シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2024年01月10日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
今年、巷は年頭から波乱続きで、正月気分も吹っ飛んでしまっているが、とにかく甲辰の新旧交代の年が色濃く出ている年頭ともいえるかもしれない。前回も紹介したが、人間には自由が与えられているが、それは善悪の判断を獲得する人生のためであり、なによりも、善悪の判断から、自らで、天国を心のなかに形作るためなのがわかるはずである。

人間が生きるためには、自由が、生きる養分というか、いわゆる栄養として必要だが、そのために、自給自足に至るための農業も重要だが、農業の代わりに、自由に食する、人智学的栄養学を紹介していきたい。シュタイナーは、栄養学などでも説いているが、なんらかのドグマに陥るのを戒めている。巷の菜食主義とか、過激な主義主張を戒めている。

何を食するか、摂取するかは、個人の自由な判断に委ねられる必要があり、専門家などの言いなりになれば、洗脳と同じで、偶像崇拝の似非宗教と同じで、せっかくの善行も悪行になってしまうわけなんである。

だから、キリストは、善行は隠れて行い天に積みなさいと説いているし、釈迦も、独りサイの角のように歩めと、説いている。善行も集団化すると、個人の自由がなくなり、悪党のような悪行に変わってしまう恐れがある。徒党を組む政治家をみればわかる。いつの間にか個人よりも組織の論理を優先してしまう。そして挙句の果てにはブラック化やパワハラが横行するのである。現代の宗教団体の多くが地獄に堕ちるだろう。

勿論、喫煙するのも、アルコールを飲むのも、自由だが、ただ肉体に損害を与えるのを覚悟すべきだろう。昨今なら、公共の場では受動喫煙の問題にも派生しているので、自由に喫煙するなら、そのような場所を自らで探し、確保しないといけないだろう。自由というのは横暴ではなく、悪いモノを良いモノに変えていく行動にある。

生きるために何が必要かは、本人の自由な善悪の判断に委ねられる。現代風にいえば、自己責任なんである。だから、栄養学といっても、十人十色の人生があり、それだけの自由があるので、結局のところ、何が体にいいのかどうかは、当人の人生への心掛け次第なんである。どんな風に生きたいか、どんな人生を送りたいかで、何を食べるかどうかも変わってくるわけなんである。

医食同源という格言があるが、パラケルススが説いたように、どんなものも、食べ過ぎれば毒になり、適量を摂れば薬にもなりえる、というわけなんである。

神戸新聞 NEXT |兵庫県内|週刊まなびー|理科の散歩道|(739)あらゆるものは毒? 栄養素も量次第で悪影響 (kobe-np.co.jp)

パラケルススの名言・格言 - goo 辞書


さて、人智学的栄養学は、なんらかの食べ物を推奨するのではなく、食べ物と人体との関係を解き明かすものである。前回、少し紹介したが、乳と蜜の流れる地という聖書の記述から、幼児の栄養には母乳が不可欠で、子どもにはミルクが、大人になってからは、蜂蜜が、人間のアストラル体の感覚器を育成するのに重要なのを紹介した。だから、統合失調症の予防に蜂蜜が良いと思われる。

はちみつ療法|はちみつ資料館|みつばち牧場 (kawai-land.com)


そして、思考力を与えるには、塩が、それも、植物の根菜類の中に含まれている塩分が必須であるのも紹介した。シュタイナーは、子どもの頭を強くし、寄生虫を排除するには、根菜類を、例えば、人参を食べさせるとよいと述べている。ただし、根菜類は、消化不良を起こしやすいので、十分に熱を通して調理し、消化しやすい形で与えるべきと述べている。



カウチポテト族 - Wikipedia


人間は植物を食べることで生きる栄養を得ている。植物のなかには、宇宙の天体の運行があるが、だから、植物を万遍なくバランスよく食べるのが、健康となる。

人智学的栄養学では、バランスとは、植物の根、茎、葉、花や実の4つの部位を万遍なく食べる事を意味している。現代の栄養学は元素の成分ごとに言及しているが、それは唯物論の、生命要素を考えていないので、人智学とは全く異なり、肉体の物質面しか考慮していない。

例えば、現代の唯物的な栄養学では、植物の生食などを勧めているが、人智学では、生食は消化に悪いので基本的に勧めていないし、加熱し、なんらかの調理を推奨している。生食しすぎると、消化に負担が掛かり過ぎて、かえって人体を壊すと説いている。

