シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年03月08日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続きを書く予定だったが、巷がSTAP細胞で五月蝿いので、私見を少し述べておきたい。STAP細胞の騒ぎは、私の経験では昔の常温核融合の騒ぎと非常によく似ている。

 常温核融合は、核融合には原子核をいわば電子殻から裸にする必要があるので、必須のプラズマ状態が、なぜ高温で生じるプラズマが、常温で生じたのかの理論的背景が乏しかったので、騒ぎは次第に沈静化していった。

 科学誌のレフリーがいちいち費用のかかる実験を試行などできるわけがないから、実験というのは費用面から試行再現性に乏しい場合は、理論的背景が重要にならざるを得なくなるが、その理論的背景が乏しいと疑惑が格段に深まって騒動に発展する。

 私も実験系の研究室に身を置いた経験があるので、実験というのが非常にカネがかかり、特に高額な予算を獲得しておいて、成果が乏しいと、強迫観念みたいなものに襲われることもありがちである。また、高度な実験ほど、実験馬鹿になりやすく、一種職人気質の技巧的要素が生まれ、実験者の技術に依存するほど、逆に再現性は乏しくならざるを得なくなる。論文に書かれているのと同じようにやっても結果が出ないことは日常茶飯事だった。

 論文で書かれていることは、実験者の技巧的要素は省略されているので、同じようにやっても同じ成果が出ることはほとんどない。長年同じ実験をやっていると呼吸というか、コツみたいなものが出てくるので、そういうものは数字では表現できないからである。日本の中小企業の機械で再現できない技術をみればよくわかる。

 だから、今回の場合、生理学を拡張したような理論医学の体系などが確立していればその説明によりある程度STAP細胞の問題点がクリアになったはずである。現代の生物学には統一的見解に乏しいところがあるので、特に細胞オタクと組織器官オタクの見解は月とスッポンのような違いがあるので、例えばガンについても、前がん状態や、発ガン性や転移性については、必ずしも見解が一致しているとはいえない。

 しかしそのような背景があったとしても、確かゴミウリが都知事選を度外視して報道したのが発端だったと思うが、いかにもマスゴミの勇み足といった感が大きかった。ああいう場合、iPSとはどう違うのかという質問は当然起こるので、想定される質問に対しての答えを用意しておかないとダメである。

 恐らく、反原発選挙にならないために、あのような時期尚早の発表をしたものと考えられるが、この国のマスゴミの出鱈目さがよく現われている騒動に思われる。歴史も出鱈目だが、科学報道の出鱈目さは深刻を通り越して呆れてしまう。

 本来なら、マスコミが伝えるべき内容は都知事選だったはずであり、原発再稼動問題だったはずである。何がいま最も重要なのかという判断ができないから出鱈目で洗脳する騒動が勃発するのである。



 さて、シュタイナーの話を続ける。 

 ☆  ☆  ☆

 さて、低次の進化段階に落第した人間(魂)たちは自らのエーテル体(生理機能)があまりにも弱すぎたので、ルシファーの影響に充分対抗できなかったため、自分の内部に存在する「自我」の火花を勝手に増幅し、周囲に強力な、しかも有害な火(エネルギー)の作用を生み出した。

 その結果、恐るべき地球の破局が生じた。当時の人間が住む地の大半が火の嵐に襲われて壊滅し、同時に邪道に陥った人たちも破滅させた。

 (福島原発事故を彷彿とさせるが、この出来事は遥か太古のヒュペルボレアス時代の破局のことである。2012年終末説で話題になったマヤ人の説では火の破局と呼ばれるものである。)

 現在の人体は、アトランティス時代に縮小濃縮し固体化された結果である。アトランティス以前の人体は、霊魂の本性(非物質)に忠実な模像として現れていたが、アトランティス時代の進化の中で、現在の人体に通じる肉体の前身が生まれた。アトランティス以後、人体は固体化してしまい、霊魂の特性をあまり忠実に映し出さなくなってしまった。

 というのも、もともと霊界への憧れが(アトランティス時代以後の最初の文明の)古代インド人の魂の基本の気分だったからである。人間の本来の故郷は霊界にある、と、古代インド人は感じていた。外(物質)的な感覚から生まれる知覚とそれに結びついた(唯物的な)認識とが提供する物質界の中へ、霊界から(無理矢理に)移住させられたと古代インド人は思っていた。

 超感覚界(霊界)が本当の世界で、感覚(物質)界は、人間の知覚が産み出す迷妄、錯覚(マーヤ)である、と感じていた。古代インド人は、あらゆる手段(ヨガ)を用いて、この本当の世界(霊界)への展望を開こうと努力した。

 (中略)

 インドの「叡智の書」として今日残っている『ヴェーダ』は、古代インド文化の最初期の、ヨガで霊界参入を果たそうとした偉大な師たちに守られた崇高な叡智の本質をもはや描ききれず、その淡い残像でしかない。過去へと遡る超感覚の霊視だけが、当時書かれた書の背後にある書かれざる叡智の本質にまで到達できる。

 人間には、脳を使用することで、物質生活のために一方的に働く能力がある。その能力は、遂には、現代の科学技術等を発展させてきた。この物質文化の起源は、ヨーロッパの特定の民族下で発見された。というのは、この特定の民族は、物質=感覚界についての関心を成熟させ、自然を有効利用するまでに、能力を育成したアトランティス人の後裔だからである。



 けれども現在は、既にポストアトランティス時代の第6文化期の夜明けを迎えつつある。人類の進化は、第6文化期がはっきりと現れてくる前から、第5文化期の物質文明がゆっくりと成熟を遂げていく。現在既に始まりつつあるのは、人間の胸中にある二つの側面、すなわち物質文化と霊界での営みである精神文化とを結びつける糸を発見することなのである。

