シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2016年09月28日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
もしキリストが現代に警告するとしたら、以下のようにいうだろう。

 愛を金銭で買い取ろうとする愚かな金持ちたちが再び神の子である人間の心にかえらなければ、父なる神は人類全てを悪魔の手に委ね滅ぼしてしまわれるだろう。

 人類が金儲けという悪癖をなくそうとしなければ、人類は互いに憎しみ合って自滅するだろう。

 さてさて、私はキリストでもなんでもないので、以上のような無責任なことを書き記すだけだが、現代人は日々の出来事をみて、薄々気づいているはずである。このままでは危ないと。

 なんと愚かな政治家たちよ。権力闘争に明け暮れ、我を忘れている。お前たちは地獄に堕ちることに気付いていない。そんなに自己を誇示して何がほしいのか?

 これほど政治家が愚かな時代はなかったように思われる。

 現代人は古代人の遺産を食いつぶしている。食いつぶせば食いつぶすほど唯物論や無神論に染まりバカになる。

 この国の政治家は酷いものだが、この国が崩壊すると、連鎖倒産のように、この国の経済に依存していた米国も崩壊するだろう。バカなヒラリーやそれ以上にバカなトランプでは米国は風前の灯である。



 さてさて、現状を憂いていても仕方がない。

 そこで、アーリマンがもたらした唯物論、無神論から脱するために、次世代につながる人智学的医術を再び紹介する。

 唯物論のダメなところは霊魂を考えないことにあるが、これまたその対極にあるルシファーがもたらす妄想ともいえるオカルト論も、霊魂を現実的にとらえていない。その典型が巷で話題のホメオパシーである。

 多くの俄かオカルト論者が語るホメオパシーは、水により物質を単に希釈するレメディと呼ばれる薬で治療することのように唄っているが、それでは単なるプラセボにすぎず、これは完全な曲解で出鱈目である。第一、古代の「水」とは水銀のことを意味することすらわかっていまい。

 人智学を学べばわかるが、ホメオパシーは唯物論ではないから、「希釈」は唯物論の用語なので、希釈では唯物論に染まってしまう。ホメオパシーは唯物論ではない。物質ではないもの、エーテルのことである。

 例えば、原子をミクロの世界でみれば、宇宙に散らばる星のようにほとんどが空間であることがわかる。唯物論の素粒子論でも粒子はもはや場=空間に置き換えられることが想定されている。

 量子力学の観測論などは、人間の意識が粒子の状態を決めるとまで言っている。つまり、叡智が粒子を生じさせるのである。古代ギリシアのプラトンなどは、叡智をイデアと呼んでいる。

 どういうことかというと、全てが叡智でつながっているということである。その総体が愛である。

 愛が共鳴し、叡智となり、粒子を生じさせる。それは男女が愛しあい、共鳴し子供ができるのと変わりはない。

 ホメオパシーは何かといえば、同化=共鳴なのである。エーテルとは、唯物的にいうなら、空間に伝わる波動で、だが物質ではないので、無なのである。

 愛を物質で表わせといわれても、無としかいえない。物証できないからである。



 そういうわけで、巷に流れるホメオパシーはほとんどが出鱈目で、漢方や気功、ヨガが、ホメオパシーの名残をとどめているようである。

 というわけで人智学的医術を紹介する。

 ★         ★         ★

 今回から、出来るだけ沢山のことを片づけようと思う。そもそも、この講義の最初の問題提起において重要なことは主に、人智学から得られる知見、つまり、外界にある物質が、人体のなかで辿る道筋などを詳細に学びとることと、また、取り入れたその物質の反作用を学ぶことにある。

 つまり、物質の人体への作用について、完全な洞察が獲得できれば、それに基づいて、症状を診断でき、投薬の指針が得られる。実際に投薬してから、この薬は、この症状に効く、あの薬は、あの症状に効く、といった個別的な処方をみつけるよりも、この洞察から直接診断ができる上でも、遥かに優れる。



 遺伝は、少なくとも比較的健常な人、もしくは病人の診断においても究めて重要な役割を果たす。 

 さて、遺伝は、実に現代の唯物論的な自然科学においては非常に抽象的な意味でしか研究されていない。実際の生活に役立つ意味では、ほとんど全く研究されていない。

 遺伝を真剣に研究すれば、秘教に通じない人には特に究めて難解で、秘教に通じた人にとっては、一目瞭然の法則性をもち、宇宙との関連について人間が知るべき重要な全てが、外界のどこかに、目に見えるような形で顕現している現実が察せられる。

 遺伝は、外的な顕現を通して、ある形で、隠されてはいるが、人間に対して非常に有用な力が、自然の中に存在している事実を常に示している。遺伝を研究するなら、特に、自然のなかに隠されている力を究明しなければならない。

 というのも、この自然のなかに隠された力の究明なしには、遺伝として外に顕現する宇宙との関係全てに幻影をまとわさせ、本質を絶え間なく損なうため、正しい診断が不可能となるからである。遺伝に関しては、たとえ個別的な判断が一旦は下せても、また別の個別的な現象にはあてはまらないからである。

 遺伝が難解なのは、究めて甚だしく幻影に覆われていることに由来するが、遺伝には非常に規則的だが、調整し難い形で、男性的な陽性と女性的な陰性が参画している。

 陰陽の参画は規則的だが、この規則性と同等に明瞭な調整が常に可能というわけではない。つまり遺伝現象は、規則性に則ったものだが、その調整は困難なのである。

 天秤の棹を水平に保てるのは、宇宙の規則性に基づくが、そこから、新たな規則性を求めるために、左右に錘を乗せていくと、微妙に、一方か、他方に傾くために、この厳密な規則性の調整が困難なのと同じである。この性質は、遺伝現象にも概ねあてはまる。

 遺伝現象は、天秤の棹を水平にするような規則性を持っているが、この規則性は同時に、非常に可変性をもちながら現れ、上記に述べたように、男性的な陽と女性的な陰が参画し、しかも、陽は地上に力をもたらし、陰は、地球の外の宇宙からくる力をもたらすような方向で参画する。

 地球は絶えず男性の陽性を要求し、その地上の力を通じて、男性の陽性を組織化する。実際、地球は、男性という性の発生の原因でもある。女性の陰性を絶えず要求するのは、地球外の天である。天は絶えず女性という性の形成を引き起こしている。

 天は、人体内の組織化全般において、圧倒的な影響を及ぼしている。この天の圧倒的な影響は、以前述べた事実を改めて指し示す。そして、天の圧倒的な陰の力により、以下のようなことが生じる。

 受胎を通じて、女性的な本性が発生すると、この女性的な陰の本性は、次第に益々地球外的な進行へと、自らを組み込んでいく傾向へと向かう。この本性を基に天を受容する傾向になっていく。逆に、男性的な陽の本性が発生すると、次第に益々地球が要求する傾向を帯びてくる。

 すなわち、天と地が人間に実際、共作用している。

 (御釈迦さんの天上天下唯我独尊。遺伝は、男性の陽と女性の陰の均衡により成立する。端的にいえば、男性は筋骨隆々の地の力、女性は丸みを帯びた豊満な天の力といえる。)

 いま言及している規則性は、例えば、女性には天が作用し、男性には地が作用する、という意味ではなく、天と地の両方が男女の両方に作用し、女性の場合には、天秤の棹が、天に傾くことで釣り合い、男性の場合には、天秤の棹が、地上に傾くことで釣り合う、という意味である。

 遺伝は、厳密な規則性をもつが、非常に可変的でもある。しかし、このような性質から、ある帰結が生じる。女性が、人体のなかに含み持つ陰性の力により、地上の陽性の力は、女性のなかで絶えず克服されるが、地上の力が克服されるのは、女性固有の人体(母体)に限られ、胎児や、精子のなかでは克服されない、というような奇妙な現象が起こる。

 つまり、女性の場合、天と地との闘いは、精子の形成等に関する生殖以外の組織化に限られるため、女性は先天的に備わる遺伝力から、精子に関わる生殖の際に生じる組織化を被ることなく、絶えず免れている。

 精子に関わる生殖の周囲で、陽性を、陰性に転じることで、女性は、陽性を被ることを免れ続け、陽性の生殖力、つまり遺伝の傾向は、男性を通じて生じる。女性自身は、この陽性の遺伝の傾向を免れるが、その代わり、女性は、卵の形成力のなかに強い遺伝の傾向をもつ。 

 さて、では人間社会においては、遺伝に伴う破壊力には、どのように対抗できるのか、というような疑問が生じる。

 遺伝力は、いわゆる霊、もしくは物質を、前にしても、躊躇することはなく、厳密に適応される。この事実は、いわゆる精神病が支配する家系のなかに形質の伝播として示され、端的に、糖尿病に罹患し易い傾向をもつ現象として現われる。

 だから、この遺伝に伴う破壊的な作用から、どのように免れるか、というのは途方もなく重要な問いとなる。この問いに対する回答は、何はさておき、婦人の健康をできるだけ維持するように配慮する以外に方策はない。

 というのも、婦人の健康を維持すれば、女性を通じて、地上の陽の遺伝力に伴う破壊力に、地球の外の影響が引き入れられ、この有害な遺伝を、胎児にもたらすような作用を、女性の人体(母体)から継続的に制圧することが可能となるからである。

 つまり、女性の健康によく注意が払われている社会では、遺伝に関して、地の力から発する破壊的な影響に対して、闘いがなされている。というのも、社会には、地球の外から作用し、地の力を調停する力の、いわば蓄電池が、女性の人体(母体)のなかにしかなく、そのような天の力の効果に訴えかけるしかないので、女性の健康は、社会にとって、最大限配慮すべき重大事である。 