勿論、植物の果実や葉の、植物性脂肪は、人体にはそれほど消化を必要としないので、生食でも、果実は、腹部の腸の栄養、葉は胸部の肺や心臓の栄養となると説いている。しかし、消化力の弱い人には、果物を食べやすく加工して、与えないと、栄養にならない。

また、植物性タンパク質は、消化力を必要とするので、それなりの消化力がない人に、菜食を勧めるのは、かえって人体を消耗させ、生きる活力を失わせることになるという。タンパク質は肉体、つまり物質体を形作るエネルギー源なので、アスリートなどの身体強化には必須なので、植物性タンパク質から作り出す能力が弱い場合は、動物性タンパク質で補完しないと強度を維持するのが困難なので、スポーツ選手が肉食をするのは、パワー不足を補うには必須となる、といえるわけなんである。

例えば、ラグビー選手の食事量をみれば、菜食主義が無理なのがわかるはずである。

ラグビー選手の食生活 何をどれくらい食べているの? - # たつログ (konnotatsuro16.com)

ラグビー 選手のトレーニングを支える栄養補給の秘密とは? (morinaga.co.jp)


人智学的栄養学では、タンパク質が肉体=物質体に必須で、脂肪が、エーテル体に必須で、炭水化物が、アストラル体に必須で、塩類が自我に必須なのを説いている。それらは、植物の、根、茎、葉、花や実として、万遍なく植物種として分布しているが、人体の消化力を考えて、人生の目的に合った形で、バランスよく摂るのが、医食同源になるわけでもある。

シュタイナーは、物質体、エーテル体、アストラル体、自我のどれかが他より優勢な体質から、4つに大別し、4つの気質として人智学で説いているが、4つの気質を考えて、気質に見合った食事をすることで、健康のバランスが保たれるわけである。

例えば、肉体労働者が、塩辛いものを好みやすいのは、物質体に、自我がひきづられないように、自我を強くするために、塩類を摂取しようとするためで、バランスをとり、恒常性のためであるのがわかる。

また、炭水化物は、アストラル体を刺激するので、感覚を強くするので、流行に敏感になるが、敏感になりすぎると、中身がなくなりやすい、俗に、俄か、のミーハーになる。風見鶏のような存在といえるかもしれない。だから、アストラル体には、エーテル体が必要で、脂肪を摂る必要がある。

しかし、脂肪を摂りすぎて、感覚に鈍感になると、あまり動かず寝てばかりいると、太鼓腹になって、肥満率の高いデブで有名なアメリカ人になってしまうわけなんである。空港で暇なときにする、アメリカ人を見つけるゲームなどで、デブなアメリカ人はお馴染みになっているが、栄養学では、脂肪の摂りすぎを意味している。



子育てがラクになる 4 つのヒント~シュタイナーの考える 4 つの気質 | 子育ラボ (simplife150.com)


胆汁質とは、自我が優勢な気質の人で、塩類を好む。多血質とは、アストラル体が優勢な気質の人で、炭水化物を好む。粘液質とは、エーテル体が優勢な気質の人で、脂肪を好む。そして、憂鬱質とは、物質体が優勢な気質の人で、タンパク質を好む。

それらを図で示すと以下になる。

自分と真逆のタイプの子を育てる「もんのすごく、悩んだ」  ~シュタイナー教育の4つの気質~ | カラフル!ライフ × カラフル!エデュケーション (ameblo.jp)



このように4つの気質、4つの体のうち、どの体が優勢かで、性格が異なってくる。物質科学の栄養学では、人間は食物によりつくられていると考えられているが、それは物質体だけの話で、食物のほとんどは人体内で消化されて、つくりかえられているので、実質は、人体にエネルギーを与えているだけで、同じようにみえる物質にしても、7年毎に人体は生まれ変わっていると、シュタイナーは説いている。

自らでエネルギーを生み出す能力、つまり消化力が低い人は、動物の力を借りて、動物性のタンパク質や脂肪を摂取することで、賄っているといえる。つまり、化学反応でいえば、動物性のもの、つまり肉食は、触媒といえるかもしれない。

触媒 - Wikipedia


生(なま)食は高い消化力を必要とするので、調理して、できるだけ体内での消化力を楽にさせるのが栄養学からは望ましく、そのために、料理がある。例えば、食パンだけでは、消化力が悪く、ほとんどが炭水化物なので、エネルギーを必要とする脂肪が必要なので、バターやジャムなどをつけて食べるわけなんである。



            ★       ★       ★

 だから、キリストによる、自我の死からの再生こそ、ゴルゴダの秘儀の、リアルさを示す事実を、物質界だけに見つけられる。この物質界だけの、リアルな再生、となるのは何か? 

