シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2017年05月01日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
久しぶりに書く。20世紀もっとも発展したのはTVで、21世紀はネットだと思うが、その時代の流れを受けて私はすっかりTVっ子である。TVは地球の反対側を映し出すのに大きな役割を果たしたが、ネットはさらに文化や表現の多様性を発展させている。

 両媒体を通じて、恐らく一番発展したのは、日本のアニメだろう。

 さて、今回書きたいのは、実はアニメではなく、日本の生活スタイルである。日本社会は中世の没個性をいまだにひきづっているので、会社精神や上下関係などはまさにそれだが、事実、シュタイナーは、日本のこの全体主義的な没個性という古さを古代アトランティスの遺産として言及し、発展性のなさを指摘しているが、そこはやはり外国人の個人主義的な意識を移植すべきに思われる。

 さて、BS7でやっている「ワタシが日本に住む理由」は私のなかでは一番の秀逸な番組だと思っている。

 というのは、西洋に追い付け追い越せできた20世紀の日本人がふと気がついてみると、日本人とは何なのか、自信を失っている今日この頃の外国人による日本礼賛の付け焼刃的なナルシスト番組が多いなかでも、この番組は実際に日本に住んでいる外国人の眼からみた日本を浮かびあがせる異色な番組だからである。

 このあいだは鎌倉に住むイタリア人の話だったが、非常に面白かった。心理学を学び、世界を旅したこのイタリア人の日本人の印象は「ナルシスト」ということだった。

 褒め殺し、というのが随分前に流行ったが、日本人はどこか閉鎖的な(内向きな独りよがりの)ナルシストという感じがするのは確かである。

 京都のようなひねくれた、洗練されたともいうが、婉曲表現の生活圏があるのに、褒められると有頂天になりやすく、常に周囲の目を気にして、体裁をつくろうのが、ナルシストにみえるせいかもしれない。

 現政権をみていると「ナルシスト」そのものともいえるが、オナ ニーストといえそうでもある。



 例えば、前回、日本文化の「わびさび」について一考察を紹介してみたが、このイタリア人が好きな一字を聞かれて、「龍」と書き、龍は西洋では悪魔の象徴だが、東洋や日本では神の象徴になっている違いを説いていたが、この違いに日本文化の特徴があるように思う。

 西洋では悪魔を忌み嫌い、排除する傾向にあるが、東洋では悪魔を善導しようとする傾向にある。

 悪というのは偽善なので、偽りを正しく元に戻せば、善になるはずだからだ!

 つまり、悪をカルマの法則に従わせれば、善になる。

 カルマの法則とは十字架を背負わせることである。悪魔に十字架を背負わせると、善になるから、悪魔は十字架が嫌いなんである。

 つまり、西洋は、特に外資系は、リストラが象徴で、使えないものは、切り捨てる傾向にあるが、東洋では、どんな人をも粗末にせずに、持ち場を与え、生かしてやるという、中世でも、浪人を雇うという風習があったはずなのである。

 どんなもの、どんなひとにも親切にして、大切にする、というのが日本文化の徳目だったはずである。

 しかし、西洋に追い付け追い越せで、この大切な徳目を切り捨ててしまった!

 消費社会、利益追従の切り捨てが罷り通るなかで、日本人が日本の精神、心を失ってしまった。

 西洋では悪魔を切り捨てているうちに、悪魔と同じことをし、金持ち悪魔の支配する悪魔崇拝の地獄世界になってしまったが、そのために東洋は散々犠牲者を排出してきたが、東洋はそれではダメで目覚めないといけない。



 霊界から物質界が生まれているし、人間の霊魂が、物質界に降臨することで、肉体をつくっているのである。病気などは、霊魂の負の想念がそのまま肉体に現れたものにすぎない。

 このイタリア人も言っていたが、人間は経験媒体であり、記録媒体なんである。だから、お墓は必要なく、一期一会がそのまま永遠に魂とともに運ばれ、そのやりとりが、カルマの法則とともに残っていくのである。

 良き出会いは更に良きものに、悪しき因縁は良き因縁にと残すのが、カルマの十字架の救いの働きである。

 千利休と後に呼ばれた宗易で有名な一期一会とは、永遠に続く霊魂の交わりの事である。一期一会ではなく、これまでの輪廻転生から既に出会っていて、出会うのは運命づけられていたのである。

 このように日本の文化には、古代の霊性の文化が色濃く残っているために、この世を仮の世界と思っている節がある。神社や寺社などで、霊魂を祀っていることから明らかだろう。寺だって、日本にくれば、その仏像は、御釈迦さんの生前の姿ではなく、今も霊界で生きる、御釈迦さんの如来の段階に達した霊魂を霊視したイメージを表現したものなのである。



 日本人の会議が決断せずに、なかなか終わらないのは、霊能者が神霊に聞いてみる風習が形骸化し、省略されて、霊能者でもない天皇が神霊の役割をして裁断した形式だけが残っているためである。

 キリスト教のカトリックでは神父がその役割を担うのと変わりはないが、西洋では混血や異族婚が進み、唯物化が発展したために、肉体に深く埋没するようになってかえって個人主義が芽生え、個性が生まれただけの違いがある。

 だから、西洋のほうが、自我が物質的で、現実的なので、間違いを恐れない決断力に富むのである。科学が発展したのは西洋のこの自我の物質性にある。

 対して、日本は集団主義、それも族長を中心とした上下関係の序列を重んじるので、どうしても没個性になりがちで、あちらをたてるとこちらがたたずで、根回ししないとダメで、優柔不断で決断力に乏しい。

 どちらが良いとも悪いともいえないが、日本は個人主義を発展させないと、時代の流れに乗り遅れることは確かであろう。というのも、宇宙の人類進化計画では、霊性を失わさせ、個人個人で、その霊性を回復させるのが、現人類の進化の主題となっているからである。

 そのためにキリストは一人の人間に降臨し、個人というものを明らかにした。キリストはかつては、族長モーゼに天界から語りかけた存在だったわけで、言葉が肉となったのである。

 だから、いま日本に必要なのは集団性ではなく、個人性なのであり、集団性の日本文化のなかに、個人の日本文化を打ち立てていくことなのである。

 日本に住みながら、外国人の眼をもつことが必要である。





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Last updated  2017年05月02日 04時01分02秒
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