シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2025年02月20日
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カテゴリ: 神秘体験空間
高度な宇宙人からみれば、自分たちが住む地球を破壊する、地球人は何度も同じ過ちを繰り返す、救いようのない愚かな生命体で、とても知的生命体と呼ぶには相応しくない、と思っていることだろう。地球が、宇宙の愛を学ぶ学校なのは、何度も紹介してきたが、その学校を破壊すれば、卒業できないばかりか、落第し、天使の試験に不合格の烙印を押され、自暴自棄になって、憎しみの闇に溺れていくだけなのである。

前回紹介したピープルゲットレディには、こんな歌詞があった。
There ain't no room for the hopeless SINNER
救い難き罪人には 当てがう客室など無い
Who would hurt all mankind just to save his OWN, believe me now
私欲のために 全人類を傷つけるような者のことだ
Have pity on those whose chances grow THINNER
機会が失われていく人々にこそ 憐れみを向けよう
For there's no hiding place against the kingdom's THRONE


救い難き罪人たちの地球という愛の学校で学ぶ時間は限られているのに、学校を壊すほど、地球は人類の住める場所でなくなりつつあり、核兵器で恫喝しあって、自らの首を絞めているようなものなのである。だから、この現状を救うためには、古代ヨガに乗る準備をして、自分のなかの神を「信じる心さえあれば」、天空が奏でる音楽のマントラムの、「ディーゼル音が聞こえるはず。」あなたのなかの神は、あなたの行いを常に見守っている。「神の王座を前に 身を隠す場所などないのだから」。だから、「乗車券もいらない」自分のなかの神への信仰心と「感謝の念さえあれば」と、ピープルゲットレディはヨガの歌を歌うわけなんである。

この曲に歌われている、神への感謝への念が、古代ヨガのマントラムと言い伝えられている。日本では、神道として、二礼二拍手一礼の現代の形として広まっているが、古代のマントラムが、言い伝えられるうちに、簡略化されて、いまでは、住所をいう、などという俗世での、不思議な言い伝えもあるようで、催眠術や洗脳の恐ろしさを物語るものでもある。そもそも自分だけが得をしたいという、ふしだらな気持ちは、感謝の気持ちを根本から否定する見返りを求める、御利益主義の、自己都合の、ネガティヴな気持ちそのものだろう。神様がそのような利己心に気づかないはずがない。

二礼二拍一礼は参拝の基本。その歴史と 考え方とは。|葬儀・家族葬なら【よりそうお葬式】

二礼二拍手一礼がどこからきたのか、神智学や人智学のマントラムから少し解き明かしてみる。上のサイトによれば、「一拝・祈念・二拝・四拍手・一拝」が源流の作法らしいが、少し詳しくみていくと、まず神殿に向かい、賽銭を入れる、ことからはじまる。

お賽銭を入れる
賽銭は、前回紹介した、ヨガの教えを説いているピープルゲットレディでもわかるが、約束の地である天国に行くのには、「荷物などいらない」のを表明するためである。つまり、俗世の象徴である荷物の金銭を捨てよ、という意味で、あの世には身一つで、自分のなかの人生で浄化を達成した、カルマを清算した神と対面するに相応しい同等の存在だけが、天国に行けるので、肉体を脱いで、裸になる必要がある。墓場まで、金銭は持ち込めないわけなんである。

天国に行くには、全身全霊を清浄にし、保つ必要がある。不浄な執着を断ち切るための儀式が、清算なのである。死に際して、全ての財産を失うことを、暗黙糧に戒めているわけで、この世のものはこの世に返せと、キリストが当時の、カエサル像の金銭コインをみて、カエサルに返せ、と言ったのと同じである。不浄のものは、天国には持ち込み禁止なのである。天国に物質界の金銭は不必要で、心の浄化が天国の通貨なのである。

だから、お賽銭を捨てることで、肉体を捨てて、霊体で、神殿に入るわけである。日本文化には、地を履き回った靴を脱いで、家屋の中に入る習慣があるのは、恐らく、これが形骸化した風習で、昔の家屋には必ず、神棚があって、毎朝、神棚に向かって感謝の礼を風習にしていたわけで、わざわざ神社にお参りする必要もなかった。太陽に向かって拝んでいたわけで、いまの神社などでは、宗教が組織化されて、神様は権威化され、偶像崇拝して、次第に金儲けの道具にしてきた政治家の堕落腐敗の末法の世といえるかもしれない。なによりも、神様はそのような人類の邪な心もお見通しなのである。

