シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2026年01月06日
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カテゴリ: 神秘体験空間
宇宙人到来の年となるか?


そこで、干支に頼らずも、そのような年になる、のを早くも霊視している、お馴染みの未来予報士の麻埜美氏を、以下の動画ではじめに紹介する。

【今年は何が起きる?】 2026 年に起きること|1年間の未来予報 - YouTube

未来予報士 麻埜美 - YouTube


霊視できない人は、とりあえずは、干支などで理解するしかない。また霊視者の霊視も完全とはいえず、またその霊視者がもつエネルギー状態に固有な立場で、異なったイメージで現れるので、これは例えば、左翼思想の持主が、中道を右翼に見たり、逆に右翼思想の持主が、中道を左翼に見るのと同じである。上にあるものは下にもあるわけで、霊能者も好き嫌いにより見方が異なる。

換言すれば、悪魔からみれば、神が悪魔にみえるわけで、神からみれば、悪魔も、宇宙の進化の役割を担う意味で、神の働きにみえるわけなのである。だから、霊視者の予測が絶対というのではなく、霊視者はただ霊視という自らの人生の役割を果たして、多くの人に貢献している。その霊視を個人的にどう受容するかは、個人の意思の自由なのである。

だから、自分の人生は自分で切り開く覚悟をもって、霊視者の助言は助言として、それに頼らずに、とにかく自分の人生に当てはめるのは、自己責任なので、信じる信じないではなく、感じるか感じないか、のほうが正確といえるかもしれない。例えば、お馴染みの、「小さなおじさん」の、以下の動画は、そのことを端的に表現しているので、再度紹介する。

【神回】高次元生命体が教えてくれた宇宙の真理。 99 %が知らない人生が “ ラクになる ” 「生き方」とは?【となりの小さいおじさん / 瀬知洋司さん】

この動画が説くように、地上人はこの地上に楽しく生きるために生まれてきたわけで、他人と人生を比べたり、他人の自由を奪ったり、競争したり、戦ったりするためではない。地上人は、ただ地上しか見えていないだけで、本来は次元を超えて、宇宙と一つにつながっているわけで、本当は、地上という表面的な境界など存在せず、ただ自分の知識の限界で、解剖学者が馬鹿の壁と呼んだ境界を、自分のエゴを通すために、自分の思い通りにいかせたい領域を漠然と自分の感覚でつくりあげているだけなのである。個人という制御の限界の、境界をつくっている。それを上手く表現しているのが、再度紹介するが、以下のお馴染みの「小さなおじさん」の動画である。

次元とは〝箱の自由度〟だった!?この世界の構造を解き 明かす


この動画の説くように、宇宙には多様な波動エネルギーがあり、いわば波動のパラレルワールドになっているわけで、それを感覚的に捉えている観測共鳴エネルギー体が、個人というヒトなのである。肉体を、いわゆる箱にして、物語をつくっているのが、ヒトで、このような地上人の状態を、プラトンは、「洞窟のなかの人間」で表現したわけなのである。DNAは、その物語をみるフィルムで、映写機がエーテル体と考えてもいいだろう。

そのような話を巧く解説しているのが、前回紹介した「人智学らぼ」で、日々新たに更新しているので、以下に紹介しておく。

人智学らぼ. - YouTube

シュタイナーの空間の次元について 意識の次元 構造モデル / 5次元 , 6次元はそこにあるのか? - YouTube












地上人が高次の世界をみると、地上人の立場ゆえに異なるイメージをもつのを、これは霊視者も同じなのを以下の動画は巧く解説している。

シュタイナーの精神分析の考察 /   セクシュアリティと現代の透視、フロイト精神分析、そして予言者としてのスウェーデンボルグ - YouTube















スウェーデンボルグ:霊界に入ることの困難 / 霊的世界への道 GA253-3 - YouTube





スウェーデンボルグは、霊界が鏡像対称になっているのを理解できず、因果律が逆になっているのが理解できなかった。物質界ではイメージはモノとして受動的に与えられ、みるものだが、霊界ではイメージを能動的努力で掴んで、みられるように発信していかないと、つまり与えられたモノ的なイメージを手放していかないと、生きた活力あるイメージにならないので、だからボルグが火星人と呼んだアンゲロイの天使たちと交信できなかったわけなのである。因果律が逆になるので、結果を手放さないと原因に辿り着かないわけなのである。

物質界で喩えるなら、貯蓄を投資に回さないと貯蓄が消えてしまうわけなのである。だから、霊界では寄付や喜捨が大切なのである。というのは物質界での蓄えは、逆の世界では、消滅で死を意味するからである。だから仏教では執着心を捨てなさい、と説くわけなのである。執着心が依存心になって、能力を失い自虐的に、自我が滅ぼされるからである。

先に紹介した動画の「小さなおじさん」が説くように、この世の害悪の素になっている宗教と戦争への依存心を捨てないと、あの世ではその執着により滅んでしまうわけなのである。宗教は、この世のもので、あの世をこの世からみるためで、あの世では不要なのである。あの世ではかえって目隠しをするような邪魔なものなのである。

霊能力を獲得するには、このように物質界へのエゴを捨て去り、いわゆる仏教の般若心経のように、色即是空のゼロ次元の意識を獲得しないといけないわけで、仏教では喜捨とも呼んでいる。そのような修行は地上の経験から自ずと自発的に見出されていくが当面は、思考により獲得するしかない。そのために現代人には時刻を数字で表記した年号などがあり、日本には、恐らくいまは形骸化しているが、古くは天皇がかつての霊能力で日本の神々に伺い、天意を降ろした暦があり、民間には伝統的な干支などの慣習法があるわけなのだ。

さて、干支(えと)は、「兄弟(えと)」とも当て字されるが、丙午(ひのえうま)とは、火の兄(ひのえ)で、火のエネルギーが頂点に上り、これから下降する状態を表すので、油断や隙が生まれやすい、という「丙」の文字で表わすらしい。その詳細は、以下に紹介する陽明学者の安岡正篤氏の「干支の活学」に載っているので、参照してほしい。

安岡正篤 干支の活学の商品一覧 - Yahoo! 検索


そして、「午(うま)」は、上部は、地表を表し、その下の十は、横棒が陽気で、縦棒が陰気の十字になっているが、大地のなかからエネルギーがつきあげる様子を意味しているらしい。簡単にいえば、新旧の対立を表わす字体で、それを動物のウマで表現したのは、ウマは、騎手がよいと、おとなしいが、ひとたび人間を馬鹿にすると、蹴ったり、噛みついたりして、言うことを聞かない荒ウマになる習性を意味したものらしい。

漢字「午」の部首・画数・読み方・筆順・意味など

このことは、長年競馬ファンを続けていると、ウマが騎手で変わるので、よくわかる。ヒトがウマを選ぶように、ウマも乗り手を選んでいる。「ウマがあう」という言葉でもよくわかる。この国に、この言葉があるのは、恐らく、騎馬民族の源氏由来のものだろう。これは自論だが、競馬が好きな人は先祖が騎馬民族で、ボートレースが好きな人は先祖が海洋民族なのではないかと思っている。

現代人は、物質界の物体の推移や変化量などから、時間を基に、脳で数字などに置き換えて、論理的に力学体系で推測するが、干支でわかるように、古代人は時間の奥にあるエネルギーの変化を、直観的な幾何学で、字体で表現し、推測していたのがわかる。端的に言えば時空を超えていたわけである。古代ギリシアでは、アリストテレスで有名な自然霊という言葉で、エネルギー体を、霊として表現していたわけで、霊から運動を哲学的に推測していた。

自然霊 - Wikipedia


カリユガの時代に転生したせいで、エネルギー体を、直接霊感で感得できなくなって、中世から、唯物論が興って、数式などで論理的に、エネルギーを観測する機械的な力学が生まれたのが、時空の概念からわかる。そのような話を巧く解説しているのが、前回紹介した「人智学らぼ」で、日々新たに更新しているので、以下に紹介しておく。

テクノロジーと神々の関係! シュタイナーが明かす霊的ヒエラルキー














このような解説から、唯物的技術を通じて共同体の友愛の核をつくるのが、キリストの中庸精神なのがわかる。特に電気についての現代人の誤解については以下の動画が参考になる。

シュタイナーの解釈 / 電気について GA220-12 - YouTube












霊能力を失ってしまった地上人は無意識に電気のようなアーリマンの機械的な物質界を生きるための道具の奴隷となっているが、その奴隷状態から目覚めないといけない。現代人は、機械化された会社組織では一個の歯車と化している。その機械化の歯車を自らで解放するのは、個人の意識改革なのである。



高次の意識生命体として、宇宙に漲る、境界のない波動エネルギー体を、観測できない現代人は、干支である程度予測するしかないが、干支や易経などを学ぶのが億劫という、私のような道楽者は、どうすればいいかといえば、干支の循環によって60年前の歴史事項を参照していくほかはない。先に紹介した安岡正篤氏「干支の活学」では、文治二年の源平の時代まで遡って以下のように時評している。

文治二年(1186年)には、平家が滅んで源氏が勝ったが、頼朝と義経がその後の勢力争いでいがみ合って、頼朝が勝って、義経は奥州に逃れ、結局、頼朝の鎌倉幕府は北条氏に取って代わられてしまう。

慶長十一年(1606年)には、秀吉が死んで、秀頼が右大臣となっているが、秀忠も内大臣になっていて、豊臣政権と徳川政権の反目がはじまっている。そして、豊臣家は家康により滅ぼされる。

ついでにいうと、八切史観によれば、その徳川幕府も、斎藤利三の娘のお福が春日局になり、実は家光の母で、父は明智十兵衛光慶で天海だったらしく、つまり鎌倉幕府と同じく、跡継ぎの国松(のちの忠長)が織田の血が入っているから跡目に相応しくないとされて、家光に決まり、三代で、斎藤家に乗っ取られているわけなのである。

ここから余談だが、大奥ができたのは、織田政権下の斎藤氏ら美濃衆の専横によるもの。このことから、八切氏は、本能寺の変の黒幕に家康が関わっていた説を挙げている。信長の信忠家督継承で、家康が邪魔になったので、暗殺するつもりだったようである。家康は織田政権の美濃衆に働きかけて、家康が軍資金を出すことで、斎藤利三と本能寺の密約を交わしたようである。



本能寺の変1582 重要 ◎ 第 146 話 ③  天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界|『光秀記』

織田信長は、正親町天皇と譲位を巡って対立していた!ホント? – 歴史好きのつぶやき

また、関ヶ原の戦いが美濃で起きたのもなんらかの関わりがあるものと推測される。これは、信長と今川義元の桶狭間の戦いが、当時の家康の勢力地で起こったのと同じである。いずれにしても、戦国時代が下の下の裏切りの世界だったのがわかり、昨今のお花畑の戦国美化ドラマには嫌気がさすが、元を正せば、友愛のない利害関係の政略結婚にはじまるわけなのである。

政略結婚などするから、親戚関係に利害関係をもちこんで友愛で成り立つべき親族の血を穢し、血を血で争う戦いになってしまう。端的にいえば、本能寺の変とは相続問題のもつれで、そもそも応仁の乱からして、幕府の相続問題のもつれなのである。当時は金銭だけでなく、そこに身分や差別が加わるから話がややこしくなり、相続に武力介入までして下克上が生まれてしまうわけである。

現代でいうM&Aの企業乗っ取りと同じである。低俗な人間のやることなど古今東西どこでも馬鹿の一つ覚えでしかない。戦国大名などは悪党のような連中で、北野武氏監督の映画「首」がよく描けていたようにみえる。とにかく、二度とあんな世界にしてはいけない。

映画『首』公式サイト


余談で話が長くなってしまったが、戦国時代の豊臣政権没落後の江戸時代となって、60×4=240年後には、弘化三年(1846年)で、この年に、仁孝帝が崩御して、孝明帝が即位している。この年を境にして、幕府と外様諸藩が対立するようになり、外国勢力が押し寄せてきて、有名なペリーが浦賀に来航するのが1853年である。そして、ついには文明開化という名の下に、明治維新となる。このように丙午の年を決起として新旧交代の運動が起こるのがわかる。

江戸時代の時刻や方位は、干支を基にしていたので、午は南で、丁度西洋風の時刻では、午前11時から午後1時までの2時間で、正午の12時を表わす。正午の「午」で、午前、午後の「午」でもあり、子午線の、子と午の北と南で、境界を表わすのがわかる。このように丙午の年は、価値観が移り変わるのがわかる。

例えば、前回は、丙午の前年の、乙巳で、『645年:中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏を滅ぼす「乙巳の変」が起こりました。』のを紹介したが、丙午を含めた前後において、新旧の対立が起こりやすいのがわかる。丙午に生まれた嫁は夫と対立しやすい、という民間の悪しき誤った伝承も、この陰陽のエネルギーの相克に源流がある。

この対立を上手く和解していくかどうかで、次の年の、丁未(ひのとひつじ)の動向が定まり、未のように、おとなしく平和になるか、一方が他方を退けて、陰湿になれば、蒙昧になり、次の年の戊申(つちのえさる)で、紛糾するようになってしまう。つまり、丙午の年に起こる新旧の対立をうまく融合していけるかどうか、ヘーゲルの弁証法のように、正反合していけるか、が重要というわけなのである。

弁証法 - Wikipedia


このように、干支は陰陽の、つまりポジティブとネガティブのエネルギーを、十干十二支で表現した、時空を超えた生命エネルギー論なのである。「エネルギー」を「霊」と呼べば、霊魂の成長と衰退を表現したものといえるかもしれない。西洋の数字では表現できない、目にみえない、心の動きを、つまり高次元の運動を、感得し、表現した霊魂の運動論なのである。

つまり、干支は、アインシュタインの相対論で有名な、物質界を規定する時空を超えた生命の運動論なのである。相対論は、光の運動とその時空での歪みにより、物質界の運動を表現した力学体系だが、干支は、光と闇の相克と融合により、生命が織りなす波動の共鳴運動を表現した生命体系なのである。それは信じる信じないではなく、感じるか感じないか、ブルースリーで有名な、「ドントシンク(考えるな)、フィール(感じろ)」なのである。

Don’t think. Feel. の真意が誤解されていることと、言葉の誤った伝承について|刃ではなくペンを握る


ブルースリーが、武道で表現したかったのは、相手と戦うな、武道を通じて、ヘーゲルの正反合のように、相手と認め合い、和解するのだ、ということで、相手の動きではなく、相手の心の動きと連動するのである。これを実践的に、武道で表現したのが、植草盛平の合気道である。人智学でいえば、肉体ではなく、時空を超えた、その上のエーテル体とアストラル体の運動で、相手と一体化しなさい、ということなのである。武術というよりも、禅のようで、とどのつまり、恐れや怒りなどの感情のコントロール法というべきかもしれない。

植芝盛平 - Wikipedia


端的にいえば、幽体離脱法というべきかもしれない。生と死を乗り越える武道といえるかもしれない。相手の闘争心を奪う方法ともいえる。そもそも人間は何のために戦うのか? 地上の物質界では、物質的所有は個人的なモノにならざるを得なく、唯物論でも、フェルミ統計で、電子の粒子性は、スピン1/2で限定され、物質元素からなる肉体が有限だからでもある。有限はどこまでいっても、無限にはならない。器には限界がある。個人という存在は、固有振動数でつながっているからである。

地上で人間は個人で生きることにより、自由を手に入れた。自由に生きるために、人間は地上に生まれてきたともいえる。では、人間が地上で生きる目的はなんなのか? それがわかる動画が以下の、お馴染みの「人智学らぼ」によるシュタイナーのミツバチを喩えにした話である。

シュタイナーが解く死後の世界と蜜蜂 / カマロカとデバチャン GA90-c - YouTube












このような動画から、人間が神々へと進化するために、現世を生きる目的があるのがわかる。自分という宇宙にとってかけがえのない霊魂を、宇宙の究極の姿である真善美へと導くために、地上に生まれて、その希望を生の循環により、自我をリレーのバトンのように、繋げていくのが、我々地上人の運命なのである。

地上での一つ一つの体験が永遠の新しい生命の循環を生み出すのだから

今回はここまでにする。前回と同じような終わりとなった。感じるか感じないかは、あなた次第!!





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Last updated  2026年01月07日 01時55分54秒
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