シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年11月14日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 ニセモノの宗教が蔓延る世の中が現代である。宗教が金儲けの偶像崇拝に堕落したため、悪魔崇拝が蔓延っているわけである。

 はっきりといっておくが悪魔崇拝は地獄に堕ちるから覚悟しておくがよい。

 さて、地獄に堕ちるアホバカばかりのその証拠に、最近、そのニセモノぶりがわかる典型の話題が巷を賑わせているようなので、あまりの悪魔崇拝ぶりに笑ってしまったが、悪魔唯物教の恰好の題材なんで、お馴染みのサイトから紹介する。

 この馬鹿げた解釈から、悪魔崇拝の砦のバチカンもそろそろ幕引きが必要なのではないか?と思う。

 その話題とは、以下のものである。

 ★        ★        ★

こんにちはキリストです
http://my.shadowcity.jp/2014/11/post-6008.html

キリストは2人の子持ちだった?


 ★        ★        ★

 確かに、この古文書の内容は真実であろう。しかし解釈が大間違いなんである。

 古代の文書はその当時の言葉と意味、つまり表現で書かれているわけで、現代の解釈では読み解くことができないことは何度も紹介してきた。つまり古文書を読むには当時の翻訳者となる霊魂を蘇らせないといけないわけである。

 まぁ、そこまでいかなくとも、人智学の知識があればわかる。

 「キリストは2人の子持ちだった」というのは、「キリストという太陽霊は二人の子イエスに受肉した」という意味なんである。そして、妻は、洗礼者ヨハネである。勿論、当時は妻とは呼ばないが、当時の受肉させる要因を産んだ者を現代風に考えれば、身籠る母だから、洗礼者ヨハネとなるだろう。人智学では三位一体として常識である。

 いまでも、ホンモノのキリストの教えを守っていれば、キリストは父であり、イエスが子であることはわかる。洗礼者が聖霊である。だからキリスト教の結婚式は洗礼者ヨハネに倣って、神父が聖霊となって、父のキリスト霊を人の子イエスに宿すためにヨルダン川に入水したという意味の聖水による三位一体の儀式が行われるわけである。

 現代風にいえば結婚だが本来は男女の性差は関係ない。霊魂に性差はないからである。しいていうなら子である魂には唯物論に染まらない純血の処女のような高貴な清らかさが求められる。

 つまり魂の上で結ばれるかどうかが重要であり、俗世での肉体関係を基にした結婚のことではない。俗世での結婚など元々は眼中にないのである。霊魂の成長に結びつくかどうかの問題である。

 後の話はシュタイナーのキリストの話を読めばよくわかる。

 当時の結婚と現代の結婚を同じに考えているから間違えるわけである。当時の結婚は霊魂の結婚のことである。だからほとんどが霊界の話になる。霊界の話なのに、混同して、物質界の訳をつけるから意味不明になるわけだ。

 低次元の魂は、低次元の話で解釈するという見本である。



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 もし、人間が魂の成長と同じように、朝の目覚めとともに肉体とエーテル体も成長できたなら、それらは霊界からつくることになるが、寝ると同時に、それらを霊界に持ち込んで変化させなければならない。つまり、死んで転生するとは、過去世の肉体やエーテル体を含んだ睡眠からの目覚めを意味する。

 転生することで、アストラル体と自我は、前世の物質界で完成された人体ではつくれなかった成長(発展)を刻印できる肉体とエーテル体の中に受肉できることになる。つまり、転生することで、以前、霊魂の成長を高次の進化段階にまで上昇させていたのに、肉体とエーテル体が完成していたことで限界となり、実行に移せなかった成長(進化)を新しい肉体とエーテル体に受肉することで現実化できるようになる。

