シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年02月20日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 宇宙人の話の紹介ばかり続けていると現実離れしたアホなんではないかとブログを見向きもされなくなる恐れもあるので、しっかりと日本の歴史の紹介もすることにする。

 金満偽ユダヤに指揮された英米がなぜ広島と長崎に原爆を落としたのか考えてみると、やはり証拠隠滅が濃厚であることがわかり、以前紹介したコールマンの本に書かれているようにキリスト教と関係があるようだ。当時の広島と長崎が悪魔教でもあるキリスト教の総本山があったようである。

 いまではキリスト教を迫害した秀吉や家光が悪いように思われているが、迫害されるだけの理由があったこと、つまり人身売買を行っていたことが八切史観からも明らかになっている。つまり、当時の宗教は人身売買の隠れ蓑になっていてことも八切氏は明らかにしている。

 だから当時の日本でキリスト教の布教が失敗したのは仏教徒の人身売買の邪魔になったからである。人身売買の背景には厳格な身分差別があった。この身分差別を明らかにせずに、嘘の建前ばかりをこじつけて歴史として教えるから、話のつながりがなく、何が何だかわからなくなるわけだ!

 人身売買の犠牲にされていたのは白村江の戦いで藤原氏が来る前のいまでは縄文人と呼ばれている日本原住民であったことを八切氏は明らかにしている。藤原氏が朝廷を開き、原住民を部落民としていまでいうアパルトヘイトのように特定地域に押し込め、食糧を確保するために、部落民のうちで降伏したものを農奴として、大陸から連れてきた坊主たちに、その人身売買の監督にあたらせた制度が律令カースト制度なんである。

 つまり、戦国時代と幕末が人気があるのは、原住民であった部落民の抵抗運動が盛り上がった時代だからで、日本史とは、身分制度の戦いなんである。

 さながら、この状況はこれまで紹介してきた宇宙人の話のなかにある以下の人類のやり方が行き詰っている証拠でもある。

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 人類の現状は、互いを受け入れ合うのでなく、どちらか一方を破壊するやり方を主流としている。現代人は梯子(はしご)の一番下にいる者を足蹴にしたり、特定の人間のグループを重要視することで、他方が他方を破壊しては勝ち取るといった戦争を経て後、ほんの少しだけ融合するようになった。



 このように、人類は今大きな転換期にきている。それにはまずこれまでしでかしてきた人類の過ちを認め、反省しなければダメである。それにはやはり日本史の真相を解明することである。

 例えば、秀吉や家光がいまでは鎖国令とされているが、本当はキリスト教の追放をしたのは、人身売買のやり方がこれまでの仏教徒よりも酷かったからだと考えられる。

 さて、そのように日本史の真相に近づく話を以下に紹介するが、このブログ主も少し偏った考えをもっているので、鵜呑みにせずに参考にしてほしい。

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戦後民主主義の虚妄(4/4)
http://kokoroniseiun.seesaa.net/index-2.html

 (鎖国についての抜粋)

 しかし副島がどうも誤解していることは、 日本は鎖国していたわけではないこと 、これである。ペリーが来たから開国したのではない。対米貿易はペリーが来航する百年前からいわば公然の秘密で行なわれていた。アメリカ船は日本に入港する際にはオランダの国旗を掲げて、幕府の建前に従っていた。

 ペリー艦隊が日本に来ることは、幕府は前の年には情報を掴んでいた。幕府が慌てたのは異国船が江戸湾にやすやすと侵入したことにあった。江戸湾に侵入されると、いきなり江戸城が砲撃されてしまう。



徳川時代は悪かった、馬鹿だったのキャンペーンの一貫で「鎖国」が愚かだったとするのは、薩長政府が明治以降につくった官許歴史である。

 幕府は、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルそれにキリスト教を侵略者とみて1616年に外国船入港を長崎と平戸に限った。でも明の船はどこでも自由に出入りできた。

 幕府は段階的にヨーロッパの国との国交を断っていく。オランダだけはさほど悪辣ではないと踏んだのだろう。そのオランダとの交易は長崎出島だけと教えられたが、さにあらず。江戸時代には「四口」と言って、長崎、対馬、薩摩、蝦夷には貿易窓口があった。

 さらに言うと、阿部正弘はこうした幕府の対外交易を突然破棄したわけではない。天保13(1842)年、ペリー艦隊来航の11年前には遭難した外国船に飲料水や燃料を給与することを認める「薪水給与令」を出している。この時点で阿部は“祖法を破り”実質的に開国したのである。馬鹿殿・徳川斉昭が猛反発を始めている。

 したがって副島のいうように、純粋な攘夷など夢物語であった。祖法である鎖国を守れと「攘夷派」はわめいたらしいが、そんな祖法はなかったのである。



 ここでもう一度「そもそも論」に戻ってもらえば、国家は他共同体との対峙で誕生したと書いたように、共同体にとって他共同体との対峙は必然である。「直接」の関係である。わかりやすく言うなら、常に他共同体とは関わらなければならない存在だということである。

 完璧な鎖国、純粋な攘夷などは不可能なのだ。あの徳川幕府にだって鎖国はできなかったから、実際やっていない。対外関係を絞っただけのことだ。島国だったからそうした行動が取り易かったこともあったろうが、いうなれば「引きこもれない」それが国家なのである。

 他共同体との対峙とは、平易なケンカの意味ではない。

 個人の身体に譬えれば、病気になるのが嫌だと家の中に無菌室をこしらえて、入り浸っていっさいの外界を拒絶したら良いとするのが不可能なように、我々は外界と相互浸透する中で、外界といわば対峙しながら生存していくしか道がないのと同様だ。

 副島の言うとおり、薩長テロリストが政権を奪ったことは許しがたいけれど、さりとて「攘夷」なんかが「正しい」わけがない。

 「断固、外国人の侵入を阻止する」ことなどできはしない。

 これがやっぱり副島隆彦は評論家でしかなく、国家論も弁証法も修得しなかったゆえに学的に捉えることができなかった。

 これじゃあまるで、「水戸学」を捏造した徳川斉昭や藤田東湖、その弟子筋にあたる長州テロリストの考えと同じになる。

 事実、生麦事件、神戸事件、馬関戦争のように、「攘夷」に基づいて外国人を断固斬り捨てる騒動が起きたが、いずれも外国勢力から仕掛けられたと思われるが、欧米の武力に屈しただけでなく、日本の「正義」は国際関係では通用しなかった。

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 というわけで、上の話にも人身売買についての記載がないが、鎖国とは人身売買の制限なんである。人身売買の禁止は西郷さんが明治政府で政権をとったときに実際に行われたが、それも徴兵制度という新しい人身売買制度ができたからともいえる。徴兵制度が後の棄民政策につながっていく。

 棄民政策については以前紹介したが再掲する。

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 仏教寺院は農奴や被差別の民に等しい庶民の把握のために今日で言う戸籍を管理していた。そしてどの農奴の男と女を結ばせて子を得るかの指図を坊主がやった。

 庶民や農奴は当人の意志で自由に結婚なんかできなかった。

 (省略)

 さらに言えば、露骨に「当麻寺」なんて名が残っているが、寺は庶民に大麻を吸わせて「これが極楽だぞ」と信じさせていた。その名残が「当麻寺」となったが、今はその秘密は隠蔽された。今日でいえば、日雇い労働者に覚醒剤を与えて支配しているようなものだった。

 それが江戸期を通じて徐々になし崩し的に壊れていき、明治維新でフリーメソンの策謀はあったにせよ、庶民の解放が一気になされる。

 江戸期のなし崩し的解放とは8代将軍吉宗時代から始まった当時の大都会、江戸、名古屋、京都、大阪への人口集中現象であった。吉宗は「五街道目付」に命じて、主要街道の庶民の出入りなどの監視を経費節約を名目に庶民自身に担当させることにした。庶民の中の、旅芸人や旅商人として許可した者は囲い地から特別に出ることを許された者で、公認の朱鞘の刀(武士は黒鞘)と捕縛を持たせた。

 庶民に「お上御用」を担わせて、人件費をかけない監視体制を取ろうとした。「分割して統治する」であったが、これは全くのアイデア倒れで、徳川政権からすれば大失敗、庶民からすれば天佑となった。

 庶民から監視役を抜擢したために、これはチャンスとこの仲間の朱鞘の者=監視人に渡りをつけて、被差別部落ないし農奴とされた仲間たちが次から次に囲い地や農地から脱出して、博多、京阪、名古屋、江戸へと大移動を始めてしまった。銭で「町人別」を購入して、都会で商人や職人になっていった。

 だから大江戸は当時世界一の100万人都市になった。

 一方で警察の前身がこの「朱鞘」の木っ端役人だったから、もともと「囲い地」の出身で、ヤクザと親戚だし、平気で税金を裏金に貯えることを集団でやらかす。

 勝手に自由になった彼らが町人文化を花開かせる。勝手に囲い地から脱出したのだから、いわゆる政治的に国なり体制なりが身分保障するわけでもなく、戸籍で証明されているわけでもない、いわばみんな脱獄囚のようなものだった。明治維新になって日本の人口を調査したら、予想の倍も人がいて、明治政府は驚愕した。

 とても全国民を喰わせられないと踏んで政府は海外移民という棄民政策を実施する。

 海外に売り払ってしまえと提言したのは福沢諭吉なのだ。諭吉も侍だったから、庶民がそもそも元は囲い地からの脱走者だったことを知っていたからだろう。囲い地の人間の命など鴻毛より軽かったのだ。

 (この発言から現在のお札の肖像になっているのかどうかは定かではないが…)

 海外棄民の一例が「からゆきさん」である。そうやって庶民を大量に海外に捨てたので、運搬した商船会社は大儲けし、その海運会社の大株主だった天皇家も巨大な蓄財をなした。

 庶民のほうもお互いさまだから人権などなく、よって明治以降の軍隊では周知のように内務班は陰惨なイジメの場となった。

 海軍では軍艦の下働きにされた庶民(水兵)には便所もろくに設置されなかった。

 彼ら庶民にまがりなりの仲間意識が芽生えたのは、軍隊とか学校教育とか対外戦争とか新聞のおかげであったのだろう。そうやってやっと多民族国家が「単一民族国家」に出来上がっていった。

 徳川政権は彼ら庶民のための警察機構は作ろうとはしなかった。お上に反抗するものは取り締まったが、庶民同士の争い事には知らん顔である。「大岡裁き」などありえようはずがなく絵空事である。庶民同士の争いに国家が介入するようになったのは西郷隆盛が実質的首相のときに実現した。

 西郷が庶民を救って自由にしたのである。

 明治天皇は西郷を好きだったそうだが、それは彼=大室寅之介が本当の明治天皇の成り済ましだったから、自らの出身が「囲い地」のゆえに苦労を知っていたからではなかったか。

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 つまり人身売買をやってきた連中が政府をつくり戦争を起こしているわけである。だから軍隊は人身売買から生まれた権力者の手先にすぎなく、国民を守るためのものではないことがわかる。その典型が米国である。  





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Last updated  2015年02月20日 15時03分02秒
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