シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2016年01月07日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 姓の話の紹介が中途半端になってしまったので、また続けたい。

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≫有名人になれる姓≪(改変)

 日本におけるタレント(有名人)の発祥は足利時代の差別思想から始まっています。

 「 河原者 」というのが、その元祖のようなものでありましたから、やはりそうした血が流れている人はタレントとして世に名が出ますが、そうでない民族の人はいくら努力しても向かないようです。

 (どうも先祖の因縁が関係しているようである。)

 自分には才能があるとか、他よりルックスやプロポーションがよいからといって、芸能界を志しても、その血の流れは先祖伝来でもって生まれた素質以前のものがあって、特別な姓をもつ人以外の誰もがタレントになれるわけではないのです。

 (だんだんと外来の血が入って、自由になっているので、昔ほどではない。)



 もちろん「河原者」という言葉が出てくる以上、前進座の河原崎長一郎とか、本姓加藤の美空ひばり、作曲家の神津善行、漫画家の加藤芳郎などのようにKのアルファベットがつく人は、申し分のないタレント性の持ち主といえるところですが、それ以外にも、M、N、O、S、T、W、Yのアルファベットがつく姓をもつ人にタレント性は限定されています。

 (か行、ま行、な行、さ行、た行、わ行、や行、お、だから、ほとんどという気もするが、残るのは、あ、い、う、え、は行、ら行、濁点のが行、ざ行、だ行などがある。)

 と、書きますと「・・・・・まさか」と思われるかもしれませんが、Kの他でも、Mをイニシャルにもつ人には、例えば、歌手の森山良子、映画監督の増村保造、俳優の石坂浩二こと武藤兵吉、イラストレーターの真鍋博、女優の山岡久乃こと森塚久乃、それからOをイニシャルにもつ人たち、女優の岡田茉莉子こと岡田鞠子、俳優の中村錦之助こと小川錦一、歌舞伎の尾上松緑、歌手の坂本九こと大島久、映画監督の大島渚といった面々から一目で判ります。

 Sの代表に入るのは、映画監督の篠田正浩、評論家の坂本二郎、オペラの砂原美智子、女優の杉本春子、作曲家の佐藤允彦、売れっ子写真家の篠山紀信。

 Tとなりますと、歌舞伎の尾上菊之助こと寺島秀幸、俳優の高島忠夫、滝沢修、女優の高峰秀子、写真家の立木義浩、映画監督の谷口千吉といったぐあいです。

 そしてWは、随筆家の渡辺紳一郎、女優の鰐淵晴子、医者で作家の渡辺淳一。

 Yは、女優の山田五十鈴、作家の山口瞳、映画評論家の淀川長治、作曲家の山本直純、歌手の由紀さおりこと安田章子といったぐあいにもって生まれた姓が、「K、M、N、O、S、T、W、Y」ならば、これは確実にタレント性を発揮でき、それが「A、F、H、I」などの人になりますと、まあ素質がすぐれているならば、条件つきで、という処なのが現在(昭和)活躍しているタレント・有名人についての比較研究の結果なのです。

 こうしてみると、これら以外の姓の方は才能があっても余り見込みはありませんから、見合わせるべきでしょう。

 (昨年から話題の五郎丸選手はGなんで一過性なのか? そこで続けて調べてみると、お笑いビックスリーのたけしさんまタモリの3人は、北野のK、杉本のS、森田のMで全てあてはまる。



 また気になったので一発屋芸人も調べてみると、ダンディ坂野は坂野でS、ヒロシは斎藤でS、小島よしおはK、杉ちゃんは杉山でS、キンタローは田中でTであてはまる。

 あてはまらないのは、波田陽区の波田でH、日本エレキテル連合の橋本のH、8.6秒バズーカ―のはまやねんの浜根のHで、いずれもHだが、Hをもつ芸人でも、人気が続いているのは、ダウンタウンの浜田のHがいるから、この法則が必ずあてはまるとはいえない。

 大まかにまとめると、いずれも人気なのはK、S、Mの姓で、続かないのがHの姓ということになる。

 そこでHの姓に拘ると、大御所の欽ちゃんの萩本のHがいるから、芸人でHの姓が原因とはいえないが、あくまで法則を重視し、コンビを組んでいる相手によると考えると、つまりコント55号の相手の坂上のSの御蔭ともいえるかもしれない。

 この法則をあくまで重視するなら、同様に、ダウンタウンの浜田のHは、松本のMに助けられているとも考えられる。コンビを組まずに、ピン芸人でHの姓だと人気のタレント性が続かないとも解釈できる。



 面白いところでは、所ジョージの旧姓角田はKであてはまるが、芳賀のHだとこの法則にあてはまらないので、人気が続かない姓となるところである。

 ついでに女性アイドルを調べてみると、AKB48の前田のM、大島のM、指原のSとほとんどが、この法則にあてはまるが、つくった秋元は本名であれば、Aなのであてはまらずに、タレント性はないことになる。

 ちなみに、数十年前に人気だった、おニャン子クラブは、国生のK、河合のK、新田=長山のN、工藤のKなど、有力な人気どころでは、K姓が顕著で生稲のI以外はあてはまる。

 そこで人気女性タレントを調べてみると、綾瀬はるか=蓼丸のTがあてはまるが、新垣結衣のA、堀北真希=原のH、石原さとみは本名が?なので、I姓とはいえないが、あてはまらない。

 人気と言えば、数十年前に人気だった松田聖子=蒲池のK、中森明菜のN姓で、共にこの法則にあてはまる。)

先祖を遡る(改変)

 ニジンスキーとかイフレワスチカといえばロシア系。フィリップ、ポナルドならフランス系。ゲルベテイやハイリッヒならドイツ系。といったように複合民族でなりたっているアメリカでも、その姓の発音で先祖の出身地がわかります。

 中国でも、孫、呉、陳の姓は南方系とか、李、孟、毛なら中部。朱、何、衛は北方系といった大まかな分け方があり、香港の九竜半島には、王家、白家といった同姓だけの集団が、一つの城壁の中でかたまって住んでいるのを、ガイドに案内されて見物した人もいるでしょう。

 近くの朝鮮半島でも、やはり金とか玉といったような姓で、村落が形成される地方のあることを知っている人もいるでしょう。

 つまり言葉の訛は郷里の手形と日本ではいいますが、海外では地方であるほど、姓によって出身地や民族が、ある程度分類できるようになっています。

 ところが日本人の姓の種類は他国に比べますと多く、フランスの12倍、イギリスの23倍、イタリアの37倍と雑多にあるのですが、その物珍しさだけで、変わった姓をピックアップして「珍名」さんぐらいの扱いに止まって、興味本位にしか取り上げられていません。

 姓の発生についての考究がまったくなされていないのです。

 もちろん太田亮の<姓氏字典>の類がありますが、<尊卑分脈>からの借りものですから、あまり信用できるものではありません。何故かといえば、漢字を日本列島へ持ちこんできた弁髪の人たちが、「自分らを尊とし、それまでの日本原住民を卑とし」勝手に作り上げたものですから、とても、マトモには取り上げられないものです。

 そして、それには日本人の姓は「源、平、藤、橘」の四つにさかのぼれ吸収される、というのを建前にしているのです。しかし、とても正確には何も判ってなくて書いている故に、閉口してしまいます。

「源」 、これは「元」を意味して、後にヂンギスカンをうんだ民族で、紀元前に、沿海州から北鮮経由で日本列島へ入ってきた騎馬民族。のち新羅や高句麗からも移民してきて、これが日本では武家となって、後に源氏とよばれるようになりました。

 (義経=フビライという説もこれが源流)

 つまり八幡太郎義家が東征する際に追ってきて、別れを惜しんだのが、「新羅(しらぎ=白木)三郎」といった名だったように、これははっきりしています。つまり彼ら源氏が白旗をたてたり白衣をまとっていたのも、沿海州や北鮮の人が、今も白衣をまとっていることからして納得できるというものでしょう。

 (日本の医者の白衣も、徳川家の源氏の白衣を由来としている。)

 源氏の氏神さまだった三島明神や、氷川神社はみな高麗神社や白髭神社と同じ朝鮮からの神さまであったのも有名です。

 ブタペスト博物館へ行きますと二階のフロアの壁面に、「元軍来冠のときの国難」の大きな油絵が掲げられていますが、フビライカンの尖兵が携えている楯には、はっきりと 笹龍胆のマーク が入っています。

