シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2016年01月05日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 昨日の日刊ゲンダイに、もう馬鹿らしくてみてないのだが、ヤラセ番組の定番として有名な「朝生」がヤラセをしていた記事が載っていた。数十年前から、このインチキジミン支援番組が、CIAの犬番組であることは、薄々わかっていたが、今回の件で明らかになった。

 大体司会者の誘導意見やいい加減さや、困ったときの共産党や野党叩きや政治失態のときの北朝鮮問題へのすりかえなどがあまりに見え透いていたが、特に日本社会や日本文化を崩壊させたコネズミ改革を支持してきたのは、この若者洗脳有害ヤラセ番組である。

 犬HKとこの売国番組はCIA洗脳番組といってよい。

 弱くて冷酷な奴ほどインチキやヤラセをする傾向にあるといえるが、この番組は白豚と同じで強いものにヨイショし、言論で弱い者虐めをするかつての大本営発表と同じで私は大嫌いである。

 さて「男は強くなければ生きていけない、 優しくなければ生きる資格がない」は名文句だと思う。国の指導者はなにも男でなくてもよいが、強くなければ、国の面目が立たず、優しくなければ、国を治められないだろう。

 だから、指導者は強くなければならず、優しくなければ職を辞するべきだろう。

 だから、困難に打ち勝つ強さと、誰にでも優しく接する愛情の深さがないと、指導者失格というべきである。

 歴々のこの国の指導者を鑑みて、その2つをもっていた者は皆無といえる。米国に弱く、国民に冷酷な輩ばかりで、1億2千人ほどの人口のなかに、1人もいないのである。たとえ、1人いても、その1人は指導者になる気がないくらい愛国心がないから、いないのと同じである。将来、この国がなくなっても知らぬが仏なんである。

 日本民族なんて強がっていっても、所詮は、このような体たらくである。日本民族なんて妄想にすぎないのは、国民を舐め腐って私服を肥やす連中の現状をみれば自明である。



 美味しいものばかり食べていると、次第にその美味しさに慣れて、味気なさを感じるように、たまには不味いものを食べてみる必要があるように、楽ばかりが与えられると、かえって退屈で、時には苦が必要になる。

 ドラマ水戸黄門の♪人生楽ありゃ苦もあるさ♪ではないが、苦と楽はワンセットと考えるべきである。というのも、苦を克服するのがホンモノの楽だからである。

 老子だったか、孔子だったかは忘れたが、赤ん坊の善は確かに善だが、容易く悪に染まってしまうからニセモノの善であるというような話がある。これと似たように地上の楽園もあるにはあるが、それは容易く崩壊するので、ニセモノの楽園なのである。

 ホンモノの楽園をつくるために、シュタイナーの話の紹介を続ける。

 ★         ★         ★


 -弟子のクッテネルがお送りします。

http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-800.html

 ≪輪廻転生(10)≫

浄福と孤独(改変)

 私達は、霊界で《創造の元となる意識》を用いて《霊界の環境》を明るく照らし出す時、言い様もない至福感、宗教上『浄福』と呼ばれる感覚を体験すると言います。



 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p61《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)

 それ程の至福体験なら、いつまでも体験していたいものですが、シュタイナーによれば、この状態は、また別の状態と交互に現れるようなのです。説明を続けます。

 「魂は、自分の霊がもつ照明力、創造力を、外の環境に向け放射することで、周囲の神霊達をいつも体験できるのではありません。

 この明るい状態は、照明力が放射できない、暗い状態と入れ替わるのです。この暗い状態の時の魂は内的に鈍くなり、もはや光を放射できず、全てを内に向け、全く孤独な生活を体験します。

 ですから、地上の日常生活で、睡眠と覚醒を交互に体験するように、死後の魂は、霊界の外をみる体験と、内向きな孤独の体験を交互に繰り返すのです。



 孤独の時の魂は、意識を失っているのではなく、むしろ意識を高めて体験しているのですが、

 《霊界が外にあるのに、私は一人だ。私の体験全ては、心の内側だけにある。》

 と感じるのです。

 (中略)

 この《内なる体験》を通してのみ、内なる照明(創造)力が強化されるのです。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p62 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)

 この状況は、シュタイナーの言葉から想像するしかありませんが、小生には、秋の虫が力の続く限り鳴いた後、しばらく闇の中に沈黙し、また次の力を蓄えて鳴き始めるようなイメージに思えてきます。

孤独の極みへ(改変)

 しかし、こうした状況もずっと続くわけではありません。やがて魂は、シュタイナーが《死から新しい転生までの霊界での真夜中》と呼ぶ段階に近づいてゆきます。

 「死から新しい転生まで続く魂はやがて次第に自分の照明力が衰えてゆくのを感じるようになり、内的な孤独感が一層強まっていきます。

 そうすると人間は内に宇宙を体験するようになります。魂の内側に《全て》が入ってしまったのを知った魂は、いい知れぬ恐怖感に襲われます。」

 (外にあった星空を内に感じる)

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p63 《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)

 また、同書の終わりでは、このときの感覚を次のように表現しています。

 「私達は次のように感じます。

 《お前は今、お前の魂の照明力を次第に失っていくため、周囲は益々暗くなっていく。

 そして、霊たちを見る機会が益々失われ、次第に孤独になっていく。

 お前は自分の魂のなかだけしかみえなくなる。しかし、外を照らせなくなるほど、逆に魂は豊かになっていく。》

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』 pp189-190《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)

 一見すると、力強く光り輝いていた《霊性》を次第に失い、闇の世界の中に埋もれてしまうように感じてしまいますが、シュタイナーは最後に《魂は豊かになっていく》と言っています。

 その説明は次のように続けられます。

 「霊界での孤独とは、周囲がみえなくなり、社会的な体験をしなくなり、霊界の暗闇の中で、これまでの体験を思い出すしかない、というのでは無く、独力で、思い出を、瞬間瞬間に生き生きと作り出していく状態なのです。

 それは《内の絶えざる創造活動の段階》であるとも言えます。

 しかし、その時の魂は、外界があるのに、自分のみに関わり、ひたすら孤独な創造作業をしていかなければならない、ということを自覚しているのです。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p190《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載) 

 つまり、今まで外界に向けて、霊界の環境を感じ取るのに使ってきた《創造の元となる意識》を、自分の内側に向け、自分の魂の世界を創ってゆくために使用すべき段階を迎えた、と魂が自覚してゆくのです。

 しかし、それは霊界の環境を照らし出す『浄福感』とは全く逆の、いい知れぬ『孤独感』を伴う作業であり、決して楽しい作業では無いようです。一体何故そんな選択をするのでしょうか。

至高の存在の孤独(改変)

 一般に、多くのスピリチュアリズムでは、『最高次の存在』については『全知全能の唯一の至高の存在』として説明されています。そして我々も実はその存在の一部でしかないとされています。

 しかし、《至高の存在》は唯一の存在であるため、自分自身が何者であるか、言い換えれば、自分以外の存在がいなければ、自分を感じることができません。

 そこで《至高の存在》は、自分から個々に切り離された《分身》を生じさせ、それに個々の《意識》を持たせ、その体験を通じて、自分自身の様々な側面を知ろうとして、我々を産み出した、と説明されています。

 しかし小生は、明確には説明されていない、もう一つの動機が加わっているように感じています。それは、《魂》が《自身から生まれる魂の世界》を創り出すという、いい知れぬ《孤独感》と同質のようなものを感じるのです。

 全知全能で唯一の存在であるが故に、《至高の存在》には理不尽な対立や葛藤は生じません。しかし同時に、他の存在を愛したり愛されたりする喜びも感じることもできません。

 (自分で自分でないものを演技するしかないが、全てが自分なので、自分でないものを知らない。)

 手塚治虫氏は『火の鳥~宇宙篇』で、不死の生命を得た主人公「山之辺マサト」を登場させます。彼は、宇宙の全生命が死滅した後も、悠久の時の中を全く一人で生き続け、ひたすら他の生命の誕生を待ち焦れる日々を過ごします。

 意識を持つ存在にとって、恐らくこれ以上の《孤独感》は無いでしょう。

 《至高の存在》にはこれと同じ『孤独感』があり、何とかその感覚から逃れる方法を模索しているのではないでしょうか。

 それが、自分の一部でありながら、自分を《他の存在》だと思い込む存在を創り出して、それに自由な喜怒哀楽の体験をさせ、その体験を持ち帰らせて、自分を感じるのが本当の目的ではないかと、小生は思います。

 《霊界》にいる時の私達は、まさに《至高の存在》の意識に限りなく近づいていくようです。恐らく《本当は自分は唯一の存在》であることも認識しているのでは無いでしょうか。

 (自分を自分として認識できる意識)

 この時、《至高の存在》の感じる《孤独感》も共有すると、次にはその感覚から逃れる方向へと向かうはずです。それが個別の意識を持つ世界―つまり、転生への道を選ばせるのではないでしょうか。

 無論、これは小生の直感に過ぎません。《至高の存在》はそんな《孤独感》など全く超越した存在なのかも知れません。また、仏教の菩薩道も、最近のアセンションの提唱者も、そのような輪廻転生から解脱すべしと言います。

 しかし、少なくとも小生のような凡人は、そのような《孤独感》の状態に置かれたまま、永遠の時を過ごす覚悟は到底できておらず、また転生への道を選んでしまうような気がします。

 仮に全ての《個我》が覚醒してしまえば、全意識は一つになり、自分の他には何も存在しない《孤独感》を一様に感じることになるでしょう。しかし、その覚悟が出来ていない《個我》、そしてもしかしたら至高の存在自身がある限り、輪廻転生は永遠に続いてゆくのではないかと小生は思います。

 ★         ★         ★

 孤独というのは不完全性を感じることかもしれない。





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Last updated  2016年01月06日 10時15分30秒
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