シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年02月25日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 この国の総理は映画か小説に洗脳されているのか、現実感がまったくないようである。

 腹痛で最重要な仕事である国会を休んだ癖に、更に途中で総理の椅子を投げ出した癖に、自衛隊には外国にまでも出て戦えという自分に甘々で他人に厳しい嫌われ者の典型といえる。そんなことを言うなら、腹痛を我慢しても遣り通す根性をみせてみろといいたいが、そんな根性など皆無だろう。

 ホントかどうか定かではないが、日本の諸葛孔明ともいわれる、かの竹中半兵衛が、軍略の講義中に、息子が小便に行きたいと言い出したのを咎めて、なぜ、その場で垂れ流さないのかと叱ったという話がある。その後、軍略の講義に夢中になり、小便を垂れ流したというのが竹中家の美談になることがわからないのか、と説教したそうである。

 まぁ、恐らく作り話だろうが、「小便垂れ流し」といえば、有名なのは、家康の脱糞話で、これは武田信玄に三方ヶ原で攻められたときに、あまりの恐怖で、糞を垂れ流して逃げたという逸話である。この武田の攻めで、徳川家は滅んでいないので、この話も武田方が流した宣伝の類かと思われる。大体、本当の軍略の話は後世にも伝わっていないからこそ、意味をもつわけである。

 戦国時代といっても、戦ばかりしていたわけではなく、平時は現在の企業のCMのように、戦国大名は宣伝機関をもっていたそうである。特に武田軍は、配下に仏教徒を抱えて、隣国に過剰に宣伝しまくったそうで、いまでは信玄の肖像すら明らかになっていない位だから、信玄という人物も虚飾の可能性も大いにありえる。

 信玄は父信虎を追放して家督相続しているが、大体、子が父を追い出すということはいかに秩序が乱れた戦国時代でも、武田と伊達、あと斉藤道三もあるが、義龍は子でないという話もあり、希少例である。あの独立志向の強いといわれた信長だって、父を追放などしていないどころか父の言いなりであった。

 もし、いまのアホが映画や小説になるとしたら、日頃は厳しいことを言いながら、生きるか死ぬかという現場の重大事に、腹痛で逃げ出す上司というか、お笑い草にもならない。大雪で大混乱のときにテンプラ食うのを優先させる位だから、まぁ、この国が舐められるのも当然であろう。脅かせておけば、猫のように言いなりになると外国のならず者らに思われているわけである。

 日頃は威勢のいいことばかり提灯掲げるが、いざとなると我先にと逃げ出すような腰抜けにみえる。腹痛で逃げ出しているんだから前科者である。

 映画や小説に夢中になるのなら、せめて、家康や半兵衛の話のように、小便垂れ流して、脱糞するぐらいの気迫をみせてみろ、といいたい。さて、シュタイナーの話を続ける。



神話の描く世界(改変)

 様々な民族の神話や伝説は、素晴らしい方法でアストラル界の特徴を述べている。いま例えば「岐路にたつヘラクレス」の伝説を取り上げる。

 あるときヘラクレスの前に二人の女性が現れた。一人は美しく魅力的だった。彼女はヘラクレスに、快楽と至福を約束した。もう一人の女性は地味で真面目な様子だった。この女性は困難な仕事と自己犠牲を約束する。

 実は、この二人の女性は悪徳と美徳である。この伝説はヘラクレスのアストラル体のなかに、彼自身の二つの性質が現れたことを物語っている。一方の性質は彼を悪に駆り立て、もう一方の性質は善に駆り立てる。

 そして、この二つの性質がアストラルという鏡像(この世と反対の世界)のなかで、二人の女性の姿として現れた。悪徳は美しく豊満で魅力的に現われ、美徳は醜い姿に現れる。(P25)

 アストラル界では、どのようなイメージも逆に現れる。唯物論の学者は、このような神話や伝説が、民族の語り継ぎから派生した作り話であると主張するが、それは間違いである。また、このような神話や伝説は創作されたものではなく、偉大な秘儀参入者たちが、秘儀参入で得た自分たちの叡智を込めて、このような神話や伝説を作り、人々に伝えたものである。