 このために今必要なのは、霊的な直観(霊視)を獲得することであり、感覚(物質)界を観察し、物質界に働きかけを行いながらも、その背後の霊の啓示を認識することである。第6文化期は、両者の調和の実現に至るであろう。

 瞑想時に求められる能力は、日常生活や通常の物質の認識に用いられる力よりも遥かに強い力を、魂の奥底から取り出せるように精神集中して、前世で体験してきた、しかるべきイメージに意識集中することである。その意識集中によって、魂は内(精神)的により一層活発になる。

 (中略)

 魂は、この意識集中により、自らのもつ真に独自の内(精神)的な本性(過去の体験)を体験するが、一方日常の覚醒状態での魂は、自らの力を十分に発揮しないで、肉体の助けをかりて意識を働かせているので、自らの内面を体験するのではなく、いわば~鏡像のように~肉体、もしくは肉体の機能が映し出す鏡像の中に、自分自身を見ているにすぎない。



 高次の世界へ至ろうとする人は、修行を通して、以下の特性を身につけなければならない。

 特に必要なのは、魂が思考と感情と意志とを別々に制御することである。この魂の制御能力を獲得する方法は、次の二つの目標に向かう修行である。第一の目標は、魂の中に、別の意識が生じたときにも、全体の意識が不動心、信頼感、公平さを失わぬように、別の意識の特性を魂にしっかりと刻みつけ(記憶し)ておくこと。

 第二の目標は、この別の意識に内から支援するように、忍耐力を賦与することである。霊的修行者の思考については何よりも現実(物質界)にも適応できる態度が大切である。物質、感覚界での現実に、人生が即するようにと、全体の意識を戒めることが重要である。

 魂が我侭で勝手な思考(妄想など)に耽ろうとしたら、人生にトラブルが生じ、そのトラブルを解決することで軌道を修正できる。そうしないと、物質界に適合した、まともな人生が送れなくなるからである。魂は、常に人生に即した考え方をするように促されている。

 (霊能者と自称したり、宗教で金儲けなどすると、人生の道を外れるということ。)

 魂のなかで独立した思考と感情を結びつけるためには「積極性」と名づけられるような肯定的な態度を身につける必要がある。

 (中略)

 誤謬、悪、醜があるからといって、真、善、美をそこに見出そうとする態度を疎かにしてはならない。この肯定的な態度と、無批判的な態度とを混同してはならない。悪や偽や、人の不幸に対して安易に眼を閉ざすことを求めているのではない。

 (中略)

 悪を善と見、偽を真と見ることは許されない。しかし善と真を見る眼を悪と偽によって曇らされてはならない。

 次に、魂のなかで独立した思考を意志と結びつけるためには、これまでの体験や経験によって、新しい体験の自由な受容が邪魔されないようにする必要がある。

 人間に生じる全事象は、人間とつながりをもつ偉大な宇宙の全事象を模している。誕生と死の間の人生の出来事や死から新たな生(転生)へと至る霊界での現象を理解するには、偉大な宇宙の事象を考察しながら、霊視により観察したイメージの内容を解読できなければならない。

 このような宇宙についての考察を通して、人生を理解するための鍵も与えられる。従って、秘教学の意味において、土星紀、太陽紀、月紀を観察(霊視)することは同時に現在の地球紀の人間を観察することでもある。

 霊聴を通して、高次の世界の諸存在同士の関係を認識できる。しかし認識を更に深めると、これらの存在の内面をも認識できるようになる。このような認識は「霊的合一(神通力)」と呼ばれる。

 (中略)

 いま述べた「霊的合一」は、これまで述べてきた「霊的直観」とは、もちろん無関係に生じる。「霊的合一」は、光に最も充たされた最高の認識であり、人が完全な覚醒意識をもって、獲得できたときのみ正当性をもつ。人間の感覚的な対象を認識する方法は1つしかなく、それは、この対象の外に立って、外からの印象に従って評価することである。

 (人間の外的な感覚は、対象を鏡像として外からしか認識できず、対象の中身を外から観察できない)

 「霊的合一」による霊の存在の認識とは、その存在と完全に1つになり、自らがその存在の内面と直接結びつくことである。

 「意志霊と叡智霊と運動霊」の共同作業によって、叡智が生じる。地球紀の全存在も地球紀の進化も、これら「意志霊と叡智霊と運動霊」の三つの霊たちの働きによって、叡智の下で生じ、叡智の下で、自己意識という自我は、他の存在たちと調和できる。人間は独立した「自我」を「形態霊」を通して受け取る。

 この自我は今後、将来、地球紀の間に「叡智」に組み込まれるまた別の「能力」を通じて、地球紀、木星紀、金星紀、ヴルカン星紀の存在たちとも調和していくだろう。そのような「能力」とは愛の力のことである。地球紀の人間だけが、愛の力を初めて行使する存在なのである。それによって「叡智の宇宙」は「愛の宇宙」にまで進化を遂げなければならない。

 土星紀、太陽紀、月紀を通して準備された叡智は、人間の肉体、エーテル体、アストラル体の中で働いている。それは「宇宙の叡智」として現れている。しかし叡智は、「自我」の中で内面化される。「外なる叡智」が、地球紀以後、人間において「内なる叡智」になる。そして叡智は内面化されると、愛の萌芽になる。

 叡智は愛の前提条件なのだ! 愛とは、「自我」の中で再び甦った叡智のことなのである。

 (本当のフィロソフィのこと。「叡智による愛学」ともいうべき。)

 叡智による愛の実践の問題については、超感覚的な認識から観えるイメージを述べるしかない。そして、いま言えるのは、未来では、善と悪の二つの人間界が存在するだろう、ということだけである。

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2014年03月12日 13時28分55秒
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