シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年08月18日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回は、この世で行う道徳的行為が、次の転生の人体を形作るというシュタイナーのカルマの話を紹介した。つまり、人間は動物と異なり、外界を内面化して、苦痛を克服できる知性体となったために、宇宙全体に受け入れられる知性=道徳に応じて再生力が発揮される。

 だから、植物や下等動物の再生力をそのまま高等動物や人間に当てはめることはできない。つまりクローン技術は絵にかいた餅といわざるを得ない。結局のところ、人間を動物(獣)化してしまうからである。魂を腐敗させてしまう。

 進化に王道なしというわけである。

 では、シュタイナーの話を続ける。

 ★    ★    ★

 この世で考えたこと、感じたこと、行なったこと総てが死後、それに応じた「激しい感情」に変化し、次の転生、更にその次の転生に受肉する人体にまで影響する。

 とはいえ、前世での行為全てが、カルマとして現世に作用しているわけではない。 

 再び生まれ変わってきた人生で償いを可能にするような因縁と、前世での特別な生活に執着させるような因縁とを厳密に区別すべきである。前者はカルマの法則を通して成就されるが、後者は、自分自身でその因縁を克服するしかない。(シュタイナー「神智学」イザラ書房/P117) 

 (簡単にいえば、前世で迷惑をかけた人物に現世で出会い罪滅ぼしをする機会がカルマの法則から与えられるが、前世の生活が忘れられない等の、例えば、前世での贅沢な暮らしに執着し、現世でも同じ贅沢な暮らしをしようとする欲求などは叶えられず、苦悩となるので、自分で克服するしかない。この場合、前世とは全く異なる、そもそも質素倹約の暮らしをするように人生を選択してきているからである。勉強するために学校に行くのに遊び呆けるのでは本末転倒。)



 人生経験は、基本的に二つに大別できる。すなわち、意識化された経験と、無意識な経験である。あるいは、印象を記憶し、思い出として残る場合と、もはや思い出せず、忘れてしまった場合とに区別できる。

 (中略)

 例えば、喜び、もしくは悲しみの感情を伴って記憶している場合、大抵、いや本来総ての記憶には感情を伴っているはずだが、そのような感情は意識の表面だけでなく、深く肉体の中にまで作用を及ぼす。

 (中略)

 例えば、ある印象を無意識に受け取ったとする。もし意識して受け取ったなら、ショックを受け、心臓をドキドキさせたような印象である。そのような印象は、意識しなくても、肉体の中にまで深く入っていく。

 一般に、意識した印象は、人体の中に深く作用しようとしても抵抗を受けるが、無意識に内部に直接作用を及ぼすようなときにはその作用が妨げられないので、強い影響力を発揮する。そのような形で、人間の内面は意識しているよりも、遥かに豊富な印象で満たされている。(P63) 

 意識して受け取った印象は、人体に作用しにくいのに対して、無意識に受け取った印象は「深く肉体の中にまで作用を及ぼす。」

 このことから、日常生活では、特に深く感情を伴う印象から目を逸らさずにできるだけ意識して受けとめることができれば、肉体への影響が少なくなり、その観点からの予防医学も重要になってくる。

 しかし、誕生から数年間は印象を無意識に受け取るしかないので、乳幼児教育には特に注意すべきである。

 強烈な影響を及ぼしながら思い出せない印象が特別豊富な時期が、出生から記憶が始まるまでの乳幼児期である。この時期に受け取った印象はその後も心の中に残り、当人を変化させる。その印象を忘れているため、意識されずに抵抗を受けないからである。

 (中略)



 乳幼児期のこのような印象は-特に繰り返し受けたとき-基本的に生きる気分を左右する。人生のある時点から、急に説明のつかない不機嫌な気持ち(鬱)に襲われることがある。このような場合は過去に遡って、乳幼児期の印象が現時点にまで影を落としていることを知らなければ説明がつかない。(P66) 

 乳幼児期の体験は、前述したような後年の心の働きについて軽度の病気を生じさせる。このように神経症、ノイローゼ、ヒステリー他の病因は人生の過去の中に見つけられるが、より重い病気の病因は前世の中に求めなければならない。というのも、新たな誕生(転生)に際し、前世での道徳的・知的経験がエーテル体の中に深く影響しているからである。(P70)

 さて、次のテーマは「治療」で、前回の「病気」から更に掘り下げる。「治療」とは一体どういうことなのか。また、カルマの観点から(根本的な)「治療」は果たして可能なのか、を検討する。いま問題にする「根治の可能性」とは、現代医療における治療法の発見とその限界というものではなく、病気は何故生じるのか、という根本的問題である。

 シュタイナーはまず、16、7世紀の頃から19世紀まで続いた「どんな病気にも病名がつけられ、適切な調合などをえた薬で必ず治療できる」という立場、いわば「薬信仰」の薬物療法があり、それとは正反対の立場として、スコーダ教授の「病気を診断し、記述し、説明するのは可能だが、治療はできない」という発言に代表される「ニヒリズム派」の医療、いまでいうところの自然(看護)療法の説明からはじめる。

 では、その「ニヒリズム派」の立場の「自然(看護)療法」とはどういうものなのか。



 ディートルが創始し、スコーダが更に引き継いだ「自然(看護)療法」では、自己回復力(自然治癒力)が最も力を発揮できるような生活環境に患者をおく。そして医者の役割は、主として病気の経過を見守り、回復(治癒)力に異常が生じたときに、人間味のある適切な援助を与えるだけである。

 患者の自己回復力(自然治癒力)が期待できるような処置をして、(肺炎の)熱が下がり、人体による自己回復(自然治癒)が達成されるのを見守るのが、自然(看護)療法なのである。(P73)

 (スコーダもディートルもネット検索ではみつからなかった。ニヒリズム医療の治療法もみつからなかった。どうも無視されているようである。)

 シュタイナーが、この療法を紹介したのは「発病とその後の病状(完治するかどうか)を左右するものは、医師の手の及ばないところにある」という事実の示唆のためで、それは「(患者の)カルマと人生への影響」に関係づけて考えなければならないからである。

 (治るか治らないかは、患者の前世からの自我の問題で、自我がどれだけ霊我に近づいたかどうか、つまり覚ったかどうか、道徳的に生活を改めるかどうか、である。不道徳で、退廃的な生活をし、不正行為を続けるのであれば、人体のどこかが悪くなり、死を迎えるようになる。)

 そこで、シュタイナーは以下のように問いかける。 

 生命を致死的にする重篤な病気については、その病因を前世に求めるべきである、というのが、いま考えている命題である。ある場合には自己回復(自然治癒)力が生じ、他の場合にはどんなに努力しても完治しないのなら、生まれつき定まっているといえるのではないか。(P74-75)

 治療できるかどうかが前もって決まっているなら、「ニヒリズム派」と同じ「治療は不可能」という立場になってしまうが、そんな単純ではない。

 まず、単純に「治療が不可能」という立場ではなく、なぜ病気になるのか、なるべきだったのか、という問題と同様に、治療の意味を深く洞察すべきで、更に、前世で病因がつくられたのなら、その結果としての(現世での)病気という機会に対して償い働きかけることで、病因(前世の原因)を克服するチャンスがいま与えられている、ということがわかる。

 治療することで、前世のカルマを解消する機会と深く関わっている点を見ていく必要がある。

 さて、ここで、あらためて病因とは何かについて述べなければならない。 

 人間は肉体から、自我、アストラル体、エーテル体が離れることで死を迎えるが、その際、エーテル体のエッセンスだけは残り、再受肉の際に新たなエーテル体に注ぎ込まれる。つまり、前世の「成果」がエーテル体に込められている。エーテル体は肉体の制作者でもあるから、その「成果」に応じた肉体を得る。

 以前述べたように、死から新しい誕生までの間に、生前の行為に応じた霊能力を自我の中に取り込む。カマロカ(欲界)期に生前の善い行為や悪い行為、性格上の特徴などを直観して、自分の中の不完全な態度や不正な行為を精算し、自分をより完全にしようとする。

 人間はそのような意図と傾向をもって、新しい誕生を迎える。新しい人生のために形成される新しい肉体は、死から新しい誕生までの時期に獲得された(道徳)力に応じた形を示すので、その力が弱いか強いかで、肉体も弱かったり強かったりする。(P75)

 ここで重要なのは、前世で生じた課題とでもいえる病因を、死から新たな誕生までの「カマロカ期」において直観し、新たに生まれてきたときに、その課題を克服しようとする、ということである。そしてそれにふさわしい「力」をもって新たに生まれてくる。

 ここでシュタイナーは、自我があまりにも弱く、鍛え上げようとする場合と逆に、自我があまりに強く、調和的に発達させようとする場合を例として述べる。

 まず、前者について。 

 前世であまりに自我が弱かったため、現意識段階(ポストアトランティス時代第5文化期)に相応しくないほど外に対して依存的で自己を見失い、他者の命じるままに行動する場合、死後、このような人がカマロカ(欲界;地獄)期に、この不十分な自己に由来する行動を回顧したなら、次のような意図をもつはずである。

 「自我をもっと発達させよう。来世では、生まれ変わった肉体を通して、自我を鍛え上げよう。そのためには、肉体、エーテル体、アストラル体から来る力に対して、自我が十分に対応できるようになる機会を作らなければならない。肉体に特別な症状を生じさせ、弱い自我に働きかけ、それを克服する機会にしなければならない。」

 とはいえ、この意図は意識されず、無意識なままにとどまる。しかし、その意図に従って、自我を最大限に緊張させ、大きな負担を課すような人生を送ろうとする。そのように、まるで磁石にでも引きつけられるかのように、大きな障害の原因となる場所や機会に引き寄せられる。(P76-77)

 こうした自我が弱く他者に依存的で自己を見失ってしまうような人は、それを克服するために、例えば「コレラ」などに罹る機会さえ得ようとする。コレラに罹ることで、それに対抗するエーテル体、アストラル体の抵抗力が、自我に大きな負担を強い、自我を育てるのにつながるからである。

 ★    ★    ★

 後半は、以前にも紹介しましたが、次回に続く。





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Last updated  2014年08月19日 13時07分00秒
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