シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2025年02月27日
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カテゴリ: 神秘体験空間
先日、「激レアさんを連れてきた」で、バグパイプを思わせるような、ディジュリドゥという楽器奏者の、記憶喪失によるサヴァン症候群とみられる絵描き能力を発揮した激レア体験を放送していた。ディジュリドゥとは、オーストラリア先住民の最古の楽器といわれるもので、吐きながら吸う、循環呼吸法という特殊な呼吸を用いて、バグパイプのように吹く楽器なんである。

バックナンバー|激レアさんを連れてきた。|テレビ朝日

ディジュリドゥ - Wikipedia


この番組で紹介されていたディジュリドゥ奏者は、交通事故で記憶喪失になってしまうのだが、代わりにサヴァン症候群を思わせるような、以下のような緻密な絵画を描く才能を開花させる。

TYO magazine » 『記憶』展 ── ディジュリ ドゥ奏者 ”GOMA” による初の絵画展

交通事故後に絵画の才能が開花した、オーストラリア先住民アボリジナルの伝統楽器「ディジュリドゥ」奏者として名を馳せていた GOMA



サヴァン症候群 - Wikipedia

この絵画が面白いのは、オーストラリアの先住民が伝統的に描く、以下の模様と似ている点にある。

アボリジナルアートの種類 | MCL アートコレクション


【アボリジニアートとは】都市・辺境におけるアートの歴史や政策を解説|リベラルアーツガイド

この絵画の共通性に視点をあてると、この奏者は記憶喪失で、かえって、前世の記憶を蘇らせたような印象を受ける。サヴァン症候群も、現世に適応できない霊魂の問題と考えられる。つまり、霊魂が、前世のトラウマのあまり、現世にうまくソフトランディングできないわけで、いわば現世に見合った肉体を脳がつくれないので、前世の特殊能力が、現世に見合わない形で現れる、と考えられるわけなんである。

人智学では、前世の体験の潜在意識のなかの感情記憶と、今生の体験の覚醒意識のなかの日常の記憶を結びつけているのが、エーテル体なのを解き明かしている。最近、巷でも話題になっているが、前世の記憶をもつ子どもが、現世の生活に適応し、成長していくにしたがって、この前世に由来する感情記憶を失っていくのは、日常の記憶として、肉体に転換され記録されていくからである。脳科学でも言語判別領域を使って、人間の顔形を判断しているのがわかっているようで、側頭葉の損傷から、感情記憶の、現世での体験記憶への転換領域が明らかになってきている。

部位別にみた脳の機能障害 - 09. 脳、脊髄、末梢神経の病気 - MSD マニュアル家庭版

ウェルニッケ - コルサコフ症候群 - 09. 脳、脊髄、末梢神経の病気 - MSD マニュアル家庭版



これは理論的にいえば、神経回路内での、恐らく、量子力学の確率波動関数の波束が、観測されるとともに、収束するので説明できるだろう。神秘学でいうなら、前回紹介したような、化学エーテルから、生命エーテルに転換されるためだろう。神秘学的にいえば、エーテル体が、肉体に刻印されるわけなんである。

つまり、エーテル体は、現世での物質生活に適した、肉体への低周波の波動への変換装置で、高次の記憶を低次の記憶に加工できるように素材を提供している、いわばタイムマシンなのである。死を迎えると、エーテル体が肉体から離れるが、そのときに全生涯を走馬灯のようにみるのは、低次な記憶に転換されていた、高次の感情記憶が元へと回収されるからだろう。

だから、シュタイナーは、幼児教育について、生まれてから7歳の間には、両親から受け継いだ肉体を見本にして、霊魂が、低次の身体をつくりあげるので、なるべく運動をさせ、肉体を動かし、暗記を避けるべきと説いている。というのも、この幼児期に、エーテル体に暗記を強いると、記憶に生命力が消耗され、肉体つくりが疎かになってしまうからである。暗記をはじめるのなら、歯の抜け変わる大体7歳以降の、人生の基盤となる肉体つくりが終わった頃を過ぎた時期に始めるべきと説いている。

つまり、前世の感情記憶を肉体に刻印する時期なので、その作業を優先させるべき、というわけなのである。前世のカルマから生じた課題を解決すべく、それに応じた肉体の脳を構築するので、スムーズなソフトランディングがよく、ハードランディングすると、後に肉体の形成欠陥を起こし、肉体が硬化しやすくなり、関節炎などを起こすようになると説いている。だから、7歳をすぎないうちから、暗記教育などに走ると、エーテル体に柔軟性を失って、晩年に肉体が硬化して、腫瘍や関節炎を起こすようになる、と戒めている。



端的にいえば、交通事故によって、少し死んだ状態になったといえるかもしれない。人智学的にいえば、死ぬとは、エーテル体が、肉体から完全に離れることで、元の肉体に戻れなくなることなんである。例えば、貝が貝殻を捨てて、飛び出してしまうようなものである。人間の場合は、肉体と自我や心をつなげているのが、エーテル体で、エーテル体は、現世に合わせて生きるための、いわばタイムマシンなのである。だから、肉体は、現世に合わせるために、本来持つ無限の能力を制限し、いわば節約しているわけである。能ある鷹は爪を隠す、状態にあるといえるかもしれない。

以前紹介した古代エジプトのトースの本には、音楽と幾何学模様との、いわば波動が、宇宙の、神の言葉からなり、その法則を知る方法が書かれているらしい。現代人が知っているのは、その中のほんの僅かの、可視域と、可聴域の、みえる、聴こえる領域だけであるのを、前回紹介した。そのようなほんの一部の狭い世界からみる現代人の景色は、まさに、プラトンが説いた、洞窟の世界から、イデアをみるような無知さを表しているわけなんである。

だから、ソクラテスは、無知の知を説いたわけで、古代ギリシア人からみれば、現代人は群盲象を評しているわけで、互いに論争、闘争、戦争する愚の骨頂に陥って、皆、自らで地獄に堕ちていくわけなんである。

群盲象を評す - Wikipedia


例えば、前世の感情記憶をレコードのような記録媒体だとすると、現世での体験は、その記録媒体から、音楽にするレコードの針や、演奏であるといえる。前世の感情記憶が楽譜だとすると、現世での体験は、楽譜を基に演奏する演奏家といえるかもしれない。現代の楽器が、肉体で、演奏家は、エーテル体といえるかもしれない。そして、その演奏が良かったか悪かったかと判断するのがアストラル体の、心で、いわば聴衆で、自我は、そのなかの良かった演奏だけ名演として天国にもっていき、永遠と残るわけなんである。

記録媒体は変われど、良き演奏は変わらない。だから神の言葉は変わらないわけなんである。

さて、いまから約30年前の、ネット最初期ブラウザのモザイクが世に出て、ネットフーテンをする前は、本屋巡りのフーテンの寅さんをやっていた。本屋を巡るだけで、世の中の流れが感じられたような気がしたものである。当時はまだワープロぐらいしかできずに、パソコンは高額で、とてもアップルには手が出ずに、中古のNECの98でDOSを覚えるのが億劫で、主にゲーム機と化していた。

NCSA Mosaic - Wikipedia

ブラウザー史 : 現代のブラウザーを生み出したせめぎ合い


科学計算はフォートランでメインフレームを動かすのを大学で習ったが、DOSよりも更に億劫で、予約制なので、かなり使い勝手の悪さで、コンピュータは大嫌いだった。そのうちメインフレームに代わり、UNIXワークステーションが登場し、矢鱈とリナックスが重宝されたが、コンピュータ言語を覚えるよりも、日本語で読める本のほうが遥かに敷居が低いのはいうまでもない。

メインフレーム - Wikipedia

ワークステーション - Wikipedia

Linux - Wikipedia


この時代に、後のIT企業の前身となるコンピュータオタクが大量に輩出され、日本では秋葉原の電気街がオタクの聖地となるが、自分はまだ本屋巡りのフーテンを続けていたために、完全にネットサーフインの時代の大波に乗り遅れてしまったといえるかもしれない。数学の計算ではウルフラムの画期的なマセマティカが登場し、手計算が億劫なので、なんでもかんでも、マセマティカにやらせる風潮が到来したのはいうまでもない。

Mathematica - Wikipedia


マセマティカをググると名付け親は当時、アップルを追い出され、ネクストを立ち上げたスティーブジョブスなのがわかるが、恐らく数学のマセマティクスにちなんでいるのだろう。マセマティクスの数学の語源は、古代ギリシアのマテーマタで、「学ぶべきもの」という意味をもつらしい。神智学的に読み解けば、人類が学ぶべき古代叡智で、精神性というべきものかもしれない。つまり、神や宇宙の意識である。