 この遺伝力は、地上の力にも、地球の外の力にも当てはまり、普遍的な法則である。

 これは、血友病や生殖に関わる病を扱う場合、顕著に明らかになる。遺伝現象については、一般的に色々と述べるのではなく、具体的に手にとれるように示しながら研究すべき、という指摘を受けるだろう。

 この指摘に対しては、血友病患者における遺伝現象を研究すればよい。血友病を研究すれば、究めて奇妙な現象が見つかるが、これは、たった今説明した遺伝の、外的な顕現による現象である。

 血友病の研究から見つかる奇妙な現象とは、次のような事実である。

 血友病が遺伝されて生じるのは、家系の血のなかでは男性だけで、ただ、血友病を遺伝させるのは女性を通じてであり、女性、つまり血友病患者の娘は、彼女自身が血友病でなくても、血友病の家系の一員なので、彼女の男の子孫に血友病を遺伝させる傾向をもつ。

 (このため、男系継承が推奨される。もし女系継承にすると女帝が血友病でなくても、その男子が血友病になる恐れが生じる。そうすると血が絶える。この血とは霊能力の同族婚継承の意味である。)

血友病
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E5%8F%8B%E7%97%85

 女性とは異なり、対照的に、男は血友病患者となる。しかし、血友病の家系の一員でないことが証明できる女性と結婚すれば、血友病は遺伝されない。 

 このような血友病の遺伝現象を分析すれば、今述べた事実が明白に外的に生じる現象が得られるはずである。少し前(1920年の少し前)のヴァイスマンの試みよりも、遥かに明確に、遺伝に関する本質的な進行が示せる。

アウグスト・ヴァイスマン[August Weismann](1834-1914)
 最初は医師、1866年から1912年までブライスガウのフライブルク大学で動物学教授、獲得形質の非遺伝性を仮定した。「遺伝理論の基礎としての生殖質の連続」(イェナ、1885)、「生殖質」(イェナ、1892)、及び、その後の論文参照。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3

 女性を通じて男性に遺伝する事実などは、人体の診断にとって最重要とみなすべきであり、人体に影響を及ぼす遺伝的法則に従って診断しなければならない。

 では、そもそも一体、血友病は何に起因しているのか?

 結局、血友病が何に因るかは、表面的に観察しても示せる。血液の凝固力がないために、通常は傷口で、血液の凝固が生じるが、血友病患者の場合、凝固に至らず、単なる鼻血や、歯の手術による出血など、僅かな開口部であっても出血多量で、死に至ることもある。

 もともと、血友病は、血液の凝固力の不足に因る。とすると、血液のなかに、凝固力に対抗する何かがあり、その何かが強く作用しすぎるので、通常なら、血液を凝固させる外からの力によっても止められなくなっていることがわかる。

 血液の凝固は、外からの力が関わっている。血液のなかに、この外からの力を抑えつけてしまう何かがあると、血液のなかに、過度の液体化の傾向が現れてくる。

 人智学の知見から、この血液の液体化への強力な傾向は、人間の自我と関わっていることが容易にわかるが、それは、自我のなかから外に働く表面的な認識力に関わるのではなく、自我の根底で働く意志力と関わっている。

 つまり、人間のなかの意志の強弱と、血液を過度に液体化する組織化とが関係している。

 歴史的な事件に対して、正しい解釈を用いれば、ある自然の秘密へと辿り着く事実を見事に示す事件を挙げることができる。それは歴史的に名高いエンガディン地方(スイスの一地方)の乙女たちの事件である。

エンガディン地方
 http://www.myswiss.jp/jp.cfm/area/offer-Destinations-01Graubuenden-318719.html

 (エンガディン地方では、シュタイナーのいうような話はないようである。エルンスト・ツァーンの長編小説「タノの女たち」 に似たような話があるらしい。) 

 エンガディンの2人の乙女は、医学が必要とする人間認識に対して、徹底的な啓蒙として影響を与える歴史的事件を作り出した。このエンガディンの乙女たちは、血友病の家系出身で、結婚しないことを固く決意したため、血友病の遺伝を個人的に撲滅した人たちとして歴史に登場する。

 (この点から考えると、王家継承は、男系継承が相応しい。古代イスラエル王国継承の意味では、Y染色体にあるD系統YAP型は、古代イスラエル王国と、日本をつなぐ上で、研究上究めて重要である。) 

 さて、このような歴史的な出来事の場合、正しい解釈に目を向けなくてはならない。上記のような乙女のように、生殖への衝動から身を切り離すことは、血友病の家系から出た娘全ての特質ではない。アストラル体には作用せず、自我のなかだけに作用する、強い主観的な意志の養成も、意志の働きである。

 つまり、彼女たちには、この強い主観的な意志があった。すなわち、彼女たちの自我のなかの意志は、血友病患者において効力を発揮する過度な力と、ある形で関係している。

 この意志は、血友病でない人の場合よりも容易に意識的に強められる。この意志を、正しい解釈で認識すれば、血液に特有の、ある本質的な力との関係を発見し、外界の力との相互作用も認識できるようになる。

 意識的な意志と関係する、血液中の力へと目を向けることで、人間の意志と人間の外にある力との関係が、総じて、どのようなものなのか、を洞察できるようになる。

 さて、その回答は次のような事実にある。

 人間の外にある力が、人間の意志による力と霊(内)的な親和性を持つのは、宇宙の進化が経過するにつれ、人間が意識的に育成してきた意志力が、最終的に自然界のなかに分離された、という事実が背景にある。

 意志の力は、最終的に自然界のなかに分離され、外にある力となった。 

 だから、人間の進化過程における分離により、外の自然のなかにある意志の力を、その特性を通じて、人間の進化過程と、いかに関係を再び持ち得るかを、研究により示すことが重要となる。

 このような関係は、長い間、自然のなかに研究されてきたが、それを洞察することは極めて困難である。なぜなら、17、18世紀までの先祖伝来の(伝統)医療が、なおも保持していた自然治癒力を、今日の主知主義的な人間のなかで、再現することは困難だからである。

 当時研究されていた内容は、アンチモンとの関係だった。 

アンチモン
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A2%E3%83%B3

 アンチモンは奇妙な物質である。バシリウス・ヴァレンティヌスのような伝説的な人物が、熱心にアンチモンを研究したのも、アンチモンが特別な物質だからだった。

バシリウス・ヴァレンティヌス
 Basilius Valentinus;14世紀と15世紀の変わり目頃生きた。著作:「アンチモンの凱旋車」、「太古の偉大なる賢者の石」、「化学の黙示」。

十二の鍵
 http://macrocosm4alchemy.web.fc2.com/translation/Twelve_Keys.html

 アンチモンの性質に着目すれば、アンチモンが独特な形で、自然の経過全体に関与している様が認識できる。アンチモンは独特の形で自然の経過全体に関与している。

 アンチモンは、第一に、非常にありふれた性質だが、他の金属や物質と緊密な親和性をもち、他の物質とともに、特に硫黄と結合して現われることが多い(輝安鉱)。実際、硫黄は、自然のなかでは、アンチモンと同じような特殊な性質を持つが、この硫黄の性質は、既に、おおまかに述べた。

 アンチモンが硫黄を通じて、他の物質と結合する傾向は、アンチモンが自然の経過のなかに関与している様を示している。けれども、アンチモンの別の特性は、更に、その性質をより強調している。

 つまり、アンチモンは、束(房)状の結晶として、可能な限り現われ、なるべく大地を離れ、線(束)状になることを目指して進む性質をもつ。アンチモンが線(束)状に積み上がっていく性質に、地球の外から、地上へとやってくる結晶化の力を、外(物質)的に見ることができる。

 通常は、もっと大きな規則性をもって現われる結晶化の力が、アンチモンでは、槍(線)状や束(房)状の形に集約して現れる。この形は、自然の経過全体に、アンチモンが関与している様を露出している。

 同様に、アンチモンの溶解過程で生じる形も、結晶化の力をよく露出している。溶解過程を通じて、アンチモンは細かい繊維状の形で得られる。 

 アンチモンのまた別の性質は、酸化、燃焼すると、ある独特な形になることにある。酸化、燃焼するときに生じる白い煙は、冷たい物質と、ある独特な親和性を示すが、この白い煙が、冷たい物質に付着して名高いアンチモン華を産出する。

 アンチモン華もまた、アンチモンの別の物質への依存により、結晶化の力を放出する。 

 (アンチモンの結晶:アンチモンの主要鉱石は輝安鉱。アンチモンは硫黄と結合して現われることが多いと述べられているように、輝安鉱の成分はアンチモン(Sb)71.4%と硫黄(S)28.6%から成る。輝安鉱の結晶は長柱状、針状をなし、繊維状、毛状になることもある。

 輝安鉱を木炭上で熱すると、容易に溶融して液状になり、そのまわりに三酸化アンチモンの白色の蒸皮を生ずる。また開管中で熱すると、管の底部に不輝発性の白色昇華物を残し、上部には白色輝発性の昇華物が輪状につく。 

 原鉱石の溶融によって得られる硫化アンチモニーはそのままでもマッチ、花火などに用いられる。) 
 http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/gallery9/643valentinite.html

 けれども、最も奇妙な性質は、これまで述べてきた地上の力のなかの、いわば電磁力に対して、アンチモンが持つ独特の抵抗力である。アンチモンを、電気分解で、陰極に運ぶ形で処理し、陰極の沈殿物に、金属の先端で触れる(電気を流す)と、小さな爆発を引き起こす。具体的手順は、以下のスチビンの解説を参照のこと。

スチビン
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%93%E3%83%B3

 (アンチモンを、電気分解云々は、上のサイトの、「陰極材料にアンチモンが添加された鉛蓄電池は、充電時に微量のスチビンを発生する」に関係するように思われる。

 また、スチビンは、「人体に対しては少量でも溶血作用を示し、肝臓・腎臓毒でありなおかつ神経毒、呼吸器毒である。」というのは、血友病にも似ている。)

 電磁力に対する、このアンチモンの抵抗は、それを媒介する物質さえ得られれば、アンチモンの特徴的な性質を示すものとなる。物質が、自然の経過全体のなかに置かれる様を、実際に、アンチモンを通じて見ることができる。他の物質は、アンチモンほどの電気への抵抗を示さないとさえいえる。

 さて、自然自らが、明白な形で示す様々な力を理解するには、自然の力が様々な場所で作用している事実を出発点とする場合に限られる。ただ、自然のなかの力を、物質が特別に示すときは、その物質のなかに、自然の力が、特に集中し、限局している。

 アンチモンの性質として現れる自然の力は、本質的には、様々な場に存在する。それは、いわば、「アンチモン化」というような表現を用いたほうがよいかもしれない。このアンチモン化の力は、人間のなかでも調整(ホメオパシー)的に作用し、人間は、このアンチモン化の力を、正常な状態では、地球の外から引き入れる。

 いわば、人間は、地球の外から、アンチモンを集め、作り出して、引き入れる。正常な状態では、人間は、地上のなかのアンチモン化の力や、アンチモンのなかに集積している自然の力に頼ることはなく、地球の外の力から獲得する。

 そこで、次のような疑問が生じるのは当然だろう。

 一体全体、地球の外の、このアンチモン化の力とは何なのか? 

 それは、惑星で言えば、水星と金星と月の共同作用なのである。この3つの惑星が、別々に作用せず、一緒に作用する共同作用で、いわゆる錬金術でいう、水銀、銀、銅が、個々に作用せず、共同で作用すると、アンチモンが地球に作用するような作用となる。

 月や水星や金星の3つの力が、単純な座相ではなく、衝や矩といった然るべき座相をとることで、互いの個性が中和されるような地球の位置に住む人間への作用を探究することで、この共同作用を調べることができる。

衝、矩
 衝は惑星どうしが180度の角度で向き合う位置関係、矩は互いに90度(四分円)の角度になる位置関係。

 3つの惑星の力が中和し合う共同作用は、アンチモンの作用と関係し、地球に集約された相互作用がアンチモンのなかで起こる。地上のアンチモンのなかでは、地球の外の3つの天体から、地球へと作用する力と同じ力が作用している。 

 さて、やはり述べておくべき真相へと辿り着いた。地球の構造においては、アンチモンの場合、その塊の1つ1つを取り出してきて、語るだけではすまない。地球の組織化においては、銀も、金も全体で1つであるように、アンチモンも全体で1つなのである。

 (地球の構造、つまり金属の生成は、地球以外の他の惑星の星位による。だから、金属の生成を変えることは、地球の構造と星位を変えること、つまり地球の軌道を変えることになる。)

 個々の塊は、それほど問題ではない。一塊のアンチモンを、地球から取り出せば、地球に組み込まれている全アンチモンを掘ることになる。つまり、一塊のアンチモンは、アンチモン全体の一部なのである。

 以上、アンチモンの作用を通じて、明らかになる事実全てを述べた。さて、自然においては、全ての作用に反作用が相対している。物質は常に、他ならぬ、この作用と反作用の往復(均衡)運動によって生じる。 

 では、今度は、アンチモンの力に反作用する力を探す必要がある。この反作用の力をみつけるには、本来は人体内で制御されているアンチモンの力が、外に向かって突き進む瞬間に、(反)作用する力を認識でき、洞察できなければならない。

 このアンチモンの力は、血液の凝固に作用する。この凝固の内部に、アンチモン化の力が働いている。血液が、継続的に流れる場において、凝固の傾向を示す場合は常に、アンチモン化の力が存在する。逆に、血液が凝固から逃れようとする場には常に、反作用が存在する。

 従って、血友病患者と向き合うと、奇妙なことに、反-アンチモン化の力が見つかる。この反-アンチモン化の力は、アルブミン化の力、もしくは蛋白質形成の力とでも名づけたい力で、このアルブミン化の力は、蛋白質形成を促進しながら組織化を進める作用である。

 なぜなら、血液の凝固を妨げる作用は、蛋白質形成力だからである。

スチビン
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%93%E3%83%B3

 (スチビンの溶血作用と似ている。ヘパリンにも似ている。) 

ヘパリン
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%91%E3%83%AA%E3%83%B3

 このようなわけで、人体でのアンチモン化とアルブミン化の相対関係が認識できるようになる。このアンチモン化とアルブミン化の交替などを研究すれば、罹病と治癒の経過の根底にある基本的な認識が獲得できる。

 では、一体、アルブミン化とは何なのか?

 その過程を通じて、自然のなかの可塑性や増殖性をもつ物質が、人間や動物の肉体造化のために組み入れられる。

 対照的に、アンチモン化の力は、外から作用する、いわば造形芸術家で、器官に形態(フォルム)を与える力である。このように、アンチモン化の力は、人体の諸器官の、内からの造化力(アルブミン化の力)に対して、相対的な関係をもつ。

 (内からの造化力=アルブミン化、外からの形態力=アンチモン化。血友病は、アルブミン化が過度で、アンチモン化に乏しい症状といえる。人間は、進化過程で、意志を分離し、外界にアンチモンを残した。) 

 だから、人体の器官において、この両方の過程を区別して欲しい。この区別は重要である。

 例えば、食道の場合、人体内にあるので、食道でどんな経過が起こっているか、食道に沿って粥状になった食物がどのように通過していくか、などに注意を払えば、食道の構造を追求できる。

 食道が、人体内に摂取された食物などと相互作用することから、食道の構造がわかる。つまり器官内の経過と、外から与えられた食物とが、共に働くとき、器官に生じる過程を抽象的に、器官内からの経過と、外から与えられた経過の2つの異なった経過に区別できる。

 食道に外から経過を与えるのは、人間の飲食行為などを介しての、アンチモン化の力による。器官に外から与えられる全ての経過を、人体から除外して考えれば、人間の行為は本質的には、いわば造形芸術家で、アンチモンといえる。人間はアンチモンなのである。

 (人間の行為が、人間自身を形作る。今生において手足をよく動かした人は、来世において、よく頭が働くと、シュタイナーは述べている。)

 重要なことは、日常生活の経過のなかで、器官内からくる造化力に、このアンチモンからくる形態力の負荷をかけすぎてはいけない、ということである。

 (食道については食べ過ぎてはいけないということ。)

 日常生活の経過のなかで、このアンチモンによる形態力を過度に供給してはいけない。供給してしまうと、人体を毒し、過度に刺激することになる。とはいえ、人体を強く刺激する必要があるときは、アンチモンの供給も考えないといけない。

 アンチモンの作用は、その特性により、外から用いるか、内から用いるかによって、異なる作用を及ぼす。アンチモンを内服する場合には、人体上部にまで浸透するように、人体内で十分に同化(ホメオパシー)させ、エーテル(免疫)化して用いる必要がある。

 アンチモンの作用が、上部内にまで浸透すると、障害を起こしている器官や造化過程を刺激する。従って、あるチフスの症状に対して、アンチモンを、人体内で同化(無毒化)するように内服して用いれば、大きな治癒を与えることができる。 

チフス
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%95%E3%82%B9

 対照的に、アンチモンを、あまり溶解させずに、物質的に軟膏などとして、外から用いるときには、内服とは異なった治癒が得られる。とはいえ、基本的には、外から用いる場合は、物質として、エーテル化させずに用いる。 

 アンチモンの利用から、これまで述べてきた陰陽の対極的な現象を示すことができる、実際に、非常に有用な薬を、人体内で継続的に、規則的な進行のなかに組み込めることがわかる。従って、次のような結論に至る。

 「意志の強い人には、主として、アンチモンを内服させ、意志の弱い人には、アンチモンを外用する。」

 アンチモンのような薬は、内外の処方の違いによって、特殊化せざるを得ない。また、上記の事実から、鉱物界のなかのアンチモンは、人間の意志が、自ら感じとる限りにおいて、意識的であればあるほど一層、アンチモンの作用に対する反作用を引き起こすような内的な親和性をもっていることがわかる。

 人間の意志は、以前描写したアンチモンの独特な形態力を、全て破壊するように作用する。

 一方で、人間の造化力全ては、ある思考力の影響の下、特に無意識の思考力、例えば子どもがもつ無意識な思考力の影響の下では、本質的に、アンチモンの力により均衡が図られる。アンチモンの力は、器官造化力と共作用する。 

 従って、もし人体のなかに、恣意的な形で、アンチモンを与え、アンチモンの独自の特性を通じて強力に人体に作用させるなら、強力なファントム(幽体)を形成する。人体内の器官の形成力が即座に刺激され、人体に与えられたアンチモンの作用と共同して働くために、空回りをはじめ、嘔吐、下痢などが生じる。