それは、キリストが、金銭の奴隷となっている金持ちの若者に、恵まれない人たちに、財産を与えて処分してから、私に従いなさい、といった言葉が思い出される。つまり、現世の奴隷となっているうちは、神の使徒にはなれない、ということである。自らのなかの神を見つけられない限り、俗世の宗教にすがっても無意味なのである。それらは教祖のみを救う(地獄に堕ちる)だけのニセモノでしかない。

鐘を鳴らし二礼する
朝が明けると、鶏が鳴くと、日本ではよくいわれる。時を告げる鳥の、この鳥の鳴き声は、時間霊の権天使の象徴で、人間に、最後の審判の鐘を鳴らす存在なのである。この鐘は、神社参拝では、自分で鳴らすわけだが、人生の試験が終わりました、御審判ください、というような祈願の意味をもつようである。自分のなかの神が、潜在意識のなかで、お前には死期が来た、と知らせるわけである。つまり、死後の儀式の予行練習のようなものである。

参拝の際に鳴らす鈴について | おまいりする | 神社本庁公式サイト


鐘を鳴らし、二礼するのは、恐らく、肉体を捨て、幽体離脱した後で、エーテル体とアストラル体を脱ぎ捨て、幽界に入る禊を意味しているのかもしれない。古代のヨガでいうところの、7つのチャクラの開眼である。クンダリーニを目覚めさせて、第3の目を開眼させる呼吸法を意味しているのかもしれない。お辞儀をするのは、感謝の意を示し、謙虚さの大切さを示すためである。神秘学の基本法則の、上にあるものは下にもある、の、最も下のものは、最も上のものなのである。

90度深く頭を下げることで、自分の足元がみえるが、それは脱ぎ捨てた自分の肉体の、生前の自分を、外から眺めることでもある。自分を俯瞰してみることである。また、二回みるのは、陰と陽の、負と正の、悪と善の両面をみることを意味しているようである。エーテルと、アストラルは、人体のなかで、正と負の役割を担っているからである。

だから、肉体を離れると、内側から自分をみるのではなく、外側から自分をみるように、反転して鏡像関係で、自分をみるので、深いお辞儀の礼は、霊能力者がみると、実際に、エーテル体がお辞儀をしているらしく、礼(れい)は、霊(れい)からきているのかもしれない。


拍手をする


なぜ二回、もしくは四回と伝承されたのか? それは、唯一神の神様がこの宇宙をつくったときの、言葉がY、H、V、Hの四つの文字で、これを日本語の四音のシオンともいうが、テトラグラマトンと呼ばれている。音にすると、י/ユッド、 ה/ヘー、ו/ヴァヴ、ה/ヘーと発音される。これは、モーセが、唯一神に、何と呼べばよいのでしょうか、と伺ったら、エヘイエ、アシェル、エヘイエと発音されて聞こえ、その意味は、「実在のなかの実在」、神智学では、「バランス(均衡)のなかのバランス(均衡)」と読み解かれている。

テトラグラマトン - Wikipedia

端的にいえば、あらゆるものを融合し、一とする、宇宙の一者という意味らしく、この四つの音から、全創造の言葉が生まれたという。音というよりも、現代的にいえば、4つの波動である。神智学では、唯一神は、この四つの音を、二回唱えて、この宇宙を、東西南北と上下の時空間を、六次元として限定した、と解されている。だから、拍手は、左右の手をぶつけることで鳴るが、これは恐らく、ヨガの呼吸の、左の呼吸と、右の呼吸を合わせたクンダリーニを目覚めさせる二重呼吸を意味しているのかもしれない。

陰と陽のぶつかりあう、バランスの衝撃音を、拍手で表現しているともいえる。衝突というよりも、融合の交じり合う渦の音というべきかもしれない。唯一神が、この宇宙をつくったときの、四音の二回唱歌を、二回、もしくは四回の拍手で、簡略化し、端的に表現しているのだろう。つまり、י/ユッド、 ה/ヘー、ו/ヴァヴ、ה/ヘーの、四音の、陰と陽の二回唱歌なのである。ちなみに、陰は心のなかの無音で、陽は音を出して有音で、唱えるのを意味しているらしい。

一礼をする
唯一神が宇宙をつくり、人間に生命という呼吸を与えていることで、我々人間が地球上で、生命活動を行えるわけで、この宇宙の始まりに感謝し、共に生きるのを共感するのが、一礼であろう。もし、マントラムの拍手が巧く共鳴できれば、アカシャ(虚空)記録から、宇宙創造の現象を真直に感じることができるらしい。

しかし、いずれにしても、幽体離脱ができなければ、参拝どころの話ではなく、天国には出禁となり果てて、人生のやり直し、落第し、地獄巡りをこの世で続けることとなるが、神社参拝に隠された最後の審判を、続けて解説すると、一般では、願い事をして、最後に一礼する、と教えられているようだが、これは恐らく、死者が再び、転生をするときに、過去のカルマの清算や、成就を願って転生してくる状況を模したものかと思われる。



神社参拝に隠された、最後の審判の意味や、地上での人間の宿命が、古代ヨガから読み解けるわけで、つまり、神社参拝は、古代ヨガを模式化儀礼化したものだと、神智学や人智学の神秘学を学ぶことで、わかるわけなんである。現代人のほとんどが、悪魔の誘惑に染まって、そのうちに、あまりに偶像崇拝に堕落腐敗し、肉体を穢して、御利益信仰などに走ると、ヨハネの黙示録のように、人類の大半は霊魂のゲヘナへと自ら堕ちていくだろう。神が滅ぼすのではなく、自らが創造神から離れて、自らで滅ぶのである。

人間の法は破れるが、神の法を破ると、自らが滅ぶのである。人間の法は神の法を下に準えて、つくられているからである。呼吸法を間違えると、病気に罹るのと同じである。巷の最近のTV局などをみてもわかるだろう。隠蔽しても無駄なのである。どんな人の自我のなかにも、神の目が隠れて、当人に気づかれずに、見守っているからである。例え、今生では、他人には、知れなくても、墓場にまで秘密を持ち込んだように錯覚していても、死後に閻魔様の閻魔帳に記録されているのである。

救い難き罪人には 当てがう客室など無い
神の王座を前に 身を隠す場所などないのだから

面白いのは、俗世の巷のなかにも、古代ヨガのマントラムについて隠された秘宝が、ときにみつけられるところである。神智学によれば、古代エジプトには、マントラムを解説した本があったという。その本は、トースと呼ばれていたらしい。

トースといえば、巷での意味不明な一発ギャグをかます、時の雄鶏ならぬ、オードリーの春日氏が思い出される。あのギャグのどこが面白いのか、理解できなかったが、古代エジプトのトースの書を、現世に表現したリメイクギャグと思えば、なんとなくわかるような気がしたからである。あのポーズは唯一神の実在を表わす表現なのかもしれない。

春日俊彰 - Wikipedia

トゥース! - 春日の代名詞的ギャグ。叫びながら宙を差した左手の人差し指を胸の前に出す。元ネタは高校時代のアメフト部の掛け声。終わった後は手を揺らしながら握り、指を折りたたむ。

唯一神が、トゥース!と音を発して、宇宙をつくり、その後で、手を揺らすのは、波動を表現し、唯一神の波動が伝播して、全ての創造が言葉からつくられ、折りたたまれる。と勝手に解釈できる。そう考えると、春日氏のギャグはどれも人間の根源を表現しているのかもしれない。

鬼瓦は、地獄に堕ちた人間の表現で、アパー!は、天国から失楽したときの表現で、カスカスダンスは、地獄に堕ちるか堕ちないか、まさにその際どさを踏みとどまろうと悪あがきをする表現で、まさにフジテレビでやるべきトピックギャグネタかもしれないが、人間がもつ肉体の基本言語のパントマイムで示しているのかもしれない。言葉では表現できない事象を、肉体の言葉で、いわばヨガのアサーナ法の現代ギャク版なのかもしれない。春日流現代ギャグヨガというべきかもしれない。

パントマイム - Wikipedia


さて、神智学によれば、そのトゥースならぬ、古代エジプトのトースの本の一ページを読めば、地球上の全ての動物が話す言葉がわかるようになるという。二ページを読めば、天と地と地下を操縦する音の波動の法則がわかるようになるという。そして三ページを読めば、幽霊となって幽体離脱しても、元の肉体に戻れるようになるという。つまり、古代ヨガのマントラムの神髄が書かれた本だというのである。

このトースの本が、神殿での二拍手や四拍手の、唯一神の宇宙創造の聖語の、テトラグラマトンの陰陽唱歌を解説している。この話についてはまだまだ不勉強なので、機会があればまた紹介したい。テトラグラマトンのי/ユッド、 ה/ヘー、ו/ヴァヴ、ה/ヘーでは、ה/ヘーが二回使われ、聖書では、ה/ヘーをHeと誤訳し、彼と捉えているので、キリストが述べた、ה/ヘーは唯一の道である、のを、誤訳し、彼(神)は唯一の道と訳しているが、本当は、ה/ヘーで、四音のなかで、二音となって、י/ユッドとו/ヴァヴの間で均衡をとっている存在で、だから、バランスのなかで、バランスを実現する、物質界の、物質固有波の力を意味しているようである。

物質界を克服することで、霊魂は清められ、天国へと昇天できる唯一の道と言いたいのではないだろうか?そのバランスの神は、人間のなかの誰のなかにも、ה/ヘーとしてあるのだから、その均衡のバランスを生かす自我の種子を育てるのが人間の生きる意味で、地球を卒業する課題なのである。

前回は、古代ヨガのマントラムが、天空の音楽と共鳴する秘宝で、現代でも、時代背景から人間の心と共に時代を動かしてきた、のを紹介してきたが、かなり前に、このブログでも、音でつくられるクラドニ図形を紹介したことがある。クラドニ図形とは、物体の固有振動の節を可視化する方法で、昭和世代なら、下敷きなどに砂鉄をのせて、磁石で磁力線を可視化して、遊んだ記憶があるだろう。

クラドニ図形 - Wikipedia

振動が描く不思議な模様~クラドニ図形を見てみよう~|おもしろ科学実験室(工学のふしぎな世界)|国立大学 56 工学系学部 HP

Chladni



クラドニ図形は、細かい粒子を音波に応じて共振させることで、音波の共鳴現象を可視化させるもので、量子力学の波動関数で最初に学ぶ井戸型ポテンシャルのなかの波動関数の数式化を可視化したようなものとも、ぶっちゃけてイメージできるかもしれない。ただし、音波と電子の確率波の概念は異なり、波動関数はかなり単純化単調化されてはいるが。超弦理論にまでなると、複雑化されるが。

しかし、音波によるクラドニ図形は、空気の分子振動を可視化したもので、磁石による磁力線は、電子のスピンの整列を可視化したもので、いずれにしても、不可視な時空の量子の振動を整列し、秩序化した現象を、可視化したものと、単純に考えられるわけなんである。それら時空の階層構造の違い、例えば、量子スケールか、分子スケールか、固体の結晶スケールかの周波数の相違はあるが、全ては宇宙の波動から起こる現象に変わりはないのは、我々人間が、神の言葉から生まれたという創世記に記されているところである。

面白いのは、このクラドニ図形をみていると、万華鏡がつくる幾何学的模様や、空海さんの密教の曼陀羅模様やヨガのチャクラの模様が幾何学を通して、連想されてくるところである。



図解 密教の宇宙観を表す「両界曼荼羅図」【コラム】| アルトネ



空海さんの真言宗では、真言をマントラと呼んでいるが、神智学では、秘術中の秘宝なので、妄りに唱えたらいけない声音なので、マントラム(聖語)と呼んでいる。というのも、マントラムを唱えるには、その準備や修行が必要で、自然の法則を知り、物質界の法則や霊界のカルマの法則、そして、天空の音楽と共鳴共感できるまで肉体を、いわばその声音を奏でる楽器にしないといけないからである。

空海さんの曼陀羅図は、宇宙全体が一種のオーケストラになっている構造図といえるかもしれない。天空の音楽を、地球では、地球人が愛を共鳴させて歌い、肉体を楽器として、奏でているわけなんである。

マントラ - Wikipedia


神智学によれば、古代人は、天空の音楽にまで通じる、マントラムの言葉を知っていたので、言葉により多様な自然現象を、神のごとく操って起こしていたという。しかし、そのために、言葉を悪用して、天変地異を起こす神の偶像をつくり、種族同士で、戦うようになって、聖書にも記述されているバベルの塔の話の顛末になったわけである。簡単にいえば、当時の古代人は、言葉を破壊的に用いたために、地球を破壊してしまったわけである。

バベルの塔 - Wikipedia


現代人も、自然の法則の一部を利用して、似たように、自然環境を破壊し、地球が崩壊するのを早めているわけだが、それは、物質界を必要とする現代人が、地球を破壊して、自然災害を招いて、自分たちが住めないような形にしているのと、同じ過ちを犯してきたといえるだろう。だから、そのような古代人たちの救いがたき罪人たちは、この地球上に何度も性懲りもなく輪廻転生を続けては少しづつ、破壊活動や暴力行為の無意味さを学んでいるわけなんである。

現代人が、神秘学でいわれる土の固体の世界の、物質界で、全体のバランスを考えない、自分たちの欲望のままに破壊活動を行っている、のと同じように、かつての古代人たちも、神秘学でいわれる、火や、風、そして水の、それぞれ、エネルギーの熱、気体の光、液体の水の世界において、破壊活動を行うことで、破壊活動の悪しき面を学んできたわけなんである。

人間が、自らの肉体を、天空の音楽を奏でられるように、ヨガの楽器へと昇華させて、執着心や穢れを浄化させるような、マントラム、日本の文化でいえば、自然霊と共鳴できる言霊を探して、地球全体を、浄化していかないと、古代アトランティス時代と同じような大破局へと向かうだろう。それはヨハネの黙示録で預言されているハルマゲドンの戦いなのである。

ハルマゲドンの戦いが既にはじまっているのは、論争、闘争、戦争を現代人が好み、その上に利潤を吸い上げ、利潤を追求し、各国の独裁者が君臨している事でも明らかである。自然は、地球という学校の教師なのである。自然から学ばずに、自然に反抗し、抵抗していては卒業できない、落第生の繰り返しでしかない。自然霊を奴隷のように扱き使えば自然霊から見放されてしまうだけなんである。

クラドニ図形の共鳴の幾何学模様や、曼荼羅の美しいバランス構造をみれば、心が洗われるのがわかるはずである。音楽が奏でる共調の共鳴の精神を、融合の、来るべき洗練されたアクエリアスの自然との共生を目指すべきである。そのためにヨガの導師(ヨギ)の言葉を紹介しておきたい。

1.心は熱愛に超然としていなければならない。
あらゆるものに熱愛(執着)してはいけないらしい。

2.熱愛の絆から解放された者、肉体を放下した者、知恵に達し、幻を超越した者は、太陽のような光線を放つ
物質界を志向している限りは、自らを照らすことなく、照らされているにすぎないらしい。だから、外から、心を揺さぶるものではなく、揺さぶられる心のなかにこそ、その揺さぶる要素をみつけだし、バランスを確保すべきなのである。

3.物の本性を知る者に師は必要なく、病気が治った患者に医者は必要なく、川を渡った者に、船は必要ない
 ヨガの導師は、現世が幻だとわかり、病気から回復し、川を渡るため、にいるだけである。現世を橋渡しする存在であるという。

4.自分にしてもらいたくないことは、他人にするな
注意したいのは、自分にしてもらいたいことを、他人にする、ではないことである。というのは、人それぞれの輪廻転生が異なり、人生の具体的な課題が異なるからである。そして、人間は、自分にしてもらいたくないことを、他人にしがちなのは、それがそのまま、自分にしてもらいたいことを、他人にしていることだからである。つまり、自分が楽をしたいために、他人を苦しめるわけである。

5.愚者の行為は小波のように消え失せるが、賢者の行為は法則のように永遠に残る。
砂上の楼閣か、万物流転の法則による神殿なのか、それは神と一体となることでわかる。

6.利他主義は最高の悟道である。利己主義は無知の極みである。
利己主義者は自分の立場を通して物質界を捉えるために、その立場の奴隷となり、かえって目隠しされてしまう。利他主義者は、自分を度外視して、多様な立場を乗り越えて物質界を捉えられるので、物質界に惑わされない。

7.浄化したいのなら、謙虚でありなさい。友を得たいのなら、全ての人の善い点を賞賛し学びなさい。
どんな人からも学び、良い点に共感、共鳴すれば、自分も共に、浄化できる。どんな人にも、自我のなかに神が宿っているはずなのだから。

8.自惚れ屋とは争うな
学びとは、教えを自発的に受けたいと望む人に、その人が望む範囲で、その人が受け入れる能力の範囲内でしか与えることができない。キリストでさえ、イエスの幼馴染の村人たちには、教えを説くことができなかった。息子や娘が、親に教えを説くことができないのと同じである。同様に他人を小馬鹿にし、見下げる、自惚れ屋に、教えを説くことはできない。そのような自惚れ屋には、事実を簡潔に述べて、議論を避けるべきである。



10.心の願いを言い表すのに急いては事を仕損じる。言葉に出してしまうと、人生で実現しなくなるからである。
物事には成就するタイミングがあるので、準備をして、幸運の女神を待つしかない。

11.大いなる神への道の途上で、短気であってはならない。
急がば回れ、という諺がある。

12.霊的真理を知りながら、実行しないのは、ランプに火を灯してから、目を瞑るようなものである。

まだまだあるのだが、今回はここまでにしたい。





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Last updated  2025年02月20日 22時29分54秒
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