はじめて読む 数学の歴史 - いつも、学ぶ人の近くに【ベレ出版】


だから、本来、数学という言葉には、数という意味はなく、少なくとも、古代ギリシア人には代数という意味はなく、だから、インドで発見された、ゼロの概念もなかったわけなんである。マテーマタが、数学となったのは、アルジェブラ(数える)という名に残っている、古代アラビア人の影響を受けた、主に中世のルネッサンスの、当時イタリアで流行った算法学者たちの計算法に由来しているようである。

「 代数学」とは何か? 〜語源から歴史を紐解き、その気持ちを探る。〜 | 数学の時間

つまり、古代ギリシア人は、後にモザイクができて、マセマティカが到来する前の、電子社会の時代に乗り遅れた母国語を主体とする書物などの、先人の口伝などから学んだ人たちで、人智学的にいうならば、秘儀参入法により、神の言葉を、数ではなく、少なくとも幾何学的に捉えていたようである。



古代ギリシア人は、数を数えるのではなく、変化として捉えた。万物流転の法則である。有名なデモクリトスの原子論も、以下のウイキ解説のように、ケノンという空虚を前提としている。現代物理学でいうところの、ディラックの海である。ディラックの海は、電子の背後に、空孔があり、電子の分割不可能性は、パウリの排他原理で、示されるが、光子などのボーズ粒子には適応できない。つまり、固体化した物質界は数えられるが、物質界を超える、人間には見えない不可視の世界は数えられないのである。

デモクリトス - Wikipedia

「原子(アトム)」は不生・不滅・無性質・分割不可能な自然の最小単位であって、たえず運動し、その存在と運動の場所として「空虚(ケノン)」の存在が前提される。無限の空虚の中では上も下もない。形・大きさ・配列・姿勢の違うこれら無数の原子の結合や分離の仕方によって、すべての感覚でとらえられる対象や生滅の現象が生じる。また魂と火(熱)とを同一視し、原子は無数あるが、あらゆるものに浸透して他を動かす「球形のものが火であり、魂である」とした。デモクリトスは世界の起源については語らなかったが、「いかなることも偶然によって起こりえない」と述べた。

ディラックの海 - Wikipedia


このような数学の歴史話からも、古代ギリシア人が考えた世界が、物質界だけではない、のがわかる。つまり、生命体は数えられないのである。確かに物質となっている固体の肉体は数えられるかもしれないが、組成の違いや、元素まで考えると、似たようなものはあるが、状態がそれぞれ異なるので、同じものはない。同じ細胞でも状態が微妙に異なり、細かくみれば、それぞれ異なる。それらは大まかに統計学的手法で、静的に観測し、線形化した解釈で、確率論に乗せて評価しているだけである。

前回も紹介したように、このように現代人は、1つの生命体として機能させている、神の言葉の、へーのHの生命エーテルについてはほとんど理解できていないのに、生命エーテルが、自然界よりも3段階下の、下位のアスラ界において、核力として、量子力学から、確率統計学で、解釈しているのが現状なのである。まさに神はサイコロを振り給わずなのに、量子力学でサイコロを振って原子力や核兵器で人類同士が競争し恫喝威嚇しあっている。この物質界を地獄の世界といわずしてなんというのだろうか?

聖書を深く読み解けば、キリストが唯一の道といった、生命エーテルのへーの神の言葉とは、多様な粒子を一つにまとめている叡智の愛の波動の能力なのである。我々は、宇宙のオーケストラを演奏するために不可欠なあるパートを与えられた一人の演奏家なのである。電子のなかには、宇宙全体の記録が書かれているという。



そして、エーテルの波動的視点からみれば、宇宙全体の波のなかで、火から空気、空気から水、水から土の生命エーテルとして揺れる小舟が、我々地球人の自我なのである。いま自我を霊我に、生命霊に、霊人間にしていく時代が到来した。今度こそ、アクエリアスの大波に乗る正真正銘の最後の機会が到来した!ここで乗らずして、いつ乗れるのだろうか?





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Last updated  2025年02月27日 18時54分40秒
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