 もし、人間が肉体とエーテル体を破壊できずに、死の門を通過できなかったら、これまで獲得してきた経験を、霊魂の成長の糧にすることも不可能だっただろう。

 死をどんなに恐ろしく衝撃的なものとみなしても、また人間の誰にも必然的に降りかかる死に対して、どんなに苦痛と悲しみを感じようとも、人生を公正に客観視するなら、人間は死を望まねばならない! ということが教えられる。



 このように人生の日常生活には大きな2つの流れ、つまり、霊魂の「内人間」の成長の流れと、霊魂の成長をエーテル体と肉体に刻印する「外人間」の成長の流れとが共に活動している。

 これら二つの進化の流れの一方は、肉体とエーテル体の中に、他方はアストラル体と自我の中に平行して流れていることがわかる。

 では、人間は肉体とエーテル体について、誕生から死までの間に一体何ができるのか? 

 日常生活で消耗するのはアストラル体だけでなく、肉体とエーテル体からなる様々な器官もまた消耗する。霊視すると、次のような事実が観察できる。

 夜眠ると、アストラル体は霊界に滞在する間、肉体とエーテル体を元通りに回復するように外から働きかけている。だから、昼間起きているときに、肉体やエーテル体のなかで消耗し破壊された器官は、夜眠るだけで回復する。

 実際に霊界はアストラル体を通じて肉体とエーテル体にも働きかけるが、やはり限界がある。生まれもった肉体とエーテル体の機能や内部構造は、非常に狭い範囲を除いて変われない。

 宇宙の進化のなかでは、いわば(霊魂と物質の)2つの進化の流れが脈々と活動しており、人為的にとってつけたような抽象論では、その2つに調和をもたらすことはできない。

 例えば、もし、「人間は調和しなければならない。だから、この2つの流れは人間の中で調和しなければならない」と言うような薄っぺらな哲学などの抽象論で、この2つの流れの統一を試み、発展させようとするなら、大変な間違いを犯すことになるだろう。

 生命は抽象論に従って働いているわけではない。

 (世間は生きている。理屈は死んでいる。)

 生命は、このような抽象論が長い発展の期間を経て到達するような何段階もの不調和に出くわし、それに対する何段階もの平衡を通過し、その調和への叡智にはじめて到達することを目的に働くようにつくられる。

 これが人間の生命の秘密であり、それは実際、思想などにより調和できるようにはなっていない。生命は不調和を通過(経験)することで、バランスの回復に向けて成長し進化するという途上にあるが、抽象的で無味乾燥な思想はいつも具体性の欠けた調和しか想像できない。

 人間のある一定の進化段階を単に想像するだけでは到達し得ないような永久の調整能力を持つ、というのが人間が絶え間なく進化を続ける運命にあることの証なのである。

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 霊魂を考えない限りは、現代人は益々アホバカになるだけである。さて、このようなアホバカに警笛を鳴らすために、再度、以前紹介したプラトンの洞窟のイデア論を以下に紹介する。

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洞窟の比喩
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E3%81%AE%E6%AF%94%E5%96%A9

『国家』第7巻の記述

 地下の洞窟に住んでいる人々を想像してみよう。明かりに向かって洞窟の幅いっぱいの通路が入口まで達している。人々は、子どもの頃から手足も首も縛られていて動くことができず、ずっと洞窟の奥を見ながら、振り返ることもできない。入口のはるか上方に火が燃えていて、人々をうしろから照らしている。火と人々のあいだに道があり、道に沿って低い壁が作られている。

 壁に沿って、いろんな種類の道具、木や石などで作られた人間や動物の像が、壁の上に差し上げられながら運ばれていく。運んでいく人々のなかには、声を出すものもいれば、黙っているものもいる。

Hoehlengleichnis_svg.png

解説

 洞窟に住む縛められた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる。「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。同じように、われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。

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 現代人は霊魂というイデアを失ってしまったと、プラトンはさぞ嘆くであろう。「影」という悪魔を実体「神」と崇めているアホバカぶりなのだからね。





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Last updated  2014年11月14日 18時44分45秒
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