(認識)力を高めることで神をみつけるしかない。アルファ(後方)の神を見つけるのに必要な力は、人間の奥深くに眠る原初の(意識)力で、オメガ(前方)の神を見つけるのに必要な力は、人間自らが、地上で獲得しなければならない。

 だから、アルファ(後方)に戻るか、オメガ(前方)に進むかでは、地上での人生は異なったものになるが、霊界に参入し、神をみつけるという意味では、後方でも、前方でも同じである。



地球紀到達以前、キリストは各民族からどう呼ばれていたか(改変)

 キリストという存在は、秘儀のなかでは御馴染みだった。古代インドの七人の神仙たちはキリストをヴィシュヴァ・カルマン(毘首羯磨)[びっしゅかつま]と呼んでいた。ゾロアスターはキリストをアフラ・マズダ(「巨大な(マズダ)オーラ(アフラ)」という意味)と名づけた。

 エジプトではキリストはオシリスと呼ばれた。ユダヤ民族はキリストをヤハウエと呼んだ。そして、第四文化期(古代ギリシア-ローマ文明)に、この存在は3年間地上に生きた。この存在は将来、再び太陽を、地球と結合させる。

 (シュタイナーの霊視によれば、キリストは、イエス「30歳のとき」へのヨハネの洗礼のときに、受肉し、3年間活動し、十字架刑で、地球霊と一体化したという。イエスの霊は、キリストの霊に席を譲るために、身を捧げたという。)

 この救世主の傷口から血がゴルゴタの丘に流れたとき、キリストは神秘的に地球と結合した。そのとき、キリストは地球のオーラのなかに出現した。それ以来、キリストを、地球のオーラのなかに観ることができる。

 最初に地球のオーラのなかにキリストを観たのは誰なのか?

 キリスト教の拡大に大きな貢献をしたパウロである。どのようにしてサウロはパウロになったのか?

 教義でもなく、パレスチナでの出来事でもなく、ダマスカスでの超感覚(霊視)的な出来事により(サウロは)パウロになった。それまでは、彼は十字架上で屈辱的な死を遂げた者がキリストであると信じることができなかった。

 しかし、秘儀参入者でもあった彼は、キリストが地上に現われたとき、地球のオーラのなかに観えるようになる、というカバラ(生命の樹)の教えを知っていた。そして、ダマスカスでの出来事がパウロの体験となった。(P118)

キリストの再来(改変)

 紀元前3101年に始まった暗黒時代は、1899年に既に終わった。この時以来、唯物論の科学にはまだ知られていないある能力(霊能力)が次第に発達しはじめている。20世紀では、わずかながら人類の一部には、新しい魂の能力が次第に発達してきている。

 例えば、20世紀のうちに、人間のエーテル体を知覚する者も出てくる。例えば他にも、これから自分がおこなうとする行為のイメージを、自分の内面を見たときに、夢のように、予め見るような能力なども現われてくる。

 (予知夢のこと。)

 また特別に霊能の素質のある人は、更にもっと他の体験もするだろう。パウロがしたダマスカスの途上での体験のように、それが多くの人々にとって、将来、通常の体験になるだろう。

 (自我の根底で、キリストの出来事として既に生じたので、後々に人類一人一人に遅かれ早かれ現われてくる。)

 そのようなことが20世紀に起こる意味は、以下である。

 パウロは、パレスチナで起こった出来事を全て知っていたが、その事件はサウロをパウロに変えることはなかった。彼は、ナザレの男のなかにキリストが生きたことを納得できない魂のもち主だった。ダマスカスでの出来事により初めて、「キリストが現存する」ことを、彼の霊視による意識から認識できた。

 20世紀にダマスカスの事件を体験する人は、キリストについての直観(霊視)力を獲得し、キリストを認識するために、文献などに頼る必要がなくなる。今日、秘儀参入者だけがもつ霊視力を持つようになる。

 今日、秘儀参入の手段を用いて得られる能力が、将来の人類が通常もつ能力になる。このような霊能力を獲得した魂、つまり体験をもつ魂は、神秘学において、「キリストの再来(再認識)」と呼ばれている。

 キリストが肉体に再び受肉するのではない。ダマスカスへの途上でパウロに、キリストが現われたのと同じように、将来の人類の各自のエーテル体のなかに現われる。

 (ルシファーによって)人類が物質界に限定されたとき、キリストは物質界に受肉した。

 今日、人智学者は「お前の能力が、霊界の扉を開けるために、お前の感覚を変化させよ」という、ヨハネ福音書の言葉の意味を、多くの人に繰り返し説くことができる。

 エーテルの感覚器官による霊視により、多くの人々は、エーテル体の中でキリストを観ることになるだろう。この能力は、いま魂のなかに眠っているが、将来、その能力は発達して、人間の運命は、ある意味、人間自身の掌中にあることが認識できるようになる。

 (善いことを行えば、善い結果が現われ、悪いことを行なえば、悪い結果が現われる、善因善果、悪因悪果がわかるようになる。)

 この能力が現われたとき、この能力が何を意味するのか、を理解することが必要になる。今日のように唯物論に後退することはもはや不可能になる。この能力が現われたとき、すぐにはその能力に注意を払わないどころか、そのような能力を持つ人々は空想家で、病気だと見なすだろう。(P158-159)

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2014年02月13日 14時39分34秒
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