 嘔吐、下痢は、器官内からの造化力が、器官内に後退し、器官の周辺に広がらないことから起こる。これらの症状は、アンチモンへの反作用とともに出現する。 

 アンチモンの投与により、器官形成を刺激できるが、その刺激に強い体質をもつなら、通常の食事などの摂取から、特定の体質を促進するのと同じように、アンチモンの有害な作用も克服できる。アンチモンの刺激に強い人とは、新陳代謝や呼吸や鼓動の律動制御を調和的に維持できる人のことである。

 コーヒーを嗜好する人は、コーヒーにより律動制御を調停的に促進する。いまは単に事実を述べるだけで、コーヒーを推奨するつもりはない。というのも、律動の調整を、自身でなく、コーヒーなどに依存すれば、別の面から有害だからである。

 律動の調整が不得手なくらい魂の能力が未熟な場合、コーヒーの嗜好はその調整へと導く。従って、アンチモンによる中毒には、コーヒーは一種の特効薬となる。なぜなら、コーヒーは人体内の器官からの造化力と、外から生じる形態力との間に、律動(リズム)を回復させる働きをもつからである。

 (コーヒーが、器官の過度な造化力=腫瘍化に予防となることがわかる。)

 人体内は、ある一定の律動(リズム)により維持されている。コーヒーを嗜好するのはそもそも、人体内の器官の造化力と、摂取された食物などによる外から器官に与えられる形態力との間に、継続的な律動(リズム)をもたらすためである。 

 器官の形成に対する律動制御は、再度、アルブミン化への注目へと導く。器官形成の対極は、器官自身がもつ造化力ではなく、外から与えられる形態力により促進される。

 つまり、腸の運動のような機械的運動や、通常の消化活動全般は、他ならぬ蛋白質形成力でもあるアルブミン化の力が親密に関与し、同時に、アンチモン化の力と対置される。 

 さて、既に指摘したことだが、再度指摘しておく。殻を形成する牡蠣などは、アルブミン化の力が外に現れた典型で、かつ特別な存在でもある。同じ過程が、小規模だが、卵の殻の形成、いわゆる石灰の分泌などの場合にも見られる。

 牡蠣の殻や、卵の殻がつくられる要因は一体何なのか?

 殻とは、卵の本体や牡蠣が自身から解放し、放出すべき産物で、もし、卵の本体や牡蠣が殻の成分を保持したままでいたら、死んでしまう。つまり、殻の形成は、単純にいえば、生命の維持活動に基づいている。 

 従って、牡蠣を食べれば、牡蠣と一緒に、今日の科学でいうなら、若干の文学的な表現が必要となるが、殻として、外に現われてくる元の生命活動を食べることになる。つまり、牡蠣とともに、その生命活動を一緒に食べることになる。

 つまりアンチモン化に対置される、アルブミン化を一緒に食べていることになる。だから、牡蠣を食べすぎると、人体のなかで、チフス様の症状に通じる活動が促進される。牡蠣を食することで、究めて興味深い生命活動が獲得できる。

 牡蠣を食べれば、下腹部の活動力、つまり、それに関与するアルブミン化を促進する。ところが、下腹部の活動により、同時にそれと対極にある力が、頭から解放され、人体下部へと放出される。すると、牡蠣を食べることで、頭のなかで働いていた元々の活動力が解き放たれ、自我の負担が軽くなるように感じる。

 牡蠣を食べると、頭が軽くなる。人間は、このアルブミン化の力を、絶えず発達させる必要がある。なぜなら、アンチモンの外からの形態力の負担を、頭にかけることができないからである。ところが、牡蠣を食べすぎると、あらゆる情熱の虜になり、頭が空っぽになる。

 従って、牡蠣を食べ過ぎると、以前、特徴を述べた人体上部の力が放出され、下腹部への突破の可能性を大きくし、いわゆるチフスへの傾向を促進する。だから、このチフスの傾向を認めたら、上部の力の、下腹部への突破を抑制するために、アンチモンでの治療を考えることができる。

 従って、アンチモンの内服と外用との同時的な処置を遂行することで、例えば、アンチモンを、人体内で同化させ、上部に浸透するように内服するか、また同時に、アンチモンの軟膏を外から擦り込むことで、チフスへの傾向の克服に到達できたら、良い治療法が得られる。

 また、アンチモンの投与量と投与法の調整により、逆にアルブミンの作用も高めることもできる。なぜなら、アンチモンもアルブミンも、チフスの傾向に対して相互に(陰陽として)調整しあうからである。 

 これまでの内容から、全宇宙の環境のなかに、人間がどのように継続的に存立しているかが、わかるだろう。人間が、自然のなかに存立する意味を見つけるには、自然のなかの地の力に対して、植物のような生命体となり、直接抵抗する力と、人間を存立させている構造との関係を調べてみればよい。

 植物は、地の力に対して直接抵抗している。植物は、花や種子を生むために、地の力に対して抵抗することで、地球外からの形態力を確保する。人間にとって食用となる植物の基礎をなす形態力は、特定の地の力に抵抗することに基づいている。

