シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年11月04日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 肉食からデンマークとのこの国の比較へと脱線してしまったが、少し続けて、菜食と数学の関係を探ることにする。さて、この国はあまりに没個性主義なんで、外見が異なる外国人に対してかなりの偏見をもっていることが伺える話を以下に続けて紹介する。

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哀しいねえ
http://blogs.yahoo.co.jp/whitestone67/33018026.html

 「外人ウザい」「バーカ」「デカい女だな」

 俺のカミさんがこの1か月で見ず知らずの3人の日本人から街中で吐かれた言葉だ。3人とも若くは無かったらしい。

 カミさんが日本に来てもうすぐ5年になるが、数ヶ月に一回の頻度でこういうのはある。カミさんは「外人嫌いな人多いからショウガナイヨ~」と意にも介さないと言いながらもやはり表情は暗い。

 俺は犯罪を犯した外国人とか、日本で反日活動ばかりやってる外国人とかは国外退去させるべきだとかは思うけど、何で日本が好きで日本文化を尊敬しているカミさんがこうも頻繁に嫌な想いをしないといけないのかなと怒りがはっきり言って頂点に達してる。

 結局、見かけだけで判断して、外国人に暴言を吐くんだったら、普段一部の日本人が侮蔑の対象としている中韓人と大して変わらない民度しか持っていないということになる。



 ま、こういう日本人の美徳などとは程遠いような人間が見ず知らずの人間に平気で暴言を吐くのだろう。それでいて、この人間は他人のブログには良く「日本人として…」とか「反日は…」とかコメントを残している。こういう恥ずかしい自称愛国エセ日本人は叩き潰す必要がある。

 俺は愛国者として、こういうエセ愛国者は絶対に許さないから。同じ日本人として恥ずかしくて赤面しそうだ。

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 このブログの記述にもあるように、差別は若者というよりも比較的老人、特に団塊の世代に多いように感じるのは私だけだろうか? 我々の世代からすると団塊の世代はアグレッシブで闘争的な傾向をもち、いかにも学生運動の世代を感じさせる。

 そこで、団塊の世代と食事の欧米化を考えてみるために、ウイキで「日本型食生活」を検索すると、以下のように、戦後の食糧援助の美名の下に日本型食生活の崩壊、つまり食の欧米化がはじまっていることに気づく。

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 第二次世界大戦後の食糧難のなか、1952年(昭和27年)に栄養改善法が施行され、これに基づいて厚生省は国民栄養調査を実施し、栄養改善運動を始めた。戦後の栄養教育は、欧米流の栄養学を基礎としたことから、栄養改善運動ではパンを重視するなど欧米追随指向が顕著であり、 欧米風の食生活を理想としていた 。

 米偏重の是正が叫ばれ、日本人の主食とされてきた米は遠ざけられ、米は市場にだぶつき過剰時代に入り、1970年(昭和45年)には減反と米の買い入れ制限が始められた。

 日本人1人あたりの米の年間消費量は、戦後のピークの1962年(昭和37年)には118.3キログラムだったものが、その後一本調子で減少し1990年代後半には、ひと頃の半分の60キログラム台に落ち込んだ。

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 またこのような米国頼みの政策から、団塊の世代は食の欧米化の申し子といってよい。この時期まだ肉食は一部の富裕者だけだったが、団塊の世代の成功者は経済成長とともにいち早く欧米風の肉食化に埋没していったといえるから、つまり単純にいえば、団塊の世代の闘争心は、肉食によるものとも考えられ、そして昨今の団塊の世代のガン死なども、その影響と考えられる。

 団塊の世代は肉食とともに成長し、肉食とともに去りぬ

 といえるかもしれない。そして何より、団塊の世代をみていると、デンマーク人の特徴でもある「 デンマーク人は自分の主張を押し通す意思が強く、また自分に非があることを認めるのを嫌う 。」傾向をもつことが認められる。

 デンマーク人は個人主義の傾向が強いから他者に自分の価値観を押し付けることは少ないと思われるが、この国の住人は没個性なんで、価値観を押し付けられる場面によく遭遇する。それも価値観を押し付ける側は団塊の世代に多い。



 この独善主義の傾向は、独善的な歴史観を振り翳すアホバカ政権の特徴であり、悪魔の日本会議の本性ともいえる。

 それに何より、団塊の世代は飲酒率が高いのではないだろうか?

 団塊の世代のイメージは酔っ払いサラリーマンである。連日連夜飲み会に耽り、家庭をこころみないイメージがある。この点は、個人主義が根付くデンマークとは大きな違いにみえるが、調べてみるとデンマークも飲酒は日本以上に飲むようだから、団塊の世代は、マイホームを忘れたデンマーク人といえるかもしれない。

 そういえば喫煙をするのもこの世代の特徴ではないだろうか?

 喫煙するために独善意見を振り翳す人もよくみかける。デンマークも喫煙率が高いそうである。

 それでも、この国の団塊の世代のように、デンマーク人は酒が嫌いな人にまで飲ませることはしないと思われるので、団塊の世代の個人主義の欠落は致命的といえる。勿論、団塊の世代のなかにも先輩風を吹かせて理不尽な命令を要求しない理性的な人もいるだろうが、私の経験からそのような人に出会ったことはない。

 というのも恐ろしいのは、団塊の世代は多数派を容易に形成しやすいので、連中のライフスタイルが容易に標準化されてしまうところにある。つまり肉食と飲酒が団塊の世代では当たり前になってしまうところにある。だからそれが行き過ぎると、闘争心をもたない男は男でないと独善意見を振り翳したりする。

 恐らくモンスタークレーマーやモンスターペアレンツなどは団塊の世代に多いのではないか?と思う。

 随分と脱線してしまったが、このような人たちには肉食や飲酒を抑えるべきに思えてくる。ガンになってからでも遅くはないが、恐らくこのような人は自分で治そうとすることはなく、他者のせいにしがちなモンスターペイシェントになりがちだからである。

 自分は悪くない、悪いのは他者というのが、ガンの元凶だからである。

 ガンになったら休むのが基本だろう。ガンになっても仕事を続けるのは美学ではないと思う。生命あっての仕事なので、優先順位を間違えては駄目である。仕事のために生命を犠牲にするのはドラマや感動をうむだろうが、それは所詮、非現実の世界だからこそ成り立つように思える。

 現代社会の仕事に代表されるような万人の万人に対する戦いの日常では、闘争心自体を否定することはできないが、特にスポーツ競技においてはもはや必須となっているので、飲酒や肉食を禁じることは不可能だが、それだけこの世が地獄化している証でもあるから、この地獄化を少しでも天国に変えるべく、肉食を徐々に抑えていく意志が必要にみえる。

 様々な宗教が肉食を制限し、飲酒を禁じているのは、闘争心を抑えるためであることがわかる。

 そもそも唯物論で考えても、霊魂を無視するのだから、動物の肉には動物の習性が宿っていると考えられるわけで、動物の肉の中の運動神経などの成分がそのまま移植されると考えても不思議ではない。実際、昨今流行のサプリメントやヒアルロン酸などのプチ整形的な考えなどは、これと同じで消化などの人体の働きを度外視している。

 肉食獣の肉を食べれば獰猛になる、というわけである。この考えは半分正しいが半分間違っていることは、人智学から考えればすぐにわかる。 

 肉食とスポーツ、特に闘争心の関係の紹介が長くなってしまったが、当初予定していた菜食と数学の関係の紹介にうつる。

 菜食の国のランキングをネットで探しまわっても結局みつからなかったので、ベジタリアンで絞って探しても、目ぼしいデータはみつからなかった。そこで、数学で有名なピュタゴラスが、ベジタリアンであったことから話をはじめる。また、インドに数学者が多いのは、インドが菜食中心の国であることに関係があるように思われる。

 さて、ウイキの「ベジタリアニズム」にもあるように、「紀元前のギリシャでは、菜食主義者は古代ギリシャの哲学者で菜食主義者であったピュタゴラスにちなんで、ピュタゴリアンと呼ばれていたが、野菜のベジタブルと語呂の良いベジタリアンがこれに取って代わることになった。」とあるように、菜食と数学の関係の代表者といえる。

 更にピュタゴラスは、思考力を究めるために、豆を食べるのを禁じたという。

 豆を食べるのを禁じた理由をシュタイナーは次のように説明している。

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 古代から遺伝として継承されてきた霊視により、植物の自然のなかに生きる性質に従って、その植物を食べたときに、人間の頭に、どんな影響をもたらすか、もしくは、どんな植物の根が、人間の霊能力を高めるのか、などが吟味されてきた。

 植物を食べ、完全に消化できれば、消化された植物のその要素は、頭の中へと進行し、人間の頭と一体化することで、霊化した宇宙を求めて上昇し、宇宙との結びつきを獲得する。

 植物のなかで、既に宇宙からくるアストラルに強く浸透されている、例えば莢果{エンドウなどの豆科植物の実}植物では、その実を消化しても、頭まで上昇せずに、下腹部のなかにたまってしまうので、睡眠を浅くすると同時に覚醒時も頭をボンヤリとさせてしまう。

 (肉食とほぼ同じ働きをする。)

 このため、ピュタゴラス学派の人々は思考力をいつまでも純粋に保ちながら、継続させたいので、頭の機能をなるべく消化の援助にまわさないように、豆類を食べるのを禁じたのである。

 このような植物の自然のなかに生きる様子から、人体との関係、しいては人体内で生じる事象との関係が霊視できる。

 正しい秘儀参入学を知れば、人間の消化について(牛の消化とは全く異なる)、菜食を考察するだけで、植物の治癒力を矛盾なく説明できるが、このことは唯物論的科学には理解できずに不思議にみえるだけだろう。

 植物は消化後、残らず霊化される。植物は、霊化により、植物では最も下にある根が人体では最も上にある頭へ、植物では最も上にある花が、人体では最も下にある手足や下腹部へと転じる。このような逆転現象が最大の変容である。

 また、人体のなかで、植物で最も下位の根が、人体の最上位の頭へと、植物で最も上の花が、人体の最下位の下腹部へと転じない植物を、少量でも食べると、忽ち異常になる。

 このような事実から、人間は霊化できないものからは何も得ることがない、ということがわかる。

 なぜなら、人間が摂取する物質には、まずある霊的な形態を与えねばならず、その結果、霊である自我が、影響を及ぼすことが可能となるからである。

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 長くなったので、次回に続く。





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Last updated  2015年11月05日 13時53分41秒
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