シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2016年03月15日
XML
カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 TVの「しくじり先生」という番組は面白いので、毎回視聴しているのだが、先日、亀田大毅氏が講師として「調子に乗りすぎてしくじらないための授業」で自身の体験を語っていたのだが、調子に乗りすぎて、バッシングを受ける前までは誰かの人生とよく似ているようにもみえた。

 それはアホ下痢ゾ~である。

 つまり、バッシングを受ける前の調子に乗りすぎて国民から総好かん食らっているのがアホ下痢ゾ~なんである。祖父を誇大視し過ぎて劣等感の塊になったようにもみえる。

 その証拠に、以下に紹介する「選挙のためならなんでもする」というアホバカ自爆宣言は、裸の王様ぶりを自ら告白しているからアホバカである。

 しかし、大きな違いは、亀田氏は、調子に乗りすぎたが、バッシングで反省し、実力で世界チャンピオンを獲得したところで、月とスッポンのポンのアホ下痢ゾ~はインチキで、のし上がり、いまだに調子こき続けていて、自慰行為をやめずに、国民がアホバカと認識しているのに、ビッグマウスを続け、ダマスゴミを買収し、バッシングを阻止している救いようのないところである。

 選挙に勝つためには野党に失敗の全責任を押し付け、買収したダマスゴミにネガキャンさせ、罵声を浴びせるのがアホバカ与党のやることである。もはやジコウ与党には「正々堂々と戦う」というのは死語ですらある。

 こんなアホバカを放置していてはこの国が駄目になるばかりなので、ジコウの自己チューを阻止するには、野党にがんばってもらわないと駄目なんである。

 ★         ★         ★

いやはや「日テレ」はご臨終だった!:なんと韓国民団民主党の手に落ちていた!?
http://quasimoto2.exblog.jp/22598170/

 内容は無いようなので省略します。

 ★         ★         ★

 「選挙のためならなんでもする。誰とでも組む」との自爆発言は、確かにミンスを批判した発言のつもりのようだが、国民は「テメーがやってきたことだろ」とそっくりそのまま見抜いているから、「お前がいうな!」と本心では思っている。

 現に、「選挙のため云々」と野党を批判しているアホバカ発言そのものが選挙のためであることにアホバカは気づいていない。

 訂正するのなら、「選挙のためならなんでもしてきた。誰とでも組んできた。」ジミンと、腹痛で逃げたくせに「総理になるためならなんでもしてきた。米国の戦争屋の売国奴とも組んできた。」のがアホ下痢ゾ~ならぬゲスゾ~なんである、とすべきであろう。

 アホゲスゾ~はいわば反面教師といえるかもしれない。ああなったら人間失格で御終いであると。

 というわけで、ああならないために、シュタイナーの話の紹介を続ける。

 ★         ★         ★


 -弟子のクッテネルがお送りします。

http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-919.html

≪キリスト意識(11)(改変)≫

★完璧な肉体

 さて、ようやくこの章の本題となる『キリスト意識』にたどり着くことができます。それは、キリスト自らが、人間の肉体を使って、人類の手本として記録した道徳性―いわば軌跡のような霊界参入法―を指しています。

 「キリストは、人間の自我のなかの悪魔の3段階にわたる誘惑に対して、模範解答となる手本を、しかも古代の秘儀参入以外の方法で、人類に示してくれました。

 人間の3つの体(肉体、エーテル体、アストラル体)の中に生きるキリストの力を通して、キリストの地上生活が体験できた人には、1つの道徳性の意識が与えられます。

 マルクト(≒現世という国;カバラの樹の王国=物質界を表わす)の中に生きる人間が、自我を失わずに霊界に参入できるようになるための意識が与えられるのです。

 (カバラは生命の進化図で、人間が話す言語の原典らしい。)

 いつかは、2つの世界を隔てる扉(障壁)が無くなり、マルクト(物質界)の中を生きる人間が、その自我を伴って霊界へ参入できるようになるでしょう。

 『マタイの福音書』に記されているように、キリストが誘惑を克服できたことで、人類にキリストの体験が可能となったのです。

 マルクト(での体験)のための自我が高次の世界へ上昇するのです。

 この天国参入の手本が、地上に生きたキリストとなって現れたのです。」

 ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』 p203《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載

 このように、シュタイナーの説く『高次の世界への参入法』とは、我々が個々の肉体の中で自我を保ちながら、霊界の中へ入ってゆくことを指しています。

 (肉体は失うが、肉体を象ったエーテル体のエキスは残る。)

 加えて、そのためには、我々は《現状の肉体》をできる限り最善の状態(道徳的に健康な状態)に保つべきなのです。

 肉体は、通常の地上生活を営む限りは、素晴らしい再生力と免疫力を備えた器官です。本来、全ての病的変化は、肉体以外の他の3つの体の変調によって起こり、変調を取り除けば自然と快癒するといいます。

 それ故、我々は、外からくる異常な要因を、肉体以外の3つの体を通じて、出来る限り肉体に与えないよう、肉体をケアする必要があるのです。つまり、肉体の機能を損なう要因に、できる限り配慮すべきなのです。

 ましてや、一部のスピリチュアリズムが言っているような《放射能にも耐えられるような超越的な肉体になる》などと言うことは、シュタイナーの人智学にはありません。

 (人工放射線にはできる限り被曝しないに越したことはない。)

★最も非力な偉業

 さて、このキリストの体験を、我々人類の共通の経験の源として記録すること―これこそがキリストが地上に受肉した唯一絶対の目的であったと、シュタイナーは言います。

 その目的に比べれば、水をブドウ酒に変えたり、水上を歩いたり、死人を甦らせたり…と言うような超人的な奇蹟など、彼の記憶を印象付けるための、副産物のような出来事なのです。

 そして、キリストの行為のなかで、最も重要な行為こそ―上述の奇跡とは正反対の、万人の前で彼の《非力さ》を最も印象付けた出来事―ゴルゴダの丘での刑死であった、とシュタイナーは説いています。

 この行為を、《死に臨んでも、罪深い人類に注がれた無上の愛》で、最も価値ある行為という、敬虔な信者が声高々に説いて回るような説教臭い意味に捉えるのが、一般的な解釈です。

 勿論、たとえ《死は生を終わらせるのでは無く、一つの通過点に過ぎない》と承知していても、それに臨むことが並々ならぬ行為であるには違いありません。

 しかし、オカルティスト・シュタイナーを見くびっては(?)なりません。

 ここで、その辺りの記述に詳しい、もう一冊の書『輪廻転生とカルマ』《水声社(西川隆範訳)》から抜粋して見ます。

 「キリストは地上に下った最大の権化です。キリストがナザレのイエスに下ったように、天界の権化が地上の存在の中に下ると、地上では秘密に満ちた、天界に通じる非常に意味深い奇跡が生じます。

 小麦の種子を地に埋めると、芽が出、茎が成長し、穂が実り、多くの麦が出来ます。その多くの麦は、また種子として、地に埋められた後の麦の生長の模像(設計図)を担っています。

 霊界も同じです。…ゴルゴダの秘跡が成就された時、地上の人間の代表であるナザレのイエスのエーテル体とアストラル体に、霊界への道(参入法)の模像が種子として、植えられたのです。

 (イエス=キリストのように生き、死ねば天国に行ける)

 イエスの中に住むキリストの力によって、イエスのエーテル体とアストラル体は、上述の多くの麦のように、地上で成熟し、霊界では何倍にも複写され、増幅され、新たなる成熟を待つ種子となってきたのです。

 それ以来、霊界への参入を可能にするナザレのイエスのエーテル体とアストラル体の模像が地上にいくつも存在するようになりました。これらの模像が、キリスト=イエスの灯を担い、拡げ、増幅し続けます。

 (一燈照隅・萬燈遍照)

 (…中略…)

 ゴルゴダの秘跡が成就された後、地上の人間の生き方、心掛け次第で、カルマによっては、ナザレのイエスのエーテル体かアストラル体かの模像が植え付けられ、織り込まれることがあるのです。

 (…中略…)

 11、12、13、14世紀に、カルマを通して、霊界に召喚され、霊的に成熟した人々に、ナザレのイエスのアストラル体の模像が織り込まれました。

 自分の中に、ナザレのイエスのアストラル体の模像を担った人物として、例えば、アッシジのフランチェスコ、テューリンゲンのエリザベート等がいます。

 このような事実を知らなければ、アッシジのフランチェスコの生涯、テューリンゲンのエリザベートの生涯は理解できません。

 (…中略…) 

 アッシジのフランチェスコの驚くべき謙虚さ、献身さ、奉仕の精神は全て、彼のアストラル体の中にナザレのイエスのアストラル体の模像が織り込まれていた事実に由来します。

 当時、その他の多くの人々に、このような模像が織り込まれていました。この事実を知れば、彼等は人類の努力の模範となります。」 

 ルドルフ・シュタイナー『輪廻転生とカルマ』pp69-72 《水声社(西川隆範訳)》より抜粋転載 

 第141夜でお話ししたとおり、誕生する直前の魂は、転生するための《アストラル》体の要素をかき集めるのですが、前世のカルマに応じて、その中に、キリストのアストラル体の《コピー》も集められる、と言うのです。

 そして、キリストの経験を体現しようとする複数の魂が、自己のアストラル体の一部に、その《コピー》を取り込んで、地上に転生することが可能になった、ということです。

 (何度も何度も部分的にキリストの生涯を地上で実際に断片的に経験することで、天国に行く方法を獲得する)

 無論、アストラル体が複製される事実について、この世的な唯物科学で証明する術はありませんが、逆に3次元の物質ですら複写が可能ならば、高次のレベルならもっと容易かも知れません。 

★キリストの血と聖杯

 しかし《アストラル体》の複製だけなら、何も磔刑にされなくても、もっと別の方法があったのでは、とも思われます。その点について、シュタイナーは、もう1つの遺産について述べています。

 「しかし、後の時代のために、まだ別の自我が天界に保管されていました。ナザレのイエスのオリジナルの《自我》が、将来無数の模像(コピー)を生み出すために、保管され、残されていたのです。

 (…中略…)

 自我の外的、物質的な表現は《血》です。これは大きな秘密です。

 しかし、この秘密を知り、ナザレのイエスの《自我》の写しが霊界に存在するという事実を知っている人々は常に存在しました。

 (ホンモノの聖堂騎士団で、天界にいる。地上のは囮でニセモノ。)

 ゴルゴダの秘跡以後、何世紀にも渡ってこの真実を理解する人々は常に存在しました。

 ナザレのイエスのエーテル体、アストラル体の写しを受け取った人々がいたように、イエス・キリストの自我の写しを受け取れる人々がいたのです。

 (…中略…)

 この秘密を守る秘儀参入者達の兄弟団が形成されました。聖杯の兄弟団です。彼等がこの秘密を守護しました。この兄弟団は常に存在しました。

 キリスト・イエスが最後の晩餐に使った杯、十字架上の救世主の傷口から流れる血を受け取った杯を、彼等の祖先が受け取ったと言われています。

 その祖先は、自我の表現である血を聖杯の中に集めました。彼は救世主の血の入った杯と、キリスト・イエスの自我の写しの秘密を、聖地の兄弟団の中に保管しました。

 (…中略…)

 人々の心が地上の生活を通じて霊的に成熟し、霊的に進化を遂げ、この偉大な秘儀を理解するまでに高まったとき、この秘密を告げてもいいようになったのです。

 (…中略…)

 人々がキリストの自我を受け入れる準備が出来れば出来る程、キリストの自我は人々の魂の中に注がれます。

 (…中略…)

 キリストのオリジナルの自我から霊感を受け、キリストのコピーの自我に浸透された将来のキリストとなった者は、更に別の事実を理解するでしょう。

 (…中略…)

 キリストは将来、肉体が完全に霊化された火(エネルギー)の中で、私達に現れるでしょう。《彼は世の終わりまで、いつも私達とともにいる》のです。

 そして、ゴルゴダの秘跡を通して開悟した目(キリストの秘儀参入法)を持つ者に、キリストは霊化された火の中に現れます。

 (キリストのように生きることで、自我がキリストになるので、自我=キリストをみることになる。)

 最初、人々はキリストを、自分とは異なる別人(異邦人)のように見ました。次いで、キリストを、どこかで見た隣人のように、親しみを感じるようになっていきます。

 そして、最後には、霊化した火の中で、人類の一人一人と共に二人三脚で歩いてきたキリストを自分の真の姿として見ることになるはずなのです。」

 (キリストのように生きれば、キリストに会えるし、キリストとは違う生き方をすれば、キリストには会えない。だからキリストは天国の扉となったから、「私を通さないと天国には行けない」といったのである。)

 ルドルフ・シュタイナー『輪廻転生とカルマ』pp72-75 《水声社(西川隆範訳)》より抜粋転載

 キリストの『聖杯』については、『ダヴィンチ・コード』でクローズアップされる以前から、その行方や正体について、数々の推理と憶測がされて来ましたが、確かなことはわかっていません。

 一説には、イエスの遺体を引き取った『アリマタヤのヨセフ』が聖杯も受け取り、紀元73年にイングランド南西部のグランストンベリーに行き、その後ヨセフの子孫によって代々引き継がれたとも言われます。

 『聖杯』自体についても必ずしも『杯』ではないという説もあり、『知られざるイエスの教えを書いた文書』だという説もあります。

 中でも1982年に出版された『レンヌ=ル=シャートの謎~イエスの血脈と聖杯伝説』では『杯』ではなくイエスとマグダラのマリアの『血脈』だとし『ダヴィンチ・コード』でもこの説を採っています。

 いずれにせよ『聖杯』については、単なる聖なる遺品では無く、イエスの意志を伝える聖書などの《暗号》を解き明かすような説が、後世まで伝えられています。

 しかしシュタイナーの場合は、これをさらに上回る形で、まさにイエス・キリストの《自我》が、その血を媒体として伝えられている、とするものです。

 昔から《血》については、民族の血とか、武士の血筋と言う言葉と共に、先人の個性を伝える記録媒体として、感覚的に意識されています。しかし、それは霊的に見れば、単なる伝承にすぎない、ということです。

 シュタイナーは、《血》こそが隠されてきた秘密であり、我々が、その《血》に織り込まれた《キリストの自我》を霊的に取り込むことで、高次の視力を持つに至ると述べています。

 ちなみに、そうすることによって《キリストの本当の姿を見る》としていますが、それについては、もう少し後の夜話で述べることになると思います。

 それでは、次回第158夜で、そのキリストの自我について、もう少し具体的にお話しします。

 ★         ★         ★

 キリストは、地上に救いの種子を蒔いていって、自らが種子となったのである。種子を生長させ、実らせ、収穫するのは人類の一人一人の自我に委ねられている。収穫どころか、種子を食べて台無しにしてしまう者もいるだろう。

 さて、「しくじり先生」の亀田氏は最後に印象に残る話をしていました。

 結局、自分は家族を信じて、家族のために戦ってきた、と。

 いくら大言壮語しても、ルールも家族も守れなければ駄目なんだ、と。

 そして、素晴らしい真実を理解し、悟っていたようにみえました。自分の弱点を隠すのではなく、素直に見つめ、理解することである、と。

 だから、国を守る、なんて大言壮語は必要なく、まず自分の足下にある家族を守れなければ意味がない、という話を続けて紹介する。

 ★         ★         ★

「一燈照隅・萬燈遍照」
http://www.chichi-yasuoka.com/episode02.html

 (安岡正篤『青年の大成』(致知出版社刊)より)

  ◇   ◇   ◇

 安岡正篤師は、 天下国家をあれこれ論じるよりもまず自分がいる場所を明るく照らせる人間に 、という意味を込めて「一燈照隅・萬燈遍照」とおっしゃっています。

 青年を相手に語られた安岡師の言葉に耳を傾けてみましょう。

 おのおのがそれぞれ一燈となって、一隅を照らすこと。この「一隅を照らす」は、伝教大師がその著『山家学生式(さんげがくしょうしき)』のなかに、提唱しておることです。

 なんで片隅を照らすなどと、心細いことを言われたのかーーとよく考える人がある。大光明を放つとでも言ってもらいたいところです。しかし 聞くだけなら愉快だが、人間みずから大光明を放つことなど、どうしてなかなか出来るものではない 。

つまらない人間も「世界のため、人類のため」などと言います。あれは寝言と変わらない 。 寝言よりももっと悪い。なにも内容がない。自分自身のためにも、親兄弟のためにも、ろくなことができない人間が、どうして世界のために、人類のために、なんて大口きけるか 。

それよりも、自分か居るその場を照らす。これは絶対に必要なことで、また出来ることだ。真実なことだ 。 片隅を照らす! この一燈が萬燈になると「萬燈遍照」になる 。こういう同志が十万、百万となれば、優に日本の環境も変わりましょう。

 ★         ★         ★

 自分の我儘も治せないアホバカがよく大言壮語するという話である。

 灯台下暗しというが、敵を倒すよりも、自分の弱点をみつめなさい。

 自分のなかの我儘と戦えないアホバカが、大国などと戦えるわけがない。

 日々の生活が守れなくて、国が守れるわけがない。 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016年03月15日 15時34分07秒
コメント(0) | コメントを書く
[軟弱日本を斬る!] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: