シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2016年02月02日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 巷はいまだに汚職を庇う同罪人や不倫を擁護する非道徳な輩が騒いでいる。確かにバッシングはよくないが、バッシングが起こるのは、権力を用いて汚職を庇ったり、著名で不倫を擁護するようなことをするから、火に油を注ぐのだろう。

 しかし米国などの国際社会に比べれば、汚職については日本はまだまだおとなしい方である。

 何も米国並みに徹底的に追及しろというわけではないが、追求に手心を加えるようなのは自浄能力の欠如を示しているわけで問題である。

 注意すべきなのは、汚職と不倫を同レベルで論じないことである。汚職の話がいつのまにか不倫の話に変わってしまっては論外である。

 結局全てがインチキのなせる業という話をお馴染みのサイトから紹介する。

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自民党が暴力団の下請けになっている
http://my.shadowcity.jp/2016/02/post-8735.html



 「一色氏は数年前まで東京・八王子に本拠地がある右翼団体に所属していたが、いわゆる「大物右翼」などではない。活動は神奈川県内が中心で、「会社を経営しているという触れ込みで、業者と役所とのもめ事に介入する事件屋のようなことをやっていた。陳情のために地元選出の代議士や地方議員の事務所にもよく出入りしていたが、しっかりした秘書がいる事務所からは警戒され、相手にしてもらえなかった」(地元紙記者)

 警戒される理由は、議員にトラブル処理の陳情を持ちかけるが、陳情がうまくいかないと豹変してマスコミや警察に告発し、議員側に揺さぶりをかけるという、いわば「告発常習者」の前歴があったからだ。

 50年間出なかったカネが、甘利が動いた瞬間に出たw 出すべきでないカネ、2億2千万円w 恐喝だよねw 盗られたのは国民の収めた税金です。

甘利氏会見と食い違い、「告発者」が証言 現金授受問題
 甘利明・前経済再生相の現金授受問題で、現金などを渡した建設会社の総務担当者が31日、朝日新聞の取材に応じた。甘利氏が会見で説明した計600万円の授受以外に、900万円超を秘書に渡していたことを証言した。

 甘利氏自身の現金授受をめぐっても、「道路建設の補償交渉のお礼」と述べるなど、趣旨や状況に食い違いをみせている

 さて、URから出た「補償金」は誰が手にしたのか? 順当なところでは薩摩興業なんだが、多分、いくらも手にしてないです。甘利の取り分より少ないかもしれない。そのほとんどをポケットに入れたヤツが別にいるはずで、そいつを国会に引っ張りだすまでが勝負ですw

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 汚職といえば、人体に喩えるなら、感染にあたるだろう。

 巷ではインフルエンザの感染が取り沙汰されているが、そもそも感染とはどういうものかについて、最近巷でようやく話題になってきた腸内フローラ(細菌)との関係をシュタイナーの話から紹介する。

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 これは、人体が大凡三つに大別され、すなわち、神経=感覚系の頭部、循環=律動系の胸部、そして新陳代謝系の腹部及び四肢が、外界の自然の特に植物のなかで起こっている経過を陽とするなら、陰(ネガ)として関係づけられている、という事実です。

 つまり外界の自然のうちの植物だけを観察すると、植物のなかでは、いわば炭素を集積し、炭素を植物の骨格の基盤とする傾向が認められます。植物が周囲に生えることで、人間は、炭素の集積(蓄積)を本質に持つ有機体に囲まれるわけです。

 人体も、炭素の集積を基礎と成しますが、その本質において、植物とは逆で、人体内での組織発生では、植物がもつ炭素集積を止揚し、破壊して、代わりに、反植物というべき炭素集積を採用しなければならない、ということです。

 この反植物の経過は、人体下部の主に腹部の中に見つけられます。食物から炭素を沈殿させ、植物化の経過をつくった後で、人体上部の主に頭部(脳)に誘導されて、この植物化に抵抗しなければなりません。

 炭素に酸素を対抗させることで炭素を止揚し、炭素を炭酸に加工することで、植物化に対抗する経過を採用していかなければならないのです。



 人体の物質的な重量を計っても(物理学に則った唯物的研究を象徴的に指す)、人体は理解できませんが、次のような点を少しでも考慮すれば、人体の構造については、ある程度は理解できるのです。

 脳の重量は良く知られているように平均千三百グラムですが、この荷重により、脳の下にある組織が圧迫されることはありません。もし、脳が、その重量で下を圧迫したなら、その下の繊細な血管が拡がる組織は押しつぶされてしまうでしょう。

 脳がその下の組織を圧迫する荷重はせいぜい二十グラム程度です。これは、脳が脳水のなかに浮かんでいる、という事実から、良く知られたアルキメデスの水圧の原理に従って浮力を得ている結果、脳の重量の大部分が、浮力によって止揚されているからです。

 浮力によって脳の荷重が克服され、人体の重量のなかではなく、その克服のなかに、物理的な重量とは反対の力により、人間が生きている、ということは、人体の他の経過も同様なのです。

 (人間は重力に抵抗して生きている)

実際、重力などの自然現象が作り出す物質的な力ではなく、自然現象を止揚することで、人間は生きているのです 。

 実際、人間は、外界の自然のなかにある力、植物のなかに現れる、自然の力の末端を観察することで知覚できる(植物化の)経過により生きているのではなく、植物化を止揚することによって生きているのです。

 この事実は、病気に罹っている人体と植物薬との間に橋を架けるなら、当然本質的な問題となってくることです。

 (人間は自然と闘って生きてきたし、だからこそ武道とは、抵抗力を高めることや忍耐なのである。汚職などというのは、自然に負けることである。自然に負けない丈夫な体をつくるのが武道の目的。)

 さて、このような事実は、ちょっとした短編小説風に叙述できるかもしれません。

 自然界の周囲にある素晴らしい植物の生態(フローラ)に眼差しを向けると、非常に美しいので、当然のことながら非常に大きな歓びを感じるでしょう。

 しかし、羊を解剖して、体内の、別の植物の生態(フローラ)の場合はそうではありません。

 この羊の体内の別の植物は、その発生原因という点でも、外の植物の発生原因となんら変わりなく、類似しているのですが、羊を死後に解剖して、内部の腐敗臭が漂ってくるのを感じるとき、この腸内の植物、すなわち腸菌群落(腸内フローラ)に、歓びを感じるどころではありません。

 けれども、この腸内フローラこそ、特に注目する必要があるのです。

 なぜならば、外界の自然では、植物を発生の軌道にのせる原因であっても、人体では克服されねばならず、腸内の腸菌群落を発生させてはならないことが明白だからです。

 (腸内では、植物が発生しないように、植物を食べる細菌が必要となる。)

 この腸内フローラには、究めて広範な研究領域が拡がっており、比較的お若い、勉学中の医学生の研究テーマにお勧めしたく、特に学位請求論文に、この領域から多くを役立てられるとよいのではないかと思います。

 様々な動物の進化形態、特に哺乳類を経て人間にいたる進化において、腸の発生や形成の比較研究から得られる知見が多いと思います。この分野は、究めて重要な事実がまだ数多く研究されないままなので、非常に実り豊かな分野が成立するでしょう。

 とりわけ、羊を解剖すると、その腸菌群落のために酷い腐敗臭が出てくるのに、鳥類では、腐肉を食する鳥でも腐敗臭はなく、解剖しても、比較的心地よいとさえ言える匂いを発するのはなぜなのか、一度、その隠れた事実を探究してみていただきたいのです。

 このような腸内フローラにおいては、まだ非常に多くのことが学問的に研究されておりません。この分野の腸の形態の研究についてはなおさらです。

 少し考えてみれば、腸が、鳥類と、哺乳類との、そして人類との本質的な差異を示しているのは明らかです。

 例えばパリの医師メチュニコフ(オデッサ大学で動物学教授、後にパリのパスツール研究所副所長)のような唯物論的な医師たちは、最大の間違いを犯したわけですが、鳥類では、膀胱と大腸は、極めて未発達なのです。

 鳥類が走禽類となるとようやく、大腸、および膀胱の形態のような、ある種の膨隆が見つかります。

 このような比較研究から、重要な事実が示されるのです。鳥では、排泄物を蓄積したり、一定期間、生体内にとどめてから、排泄物を随意に排出するなどはなく、摂取と排泄で、体内に貯めることができない(食べたらすぐ出す)、ということです。

 といっても、腸内や、人体内に現れてくる植物、更には、これから見ていくような動物のなかにだけ、病因を求めるのなら、表面的な見方にすぎないでしょう。

 実際、恐るべきことなのですが、今日(1920年代)の病理学の文献を調べてみると各章ごとに、この病気にはこの菌が、あの病気にはあの菌が、新たに発見された云々にぶつかるのです。

 これらはすべて、人体の腸内植物学、腸内動物学にとっては非常に興味深い事実なのですが、病気にとっては、せいぜい1つの指標(マーカー)という以上の意味を持ってはおりません。

 つまり何らかの病気の形が、人体内の根底にできあがると、何らかの興味深い微小な動物、あるいは微小な植物がこの基盤上に発達する機会が提供されるが、そうでない場合はそれ以上何もないと言える限りでの、指標にすぎないのです。

 この微小な動物および植物の発達が実際の病気に関与する程度は非常に低く、せいぜい間接的に関わるだけです。というのも、今日の医学で展開されている論理が、きわめて奇妙なものだからです。

 考えてもみて下さい、例えば、良く飼育され、見事な雌牛が沢山いる土地をみると、これらの見事な雌牛が、勝手に集まってきて、この土地が感染されたせい、などとおっしゃるでしょうか。

 この土地に牧牛に勤勉な人たちがいて、飼育に適した土壌をつくったからと考えるでしょう。要するに、良く飼育された雌牛がいる原因となりうる全てについて、思考を巡らすでしょう。

 しかし、今日の医学が微生物他について展開している論理は、このように奇妙なのです。この興味深い生きものが、人体にいる、ということからわかるのは、そこに肥沃な土壌がある、ということでしかなく、この土壌の観察こそを当然、留意すべきです。

 ただ、例えば、この土地には良く飼育された雌牛がいるから、他に何頭か譲ってやれば、更に勤勉になろうと奮起するだろうとも考えられ、間接的に、なんらかの他の病気が生じる可能性もあります。この病気は付随して起こりうることです。

 細菌により、感染の準備が行き届いた土壌が、刺激され、土壌自体が、何らかの病気に陥ってしまうということも当然起こりうるのです。

 けれども実際、この菌という生物の観察は、本来の病気の観察とはほとんど関係がないのです。健全な論理の養成に留意しているなら、他ならぬ公認の科学から発する論理が、健全な思考を荒廃に招くようなことはそもそも起こり得ないはずです。

 考慮すべきことは、人体の上部と下部とのある関係が誘因となって、正しい相互関係が成立しない可能性がある、ということです。

 その結果、人体上部の反植物化の働きが少なすぎることにより、阻止すべき植物化の傾向が活性化されてしまう可能性があるのです。

 そうすると腸菌群落(腸内植物)が夥しく蔓延る機会も与えられ、そしてこのような腸菌群落(腸内フローラ)は、まさに人体下腹部が正しく機能していないことを示すものとなります。

 人体では、下部の基準に従って起こるべき活動が下部でできない場合は、上部から下部に入る前に堰き止められて、上部へと押し戻されるという特殊な事態が起こります。

 つまり、下腹部において、特定の(排泄の)経過が起こせない場合、これらの(排泄の)経過は、上部へと押し戻されるのです。このような表現は素人臭くみえるかもしれませんが、今日通用している病理学の表現よりは真相に近いのです。

 人体下部において規定通りに起こるべき(排泄の)経過が上部へと押し戻されるわけですが、肺での排出や、肋膜他のように上へ向かって配置された器官での排出となるので、その原因を、下腹部の正常、もしくは異常な排泄の経過との関連から調べることで追求しなければなりません。

 人体のこのような特異な事態、下腹部から上に向かって、排泄の経過が押し戻される事実を正確に見ていくことがきわめて重要です。

 上半身で起こり得る特異な事態の多くは、下腹部から押し戻された経過に他ならないのです。上部と下部との間に正しい関係が成り立たないと、下半身で起こるべき経過は、上半身へと押し戻されるのです。

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 人体の反植物化が、社会では汚職を根絶することにあたるので、人体も社会も同じである。現代の政治には、汚職と闘う真の武道が欠けている。





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Last updated  2016年02月09日 21時43分37秒
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