シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2021年05月15日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
巷では媚びっと感染拡大の日々なのに、馬鹿の一つ覚えのように、オリンピック開催に血眼になっているアホバカ利権爺たちをみて、かつて原爆を落とされるまで、敗戦を宣言できなかったこの国の指導者たちを思い起こさせる。

日本人というのは自国つまり日本史の解析も非常にいい加減である。現代でも森友加計のような公文書改ざんが行われているのに、100年前やまして戦国時代にも行われてないなどあり得ない話なのに、まるで、いま自分が見ているかのように、空理空論を歴史家が語るのには呆れてしまう。

権力者の言いなりなのに呆れてしまう。権力者が権力を使って自分に都合の悪い文書を廃棄し、御用学者に自分の英雄談を書かせるのは、古来から行われてきた醜い所業である。

時事の当事者やその利権に間接的に関わる者たちではなく、第三者的な立場から少なくとも、客観的に査定しなければ、歴史などフィクションで、権力者の自慢話にすぎない。

だから、日本史については、隣国や外国のほうが利害関係が少ない立場から判断できるので、外国の文献から探ったほうが、より真相に近いと考えるのが妥当である。勿論、隣国や外国の権益があるので、それなりのバイアスがかかっているのは当然だが、隣国のまた隣国、利害が関わらない外国からみれば補完できるはずである。

だから、戦国時代などは、ポルトガルやスペインの宣教師と、当時日本では、唐(から)と呼んでいた中国などの史料のほうが、日本に残っている史料よりは真相に近いはずである。それも状況証拠だけをみていても、犯罪に辿りつけないように、解析力や推理力、つまり情報処理能力がなければ猫に小判である。

各外国の史料や、日本の史料と照らし合わせて、大局的に、総合的に解析しないと意味がない。

回りくどくなったが、今回話したいのは、「本能寺の変」についてである。というのも、このブログでも何度も紹介してきた八切史観にようやく近い新説がでてきたからである。

それはTBSの「ふしぎ発見」でやっていた、「信長は家康を殺そうとしていた」という話である。八切史観では、その理由もしっかりと述べられているのだが、そこまでは辿りつけなかったようである。



当時は大別すると、天上人と、地下人に分かれていたのである。地下人のなかでも、特に卑賎民と呼ばれたエタヒニンの身分を「さんか」と呼び。八切氏は、その「さんか」の口伝をまとめて歴史にしたので、少なくとも権力者のウソよりは信憑性がある。

弱者の視点から書かれた歴史なので、少なくとも権力者の自慢話よりは奥が深い。

さて、それにまた八切史観が他と違うのは、ポルトガルやスペインの宣教師の史料まで言及しているところである。

「ふしぎ発見」でも紹介していたが、信長は家康を殺そうとしていたのは、明らかで、実際、インチキ糞正史では、本能寺を襲った1万三千の兵は、光秀の兵とされているが、実際は、信長から貸し与えられている兵なので、光秀に服従しているわけではない。

光秀配下の兵は、坂本と亀山城の三千で、それを動かすだけの軍資金が必要なので、光秀は、愛宕山の吉田神道の神社に金の工面に行っているときに、本能寺の変が起こったという。

一万三千は、家康を殺すために、信長が、斎藤利三に与えた兵だから、信長が丸裸同然だったのである。

一万三千の兵を動かすのには、それだけの金が必要で、しかも領地の境界には関所があって、勝手に通行できるわけではない。楽市楽座で関所がないというのは嘘で、領地には交通を制限し、領主に貢ぐための関所があり、楽市楽座とは、関所が当時の坊主の権益だったのを、坊主から取り上げて、誰でも関所を監督できるように、身分制度を取っ払ったことである。

信長が比叡山を焼き討ちしたのも、この理由であることがわかるだろう。逃げ込んだ浅井朝倉を匿い、比叡山を解放しないから、坊主が監督する関所を取っ払うために、焼き討ちしたわけである。

当時の軍資金や、領地の通過などに言及せずに、光秀が1万3千の兵を簡単に動かせて、信長を簡単に殺せるなんて、漫画以外の何物でもない。現代だって、総理大臣を簡単に殺せないでしょ? アホかい。

それに当時の身分制度も、光秀謀反説では、いい加減である。光秀は、臣下を離れたとはいえ、足利義昭の家臣で、格式名目上は、信長とは、同等のはずである。それに当時の信長軍とは、寄り合い所帯なので、信長は命令はするけれど、軍資金と兵は自前で用意しないといけないわけである。

だから、信長の家臣への褒美は、位階であって、だから、信長の家臣は、〇〇守と役職で呼ばれたわけである。だから、信長は、坊主から位階を取り上げて、家臣に与えて、身分制度を変革することが目的だったわけである。



信長は義昭を追放してしまった段階で、旧来の秩序が崩壊しているから、しかも、朝廷の位階を拒絶し、朝廷の前で軍事パレードをして威嚇しているので、軍事による新しい身分制度でもつくろうとしたのかもしれない。朝廷でも、信長に歯向かえば、義昭のように追放するということなのだろう。いまでいう亡命である。

だから実力がある者が天下の王になればいいという理屈なので、もし、光秀に信長が討たれたのなら、謀反にはならないわけで、信長が実力がなかっただけのことにすぎない。

この理屈から、朝廷が懐柔するための位階に、信長がなんの関心も示さなかったことがわかるだろう。つまり、信長は、軍事で、日本を統治し、軍事力で、身分制度を改めようとしたわけである。軍事力が一番強い者が王になれば、反抗できないので、平和の世がくるというわけである。

ある意味、単純明快である。力がある者が支配する、というわけだから。

これを覇道というわけである。



信長政権は、外国にとっては非常に危ない政権であることがわかるだろう。軍事力が巨大になり過ぎては困るわけである。

誰もが信長を脅威と感じていた。それは安土城で明らかとなった。恐らく、信長は日本を軍事大国にして、世界に進出し、世界を支配しようと考えていたと思われ、その記録が安土城にあったのだろう。

軍事を動かすには軍資金が必要である。信長が当時「戎」と呼ばれた堺を支配権にしたのは、海洋支配に都合がいいからである。そして、当時の金融を担っていたのが吉田神道で、拠点が四国にあった。

信長の四国討伐の先には、海外進出がある。吉田神道は、銀資本の金貸しをしていたので、配下にして、海外資金の獲得を目指していたのだろう。当時の銀は高価で、金は安かった。だから金閣寺は有り余る金に輝き、銀閣寺には銀はおろか、みすぼらしい風情なのである。いまでは、「わびさび」と誤魔化すが、当時は、銀が高価で手が出なかっただけである。

つまり、信長は身分制度改革と、金融改革を行おうとしていたので、当時の秩序が逆転してしまうわけである。 

で、なぜ信長が、家康を殺そうとしていたのか、の理由を話す。

それは、徳川家康が、松平元康ではないからである。江戸時代になって、松平元康と徳川家康を同一人物にしようと改変がなされたようだが、一番の辻褄が合わないのが、元康の子の信康を、信長の命により殺したという話である。

大名が跡取りを殺すことはありえない。でなければ、人質の意味がないだろう。しかも信長と家康の関係は主従ではなく、あくまで同盟で対等である。

その理由がまたウソ臭い。信康が、武田家に内通し、謀反を企てたからというのだが、では誰に対する謀反なのか? 主従関係にない信長ではないことは明らかである。つまり、家康に対しての謀反であることがわかるだろう。

当時、織田家と武田家の関係は敵対的ではなく、織田家から、勝頼の嫁が嫁いでいるし、信康の「信」も、信長が与えた「信」であり、信長の娘の五徳を、信康に与えたくらい可愛がっていた。

武田と敵対していたのは家康であり、それは、松平元康を殺して、成り代わったのが徳川家康だからである。だから家康は常に駿府城にいて、隣国の武田家の助力でいつ謀反が起こるかわからない三河にはいなかったわけで、江戸幕末の江戸城明け渡しで、領地が三河でなく、駿河になったのも、家康が、三河出自の元康でない証拠である。

東照宮が、日光に建てられたのも、徳川家の出自が、現代の栃木県日光市の近くであることを明かしているわけである。だから徳川家は三河とはほとんど関係がなく、関係あるのは松平家の元康なのである。

つまり、信長は、元康の子の信康を、三河の王にしようとしていたのであろう。それを家康が信長に相談せずに、勝手に殺してしまい、信長の不興を買ってしまったわけで、信長は、家康家臣の酒井を呼びつけ、詰問までしている。

だから、信長は、この家康という男を利用するだけ利用して、用済みになったら、殺そうとしていたわけなのである。実際に、この時期に、信長は、軍事政権を信忠に移行し、その障害となる人物を追放している。

信長の正室の奇蝶も自分が始末されるのではないかと思い、本能寺の変に加わっている。当時は、奇蝶が首謀者と思われたので、その記録がほとんど残っていない。信長の正室なのに、記録がほとんど残ってないのである。つまり秀吉により廃棄されたと考えられる。

奇蝶が犯人だと、光秀謀反説は破綻し、秀吉の弔い合戦の正当性が失われるから、信雄を唆して、安土城もろとも奇蝶を葬ったので、その恩賞のために、清州会議で、信雄を第一等の働きとしたのである。

そして生き証人として信雄を生かしたおいたのである。それが気に入らなかったのか、秀吉に騙されたと思い、家康に味方したりして、信雄は、秀吉を困らせている。

だから、家康の伊賀越えというのも、秀吉の大返しというのも、創作の可能性が高い。秀吉が大返しできるほどの軍資金を持っていたとするのなら、誰が貸したのか?である。途中で何の障害もなく、山崎近くまで辿り着けるのは、チームプレーといえるだろう。

だから、本能寺の変は予め計画されていたと考えないと現実的でない。今だって総理大臣をそんな安易に殺せるわけないじゃない。

いまはネットで、ある程度、いま総理がどこにいるかわかるけど、戦国時代に信長がいまどこにいるか、なんて、近習の裏切りでしかわからない情報でしょ?

現代の歴史家が語るほど安直な歴史だったら、何だって問題は簡単に解決しちゃうよね。歴史は複雑怪奇なのが現実でしょう。一人では何もできないよ。





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Last updated  2021年05月15日 21時51分32秒
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