全2件 (2件中 1-2件目)
1

剣 岳 ~早月尾根から~ジム仲間の鉄人F氏、昨年還暦を迎え記念の山行きを計画していたが、私が胃癌の手術をしたため、今年に延期していた。 なぜ「剣岳」かというと、私の還暦の時は、源治郎尾根から頂上を目指したが、今回は早月尾根から頂上を目指す・・・・二人ともこの尾根は登っていないから・・・・ 8/5北陸自動車道、立山ICで降りて約40分ほど・・・ 道路標識がしっかりしていて迷うことがない。 午前 1:30 馬場島駐車場に着いた。 ここは無料の駐車場だ。 助かるぅ~車の中で仮眠して午前7:00 出発する。 登山口近くに「試練と憧れ」の石碑がある。 そうかぁ~ 憧れは 試練かぁ~ここ馬場島は標高760m ~ 剣岳(2999m) 約2200mの標高差、日本には数少ない標高差を登るのだ。すぐに急登が始まる。 身体が慣れないままに急な登りはきつい。汗が一気に噴き出る。約1時間歩いて7:00 標高1000mの広場に立派なベンチがあり休憩、ここからしばらくは緩やかな登りでブナ林の中を歩く、次からの急登も知らずにのんびりと楽しんでいた。ところが、立山杉の巨木が現れ始めたあたりから急な登りが続く、杉の根子をまたぎ、両手・両足でよじ登ること、ひたすら登る。 1400m地点 9:35 まだまだ 急登が続く、幸い樹林の中なので直射日光が避けられるのが唯一救われる。1800m地点 10:45 立山杉の巨木からシラビソの林に変わりダケ樺も見え始めたがまだまだ急登が続く、 2000m地点 11:55 早月小屋まで1KMの標識がある。 あと1キロかぁ・・・ と思いきや それが中々着かない 延々と登ること1時間12:50 やっと早月小屋に到着。 この1キロの長かったこと・・・・ あの標識なんとかならないかぁ・・・・ 早月小屋(2224m) 今日はここまで、一泊して明日、早朝 剣の頂上を目指す。それにしても、この標高差2200mを一気に日帰りする、強者がいる。若者は別としても、運動靴にランニング・ウェアー小さなリュックを背負った年配の超達人身も軽やかにヒョイ ヒヨイ と登っていく、私の倍以上の速さだ。 シンドクないのかなぁ~とんでもない人がいるもんだぁ~ 小屋の前で コンビニ弁当を食べて、休憩※ この尾根には水場がない、馬場島で給水しておかないと大変な目に遭う。 私は2.5L持って行ったが足らず、帰り早月小屋で500ml購入した。 ちなみに、小屋では、 星にいちばん近い水 3003m 「立山 玉殿の湧水」 2L 700円、 500ml 400円、 で販売している。午後から 小屋の中で昼寝だ 気温は18度C あぁ~ 涼しい・・・・・ ZZZ。。。zzzz 5:30~夕食だ。 今晩のメニューはハンバーグ・カレー、味噌汁、カボチャとコブ巻きの煮付け、オクラの和え物、美味しい夕ご飯だった。 平日のため宿泊客は少なく、10畳ほどの広さに6人、布団1枚に1人余裕の広さで伸び伸びと就寝・・・・・ ZZZZZZZZ・・・・・・・・8/6 晴れ5:00前 朝食 5:20 出発 灌木帯の中を登る。斜面に残雪が有り、窪地には池塘があって変化があって昨日に較べ楽しんで登れる。2600m地点からいよいよ岩稜地帯を登ることになる。 慎重に足を運ぶ、「カニのはさみ」と呼ばれる所も難なく通過し、別山尾根からの登山道と合流して頂上(2999m) 8:00だ。 2時間40分の登りだった。早月尾根からの登山者は少ないものの、別山尾根からの登山者が多く、頂上は満員だ。あいにく、頂上はガスに覆われていて周りの景色が見えない。 記念撮影の 「剣岳頂上」 木製プレートは順番待ちの状態、やっと 順番が来て二人そろって1枚撮ってもらった。40分ほど休憩して、8:40下山を始める。登りより下山の方が注意を要する。 この早月尾根は、別山尾根より事故率が高いという。 10:50 早月小屋に着いた。ここで昼食、小屋で作ってもらった弁当を食べる。11:50 早月小屋を出発して辛い長~い、長~い 下山に入る。 こんな所登ってきたのかぁ・・・ と思う様な場所が何カ所もあり、記憶に残っていない・・・急な下りは登りより辛い所があるが、やはりスピードが違う。15:45 よれよれになりながら馬場島に到着した。 「剣岳は岩と雪の殿堂である。心身とも鍛練された人々よ来たれ」の言葉通りハードなロングコースであった。上市町の「アルプスの湯」 に入って汗を流して疲れをいやした。 立山ICから高速道路で帰途についた。
2010.08.12

尾張富士大宮浅間神社8月第一日曜日は尾張富士大宮浅間神社の奇祭「石上げ祭」だ。 娘の嫁ぎ先が犬山市、それも 大宮浅間神社の近く、天下の奇祭 「石上げ祭」とはどんな祭なのか、見物にきた。朝の早い内から近隣の子供会のグループが次々と神社の広場に集まってくる。 道中唄と鈴を合図に「エンヤ ヨイショ ヨイショ ヨイショ」 のかけ声とともに献石を担いだ一団が急な山道を登ってくる。 献石の大きさも様々で拳ほどの大きさの石から1トンを超す石まで様々だ。石の大きさによって、担ぐ人数が違う。 最小は2人から、4人、8人、16人、32人と人数が増え、それぞれ2人釣り、4人釣り、8人釣り、・・・・・という。 献石には榊・笹竹が立てられ、寄進者の願い事などが書かれた赤や青・黄色ととりどりのお手ふきが飾られている。 真夏の祭、炎天下のもと、汗びっしょりだ。「石上げ」ならぬ、氷と水を詰めたクーラーボックスを担ぎ上げてる保護者もご苦労なことだ。中学生の一団も上がってきた。夏休みの課外授業の一つか・・・・・・???? 午後は各企業の有志、近隣の町内会、と大人の石上げだ。やっぱり、献石も大きくなる。アルコールの勢いで、担いでいるが、5メートルも進めば休憩、みな汗だくだ。 尾張富士(277m)の頂上には拳ぐらいの献石がいっぱい並べられている。 運ばれてきた献石は宮司から御祓いを受けて終わりである。 「夜の火祭り」 昼間の「石上げ祭」だけで終わらない。広場には、大篝火(おおかがび)が焚かれている。 花火を合図に「火振り神事」が始まりである。長さ2m~5mぐらいの太縄の先に、束にした松明を縛り付け、氏子の青少年達が、松明に火を付け頭の上でグルグルと回しながら山道を降りてくる。 松明が岩角にあたり、火の粉が飛び散る。また、松明と松明がぶつかり火の粉が舞い上がると、参拝の群衆から拍手がわき上がる。午後10頃、火の祭典は終わり、長い祭が終わるのである。 ~ 尾張富士浅間神社について ~ 御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)で古くから武将や名門の信仰が厚く、織田信長が社殿を造営寄進したという。信長は居城・清洲城の東北、すなわち鬼門に位置する尾張富士を特に、尊嵩し常に戦場におもむく時はここを参拝したという。石上げ祭で打ち鳴らされる織田信長公出陣太鼓はこうして生まれた。また、尾張富士大宮浅間神社は「子供の守り神様」としても知られている。木花開耶姫命は、燃えさかる炎の中で、火照命(ほあかりのみこと)、 火須勢理命(ほすせりみこと)、 火々出見命(ほほでみのみこと)の3人の御子を安産それ、健全に成育されたという。この神徳により、ここの神様の御子として預ければ、」いっそうのご守護が受けられるはずとの由緒がある。「預け子」は、15歳になるまで毎年一回以上参拝することで、無事健やかに成長できるという。 ~ 背くらべ伝説 ~尾張富士のすぐ南には、本宮山がある。 本宮山は「山姥物語」でも有名な山。ある日、この本宮山と尾張富士の山神が、背くらべをして樋をかけ水を流したところ、尾張富士の方へ流れ、今の社務所の岩池にたまってしまった。そこで木花開耶姫命は大いに嘆き、ふもとの五郎丸村の夢枕に立って「わが山を高くせよ。」と言われた。これにより、村人はお山に石を上げるようになり、こうして、石上げ祭は始まった。地元の資料より
2010.08.04
全2件 (2件中 1-2件目)
1


![]()