 様々な神話や伝説、宗教や民衆文学は霊界の謎を解くのに役立ち、秘儀参入者たちの霊感に由来する。(P25-P26)

三つの世界(改変)

 高次の世界の意識から力を受け取り、人間がどこから来て、どこへ行くのかを知り、人間が不可視の世界の創造物であることを知るなら、確かな真実を獲得できる。物質界とは別の二つの世界も知る者だけが、可視の世界を正しく理解できる。

 三つの世界がある。

 一、物質界(人間の活動の舞台)



 三、神界(霊界)

 これら三つの世界は、空間として互いに分離しているのではない。物質界の事物が、人間を取り囲み、それらの事物を、感覚器によって人間は知覚する。しかし、人間が生きている空間のなかに、同時にアストラル界も存在する。

 人間は物質界に生きていると同時に、アストラル界と神界のなかにも生きている。人間がいる場はどこでも三つの世界が併存している。

 アストラル界を、人間は死後になって知ることになる。あるいは、秘儀参入者になれば、現在もアストラル界のなかに生きることになる。アストラル界をみる感覚が開かれた者は、最初、混乱する。そこに現れるのは物質界からは想像つかないものだからである。

 そこでは、多くのことを新たに学ばねばならない。アストラル界は一連の特徴によって性格づけられているが、混乱するのは、なによりも自分の前に現われる事物全てが鏡像のように(正反対に)見えるからである。地上とは全く正反対(アベコベ)にみることに慣れる必要がある。



 例えば、数字を後ろから前へ読む必要がある。3、4、5と数字が並んでいたら、この世では通常は左側から三百四十五と読むが、アストラル界では逆に、五百四十三と読まねばならない。全ては鏡像のように、逆になる。この逆になることを知るのは、非常に重要である。

 例えば、もっと高次の道徳的な事柄にも当てはまる。道徳的な事柄も鏡のなかのように、この世とは正反対にみえる。このことが最初はよく理解できない。(P22-P24)

 (以前、述べたが、この世では妊婦は子を産むが、山姥の伝説のように、あの世では逆になるので、妊婦は子を食べるようにみえる。道徳的に正反対というのは、他者を殴れば、自分が殴られるという意味である。)

邪悪な黒い姿(改変)

 今日多くの人々が邪悪な黒い影のような存在(物質)に囲まれ、脅かされ不安に苛まれるのを嘆いている。多くの人々がこのような現象に襲われているが、このような現象の実体が全くわかっていない。

 その邪悪な黒い影は、アストラル体のなかに生きる自分自身の意識や欲望や情念なのである。この世では、自分の欲望をみることはないが、魂と脳が特別な状態に通じると自分の欲望が目にみえることもある。

 その場合、欲望は鏡像のように現れる。周囲に対象物を見るように、周囲に自身の欲望の鏡像をみる。この世では自分が他者や外に表現する行為全てが、あの世では自分に向かってくるようにみえる。他にも、この世とは逆の現象として時間や出来事が逆の方向(未来から過去)に流れていく。(P24-P25)

 (あの世では、この世での自分のなかの悪「欲望」と戦うことになる。だから巨悪の欲望が強い人ほど、死後、その巨悪と戦う羽目になる。自分のなかで悪魔を育てるなということである。)

二弁のチャクラの象徴としての角「つの」(改変)

 人間が眠ると、アストラル体は、物質体とエーテル体から離れていき、意識を持たなくなる。アストラル体が離れたので、睡眠中の人間は意識を持たないが、疲労した肉体に調和(回復)をもたらす仕事に関わらなくてはならないが、死後のアストラル体はもはやそのような活動をしなくてもよくなる。

 物質体に関わらなくてもよくなった分、睡眠時よりは、アストラル体のなかに意識が目覚める。人間が生きている間、昼間は物質体の力によって、アストラル体が曇らされ、夜は物質体の疲労を回復させるためにアストラル体は働かなくてはならない。

 死後、その力は自由になる。すると、アストラル体に、ある器官が発生する。その器官というのは、七つのチャクラである。眉の間の鼻根の辺りに、二弁の蓮華のチャクラができる。霊視ができた芸術家は、このことを知っていて、作品のなかに、そのチャクラを象徴的に描いた。ミケランジェロはモーセ像に、二本の角として刻み込んでいる。(P55-P56)

宗教の本義(改変)

 宗教という言葉は、神々と再結合(英語では「religion」だが、「再結合」という意味がある)するための探求法という意味である。(P134)

 (人類は、悪魔に従ったために神々から離れて自由になったが、再び神々と結びつくという意味である。)

賢者の石(改変)

 現代という唯物論の時代は、新鮮な空気を健康の象徴にしている。ヨガの行者は、反対に洞穴に閉じこもり、できるかぎり自分の吐いた空気で呼吸しようとする。ヨーロッパ人のように窓を開け放って、自分が出した息を開け放つのとは逆である。

 (ヨガは自分が出した二酸化炭素で呼吸しようとする。つまり、植物のように二酸化炭素から酸素をつくりあげることをヨガを通じて体得しようとしている。)

 ヨガの行者は、空気をできるだけ汚さないようにすること(二酸化炭素を外に出さないこと)を学ぶ。つまり地球の大気を利用し尽くすこと(循環)を学ぶ。この秘術は古代のヨーロッパの秘教学院でも御馴染みだった。その秘術は「賢者の石、あるいは哲学者の石の製造」と呼ばれてきた。

 18世紀から19世紀への転換期に霊的な進化について多くのことが秘教学院から外に洩れた。賢者の石について多くのことが公の書物に書かれ、資料としての出典は確かであっても、それらの本に書かれている賢者の石の本当の意味や内容を著者がほとんど理解していないことがわかる。

 1796年、チューリンゲンの新聞に賢者の石について次のような記事が載った。

 「賢者の石は誰もが知るものである。賢者の石は誰でも毎日ある時間手にしているものでもある。賢者の石は様々な場に見つけられる。ただ人々はそれが賢者の石である、とは気づいていないだけである。」

 上記のように「様々な場に賢者の石は見つけられる。」とは不思議な表現だが、この表現は言葉そのままで真実である。

 (以前紹介したが、賢者の石とは炭素だからである。)

 植物は炭酸を受け入れ、炭素を自分のなかに残し、炭素によって身体を築く。人間と動物は植物を食べることで炭素を摂取し、呼吸によって炭酸を再び吐き出す。このように炭素は循環している。将来、炭素は人間のなかだけでも循環するので、別の形を取るようになるだろう。

 将来、人間は自己を絶え間なく拡大し、いま植物に委ねていること(光合成)を自分で可能にするだろう。人間は鉱物、植物を克服していったように、今度は逆に、その道を辿り戻る。人間は植物になる。植物を自分のなかに受け入れ、植物の行なう全過程を自分のなかで行なうようになる。

 つまり、人間は炭素を自分のなかに貯め、植物が今日無意識に行なっているように炭素から自分の身体を意識的に形成するようになるだろう。炭酸の炭素と結びついた酸素を、自分の器官のなかで取り出して用意し、残りの炭素を自分のなかに貯えることで、人間は自分の基礎となる炭素構造を自らで構築できるようになる。これが未来の人類の壮大な理念である。こうなれば人間は食べるために何も殺さなくてよい。

 唯物論でも知られるように炭素とダイヤモンドは同じ物質である。ダイヤモンドは炭素が結晶し透明になったものである。

 将来、炭素を貯め込んだせいで人間の身体が黒くなることはない。人間の身体は透明なダイヤモンドのように輝く炭素となる。そのとき、人間は賢者の石をみつける。人間は自分の身体を賢者の石に変化させる(P167-P168)

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2014年02月26日 10時50分18秒
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