シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年11月14日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 自己愛をどうするか、が現代人の根本的な課題だと思うが、現代人はホンモノの愛を知らないので、例えば陳腐な我儘の延長上にある愛国心などのニセモノの愛が巷を蔓延り、上辺だけの偽善の愛が蔓延し、その本質は仮想世界の虚偽と同じで、支配欲旺盛な連中が軽々しく愛を語りあう顛末となるのである。

 相手を束縛拘束し犠牲を強いるために利用する「愛」は大間違いでニセモノなんである。

 「愛」はよく支配の道具や犠牲の餌につかわれるので注意すべきである。

 悪魔も「愛」を語るが、語った相手を束縛するのに使われる。

 だから現代人が「愛」を語るときほど胡散臭いものはない。愛を語る単なる我儘な人の十中八九は独占独裁主義者であり、「愛」を語る自分に単に酔いしれているだけである。

 さて、霊魂の成長なくしてはホンモノの愛は成り立たないもので、だからプラトンは現代人のように軽々しく愛を語るのを戒め、プラトニックラブを説いた。現代の哲学はニセモノばかりで、霊魂を知らずに、物質的に語り合うアホバカなんで、プラトニックラブを精神的な愛という陳腐な台詞に置き換えてしまった。

 プラトンはソクラテスの弟子だから、ソクラテスの教えである「魂の配慮」なしに、愛を説くはずがない。

 長々と書いてしまったが、ホンモノの愛とは魂の成長とは切り離せないものである。だから我儘とは全く正反対のところにある。だから言葉などを巧みに駆使して肉体を使って物質欲を満たすことではなく、霊魂の経験の問題であって、「愛」を口に出すのは霊魂を顕わに曝すことで本当は恥ずかしいことなんである。

 前回紹介したように、この物質界での経験が何より大切であるから、キリストが言ったように、「天国に行くかどうかは、この世でどう生きるか」、つまり「魂がどう経験するか」にかかっているわけなんである。



 だから、魂の成長につながる経験をすることが肝要で、その経験の機会を与える相手、つまり魂の成長につながる相手が愛の相手なんである。

 このことから考えれば、自分とは合わない相手と結婚する現実が多いことにも納得がいくだろう。試練が多いほど愛につながり、魂の成長となるからである。だから、自分の我儘が通用しない相手と結婚し、我儘を自分でどうにかする方法をみつけるのが、この世に生きる意味であり、魂の成長なんである。

 子供を産めば育児のために更に我儘しにくくなり、家庭を守るには我儘を超えて、世間や社会を知るために大局的観点に立たないといけないことがわかる。子育て、それこそが魂の成長につながり、地上を這いずり回るだけの低レベルな欲望の虜の蛇の段階を超え、愛のために生命を育む魚の段階へと進化することを促す経験になる。

 そういう大事なことを現代の哲学は語らないので、続けてシュタイナーの話を紹介する。

 ★         ★         ★  

 経験は、夜眠っている間に、魂の中で整理され、朝起きると、再び能力や叡智として戻ってくる。魂の中に取り込まれた経験は魂により発達させられ、高レベルの能力や叡智へと浄化される。

 さて次に、この成長に限界はあるのか、という疑問が生じる。

 この成長の限界を認識するには、夜寝て、朝起きても、肉体とエーテル体も変わらず、能力や才能も寝る前と全く同じなのを詳細に観察しないといけないが、特に肉体とエーテル体の配置や内部構成などの物質的な形態が変わることはない。

 睡眠中にもし、肉体、あるいは、少なくともエーテル体を霊界に連れていければ変えることができるが、連れていけないので、毎朝、昨夜と変わらないのがわかる。

 ここに生まれてから死ぬまでの人生で到達できる成長(進化)の限界が生まれる。生まれてから死ぬまでの成長(進化)は本質的に魂の経験、つまり成長のみに限定され、身体(エーテル体と肉体)を変えるまでには至らない。

 (魂の成長にとって、エーテル体と肉体が障害になるようなら、死が必要となる。)



 (天才ではなく秀才で終わる。)

 一個人の人間が神のような完全体となるには、人体全ての構成体が1つの統一体を形成し、調和しないといけない。例えば、音楽的才能を叶える耳などの道具を持たなければ、いかに音楽的才能を高レベルに引き上げるような経験を得ようとも、魂の中だけにとどまり、現実的な能力として発揮されないのは、このためである。

 このような才能が実りへともたらされないのは、毎朝、起きたときに、肉体やエーテル体などの(物質的)構造や形態により、魂の能力に伴う変化に対して、外側から限界という境界線が引かれるからである。

 以上のように、才能や能力は、肉体やエーテル体からなる粗雑な物質的構造に依存するだけでなく、その中の魂との霊的に微妙な関係にも依存する。つまり、現世での日常生活の肉体やエーテル体のなかに表現される、魂の能力の限界を見つけないといけない。

 (魂が成長した分、肉体とエーテル体が成長しないためにギャツプ「微妙な関係」が生じる。)



 では、人間は、アストラル体や自我の中に取り込んだ経験を肉体やエーテル体の中に注ぎ込むには全く無力なのか?

 というのも、限度はあるが、肉体の調整がある程度可能なのがわかるからである。例えば数十年にわたって瞑想を続けてきた人などは、その仕草や顔つきが変わるのがわかる。とはいえ、このような肉体の変化が生じるのは非常に狭い範囲に限られる。

 それはどの時代にも定まっているものなのか?

