シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2016年03月15日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 学歴整形改憲馬鹿下痢ゾ~の言論弾圧に屈し、元官僚の評論家を降板させ、どこの馬の骨だかわからない学歴詐称のタレントを起用し、またまた文春のジャーナリスト命の弾圧への怨みの一撃で、ダマスゴミの政権腰巾着買収癒着ぶりが巷で明らかになっているが、この国の言論は、下痢ゾ~のせいで、中国や北並の死んだも同然の低レベルに陥っている。

 金儲けのためのTVのヤラセぶりが酷いのか、ダマスゴミの提灯洗脳記事が巷に溢れ、御用学者ならぬインチキ評論家が巷を跋扈している。

 なんだか、中国の間抜けなコピー商品のように、なんちゃって学歴が巷を席巻している。これらニセモノが蔓延る原因は、インチキとホンモノを見究める眼力を失っているせいである。

 なんでもカネで買おうとし、買収し、ホンモノをつくり出す精神を蔑ろにし、技術を盗もうとするから、外見を真似た中身空っぽのアホバカが繁殖するのである。いい例が寿司職人の氾濫である。

 そもそも技術とは誰にも真似ができないオリジナルだから価値があり、簡単に寿司を握れる技術などは本来技術でもなんでもない。以前、茶の三煎を紹介したが、和食が地産池消を基本とするのは、食を通じて四季を愉しむ、地球の生命、大地の息吹を感じる精神を養うところにある。

 人間は地球の生命を拝借させてもらってはじめて生きられる。地球の恵みを感じ、その恵みに応えるために、大地の生命を養う土台となるべく努力する。

 だから、昔の漁師や農夫は、自然にあわせて漁や収穫を行い、金儲けなどは二の次で、乱獲などせず、自然のリズムに合わせ、保護し、日々の生活に感謝し、神社などを建てて祈願した。

 大地や海の神さまに日々の生活の安定さを感謝しながら生きたのである。

 目にはみえないが、大地や海には沢山の微生物がそれ相応の人間と同じ社会をつくっている。それらが、自然のリズムを奏でている。人間は、自然のリズムを読み、そこから生まれる余剰なものを拝借していた。そのようなホンモノを見究める眼を失ってしまいアホバカになった。



 恥知らずのアホバカ下痢ゾ~ら悪の一味のインチキがバレては困るので、言論弾圧しているとしか思えないという話を紹介する。 

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テンプラ大学
http://my.shadowcity.jp/2016/03/post-9031.html

 テンプル大学といえば、卒業生を使っていた事があるな。おいら、「テンプラ大学」と呼んでいたw 大学といっても、昔はちゃんとした大学じゃなくて、専門学校扱いだった。コンサルタントって、アレだろ? ヤクザがよく名乗る肩書だw 

 で、この人、どこがクライアントかは言えないが、「コンサルタントの実績はある。下請けなので名前は出せない云々」だそうで、なんだよ、コンサルタントの下請けってw

 私は、テンプル大学ジャパンに入学後まもなく、外部の人間にもオープンな大学講義を聴講するなど海外を遊学後、大学には戻りませんでした。

 本格的な就職先としては日本のコンサルティング会社に入り、業務を行っていました。

 経営大学院についても学生、一般社会人にも公開されているセミナーを聴講した程度ですので、学士を含め学位、また修了書が発行される類のプログラムへの参加は一切ございません。

 自分で独立してコンサルティング業務を行うようになったのは、1995年頃です。

 私が主宰するブラッドストーン・マネジメント・イニシアティブ・リミテッドは2002年に設立ですが、その前からコンサルタント業務を行い、いわゆる法人成りしています。



アベシンゾー並みの学歴詐称
http://my.shadowcity.jp/2016/03/post-9025.html

 以前からテレ朝の報道ステーションにコメンテイターとしてよく出ていたんで知ってるんだが、まぁ、ずいぶんと軽いヤツが出て来たなと思っていたら、偽物だったという、アレだよね、アベシンゾーの悪口言ってクビになった古賀さんの後釜w ハーフで、アメリカの大学卒で、MBAという触れ込みだったんだが、その全部が嘘でしたという、ここまで完璧な嘘つきも珍しいw

フジ"新ニュースの顔"ショーンKに学歴詐称疑惑
 フジテレビが社運を賭けて4月4日からスタートさせる平日深夜の大型報道情報番組「ユアタイム~あなたの時間~」のメインキャスター、ショーン・マクアードル川上氏(47)に学歴詐称疑惑が浮上した。



  <高校卒業まで日本で教育を受け、大学で米国に戻り、フランスで2年間を過ごした。

 (中略)

 テンプル大学でBA(学位)、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。

 パリ第1大学に留学をした>(編集部訳)

 「学位は取っていない」「パンテオンソルボンヌ(パリ第1大学)には入っていない。オープンキャンパスの中で聴講した」「ハーバード・ビジネス・スクールには、オープンコースの3日くらいのコースに1回行った」というのが正しいところだそうでw そういや 日本国の首相にも学歴詐称疑惑があったな w

同氏の公式の経歴書には、成蹊大学を卒業後、南カリフォルニア大学政治学科に2年間留学したとされているが、USC広報者担当者によると、安倍氏が政治学部に在籍したことはなく、78年の春期、夏期、秋期にのみ在籍し、取得した6コースのうち、3つは外国人のための英語コースであり、そこには政治学は含まれていない。しかも安倍氏は、2年間留学といいながら、実際には1年間にも満たないことがこれで判明した 。

 テレビ朝日も策士で、判ってて使ったんじゃないの? 学歴詐称のアベシンゾーには相応しいコメンテイターだというのでw

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 どこの大学、大学院出ようが、勉強、研究する姿勢や態度の問題である。地球から生命を拝借してはじめて生きられているのだから、もっと真面目に真剣に生きるべきではないのか? インチキや出鱈目、嘘などついて恥ずかしくはないのか。

 しかし、権威に阿り、よってたかって弱者を愚弄するこの国の風潮はジミンがインチキで政権とってから露骨で顕著になってきているのではないだろうか。巷を賑わせている切羽詰まった「保育園落ちた。日本死ね」の切実な訴えが粗々しい表現になったのを、小馬鹿にするような批評家はニセモノである。

 巷では老害と名高いこのニセモノ曽根綾子なる人物が、この切実な訴えを小馬鹿にする批判をしたような話をお馴染みのサイトでみつけたのだが、あまりに低レベルの話なので、スルーすべきか、紹介すべきかどうか迷ったのだが、権威者に媚びるニセモノの代表として紹介する。

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まともなこというね。
http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%90%91%E3%81%91/%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%AD%E3%80%82

 七転び八起のブログの力 より

 上記文抜粋
 ・・・・・・・

 意見をつなぐ、日本が変わる。BLOGOShttp://blogos.com/article/166610/より転載

 記事 小林よしのり

「亡国の徒」曽野綾子の老化した感性

 昨日の産経新聞に曽野綾子が「貧しい表現力が招く不幸」という批評を書いていた。

 (そもそも統一教会御用達ボロクソ紙を買うこと自体浪費で、洗脳媒体なんで有毒である。)

 例の「保育園落ちた日本死-ね」のブログについての批判である。

 「このブログ文章の薄汚さ、客観性のなさを見ていると、私は日本人の日本語力の衰えを感じる」とボロクソである。

 (前回紹介した『つまらない人間も「世界のため、人類のため」などの内容のない寝言をいう』のと同じ。社会的弱者を小馬鹿にすることでニセモノの権威を見せびらかす。自慢の類と同じ。この老害の脳の衰え、子育ての大変さへの想像力のなさが問題。)

気の毒な人だ 。
いくら文章を生業にする者でも、やはり老化すると感性は衰えるという真実を証明している 。

 (全く同意である。権力に阿るような文章を書くようじゃ文筆家として死んだも同然である。)

 これを読んで思い出したのは、わしが『おぼっちゃまくん』で小学館漫画賞を受賞したとき、老いた審査員からこともあろうに授賞式で、下品だと酷評されたことである。

 (孔子の「衣食住足りて礼節を知る」を知らないようである。)

 わしは「その下品な漫画に賞をくれた審査員の勇気に感謝します」とスピーチして、関係者をあわてさせ、翌年、審査員は総入れ替えになった。

 (切実な訴えに表現も糞もない)

 『おぼっちゃまくん』の下品さの正体は人間の根源的な「活力」であり、そこには親子の愛や友情や、拝金主義を笑い飛ばすパロディ精神など、相当辛辣な批評性が詰まっていたのだが、審査員の老いた感性にはそれが見抜けなかった。

 (権力に安住した結果、ホンモノとニセモノを見分ける目を失った。)

 曽野綾子は愛国者らしいが、このような老人が多すぎるのである。

 (このような愛国はニセモノである。愛国を使って商売しているような詐欺である。)

 大阪市の中学校長が全校集会で「女性にとって最も大切なことは、こどもを2人以上産むことです」と言ったらしい。

 (この中学校長は神様にでもなった気なのだろうか? 最大の自惚れ屋さんである。余計なお世話なんで、「校長にとって最も大切なことは身の引き際で、そのような女性蔑視するアホバカは校長に相応しくないので早く引退すべきである。」と返してやるべきである。)

校長は愛国者らしいが、こういう劣化した愛国者こそが、実は「亡国の徒」であり、少子化の原因なのだ 。

 (国民の日々の生活が守れない国は、そもそも国の意味をもたない。権力者による国の私物化である。生活環境が良ければ、自然と子どもを産みたくなるものである。社会福祉を充実させることが第一。)

曽野綾子も同様、こういう感性の劣化した、そして現実を知らぬ老人が少子化をますます促進し、国を滅ぼそうとしている 。

平沢勝栄も同様の老人であり、自民党の議員の多くがこういう無意識の「亡国の徒」となっている 。

 (このような老害が後進に道を譲り、さっさと引退しないから、社会の新陳代謝が進まずに、若者の雇用が奪われ、少子化になるのである。)

 人間の幸福感に結び付かない近代主義と、中間層を崩壊させた新自由主義の結果、現れた格差社会の現実が、どれほど厳しいものか、曽野綾子はもう一生分からないだろう。

たかが高度経済成長の頃のノスタルジーで、今の日本社会に説教しても害にしかならない 。

 曽野は敗戦後の貧困を知っている、発展途上国の貧困を見てきたと自慢するが、残念ながら敗戦後の日本にも、発展途上国にも、共同体は確固として存在し、「活力」は漲っていたのだ。

 老化した審査員に下品と評された『おぼっちゃまくん』の世界の「活力」が、今の日本にないのは何故なのか?

 それが曽野綾子やアベノミクスや一億総活躍と虚しい掛け声をかけている自民党議員には分からない。

 (インチキや出鱈目、嘘を、老害が権力を使って通用させてしまうので、ホンモノを探す苦労が馬鹿馬鹿しくなり、そのうちやる気をなくし、誰もホンモノを求めなくなる。社会が活力を失い停滞している。)

 民主党は名前を変えることより、今の自民党の根本的な過ちを見抜いて、日本社会に「活力」を取り戻す政策を打ち出すべきなのだ。

 選挙の結果より、日本の「公」を訴え続けていれば、いつかチャンスは回ってくる。

しかし曽野綾子の老化した感性では

 「日本死-ね」

 (この「日本」とは、明治期以来の亡霊のようなニセモノの日本懐古、権威主義のことであり、未来の日本精神ではなく、過去に拘るニセモノの日本精神を死ねといっているのである。)

 の感性の凄さが見抜けなかったのだろうが
、わしは「日本死-ね」という表現でしか言葉の「活力」が生まれなかったと思っている。

 もちろんこの言葉づかいは、アマチュアだからこそ生まれたもので、偶然の産物である。

 (アマチュアというよりも、机上の空論でなく、現実を知る者)

 わしが学んだのは、アマチュアリズムを忘れないプロであり続けることの難しさだ。
 素人からも学ぶことは大いにあるのである。

・・・・・・・
・・・・・・・

 抜粋終わり

 お読みくださりありがとうございます。

 ★         ★         ★

 若者が老害に対して、社会の発展の障害になるので、早く死になさい、といっているのが、老害の本能には伝わっているようだが、老害はニセモノで執着心が強く、我儘なので、自分が老害であることに気づいていないのである。

 「過去の栄光にいつまでしがみついているんだよ。アホバカ」という本音が、「日本死ね!」の発言なんである。

 この際、はっきりと言おう。曽野のような妖怪はもはや人間ではないので、存在自体が社会迷惑なので、人間として早く死ね、といっているのである。

 人間として死すべきときに死なずに命乞いするのは人間をやめなければならない。母なる大地から拝借した生命は必ず大地に返さなければならない。

 自分さえよければいい、というような金持ちのような恥知らずの獣にならないように、シュタイナーの話を続ける。

 ★         ★         ★

トンデモ話は奥で繋がる 「第158夜」
 -弟子のクッテネルがお送りします。

http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-927.html

 ≪キリスト意識(12)(改変)≫

★血=自我

 さて、はじめにゴルゴダの丘でのキリストの磔刑について、もう少し掘り下げて見てみます。

 ここでまた、次の書を紹介しなければなりません。

 なにせ、シュタイナーの書は、ほとんどが『講義録』ですので、難解です。ですから、できるだけ多くの文献から、よりその意味が理解できる講義録を探してゆくのがひと苦労なのです。

 (この苦労はよくわかる。市販のシュタイナーの書のほとんどは、シュタイナーが自分で書いたものではなく、講義を受講者が書き留め、それもドイツ語なので、日本語に翻訳したもので、シュタイナーから受講者と、受講者のドイツ語筆記から翻訳者へと、日本語の本となるまでに、バイアスが少なくとも2つかかり、意味が間違って伝わる可能性が多々ある。

 だから、私の場合、シュタイナーの理念を知るために、シュタイナー関連の本をできるだけ読み、シュタイナーならこう考えるという自分なりのシュタイナー像をつくり、それに語らせるアプローチで、このブログに紹介している。

 自分のなかのシュタイナーに語らせる感じで、話を紹介しているのである。)

 このゴルゴダの秘跡の意味のヒントとなるのが、1909年9月に行われた『ルカ福音書講義~仏陀とキリスト教』の連続講義の第十講《西川氏訳・イザラ書房》です。

 しかし、小生自身、完璧に理解している訳ではありませんので、あくまでも《推論》です。それでは、同書から、ゴルゴダの秘跡についての記述を見てみましょう。

 「当時、ゴルゴダの丘での出来事を正しく理解するためには、今日、一般に知られる理解よりも深い霊的な理解が必要です。

 地球進化期の初頭に、霊だった人間の自我が物質化したのが血です。血液は、人間の外界への表現なのです。

 キリストが地上に出現しなかったら、人間は自我をますます強め、利己主義を発展させていたでしょう。

 (ルールや事実を無視して利己を通そうとするのがインチキや嘘である。)

 ゴルゴダの丘の出来事によって、人間は利己主義に深く陥る事を免れたのです。

 (…中略…)

 その時流れ出た血は、利己主義の余剰として、人間の自我のなかで他の生命のために犠牲となるべきものでした。

 (…中略…)

 ゴルゴダの丘で生じた出来事は、唯物的な知性しか持たない科学者にはわかりません。

 ゴルゴダの丘で流された血を検査しても、他の人間の血と何ら変わらず、同じにみえるでしょう。

 しかし、秘教学者には、その血が他の血と違うのがわかるでしょう。

 (…中略…)

 秘教学者には、無償の愛が、ゴルゴダの丘で流された血から溢れる、のがわかるでしょう。

 (…中略…)

 ゴルゴダの丘から、この理想の愛を表現する言葉が響いて来ます。人類を裏切る背徳者さえも赦し与える無償の愛の言葉なのです。

 (…中略…)

 人間は、ゴルゴダの丘の上の十字架から流れてくる愛に浸透されるなら、未来を見て、

 《私の自我の中に生きる愛の精神が、物質化した地球を次第に純化し変えていくように、人類の霊的な進化を地上で行わなければならない》

 と言うことができます。

 ルシファーの影響がまだ無かった頃、人類には、族長(民族霊)を通して神とつながる父の原理(意識)が残っていました。現代人は、父から受けとった霊魂(意識)を、地上で次第に高め、父の原理(霊魂=意識)に返してゆくのです。

 (…中略…)   

 そして、人間が、何度も輪廻転生を重ね、地上での行為の中に、次第に、ゴルゴダの秘儀から父の原理(意識)へと注がれる(個人的な)愛を取り込んでいくうちに、外界は、キリストの救済の原理(意識)に満ち溢れるのです。」

 ルドルフ・シュタイナー『ルカ福音書講義~仏陀とキリスト教』pp235-238《イザラ書房(西川隆範訳)》より抜粋転載

 《血》とは《人間の自我が物質化したもの》とシュタイナーは言います。つまり、肉体をもったまま(個人の意識)での見霊能力を得たキリストの無償の愛の意識が、血となって地上に流れ出たのです。

 無論、科学者達は《DNAのような情報因子もないのに、情報が伝わるはずが無い》と言うでしょう。そこで、もう少し現代的な解釈をして見ましょう。

 我々の血は、我々の自我が生み出しています。まず、その血の一滴ごと、つまり現代的に言うなら、その中のDNA全てに、キリスト意識という《突然変異》が引き起こされたものと考えてみます。

 (人智学では、血液疾患のほとんどは自我の不調和にあるという。)

 そして、その血(自我)は、聖杯(肉体)に収められました。ここでさらに飛躍して、そのDNAが、ウィルスのような自己複写機能を持っていたとしたら…感染することで、その遺伝子が入っても不思議ではありません。

 この《ウィルス》に《感染する》ことで、聖地の兄弟団のメンバーは、キリストの見霊能力を得たり、或いは直接その能力を発現できないにしても、その潜在能力を得たのかも知れません。

★父の原理とは

 一方、上述の言葉の

 《現代人は、父から受けとった霊魂(意識)を、地上で次第に高め、父の原理(霊魂=意識)に返してゆくのです。》

 の《父の原理》とは一体何を指しているのでしょうか。

 一般にキリスト教では、父である霊魂を《父性原理》、母なるマリアの肉体を《母性原理》としているようですが、《父の原理》を《神の精神》に置き換えて読むだけでは意味がつかめません。

 正直言って小生も、この言葉を正しく理解しているのかどうか自信は無いのですが、間違いの可能性を覚悟の上で、私見を述べてみます。

 第127夜でお話ししたように、ミトラ神学によれば、我々の一人一人は、アーリマンによって切り裂かれた、アフラ=マズダの《光のかけら》を持っています。

 ここで、ミトラ神学の言うように「光のかけらが、我々自身」とはせず、あえて「光のかけらを持っている」とするのは、後程明らかにします。

 そして、そのかれらは《忘却の霧と闇の枷》の中で、本来の輝きを失っている状態であり、我々が転生する目的は、地上での研鑽によって光のかけらを成長させ、その輝きを取り戻すことでした。

 従ってこの言葉は、我々は輪廻転生を繰り返すことによって、自らの肉体に受け入れた《光のかけら》を純化させ、次第にもとのアフラ=マズダに近づけてゆくことを述べているのではないでしょうか。

 つまり、この《父の原理》とは、ズバリ《アフラ=マズダ》を指しているのと、小生は解しています。

★キリストが地上に現れなかったら…

 それではもし、キリストの自我が地上に浸透しなかったとしたら、どうだったのでしょうか?

 それでは再び『ルカ福音書講義~仏陀とキリスト教』から、抜粋して見ましょう。

 「キリスト・イエスが地上に到来しなかったら、どうなっていたでしょうか?

 自我のなかの利己主義が完全に出現(表面化)し、人類は唯物化し、物質獲得のために、競争や闘争に明け暮れた社会となったでしょう。

 同時に、自我の利己主義が完全に出現した分だけ、これまでの傑出していたアストラル体、エーテル体、物質体の能力が消え去ったでしょう。

 一方が進めば、他方が遅れるのが、進化の法則だからです。

 人間は完全な利己主義者になり、地上に競争、闘争を持ち込み、代わりに愛を消滅させたでしょう。

 人類は、地上を支配するための完璧な利己主義、権威主義(完全な身分制度)を獲得し、完全な利己主義、独裁主義に支配される自我をもつようになったでしょう。

 (…中略…)

 この知性が空っぽで、無責任な、奴隷のような自我に中身を与えること、空っぽな自我から愛の力が流れ出るように自我の中身を充実させ、人類の精神を発展させることが、キリストの地上での行為の目的でした。

 キリスト無しには、自我は空っぽの器のようになっていたことでしょう。キリストが地上に現れたことで、人間は愛を知り、自我は愛に満たされたのです。
 ……………………………………………………………………

 キリストが現われなければ、人類は思考や叡智について完全に利己主義になっていたでしょう。…しかし、外面的な叡智及び思考と、内から生きて活動し、他者を理解する力とは違います。

 (反論や異論を認めないような利己主義者。自分が全てであるアホバカになっていた。現代人の一部にはそのようなアホバカがいるが。)

 《自我を差別すること》と《自我を理解すること》とは違います。…キリストが地上にもたらしたのは他者を理解する力であって、他者を評価する力ではありません。

 キリストは、自らを他に捧げたのです。人間のアストラル体だけで無く、自我の中にも下ったので、人間の自我は、キリストから無償の愛を得て、自分から愛を注ぐ力を得たのです。

 キリストがもたらしたのは、ホンモノの愛の中身であって、愛を外面的に捉え、差別するニセモノの偽善では無いのです。」   

 ルドルフ・シュタイナー『ルカ福音書講義~仏陀とキリスト教』 pp195-204《イザラ書房(西川隆範訳)》より抜粋転載 

 つまり我々は、個人の意識をもったまま、見霊能力を得るために、《自我》を発達させてきたのですが、それだけでは《仏作って魂入れず》の状態であり、中身が空っぽの《自己意識》のみの塊に過ぎないのです。

 ちなみに、《叡智と思考》の話が出てきますが、実はイエスに先行して、《自我に慈悲をもたらすため》に、地上で慈悲を説いたのが仏陀で、これがこの本のテーマでもあります。

 彼によれば、仏陀は《(集団的な)慈悲と愛の教え》を八正道として説きました。

 (仏陀の時代は、個人主義に乏しく、全てが民族主義、集団主義だったので、慈悲を説いても、集団主義的な愛になってしまったので、仏教に個人主義が芽生えずに、遅れた集団主義の多神教になっている。特に日本人は、正論をもって一人で説こうとはしない。権威主義に弱く媚びる。)

 彼の弟子達の何人かは、その教えだけで悟りの境地を開いたとされています。

 (古い霊界参入法の、集団で、霊能力を獲得しようというやり方だが、この方法は現代には適合せずに、日常生活を失う羽目になる。)

 しかし、その叡智にとどまっていたのでは、新たな見霊能力を身につけることはできません。集団性を破棄し、新しい個人主義に目覚める必要があり、それを実現させたのがイエスだった、ということです。

 (仏陀も「一人サイの角のように歩め」といっているのだが、仏教徒は堕落して集団をつくる。)
 ……………………………………………………………………………………

 ついでに言えば、このことは、一部の超人的なスピリチュアリストを招いて、その能力を堪能することに終始するような講演会についても、よく考えるべき問題だと思います。

 (このような集団的儀式は現代では通用しない邪道である。自我のなかのエゴ=利己主義がかえって増幅されてしまう。だから宗教教団は、現実の生活から離脱して怪しい闇に落ち込むのである。現代では宗教は個人でのみ健全で、集団性のは悪霊が憑りつくだけなんで、全て解散すべきである。)

 例え、見つめるだけで愛を発するような怪人が、現実にその力を持っているとしても、単にその力を受身的に浴びているだけでは、ただ教えを聞いているのと大差はありません。

 我々が目指すべきとされているのは、愛を受身的に感じて満足することではなく、イエスが実践して見せたように《愛の実質を自分から注ぐ力を発現する》ことなのです。

 神秘的体験だけを求めるような姿勢は、イエスに奇蹟だけを求め、その本質を理解できなかった、かつてのユダヤ民衆の愚かさと、ほとんど変わらないのではないでしょうか。

 さて、次回第159夜では、我々が自我の中に受け取った《キリスト意識》の中身について、もう少し具体的にお話しします。

 ★         ★         ★

 エゴイストたちの最後の審判は近い。勝海舟もいっているが、老人の最後の仕事とは、老害にならずに、早々と後進に道を譲ることなんである。譲るべき後進がいないのなら、つくってこなかった自業自得で、せめて一人寂しく去るべきである。





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Last updated  2016年03月16日 23時25分31秒
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