 笹といえば日本特有のように思われ勝ちですが、大陸の北東には多い植物でして、パンダの常食もこの笹の葉であります。上野の動物園にきたパンダが凄い人気なのも、ただ可愛いというだけでなく遠い先祖の郷愁といったものが、視えぬ糸によってつながっている源氏系の人が、今も日本人には多いからでありましょう。

 (パンダで有名な動物園がある上野というのは東北系の人が東京に入る玄関口だから、東北系に多い源氏の人々の哀愁を誘うと考えられる。)

「平」 、は音でも訓でも、それはヘイとかタイラ、ヒラとよむべきなのに、ペイと発音する(昭和初期)のは何故かといえば、源が元国であるように、これは「ペイ」ルシアつまり今では「イラン」とよばれているペルシアをさして居るからでしょう。

 先日(1971年10月12日~)イランでは建国二千五百年の式典があって、わが国からは三笠宮さまが御臨席なさったので、テレビの<皇室アルバム>の番組で放映されたこともあります。ですから記憶されている方も多いでしょうが、「中世の騎兵行進のパレード」で、皆が三十センチ巾の細長い深紅の旗を各自が一本ずつ背に立て、「オーレ、オレ」のかけ声で分列行進していたのは、平清盛の頃を思い出させるものでした。

 そして安芸の厳島神社の宝物殿にある「平家の公達の御佩刀」と同型のものが、ヨルダンの空港売店で、三日月型のトルコのヤガタンと同じように土産品として売られていますし、やはり社宝の平家の皮太鼓とそっくりのものが、ラクダの首につけられ、アラブ人が、それをポンコポンコ叩いている風景もみられます。

 オーレとか、オレという掛け声は、かつてはアラブ系のムーア人の植民地だったスペインでは、闘牛場での掛け声に使われていますが、日本では清盛入道が自分のことをいっていたとかで、「俺」という文字が当てられて今は広く用いられています。

 しかし本当の意味は、回教、つまりフイフイ教のアラーの神を讃える言葉なのです。

 (ちなみに、アラーとは、アメンラーの短縮形のようで、アメンは天を、ラーは太陽を表すようである。つまり太陽神のことで、ドーリルによると、古代アトランティス時代の最後の王で、アトランティス大陸の大破局を逃れ、エジプトに移住して、王国をつくり、エメラルドタブレットを残したヘルメス・トリスメギストスでもあるという。)

「藤」 、はいうまでもありませんが唐です。

 西暦七世紀の初頭に随国を滅ぼして東北へ進出し、朝鮮半島を席巻し白村江の戦いで完全に釜山まで制圧し、やがて日本へ入ってきた彼らに、「降参します、帰化させて下さい。どうせ吾々は亡国の民ですから」と、まっ先に帰順して先導役をかってでた日本列島在住のクダラ人を使って、「王道楽士」は建国し、桃源境をもじって造営したのが、藤原京なのは前にも述べました。

 そして彼らは自分らも、それから藤原(唐「トウ」を原とする)氏と名乗って勢力をひろげたのです。

 当時の彼らは、弁髪といって女の子のお下げのようなロングヘアーを垂らしていましたから、クダラについで入ってきた新権力者たちに対して、日本の原住民はやむなく、「(髪の)長いものには、まかれるしかない」とする独特の日本精神を産んでしまったようです。

 ですから、かつてマッカーサーが日本へ進駐してきたとき、「あれだけ勇敢に抵抗してきた日本人ゆえ、きっとレジスタンスは烈しいであろう」と、予期して警戒してきたのに、ついには1回の反乱もなくかえってびっくりしたといいますが、いったん破れて負け犬になったら、それっきりになってしまう世界にも珍しい日本精神を育成してくれたのが、昔の紙幣の肖像になっている藤原鎌足たちだったのです。

 (奴隷根性や島国根性といわれる。英国は島国だが、このような根性はみられず、いまでも独立運動が盛んである。)

 「六踏三略」とよぶ兵書を携え日本へ進駐してきた彼らが、クダラ人を傭兵に日本原住民の大討伐をしたのは七世紀から八世紀にかけてであったといわれます。

 (クダラでない原住民を、クダラナイと呼んだ。大阪から品物が江戸に下らないから、クダラナイという説は後世の後付けである。なぜ「上る(のぼる)」や「上らない(のぼらない)」がないのか説明できない。十(トウ)=唐=藤原でなく、八=平氏や四=源氏という差別言葉は明治まであった。)

 つまり、かつての日本軍部が兵隊に対して、「生きて捕虜の恥ずかしめをうけるな―捕えられたら自決してしまえ」と<戦時訓>で徹底的に教育したのが、今では残酷と非難されています。

 しかし日本兵というのは、その御先祖さまが、討伐されたときにも徹底的にやられたとみえて、「戦え」と命令されている間は、戦後二十七年たっても頑張っている立派な人もいる反面、一端、敵側に捕えられてしまうと、今度はそちらの云いなりになって、何でも、べらべらしゃべったり、敵の案内役さえまじめにかってでて、命ぜられれば逆に攻めてくるのも居たのです。

 それゆえ、やむを得ず、「お前らは将棋の駒ではない。敵に捕えられた途端に、向うの持ち駒にされて使われたのでは困るだから、捕虜にされ掛かったら潔く死んでしまえ」となったのだといいます。

 思えば藤原氏というのは、今に到るも日本人にアレルギー的後遺症を厳しく残させているのですから、恐ろしいものだったようです。

「橘」 、はタチバナとよませ、楠木正成に結びつけていますが、正しくは十世紀から十一世紀にかけて日本海まで勢力をのばしてきた「契丹」のことであります。

 契丹文化とよばれたくらい高度に文化の発達していた人たちで、「真名書き」とよばれる漢字に対して、今日の「平仮名」をもちこんできたのも彼らだといいます。そして当時の日本は藤原道長の全盛時代でしたが、契丹人は多くの才媛を御所の中へも送りこんだと伝わっています。

 さて古来からの日本人の姓への考え方といいますか、分類法によって四種に分けて、それを1つずつ裏付けをとってみますと、それだけでも西南アジアから中国、そして満州、朝鮮と四方が海に囲まれているだけに、いろんな民族が日本列島へ入ってきて、これが雑居のままで1つになっていることが判ります。

 ですから他国とは陸続きのヨーロッパや、中国大陸と朝鮮のように、「先祖を同じくする者らが、一つの姓で一つの聚落に形成される」といったことは、日本では不可能だったのかもしれません。

 しかし幸か不幸か明治になるまでは、徳川体制の方針で、「大名の国替えをする必要上、土地は私有を認めぬが、人間はその限りでない」とされていましたので、限定居住制度がしかれていました。

 百姓が勝手に農地を放って逃げると、捕まって見せしめのために打ち首にされたのも、住居地の気儘な変更は許されなかったからです。

 (坊主が人身売買をして管理していた。だから戦国時代は、坊主が大名であったのも多い。ちなみに藤原氏などの貴族以外に墓はなかった。明治政府の農地改革の代わりに庶民にも墓をつくらせることで、坊主に葬儀などの商売を与えた。日本の仏教が現世利益主義で他と異なるのはこのせい。)

 それゆえ明治五年の壬申戸籍作成の際も、かつての限定居住地を姓としましたから、一世紀後の今日になっても、いわゆる苗字のはじめの発音さえ聞けば、どうにか、その人の血の流れがつかめ、<八切姓の方則>が生まれる端緒にもなったのであります。

 さて、その姓の発音によって民族別を確かめ、「あれはゲルマン系だからうるさいぞ」とか、「イタリア系ゆえ女に手が早いから用心しなさい」といったような識別は、世界中どこの国でもあるので、日本でも、この法則を、大いに活用して貰えば、なにもビジネスや結婚に限ることなく、きっと他方面に色々と有益なことが多いと思うのです。

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 少なくとも日本史を探求するには、この姓の法則を知らないと真相に近づけない。明治政府が、棄民政策と民族融和で、欧化白人主義政策をとったから、このような真相が隠され、インチキや捏造された講談や講釈で、明治政府に都合のよい宣伝がなされ、いまではわからなくなってしまった。





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Last updated  2016年01月08日 12時37分38秒
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