 いつの時代にも肉体の変化が非常に狭い範囲に限られるわけではないことを理解するには、以前、何度となく触れてきた、とはいえ、現代では遥か昔の遠い話になってしまった、17世紀に、低レベルな形で成立した、ある法則を知る必要がある。

 17世紀になるまで、下等生物、例えば虫などは川の泥から発生すると信じられていた。昆虫が生じるには、純粋に、物質以上のものは必要なく、物質から生まれることが信じられていた。この愚かな信仰は当時一般人だけでなく、学者たちにも信じられていた。

 17世紀以前の時代に遡ると、例えば、環境からどうやって生命を生み出すか、が系統だって教えられてきたことがわかる。紀元後7世紀の著書には、蜜蜂を生み出すには、畜殺された馬の胴体をどのように扱えばよいかなどの記述がみつけられる。同様に去勢牛から雀蜂を、ロバからジガバチをつくりだす方法が書かれた。

 偉大な科学者、フランチェスコ・レディが、「生命は生命のみから発生する」という法則を初めて主張したのが17世紀だったのである! 

 今日では、この法則は、あまりにも自明と思われているため、この法則以外が信じられていたことさえ理解できないが、この真理のために、17世紀でも、レディは恐るべき異端者とされたが、かろうじてジョルダーノ・ブルーノのような火刑の運命は免れた。

 このような真理はいつも異端とされる。このような法則を主張する人たちは、最初、異端者の烙印を押され、教会による審判の餌食にされ、過去には、多くの人々が火あぶりに曝されるなどして命の危険に曝された。

 今日、このような審判は放棄され、火あぶりにはされないが、今日の科学を牛耳る人々は、高レベルで斬新な真実を主張する人を馬鹿者呼ばわりし、夢想家と見なす。

 今日の科学者は、フランチェスコ・レディが17世紀に主張した上記の生物の法則を、別の形で奉じる人々を馬鹿者呼ばわりし夢想家と見なす。

 レディは、生命が、死んだ物質からそのまま発生する、と信じるのは不正確な観察で、生命の発生を知るには、生きるのに必要な物質と力を環境から引き寄せる胎児にまで観察を辿る必要があることを指摘した。

 レディと同様に、今日の人智学は、霊魂を本質とする生命体も、霊魂から発生し、(物質的な)遺伝という特徴をもつ集合体ではない、という事実を指摘しなければならない。

 昆虫の幼虫(卵)が、周囲の物質を引き寄せて成長するように、霊魂の核が成長するには同様に周囲の霊的実質(光、エーテル)を引き寄せる必要がある。もし、人間の魂や精神の本質を逆向きに辿っていくなら、(物質界の)遺伝とは全く関係ない誕生前の霊魂という要素に辿り着く。

 霊魂は霊魂から生じる、という法則は、結局、地上生を繰り返すという輪廻転生の法則に必然的に帰着するが、この法則は人智学的に綿密な霊的探求(霊視)により証明できる。今生での経験が発生する要因などは、前世まで辿ることができる。

 霊魂の成長は、霊魂に起源を持ち、現在の人生で得られる経験は前世の霊魂の成長に起因する。死の門を通過していくとき、霊魂は、今生での経験を能力に変容させたことで得られる成長を吸収し携えていく。そして、次の誕生を通して、来世を生きるときに、霊魂は、この成長を携えて帰ってくる。

 死から次の転生までの霊界での暮らしは、生きているときの夜の眠りから朝の寝起きまでの霊界での暮らし(要するに睡眠中)とは異なる。朝起きると、前の晩に残していったままの肉体とエーテル体に入る。エーテル体と肉体は生まれてから死ぬまでの日常生活での経験では変化できず、物質的に完成しているので限界がある。

 死の門を通ると、霊魂は肉体とエーテル体から去り、エーテル体については、その本質の養分だけを保持する。霊界では、肉体とエーテル体を考慮する必要はなく、死んでから次の転生までの期間を通じて、純粋に霊魂だけに働きかけ、純粋に精神だけを取り扱う。

 (睡眠中は、肉体やエーテル体に戻らなくてはならないので、成長には限度がある。あまり成長してしまうと、肉体やエーテル体に適応できなくなる。高次の神々が、物質界に受肉できないのは、適応できる肉体やエーテル体がないからである。)

 次の転生までに、新しい肉体とエーテル体の元型(設計図)をつくる中で、前世の肉体とエーテル体の中にいたときには使うことのできなかった経験全てを、そこに織り込みながら、必要なものを霊界から取り出す。次に、この純粋に霊的な元型(設計図)のイメージが完成し、元型の中に織り込んだものを肉体とエーテル体の中に刻み込むのが可能な時がやってくる。

 それらの元型(設計図)をつくるために、人間が死後に通過する、この特別な睡眠ともいえる霊界での暮らしのなかでは、以上のように次の転生の準備のために人間は活動している。

 ★         ★         ★

 驚愕の事実だろうが、輪廻転生を知っていた古代人には当たり前の話なんである。現代人は霊能力と共に忘れてしまっただけである。シュタイナーによればカリユガの時代は過ぎ、再びこの輪廻転生の話が理解できる人々が増えてくるそうである。 





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Last updated  2014年11月14日 12時06分40秒
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