 植物は、地の力への抵抗に続き、その代償として、地球外(天体)の力に曝されることで、最終的に、種子や果実をつくる。次いで植物は、そのまま進化すると、植物界の上方にいる高次の存在たちが世界を見渡すように、世界を見渡したい、と思うような境地に達する。

 つまり、植物は、知覚を求める。ただし植物は、知覚器官を持たないので、植物のままで、人間の眼のような構造を発達させようとするが、植物は眼を発達させることはできない。植物は、人間、もしくは動物のようなアストラル体をもたずに、エーテル体しかないからである。

 上述した植物などは、例えば、ベラドンナ[Tollkirsche]、アトロパ・ベラドンナ[Atropa Belladonna]のような植物になる。このような植物が、ベラドンナになっていくときに生じる進化過程を、以前、わかりやすく描写した。

ベラドンナ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%8A

 このような植物はベラドンナになることで、最終的に、根のなかに、黒い液果として実を結ぶように導く力が存在するようになり、この植物は、人体の次のような作用と親和性をもつようになる。

 「本来は、感覚(アストラル)領域で働く力が、物質的な領域で働くようになり、つまり感覚(アストラル)の領域から、肉体の領域に、意識を浸透させるような」作用と親和性をもつようになる。

 ベラドンナを人体内で同(エーテル)化するように服用する場合に生じる作用は、非常に興味深く、寝起き時の夢見の感覚に非常によく似ている。夢見からの目覚めは、ベラドンナの作用が、抑制され、中和された形で起こる。

 寝起き時は、まだあまり外界への知覚が行われず、夢を伴う内的な意識に感覚を浸透させる性質は、このようなベラドンナの一種の作用である。

 従って、ベラドンナによる中毒というのは、寝起きの際の夢にまだ浸透されているときと同じで、ベラドンナの毒により引き起こされ、その夢見が継続し、外界に、知覚が向かうことなく、外界を受け取ることなく、夢見のその過渡的現象が持続することに基づく。

 中毒を引き起こすような作用でも、それが適切な形で抑制され、人体のなかで中和された状態で引き起こされるなら、人体の一部の働きの、夢見からの目覚め、となることがわかるのは非常に興味深い。 

 上述したように、植物のベラドンナ化は、植物の人間化への気違いじみた努力ともいえる。だから、人間は、寝起きの際に、自らのなかのベラドンナ化の性質を発揮するが、ただし、これは和らげられた、節度あるベラドンナ化であり、寝起きの夢見の瞬間だけに限定されている。

 従って、人体内で過度に強く作用するアルブミン化の負担を解消するには、物質的作用を、精神的な作用に導くように、人体内で、上部へと浸透するようにベラドンナを同化するように与えればよい。

 ベラドンナを服用することで、人体から物質的な負荷を除き、魂を優位にさせることができる。

 このようなベラドンナの働きは、過度に与えると、確かに混乱を生み、幻影に満ちさせるが、適度に中和し、同化させるなら、通常の寝起き前の夢見のときのベラドンナの作用を克服できる。

 しかし、ベラドンナを過度に与えてしまうと、眠ったまま、覚醒状態へと移らずに、その人は死んでしまう。

 だから、人間は寝起き時に、常に生命の危険に曝されている。ただ、この生命の危険を克服するように、ベラドンナの夢見の状態が継続しないように、抑制し、中和し、素早く起きているだけなのである。

 このように、夢見が適度に、瞬時に起これば正常に、限界を超えれば異常となる、というような興味深い関係がある。 

 この興味深い関係から生じる、寝起き前の夢見の状態は、古代の医師たちは、繰り返し追求しようと試みていた生命活動である。

 だから、古代の医師たちが、ホムンクルスの製造法について語る際、霊的に言って、まだいくらか残っていた霊視力で、アンチモンからつくられる物質化の形態であるファントム(幽体)を分析していた、ということなのである。

ホムンクルス
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%B9

 古代の医師たちが、実験室で行っていた研究とは、人体内のアルブミンの造化力に対して、アンチモンを投与することで、展開される、その形態力との均衡において、このアンチモンの力が抑制され、アンチモンの力とアルブミンの力が1つとなって現われた状態を作り出すことにあった。

 人体内に潜在する日常のアルブミンの造化力に応じて、アンチモンを投与することで、様々な形態(フォルム)をとっていく間に、アルブミンの力との均衡の基に現われてくるホムンクルス(ホメオステーシス=人体恒常性=自然治癒力)を古代の医師たちは見ていたのである。

 この均衡が起こる状態において出現する生命維持活動を、彼らはホムンクルスと呼んだのである。

 ★         ★         ★

 まだまだ要約が未熟だが、現時点では以上である。要するにホムンクルスとは人体の恒常性のことである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016年10月15日 10時21分40秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: