シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2024年09月26日
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カテゴリ: 神秘体験空間
「令和」を誰が名付けたのかわからねど、誠にこの令和の時代に相応しい命名だと気が付いた。というのも、令の漢字を見ると、「今」という漢字から|(縦棒)が下がっているのがわかる。そこで、この令という漢字の由来を調べると、以下のようなサイトに出くわす。「令」は、上の三角形の屋根のようなピラミッドの下にひざまずく人の象形からできたらしい。

「令」という漢字の 意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 (okjiten.jp)



そして、この上の屋根のような三角形の由来を調べるために、「今」という漢字の由来をググると以下のような成り立ちがわかる。

「今」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 (okjiten.jp)



今とは、漢字のなりたちからいえば、すっぽりと覆う形からきたらしい。この形どこか見覚えあるな?と思うオカルティストは多いだろう。なにやらフリーメーソンの万物を見通す目ではないのか?信じるも信じないも貴方次第?というわけではないが、この三角形は、人体のアストラル体、エーテル体、肉体、そして中央の目は、自我を表すのが、神秘学ではわかっている、つまり、人体の象徴図なんである。


つまり、今という漢字のなりたちから、今という時間が、4つの人体の共存により創り出される、のがわかるわけなんである。だから、この三角形のバランスが崩れると、万物を見通す目が隠れて歪んでしまうわけなんである。つまり、今を生きていない、現を抜かすことになる。また、これは今を生きる、自我の「我(わたし)」から生まれるのがわかる。これがエヘイエ、アシェル、エヘイエである。これは短縮されて、YHVHの4文字になっているが、それぞれ、人体の自我、アストラル体、エーテル体、肉体を意味している。

さて、「令」だが、令は、「今」の下に、跪く人を表している。4つの人体に対して、人間自身が、へりくだっているわけだが、これは三角形のバランスがとれた人体の状態について、へりくだる、尊敬しているわけで、上下関係をアベコベにしているわけで、最上のものが最下位になっているわけで、「実るほど頭が下がる稲穂かな」という諺を思い出させる。つまり、人体のバランスをとるには、各々がへりくだって謙虚さを大切にし、思いやりをもちなさい、という意味が隠されているようにみえるわけなんである。

そして、最後に、「和」の漢字の由来である。この和は、令を更に強調しているのがわかる。左側の、「のぎへん」は、垂れた稲穂を象形し、右側は、「口」なので、お互いに、謙遜しながら、思いやりで会話し、調和しなさいという、成り立ちをもつらしい。また「口」を食物を入れるところ、とすれば、食に対して思いやりを持って、バランスよくとりいれなさい、という意味にもなる。

「和」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 (okjiten.jp)



だから、「令和」は、日本人が調和と共存、バランスを大切にすべき時代なのが、漢字の由来からわかるわけなんである。しかも、「れいわ」とは、霊和でもあり、零和でもあるから、これまでの過去を水に流して、調和、共存し、バランスを回復する時代、とも読めるわけなんである。

このように言葉の、漢字の由来を調べると、それができた当時の哲学が隠されているのがよくわかる。前回、言葉を動物に語らせることで、漫画の世界では、哲学になるのを紹介した。

ムツゴロウさんは、動物の言葉がわかる、といわれたが、いまのところ、漫画の世界でしか、動物が人間の言葉を話すのが実現していないし、鳥は鳴き声で会話しているという研究報告もあるが、動物の翻訳者は実現していない。動物の仕草を通して、何を考えているか、推測するしかない。

世界初「鳥の言葉を証明」 注目の研究者に聞く、動物たちは何をしゃべってる? 「人間中心の先入観から脱却して世界を見直すべし」 | 国内 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ




スヌーピに迫る認知度の犬といえば、大谷選手の飼い犬のデコピンだろう。デコピンが大谷選手の調教で、始球式を投げたのは犬と人との会話の可能性を感じさせるものだった。いずれ、人間が再び、霊能力を獲得したら、人間がルシファーからエゴを与えられたように、動物にエゴを与えて、会話できるようになるだろう。そのような現実が、動物の家畜化である程度可能になっているのがわかる。

シマウマは調教の困難な動物なので、家畜化しないらしい。そういう意味では、完全に集団化した動物に、エゴを与えるのは困難なのがわかる。犬が家畜化され、愛玩動物となったのは、野生の狼などの犬科の動物から、人間に敵対しない種族を交配させて、人間と仲良くする自我を教えてきたからといえるだろう。

ペットの代表格とも言える犬と猫 人間との関わりの歴史を知ろう | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【 LIFULL HOME'S PRESS (homes.co.jp)


人智学では、動物は、人間のような個人的な自我のエゴをもたずに、集合自我しかもたないので、常に、集合自我の命令により生きているので、人間のような個人的なカルマをもたずに、個人的な自我の輪廻転生もないとされている。だから、霊魂が異なるので、人間が動物に転生することはありえない、とされている。

勿論、動物も種全体で、宇宙の愛を学んでいるので、種全体で、霊魂のままで変容しているようである。だから、新種が生まれて、天然記念物に指定された古種が滅亡していくのが集団で行われるわけなんである。人間の場合は、それが個人で行われているから、新人類やニーチェの超人思想として語られたわけである。勿論、動物でも、UMAのような存在が話題にもなっている。もっとも、ニーチェが説いた超人とは、人智学でいうところの、霊能力を再獲得し、霊人に到達した未来の人間の、アートマンである。

未確認動物 - Wikipedia

超人 - Wikipedia


とにもかくにも、将来動物が話す時代がくるかどうかは人間次第だが、これまでも、動物が話す世界は、様々な漫画の世界で表現されてきたし、有名なのはドリトル先生だろうか? 日本では夏目漱石の「吾輩は猫である」だろうか? あのように動物が将来話すことはなさそうでもある。

ドリトル先生シリーズ - Wikipedia

吾輩は猫である - Wikipedia


このように小説やドラマの世界では、動物が擬人化され、話せるように、物語が展開していくが、人智学によれば、動物には自意識と呼ばれる覚醒意識が発達していないために、「わたし」という感覚が、つまりエゴがないから、話せないという。勿論、人間のように集団意識から孤立化し、自意識が開発されれば、話せるようにはなる。人間の場合、個人的な肉体をもつことで可能になった。

しかし、この肉体のなかにいる、霊魂の状態は、「前世からのメッセージ」のマスターたちが説いているように、異常な状態で、霊界との交信が途絶えたからこそ、出来る芸当でもある。本来、霊界との交信、つまり愛の交流の下でいるからこそ、高い次元の愛を受け、人間の霊魂は幸福なわけで、その状態が、肉体の中に入ってしまい、個性を持つにつれて、無限の愛が、個人的な有限に限定され、エゴに移り変わるわけで、このような肉体の有限性の自己については、以前紹介したように、マスターたちは次のように説いている。

肉体のなかにいるのが、異常なのです。霊魂のままが本来の自然なのです。また肉体に入るのは、未知の世界に入るのと同じです。それには、時間がかかるので、霊界で待たないといけない。霊界で待つうちに、再生されます。再生の世界があり、地の破壊の世界とは、また別の次元です。

我々は皆、霊魂の存在なのです。肉体のなかにいる者もいれば、再生の時期にいる者もいます。そしてまた、他の者は、守護霊となっています。しかし、私たちは皆、そこに行くのです。私たちもまた守護霊だったのです。

私たちが霊魂の、不滅の存在で、愛の無限のエネルギーの広大な海に常に存在しているのを思い出すのが、喜びと幸せの鍵です。

地球と呼んでいる、この学校のもつ問題の一つは、私たちが肉体の存在ではなく、霊魂の存在だと思いだすのが困難なことです。この三次元世界の幻想や錯覚に常に惑わされています。おカネ、権力、名声、モノの所有や蓄積、快楽などは、非常に大切で、時には人生の目的であるとさえ、教え込まれています。また、幸せになるためには、他の人々から好かれ、尊敬されなければいけない、と教育され、一人でいるのは惨めだと。教え込まれてもいます。

自分たちは皆、霊魂の存在だという真実に気づくと、価値観が大きく変わり、幸福で平和になれます。だから、霊魂の能力のみが、永続します。だから、幸福は、権力や名声からは得られず、愛からのみ得られます。幸福は、内から来るものであって、外から、あなたをどう扱おうが、来るものではないのです。だから、嫉妬は、霊魂に憎しみを生む毒薬なのです。

前世を自然に思いだす人がそれほど多くないのは、肉体のなかでの学びが、憎しみを手放す、実地試験の一種だからです。霊的な、永続性のある、学びや知識が、深く確実に、肉体を超えて、霊魂に浸透するために、念には念を入れる必要があるのです。残虐な前世を思い出して、現世で同じような残虐行為の結果を避けるために、暴力を回避するのでは、完全にレッスンを学んだことにはなりません。

暴力は間違っていると身をもって体験し、心の底から完全に理解したときにはじめて、暴力を回避すれば、本当に愛のレッスンを学んだことになるでしょう。

だから、人間の霊魂は、肉体を使って、愛を語るべきなんである。だから、肉体で暴力をなし、憎しみを増すよりも、言葉で愛を語らないといけない。人間は言葉で愛の関係を構築すべきために、肉体に宿ったわけでもある。人間は組織的ではなく、個人的に愛を語るために、わざわざ肉体をもったわけなんである。そのために、人間は、潜在意識の上に覚醒意識をつくりだした。その時代が、ポストアトランティス時代で、特に悟性魂を発達させたのが、古代ギリシア時代からの哲学だったわけである。

【シュタイナー】魂の三位一体構造について~感覚魂・悟性魂・意識魂~ | Noos Eggs (cosmolifeology.com)


この時代を経て、人間は肉体を感じる感受魂から、愛を語る悟性魂の覚醒意識が芽生え始めたと共に、霊魂が、次第に肉体に深く入りすぎるようになり、半神半人の状態が生まれ、肉体で愛を表現するやり方から、言葉で愛を表現するようになっていったと同時に、霊能力を失った。だから、いわば動物のように、以心伝心の身振り手振りで会話できたのが、言葉を必要とするようになってきたわけである。だから、古代ギリシア時代辺りから文字が生まれてきたわけである。

勿論、動物も、鳥のオウムのように、人間が教えれば、鳥も人間が話すのを真似できるが、それは所詮、霊から、覚醒意識で話し鳴いているのではなく、一般的に動物の本能といわれている、潜在意識を表現しているにすぎない。だから、人間のような覚醒意識での記憶や知識ではなく、潜在意識から湧き上がるものを表現しているようである。だから、現代人も愛を語るのには、記憶と知識で語っているわけなんである。

つまり、人間が愛を言葉で語る自由を得たと同時に、嘘をつけるようにもなった。そして、現代人には偽りの愛が話されるようになった。古代人は嘘がつけなかった。嘘や偽りを肉体で表現したら、肉体が、愛の偽りから、そのまま憎しみに変わり、破壊されるからである。だから、肉体には型が必要となったわけで、型に外れると、そのまま肉体を破壊することになるが、言葉では、嘘をついても、声が壊れるわけではない。音を伝える空気の振動が有限だからである。



過去や未来に想いが偏ることなく、バランスよく、いまの現在を生きるのが、健康の秘訣で、仏教が説く中道でもある。「前世からのメッセージ」のマスターたちは次のように語っている。

「いま」という、時を経験していないとき、つまり、過去に囚われ、未来を心配しているとき、あなたは、自分自身に、大きな心の痛みと悲しみをもたらしています。

共存と調和―全てはバランスしないといけない。自然はバランスしている。動物たちは調和して暮らしている。人間だけがまだ平和に生きる事を学んでいない。人間は自らを滅ぼそうとし続けている。そこには調和もなければ、自らの行為に無責任で、何の配慮もない。

人間の行為は、自然とはかけ離れてしまっている。自然はバランスしている。自然はエネルギーで生命を再生している。人間は自分だけでなく、他の人間をも破壊している。結局は、人間の破壊行為は、巡り巡って、自分や人類を破壊させてしまうだろう。

人間がもし、嘘をつくことで、自分が破壊されるのを、理解できたなら、古代人のように嘘がつけなかっただろう。シュタイナーは、前世で嘘つきだった人が転生すると臆病者になると述べている。つまり、自分に自信がもてないので、始終、びくびくする人生を送るのだろう。すなわち、チキン野郎というわけなんである。嘘をつくと、自分が、破壊されるのを霊的に理解しているので、潜在意識のその想いが、覚醒意識には、恐怖感として現れて、弱虫になるのだろう。

嘘をつく、といえば、先日、ネットフーテンをしていたら、以下のようなカウンセル動画に出くわした。非常に参考になるので紹介する。「縁を切った方がいい人、関わってはいけない人」のなかにも、嘘をつく人が入っていたので、人間として嘘をつく人とは付き合わない方がいいだろう。

縁を切ったほうがいい人 関わってはいけない人 職場 友達 人間関係 テイカーに気を付けよう~臨床数 15000 回超の心理カウンセラー 竹内成彦 - YouTube


上の動画をみればわかるのだが、要点を書くと、1.時間を奪う人、2.おカネを奪う人、3.すぐに怒る人、4.嘘をつく人(自分を守るために、他人を利用するために)、5.人の悪口ばかり言う人。とは、縁を切った方がいい、というわけなんである。いずれにしろ、この5点については、思いやりがない人と纏めることができる。思いやりがない人とは縁を切った方がよく、以前紹介した、お釈迦さんの付き合ってはいけない人とも共通している。ましてや高齢ともなると、人付き合いにはストレスが溜まるので、思いやりのない人とは付き合わないに越したことはない。鬼嫁などといったら、毎日地獄の日々であろう。

思いやりのない人を、考えてみると、それはバランスの取れていない人ということがわかる。老子は、そのようなバランスのないのを戒めるために、「無為自然」が大切と説いたのは有名である。というのも、愛はバランス、調和、共存を成り立たせるエネルギーだからである。「無為自然」についてググると、以下のようなサイトに出くわすが、どれも唯物的に解釈しているきらいがあり、自然のバランスについては言及していない。

無為自然の意味 (tao-academy.jp)

roushi_soushi.pdf (pref.kanagawa.jp)

オンラインジャーナル / 投稿コーナー (pmaj.or.jp)

3 分でわかる!『老子』『荘子』 | 読破できない難解な本がわかる本 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)



つまり、「無為自然」とは、物質界を超えたエーテルの世界の気の流れのバランスをみなさいという、霊能力のことなんである。物質だけをみていても、自然の営みはわからない。人間だって、肉体をみているだけでは、心がわからない。心だって、過去や未来に囚われていれば、そのバランスからなる、いまや現在を生きることはできないわけで、それでは、自分がなぜ今のような人生を生きているのか、さえもわからないままである、と説いているのである。

唯物論で「自然のままに」と物質界の言葉で置き換えても、どの自然を指しているのか、第一原理と呼ばれる、素粒子の生成消滅のことなのか?はたまたその上の、化学的結合則なのか、動物界の動物の本能、天変地異の予知などを指すのか、はたまた人間が自然と親しむ関係のことなのか?の具体的な意味が通じていないのがわからないほど、現代人は無知なんである。

だから、有り体にいえば、人間の潜在意識で感じる、自然霊のレベルでの営み、つまり愛のエネルギーによるバランス、調和や共存を目指しなさいと、つまり仏教の阿弥陀如来の他力本願や、カルマの法則や輪廻転生まで責任をもって熟考しなさい、と結局は同じなんである。人間だけが自然のバランスを考えずに、調和や共存を壊している、という批判なんである。それは人間関係も同じで、エーテルのバランスが大切なんだよと説いているわけなんである。

よく勘違い解釈している唯物論者が、上のサイトの悪しき見本のようにいるが、老子も孔子も同じ人倫について大切だと説いているわけで、別に孔子の儒学と、老子の道教が対立しているわけではない。それこそ、バランスを失わせる見方である。何事も、バランス関係からなるわけで、簡単にいえばギブアンドテイクの関係を重視しなさいということなんである。叱れば褒めなさい、褒めたら叱りなさい、のバランスと同じである。そして、老子も孔子も、愛や慈悲を深め合いなさい、と説いている。というのも宇宙は、愛や慈悲を学ぶために、人間に与えられているわけだから、と説いているわけなんである。

愛がなければ、調和や共存が成り立たないわけで、ただ無為自然などと難しくいわなくても、思いやりをもって接しなさい、というだけに尽きるのである。利害関係で自分だけ得をしようとか、自分だけ有利に立とうとか、そういう浅ましい、さかしらな欲望は、憎しみを蓄積するだけで、いずれその負債を返さないといけないので、そのような欲望や執着心を捨てなさい、というわけなんである。

思いやりをもつために、シュタイナーの「職業のカルマと未来」から抜粋して紹介する。

              ★        ★       ★

潜在意識のなかの欲望

特に満たされなかった情熱、抑圧された情熱が、覚醒意識下の、潜在意識をかき回している。その具体的な例を挙げる。

30歳の女性で、16歳のときに恋愛し、性欲をもつに至ったと、精神分析された患者が、もし、この性欲の虜になり、その欲望に夢中になっていたら、人倫を踏み外していただろう。彼女は教育の影響と、両親の説教の影響で、その性欲を抑圧した。

それから14年が過ぎても、その欲望は潜在意識のなかで生きている。彼女は身分相応な結婚をし、日常の生活から、かつての欲望を忘れていたが、潜在意識ではなくなってはいない。覚醒意識は、霊魂のいとなみ全てを把握しているわけではなく、下層の、潜在意識に追いやっているだけである。

その抑圧された潜在意識の欲望が、覚醒意識の表に現れてしまうと、外的には満足な生活をしていても、よくわからない厭世的な発作に苦しむようになる。このような欲望がときたまに顔を出すと、人生に嫌気がさして、苦しむようになり、神経質や神経衰弱を起こすようになる。

現代人は精神分析学を医療に持ち込んで、心を治療しようとする。「表層意識では忘れてしまった、深層意識のなかの体験を明るみにして、適切なカウンセリングをして治療しないといけない。」と考えて、様々な質問をする。このような精神分析法で、ある程度の治癒効果がみつけられるが、完治は見込めない。

また別の例を挙げる。35、もしくは40歳の男性に多い、倦怠感、優柔不断の悩みの、原因不明の病気で、このような場合にも、精神分析学で、深層意識を探ろうとする。すると、このような男性が、15、16.17歳頃に抱いていた人生プランが破綻し、別のプランに向かわざるを得なくなったのがわかる。このような男性の潜在意識のなかにも、破綻した人生プランが生きている。

このような患者を精神分析で診断して、深層意識から、破綻したプランを取り出して、色々議論すれば、治癒に向かうと考えている。表層には上らない深層意識が沢山あり、表層は小さな円で、意識全体は、大きな円と考えられている。そして、表層意識は、氷山の一角で、隠れている氷山の、深層意識に、唯物論を当てはめようとしている。

最近(恐らく1910年代)、ある神学者が、悪趣味な表現で「霊魂のなかの動物本能」の精神分析を提唱している。動物的な生活のなかの、血や肉や獣性から来る本能は、表層の覚醒意識に到達せずに、覚醒意識は、そのような動物的な本能を自己防御する、としている。

(動物には個人的なエゴがないので、自分が何者であるかを把握できないので、自己表現できない)





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Last updated  2024年09月27日 11時02分22秒
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