シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2016年05月24日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 仏教徒が悪人を野放しどころか、悪人に加担しているので、仏教の信頼性がなくなっている。

 どうして悪いことをするのか?

 といえば、悪魔に洗脳されているから、としかいいようがない。例えば、タックスヘイブンに資産を隠すなんぞは、人類から脱落する地獄行きのやることである。国というのは人は一人では生きれないので、助け合うためにある。助けあうどころか、自分たちだけ国を利用して金儲けするようなのに、天罰が降らないはずがなかろう。

 仏教はその教えを説いてきたのだが、坊主が人類を裏切り、金儲けに走るから、信頼を失うのである。

 つまり、仏教を中心にまがりなりにも保ってきたこの国の住人のモラルが著しく低下しているという話を紹介する。

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パナマ文書に出てきた財務省7人衆
http://my.shadowcity.jp/2016/05/post-9442.html#comments

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政治家みんな、脳死状態
http://my.shadowcity.jp/2016/05/post-9446.html

 禿添がコレだけ攻撃されても辞めさせられないんだから、都議会の自公も脳死です。もっとも国政でも、知障アベシンゾーを辞めさせられないw 政治家みんな、脳死状態w 自分の利権にしか興味がない。民進党は何やってるんだよw さて、6月1日になれば、ボーナス貰う権利が生じるので、辞めるかも知れないねw

 自民党内では知事に対する批判はあるものの、猪瀬直樹前知事の時のように厳しく追及できない事情がある。
 舛添知事を辞職に追い込んだとしても「選挙に勝てる候補者が見当たらない」(議会関係者)からだ。
 前回知事選でも党所属国会議員らの擁立を検討したが難航し、党を除名された舛添氏を支援した経緯がある。
また、近く都知事選が実施された場合には、4年後の選挙が東京五輪・パラリンピックの時期と重なってしまう。
そのため、ある自民都議は「セレモニーに出る知事を直前に選ぶのはあり得ない。五輪を考えると今は動きづらい」と本音を漏らす。

 日本の首相は、貧乏神、疫病神、死神ですw 都知事はネズミ男ですw あー、やだやだw

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 渡る世間は悪魔ばかりで、悪魔教会の話を紹介する。

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「悪魔教会」設立50年目の年に : 現代人は、神のアドバイスでも「悪魔主義のルール」でもどちらでもいいので少しそれらに耳を傾けるべきかもしれないと
http://indeep.jp/50-years-of-the-satanism-and-the-satan-church/

悪魔教会 – Wikipedia

 悪魔教会は、アントン・ラヴェイが1969年に著した 『サタンの聖書』に表明されているように、人間の肉欲的自己を是認することを使命とする団体である。悪魔教会は、1966年4月30日のヴァルプルギスの夜にアントン・ラヴェイによってカリフォルニア州サンフランシスコにて設立された。

 アメリカに「悪魔教会」というものがあり、これは、上の写真のアントン・ラヴェイという、作家でありオカルティストであった人物が開祖した、いわゆるサタニズムの団体なんですが、これが誕生したのが 1966年で、今年 2016年は、開祖 50年目の節目の年ということになります。

 人間やこの世は物質か精神か



 「物質主義的な快楽主義と個人主義」

 を追求したもののように思えます。

 つまり、シュタイナーや、あるいはロシア宇宙主義のチジェフスキー博士などが主張していた人間社会の理想などの《正反対》に位置する理想ということも言えそうですが、しかし、「悪魔」という名のつくものだから単純に非難するというようなものでもなさそうです。

 人間の思想や理念は、それが真実ではないと思われることでも、そこには思想の自由があります。

 先ほど「正反対」と書きましたが、そのアレクサンドル・チジェフスキー博士(1897 – 1964年)などが所属していた 20世紀初頭の「ロシア宇宙主義」と呼ばれた科学者たちの目指していた「科学の最終目標」は以下のようなものでした。

 ・宇宙の現象と人類の感情の関係を物理的に把握すること

 ・精神的社会の意識での新しいタイプの社会組織を作ること

 ・死を克服し、人間の肉体的な自然性を変容させること

 ・宇宙のなかで不死の生命を永遠に作り出していくこと

 ・生きている人間も死んだ人間もこれから生まれてくる人間もつながっていることを把握すること

 これらについては、過去記事、

 ・私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(1): 「人類のひとりと宇宙は同一のもの」…
 2013/03/24

 ・私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(2)…
 2013/04/05

 などにありますが、つまりは、こういう「精神的社会の意識」とか「永遠の不死の生命」、あるいは「すべての人はつながっている」というような概念に「対抗する思想」が悪魔教会ということで、つまりは悪魔主義とは「人間やこの世は精神的ではなく物質的」であり「すべての人がつながっているのではなく、個人はどこまでも個人」というようなことになりそうで、そういう意味では、「物質主義」と「個人主義」がこの世であると述べているのが悪魔教会なのだとしたら、何とのことはない、現代社会の多くがこの悪魔教会と同じ思想の中で生きているということで、特に奇異な目で見るようなものではないとは思います。

 それでも「悪魔」という名前はついているわけで、今年はそういう教会が誕生してから 50年目のメモリアル・イヤーであります。

 確かにそれに相応しい悪魔的な事象が毎日のように起こっていて、特に殺人や傷害など「人を傷つける出来事」は、まさに容赦ない無慈悲が世界的に蔓延しているような気がします・・・しかし・・・。

 この「悪魔教会」にある「悪魔主義者(サタニスト)の11のルール」というものがあるのですが、それを最近知った時に、ふと思ったのです。

 今の私たちは、

 「悪魔教会の理念にさえ劣っている」

 と思わざるを得ないのです。

 悪魔教会には、

 ・悪魔主義者の11のルール
 ・悪魔主義の9か条
 ・悪魔主義にあける9つの罪

 というものがあります。

 それをじっくりと見ていますと、今の私たちの社会はこの悪魔主義が定めたルールよりもずっと「ダメ」であることがわかります。

 悪魔主義者の理念「以下」で暮らしていることがわかるのです。

 その悪魔教会が定めたルールを記しておきたいと思います。

 悪魔主義者の11のルールが書かれたもの
 11rules_of_satan・GREAT CAESAR’S GHOST

 地上におけるサタニズムの11のルール

 The Eleven Satanic Rules of the Earth

 1. 求められてもいないのに意見や忠告を他人に与えないこと

 2. 他人が聞きたくないようなあなたのトラブルを話さないこと

 3. 他人の家に入ったら、その人に敬意を示すこと。それができないならそこへは行かないこと

 4. 他人が自分の家で迷惑をかけたなら、その相手を情け容赦なく扱うこと

 5. 結婚の徴候がない限りセックスに誘う態度を見せないこと

 6. その人にとって重荷になっていて楽になりたいと求めているのではない限り、他人のものに手を出さないこと

 7. 魔術を使って願望がうまくかなえられたときは魔術の効力を認めること。うまく魔術を使えても、その力を否定すれば、それまでに得たものをすべて失ってしまう

 8. 自分が被る必要のないことに文句を言わないこと

 9. 小さな子どもに危害を加えないこと

 10. 自分が攻撃されたわけでも食べるわけでもない限り、他の動物を殺さないこと

 11. 公道を歩くときは人に迷惑をかけないこと。自分を困らせるような人がいれば止めるよう注意すること。それでもだめなら攻撃すること

 このルールを読みますと、悪魔教会のルールが、現代社会の基準から見れば「悪魔的ではない」ことに気づきます。

 というより、むしろ今の社会はこういう基本的なルールさえ失われてようとしている気さえするのです。

 > 9. 小さな子どもに危害を加えないこと

 がルールにあるというのは特筆すべきものですが、私は、以前、

 ・「革命」(3) – 革命的行動の最上位は「子どもたちへの無条件の愛」を獲得した社会に戻すこと
 2015/07/12

 という記事を書いたことがありますが、日本という社会が再生するには、それしかないと考えています(実際にはもうやや遅いでしょうが)。

 今の社会では、日本だけではないですが、子どもに対して、「無条件の愛」どころか、社会全体として「形式的な愛」さえも消えつつある気がしています。

 また、

 > 8. 自分が被る必要のないことに文句を言わないこと

 というのもいい文言だと思います。

 今は、自分とは基本的に利害の関係はないことなのに、不倫だ献金だ何だかんだと文句を言ったり攻撃したり怒ったりしている。

 > 1. 求められてもいないのに意見や忠告を与えないこと

 もそうです。

 こういう「忠告を与えたがる人たち」が今の世の中にはたくさんいて、それが何かの役に立つのならいいですけれと、一般的にはほとんど何の意味もない。

 > 他人のものに手を出さないこと
 > 公道を歩くときは人に迷惑をかけないこと

 という基本的なことにしても、どうも危うくなっています。

 いつの間にか、私たちは「悪魔主義者の理念よりも、ずっと悪魔的な社会」を作りだしてしまっていることに気づくのです。

 そして、その社会は悪魔によって牛耳られているというよりは、確実に私たち人間が作りだしている。

 以前、こちらの記事で、19世紀のセルビアの予言者ミタール・タラビッチの予言をご紹介したことがありました。

 そこで、タラビッチは以下のように言っていました。

 クレムナの予言より

 人間の魂は悪魔にのっとられるのではない。

 もっと悪いものにのっとられるのだ。

 その頃の人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。

 ここでいわれている、

 > もっと悪いもの

 というのは何なのでしょうかね。

 それについては予言では語られていません。

 いずれにしても、私たちは「悪魔主義」からさえルールを学び直さなければならない時であるのかもしれません。

 とはいえ、悪魔教会のサタニズムの信条自体は、私などの持つ理念とは相反していて、たとえば、「人間を単なる動物の一群のひとつ」として捕らえるもの(現在の生物学と同じとらえ方ですが)だったりと、信条そのものは、まったく相容れないもので、それだけに、そのルールがあれほど整然とした規則にあやどられていることは不思議でした。

 その悪魔教会の「サタニズムの9か条」を記しておきます。

サタニズムの9か条

悪魔教会 – Wikipedia

 1. サタンは禁欲ではなく放縦を象徴する

 2. サタンは霊的な夢想ではなく、生ける実存を象徴する

 3. サタンは偽善的な自己欺瞞ではなく、純粋な知恵を象徴する

 4. サタンは恩知らずな者のために愛を無駄にすることではなく、親切にされるに値する者に親切にすることを象徴する

 5. サタンは右の頬を打たれたら左の頬も向けるのではなく、仕返しをする行為を象徴する

 6. サタンは精神面で他人の脛をかじる者への配慮ではなく、責任を負うべき者への責任を象徴する

 7. サタンはただの動物としての人間を象徴している。「神から授かった精神と知能の発達」によって最も悪しき動物となってしまった人間という生きものは、四足動物より優れていることもあるが劣っていることの方が多いのである

 8. サタンは罪と呼ばれるものすべてを象徴する。おおよそ罪とは肉体的、精神的かつ感情的な満足につながるものだからである

 9. サタンはつねに〈教会〉の最も親しい友人であり続けてきた。というのも彼は長年それを仕事としてきたのである。

 最後の、

 > サタンはつねに〈教会〉の最も親しい友人であり続けてきた

 というのがキリスト教の教会だとすれば、意味深な部分ではあります。

 昔、こちらの記事に、1971年の小説『エクソシスト』から以下の部分を抜粋したことがあります。

 これは、悪魔に取り憑かれた少女リーガンの母親の言葉です。

 小説『エクソシスト』(1971年)より

 あなたがた神父さんたちは、祭壇の前にぬかずいて、神さまの実在を考えなければならない立場ですわね。だからこそ、神さまは毎夜、百万年の眠りを眠ってらっしゃるんですわ。

 そうでなかったら、神さま自身がいらいらなさって、ついには怒りださずにはいられなくなるはずです。わたしのいっていること、判っていただけるかしら?

 神さまは何もおっしゃらない。その代わり、悪魔が宣伝役をつとめます。悪魔は昔から、神さまのコマーシャルなんですわ。

 この、

 > 悪魔は昔から、神さまのコマーシャルなんですわ。

 というフレーズがとても印象に残っています。

 ともかく、「悪魔教会」設立 50年目は、その 50年後の今の私たちの社会では、その「悪魔主義のルール」にさえ辿り着いていない社会だったということに気づく年となってしまいました。そして、「物質主義」と「個人主義」が極限にまで至っている今の社会は、その社会の存在自体が悪魔主義的であるということも再認識します。

 チジェフスキー博士の目指したような人間社会を本当は目指すべきだったのでしょうけれど、現時点ではその徴候が見えてきません。

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 現代人は悪魔以下の悪の存在といえるようである。続いて、シュタイナーの悪魔の話を紹介する。

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 -弟子のクッテネルがお送りします。

http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-1141.html

≪ルシファーとアーリマン(11)(改変)≫

★自然災害を引き起こす力

 さて第176夜では、本書『天地の未来 地震・火山・戦争』から、今回の地震についても、光と闇の戦いの一部として、短絡的に捉えられてしまう可能性がある、と言いました。

 ここではまず、地震を含む『自然災害』による死が、どのような経緯でもたらされるのかを、シュタイナーの説明から抜粋してみます。

 「カルマの埋め合わせについては、神々が決議します。地震・火山噴火・洪水等の自然災害は、今日の地球の自然法則に則ったものではありません。

 地球の歩みに何かが介入してくるのです。…人類が今日のような誕生と死を体験していなかった太古の時代には、その介入は、必要で有効なものでした。

 地球紀の前の月紀では…人類は、今日のような誕生と共に物質=肉体に入り、そして死によって物質=肉体から出るという体験はしていませんでした。

 魂の変化は、今日よりも遥かにスムーズで、変容、メタモルフォーゼのようでした。  

 月紀の人間は、今日の人間のように物質性をもたなかった。…また、今日の人間のように霊化されておらず、自我をもっていませんでした。

 月紀に生きていた人類は、今とは全く異なった自然法則下にありました。月紀の自然法則は、人類の内面から、エーテルを動かし、沸き立たせ、波立たせ、うねらせました。

 …自然災害が起こるとき、この月紀の自然(エーテル)法則が地上に作用します。自然災害は、地球の物質法則だけでなく、月紀のエーテル法則が関与します。

 …月は今日、自らに相応しい形で宇宙を巡っていますが、地球から出て行ったあと、月のエーテル力を地球に残しました。

 かつて人類の偉大な教師であった霊達が、人間のカルマに関与しています。霊達は人類に、原初の偉大な叡智をもたらしました。

 霊たちは、物質体で地上に生きたのではなく、エーテル体で生きていました。ある時期に地球から出て行って、今日、月に住んでいます。

 (竹取物語のような伝説となっている。)

 人間は、死から誕生(転生)までの霊界での生活のはじめに、その霊達に会います。霊達は、霊魂・精神の文字を用いて、宇宙エーテルの中に人間のカルマを書き込みます。

 しかし、月の住人により、宇宙の進化に対抗する反逆が企てられたのが、霊視できます。

 その結果、地球をまわる今日の月が利用されるだけでなく、地球の中に残された月の力も利用されるようになりました。

 地球に残された月の力はアーリマンの力に利用されます。アーリマンは月の力を用いて、人類の生命に介入します。

 自然災害が起こった時、アーリマンの力は、悦楽に満足した顔つきで、地球の地下深くから現れ出ます。

 シュタイナー『天地の未来 地震・火山・戦争』pp72-73《閏月社(西川隆範訳)》より抜粋転載

 このようにシュタイナーは、人間を死に追いやる自然災害は、月紀の名残と言います。

 従って、自然災害による死は、今日のような誕生から死までの物質界に生きる人類の進化を指導するのに準備されたカルマでは無いとしています。

 しかし、シュタイナーが『宇宙の中の反逆』と呼ぶ出来事によって、月の力が呼び起こされ、アーリマンが人類の生命に介入する機会が与えられてしまった、ということです。

★ルシファーとアーリマン

 しかし、アーリマンが直接、月の力を呼び起こすのではありません。アーリマンは月の力を利用するだけです。それでは一体何が月の力を呼び起こすのでしょうか。

 「例えば、ある集団が熱狂的に発展させる情動に注目しましょう。様々な情動が、人間から発されます。

 情動が妄想までになると、人々は完全に非現実の中に生き、そして、現実に対して破壊力を引き起こします。

 …そのような妄想から非現実の中に生きる人々が、死の扉を通る時に何が起こるのか見てみましょう。

 …自然災害と文明災害(=交通災害等)などの被害者の場合、地上から霊界に運び込まれるのは、常に将来への明るさです。

 対照的に、妄想のような非現実、誤った錯誤の文明から、霊界には将来への闇が持ち込まれます。妄想に囚われた人々は死の扉を通って、まるで重く暗い雲の中を歩いていくように、霊界に入っていきます。

 ルシファーが地上の人間の中に灯した光ともいえる情動が、死の扉を通って霊界に入ると、深い闇となります。

 人間の内面で活動する力、人間の中でのみ働くべき情動が、霊界に運び込まれ、力を発揮します。

 その力はアーリマンによって霊界で変形され、地球に残った月の力を通じて使われます。

 このようにして、本当に、ルシファーがアーリマンと手を結びます。

 …このようなことから、地球のカルマ、民族のカルマ、そして、人類のカルマと地球のカルマに結びついた個人のカルマついて疑問を投げかけ、理解することを学びます。

 月の文化が、人間の情動を呼び起こし、破壊力を目覚めさせ、潜在意識が、空想的に新しいものを創造しようとしながらも、破壊として働くしかない場所での、ルシファーの働きに、カルマの原因を探す必要があります。」

 シュタイナー『天地の未来 地震・火山・戦争』pp94-95《閏月社(西川隆範訳)》より抜粋転載

 現世には、『アーリマンに気に入られ、幻想と幻像の世界を権力の拠り所とし、錯誤の文明(唯物文明)を創り出す人々』が沢山います。

 そして、それらの人々の死後に、霊界へと持ち込まれるルシファーに灯された情動の光(深い闇)を利用して、アーリマンが月紀の自然(エーテル)法則―火山噴火と地震を引き起こすのです。

 つまり、火山噴火や地震を引き起こしているのは、アーリマンではなく、人類の一部の(戦犯や錯誤の文明で権力の座についた悪党などの)人々による情動である、と、シュタイナーは言うのです。

 しかし我々は、それらの連中とも、同じ人類のカルマを共有しています。 

 つまり、一歩進めて考えてみると、「罪を憎んで人を憎まず」と、アーリマンに気に入れられた人たちについても、その責任を個人のカルマだけに帰し、冷たく切り離し、無関心でいるべきではないのです。

 というのも、人類の全ての魂は、根源では一つに繋がり、分岐した各々の魂は、自らその役割を背負ったからです。

 どんなに憎い悪人であっても、人類全体のなかでは、悪の役割を担った「役者」であり、お互いの成長のために、「人類全体のカルマのための芝居」を演じている一人でもあるのです。

 しかし、その行為そのものは「邪」であり、それを放置しておくことは、我々人類のカルマの進化を妨げることになってしまいます。

 従って、連中の「錯誤の文明への情動」に対して、「無関心」であるべきでなく、「悪」として知らしめ、それを改める方向に働きかけるべきなのです。

 小生は、これがキリストの解く「汝の隣人を愛せよ」の本当の意味ではないかと思います。あくまでも愛すべきは「役者」その人であって、「役柄」まで容認するものではないのです。

 さて、続きは次回第187夜でお話しします。

 ★         ★         ★

 悪魔の洗脳から抜け出せ!





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Last updated  2016年05月25日 19時38分57秒
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