シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年01月03日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 新年になったので、しばらくぶりにブログを書く。今年の干支は「乙未」である。干支について説明しようと思ったが、年末から新年にTVをみまくったのでその点について触れておきたい。

 最近TVがつまらないと口癖のようにいう輩が多いが、試しに何を見ているか聞いてみると、ニュース番組やNHKや私が大嫌いな池上なんたらの子供だましの番組をみている、といったから、呆れてしまった。確かにあんなゴミみたいなもんをみていればつまらないのは当然である。

 NHKなんぞは年末の紅白ぐらいしか頭にないあほ政府広報機関で、嘘八百の大河ドラマの番宣に年末も長州の美談ばかり垂れ流す堕落腐敗した反骨心なき不自由な機械組織でしかない。ああいう番組をみればみるほど思考能力が失われ、感情のままに流される奴隷化した、つまらない番組をみてつまらないと愚痴る獣がつくられてしまうわけである。

 驚くことに、そのような輩に限って、民間のバラエティ番組をみもせずに馬鹿にして見下しているから始末に負えないのである。日本のバラエティほどレベルの高いものはないと思っている私とは正反対なので、話があわないし、バラエティの話をしても馬鹿にされるだけでこちらからは話したくもない。

 そういう輩と酒の席を共にすると話題性に事欠き、自分の職場の苦労話ばかりするので、全く苦痛である。聞かされる立場を考えていない、なんだか偉そうな某広報機関の解説者とそっくりで、会社の愚痴話は機械にやらせたほうがいちいち共感を求められずにすみ、人間がする意味がない。北の偉そうなスミダニュースと同じ人種とみなした。

 新年だかに日本人についての討論番組を、その糞広報機関でやっているのを少しみたが、あまりにくだらなすぎてやめた。少しは過激な理論が出てきてもいいのに、インテリを気取っているだけで中身がない。

 年頭から毒を吐きまくっては身体に悪いのでこの辺でやめにしたいが、ああいう子供だましの番組はやめてほしいもんである。みなけりゃいいだけだが、NHKの受信料を払わされている立場としては民間以下の番組つくりなんで、無料にすべきではないかと思う。個人的にはCMがない競馬中継のために支払っているようなもんである。

 という愚痴をいっている自分が情けないのもあるが、そのような輩は単なる食わず嫌いなんで、バラエティをもっとみろよ!とついでにいっておく。バラエティほど、現代の日本社会をそっくりそのまま映している番組はないからだ!

 さて、干支の「乙未」の解説の紹介にうつる。



 自己否定というと馬鹿な人には自殺にとられる恐れもあるから、自己を捨てるというべきか、だからこそ、海老の脱皮の譬えは適格で、正月に海老が飾られ、食べられるのは、古い自己を捨て去ることを尊び、日々成長、進化していかねばならない人間の宿命を認識させる大事なんである。

 去年はよかったなぁ、などというノスタルジーに浸っていては落第するだけなんである。

 だから干支とは、簡単にいえば、年毎に生き方を改めることのいわば基準なんである。天地の性質を簡略化したものである。天が干に相当し、地が支に相当する。天は日で太陽のこと、地は狭義では地球だが、広義では月の領域も含むから、陰となる。

 だから干支は、陰陽のことで、陰陽五行説を含んでいる。現代では霊魂の向上など無視してしまっているから、干支というと、干を忘れ、支の俗説しか話題にしないから、ほとんど形骸化してしまっているわけである。だから占いなどの出鱈目の金儲けの道具に堕しているのである。

 占いで金儲けすれば地獄に自ら進んでいくわけで、本末転倒である。なぜ霊魂が輪廻転生して生きるのか全く無意味になってしまう。人生でいくら金儲けしようが、死んでしまえば、無一文である。墓場までもっていけるのはカネではなく、経験である。人生経験しかもっていけない。

 であるなら、より苦労した経験のほうがより創造性が高いことになる。カネで楽する贅沢な経験は全くつまらない創造性の皆無な経験なんである。だからそんな経験は無に帰し、死んでしまったほうがいいから無一文になる。

 人生は巧くできていて、いくらカネ儲けしようが最後は失われるようになっている。それがカルマの法則である。カルマの法則を超えることが霊魂の目的だから、まず経験しないと何もはじまらない。経験してはじめて身になり克服できる。人生経験から、霊魂は感覚をつくりあげる。

 つまり快川和尚の心頭滅却すれば火もまた涼しである。地獄に居ても極楽なんである。

 だから修行者は出家して無一文から全てを作り上げるわけである。キリストも御釈迦さんも皆救世主は乞食だからこそ充分な生き方ができる。乞食でない救世主はニセモノというわけである。

 服装だけが立派な偽坊主ばかりが現代に蔓延るから末法の世なんである。 

 さて人間に上下はないが、霊魂の成長の上では、創造性の上下がある。より創造性が高い霊魂が上である。創造性は愛を与えることからくる。だからより愛を与え、創造性が高い霊魂が上で、一般的に霊格が高いことになる。



 愛というのは他者の精神を束縛し、奴隷にすることではない。その逆のより多くの他者を愛せることである。しかし、愛が与えることだといって、他者の精神性を堕落腐敗させるような与え方、自由というよりも放縦を認めることは愛ではない。

 例えば、麻薬などがその代表である。精神性を堕落腐敗させるものを与えるのは罪である。現代人の多くが勘違いしているのが、この麻薬のような快楽を与えることである。

 快楽というのは自分でつくりださない限りは無意味である。与えられた快楽というのは幻想でしかない。というのは、快楽を与えるものの奴隷となってしまうからである。与えられるということは奪われることである。だから自分でつくりださない限りは無意味なのである。

 この世で生きるには、何かを犠牲にしてその代償で得ることしかできない。物質界では選択肢は1つに限られるからである。だから自分にとっての快楽は、他の誰かの犠牲の上になりたつことになる。だから、他者の犠牲の上での快楽は幻想なんである。いずれ返さねばならない。

 例えば、一億円を手に入れたとするなら、他の誰かがその分犠牲になっているわけである。だから金持ちは罪つくりなんである。働いた報酬と正当化しようが、それは物質界の運動の法則と同じで全く陳腐な話で、霊魂の向上とは結びつかずに、創造性とは全く別の話である。



 現代人の多くが自らつくりだすことを忘れ、与えられることに馴れきっているために、その精神は奴隷と化している。ネット依存症や携帯を手放せない大人たちをみれば一目瞭然である。何の創造性もない単なる機械人間と化している。

 東京オリンピック招致のおもてなし称賛の嵐には辟易するが、おもてなしをサービスと勘違いしている日本人が多いのは某国営放送がアホバカ政府の宣伝広報機関に成り下がっていることと無関係ではなかろう。日本人の多くを奴隷化し、反骨心を奪い、不自由に拘束し、思考能力を奪う歴史洗脳教育を垂れ流している。

 サービスとおもてなしの違いは、霊魂の向上性にあるが、現代人の多くが霊魂を無視しているので、同じものと考えているわけである。

 例えば、躾などはサービスではなく、おもてなしなのである。その違いを端的にいうなら、おもてなしを介して、お互いの霊魂が向上することが重要なのである。サービスは、一方的であるばかりか、下手すると腐敗堕落してしまう。癒着や汚職など、おべっかなどがその代表例である。これらは麻薬と同じで幻想でしかない。

 第一特定の一部だけに利益を配分する偏りが生じてしまう。なんのために公正があるか法律があるか無意味になってしまう。人間は奴隷ではない。神の奴隷でもないから、神にも反抗できる反骨心が人間に与えられた。

 現代では「病は気から」という諺が残っているにも関わらず、病気を霊魂の堕落腐敗とみなさないので、病院などでもサービスが蔓延して益々病気が感染していく。病気になるのは病気になる理由が霊魂にある。マンネリである。霊魂でつくりださないで与えてもらっているから生命力を失うのだ。愛を奪ってばかりいるからだ! 

 便利な社会にしか安楽死は存在しない。苦労を経験したくないという甘えである。自由というのが何の苦労もなしに獲得できると思っている智能のなさに呆れてしまう。過去に病気を経験したからこそ、その病気を克服できる。いまも霊魂のバランスのノウハウ獲得の真っ最中なんである。

 日本の社会は確かに便利だが、精神的には非常に不自由である。日本人は日本社会の奴隷と化している。それは逆に日本人が日本社会でしか生きられないことを意味している。だから海外では日本人は特殊にみられるのである。

 そのことを霊魂は薄々感じているから便利だけど、不幸感がみなぎるのである。だからみんなと同じでないと不安なんである。だから、戦中は特攻隊などという単なる権力への媚び諂いが美化されてしまう。アホバカ総理などその典型である。日本社会でしか通用しない奴隷の典型なんである。

 しかし、日本人などという民族は元から存在しないことは、明治維新前の歴史を勉強すれば明白なんである。

 前置きが非常に長くなってしまったが、今年の干支の「乙未」は、乙は天の言葉が現れたはよいが、まだ地に伝えられるほど明確ではない様を表す。天の神の言葉が曲がって受け取られる恐れがあるわけだ。

 そして、地の未はというと、未は毛がフサフサの羊を意味し、繁茂を表す。地の混沌さ、無秩序さを表す。だから刈り取って節度や秩序、節制しないといけない。つまり規則正しくしないといけないわけである。

 だから天の神の意志を正しく解釈し、悪魔の誘惑に負けることなく、規則正しくバランスよく天からの地への教えを改めていかないといけないわけである。

 霊魂の存在や、霊魂の向上、ソクラテスが説いた魂の配慮を知らしめる年であると自分なりに解釈しているところである。古代ギリシアの哲学が蘇る年となり、古代エジプトの医学が蘇る年となるように、このブログを充実していきたいと思う次第である。

 お粗末な挨拶ですが、聞いておくんなせえ!





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Last updated  2015年01月04日 07時33分54秒
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