13ニャンズとマゼンタ<第4部>

13ニャンズとマゼンタ<第4部>

2010年03月06日
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カテゴリ: ●健康

ごぶさた しています。

1月21日(木)夕方6時。
実家に母の食事を運んだ妹から電話がありました。
「母が、血を吐きながら苦しんでる」
「今、救急車を待っている」・・・と。

1時間後。
「搬送先の病院から、気管切開をするかどうか?」
10分以内の決断を迫られました。

腎不全から心不全。
心不全から一気に肺水腫になって
肺全体にに水が溜まり細胞が、うっ血して鮮血の嘔吐でした。

殆ど、瞳孔も開いて
9年前に亡くなった親父と同じ症状。

医者も首を横に振っていました。

兄弟で話合い、これ以上の苦しみは望まないので
「外科処置」はせず、このまま「送る」と決めました。

その1時間後には
葬儀屋と打ち合わせをし、棺・会場の予約までしました。

母は82才。
前日までは元気にデイサービスに通っていました。
「痴ほう」もかなり進んで、深夜の徘徊も時々ありましたが
かろうじて息子や娘の名前は記憶しています。
「おむつ」を履いた生活ですが食事は自分で出来てました。


翌日。
母は、驚異的な回復をみせて死の淵から蘇ってきました。

ICUの中から「腹・減った」・・・と大声をだして。

現在、
母は一般病棟に入院中。寝たきり。
「透析」はやらないと決めていたのですが、
転院先の腎臓専門病院を探すと、
透析を前提としない入院は受け入れないとの事。
今は頚動脈からの、緊急透析を何度か継続し、
週が明ければ「シャント」の手術が待っています。

「痴ほう」でも食事に対する意欲は、あります。

2日に1度、
病院の許可を受けて手料理を運んでます。
メニューは「魚と野菜の煮付け」。
母は無類の「魚好き」ですから、
私の釣った魚料理を食べ終えた後は
「いつ、死んでも良い」と、言いますが・・・
        しぶとく生きてます(苦笑

数日の命と言われていたのが、現在の容態は安定しています。


老い・透析・介護・痴ほう・金銭問題・・・

誰もが避けて通れない道ですね。



母は、
脳卒中の義父を8年。
片目・片足・片耳・腎臓癌の親父を12年。
合計、20年も1人で介護してきました。

今度は、私達が診る番です。

おむつの世話は、看護師の妹がやっています。

私は、釣りたての魚料理を、せっせと運んでるだけです。


母が、「もう、食えん」・・・と、言うまで。


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最終更新日  2010年03月06日 18時23分10秒
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