 物質界だけにあり、リアルなため、立ち止まって、「これが真実!」と言えるものは何か?

 それは人間だけにある、自我の死であり、宇宙の他の生命領域にはありえない死である。地球進化の中で生じる歴史的出来事を理解するには、精神的な原型へと上昇しなければならない。しかし、ゴルゴダの出来事について、例外である。ゴルゴダの秘儀は、直ちに、直接、現実の物質界に属し、現にリアルに存在する。

 今述べたリアルとは全く別の面の、幻もまた明らかになるのが、非常に興味深い。今日では、ゴルゴダの出来事は真実ではなく、いわば幻の出来事とされ、唯物的な歴史でも、歴史的事実と認めるのが不可能である、と現代人が言うのを聞くのは非常に重要である。

 歴史上の大事件の中で、ゴルゴダの秘儀ほど、唯物的に確認できる方法で証明困難なものはない。この出来事に比べれば、物質界での人間の進歩にとって重要なソクラテス、プラトンなどのギリシアの哲学者たち、つまり、歴史上の人物の議論をするほうが、いかに容易かを考えてみればわかる。

 「ナザレのイエスが実際に生きていた」にもかかわらず、歴史からその痕跡を主張できないと、多くの現代人が言う。しかし、その出来事についての否定的な歴史上の証拠も存在しない。いずれにしても、他の歴史的事実を取り扱うような方法で、ゴルゴダの秘儀を取り扱えない、のは確かである。

 この唯物的な歴史、物質界で生じた出来事が、他の超感覚的な領域での事実と同じ特徴、つまり、いかなる物質的な方法によっても証明され得ない、という特徴は正に特筆すべきことである。そして、超感覚的世界を否定する人たちの多くが、同時に、この出来事を(超感覚的出来事ではないが)、把握する能力を欠く現代人たちでもある。

 その出来事が現実なのは、それが与える影響により確かめられるのは事実だが、現代人は、その現実の出来事が、実際に歴史上で起こらなくても、その影響は生じ得るだろう、と推測する。

 現代人は、その影響を、社会学的な状況の結果として説明するが、宇宙的な創造の過程を知っている者にとっては、「キリスト教」の影響はその背後に立つ力なしでも生じ得た、と考えるのは、畑に種を植えなくてもキャベツは育つ、と考えるのと同じくらい愚かな考えにみえる。

 更に、極論すれば、福音書の著作に携わった個人にとっても、ゴルゴダの秘儀を、歴史的な証拠に基づく歴史的な事実として証明する可能性もなかった(何故なら、それは物質的な観察による知覚可能な痕跡を残すことなく生じたからだが)と言える。

 ヨハネ福音書の著者(直接の目撃者である)を除く福音書の著者たちが、どうやって、ゴルゴダの出来事を確信できたのか? 

 彼らにとっては、伝承と、秘儀に関する書物以上のものはなかったので、歴史的な出典によって理解した、わけではない。この状況については、著書「神秘的事実としてのキリスト教」の中で概説したが、彼らが「キリスト=イエス」の実在を確信したのは、天空の星位を通してだった。

 というのも、彼らはまだ、大宇宙と小宇宙の関係について熟知していたので、彼らがもっていた知識(今日でも、獲得可能だが)により、星の配置を通して、世界史における重要な出来事を見通せたからである。

 彼らは、「星座がこのような配置にあるとき、「キリスト」と言われる「存在」が「地上」に生きたはずである」と確信した。マタイ、マルコ、ルカ福音書の著者たちは、天文から、歴史的な出来事についての確信を得た。彼らは、福音書の内容については超感覚的能力によって獲得したが、地上で起こった出来事についての確信は、宇宙の星座の配置から引き出した。

 このような古代の天文学について知識がある人は、福音書の著者たちを信じるはずである。福音書の歴史性に関する反論が不正確で、それを証明するのは無意味な作業である。人智学者は、物質界とは全く異なる基礎(人智学の霊的な洞察力を通して得られる基礎)の上に立っている、のを明確にしておく必要がある。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024年01月11日 14時39分30秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: