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第10回 和歌浦ベイマラソンwithジャズ10月24日(日) 曇り今年は過去最高のエントリー数 13,718人だ。(ハーフは4,027人 10キロは3,555人 5キロは2,476人 あとは3キロと2キロのジョギングだ。)ハーフのコースが今年から変更になった。昨年までの折り返しのコースでなく、ワンウェイのコースになり走りやすくなったが、8~10キロ付近に坂道があり登り坂が大変だ。この付近は風向明美な雑賀崎(さいかざき)・新和歌浦だが、景色を眺める余裕はない。10キロを過ぎると下り坂でホット一息つける この付近は和歌浦漁港だ後は昨年までのコースで方男波海岸を通り、万葉館・不老橋・シーサイドロードを走って和歌山マリーナシティでゴールになる。ハーフのスタートは和歌山港、 中央卸市場近くの西浜スポーツ広場だ。今回初めての会場のため、大変混雑し課題の残った所が多いのではないか・・・ 来年の解決に期待しましょう。午前9時30分スタートし 2時間30分の制限時間だ。今年は6月の高田城ロードレース大会(新潟県上越市)で苦い経験をしているから少し不安がある。スタート直後は快適に走るキロ6分のペースで走る 問題の坂道でガクンとスピードが落ちるが歩かずに何とかクリァーする。 10キロ過ぎて下り坂、写真を撮る余裕も出てきた 遠くにフィニッシュのマリーナシティーが見える。 あそこまでかぁ~ 遠いなぁ~ 足大丈夫か・・・・ と足に聞いてみた。 何とかなるでしょう という返事でマイペースで走る。 足の痛みもなく、無事ゴールできた。 が、昨年より遅くなっている。 ゴールタイム 2時間25分36秒あれだけ真面目に走ったのに・・・・・ スピードが落ちているのだ年齢には勝てず ということかまぁ なにより完走できたことに満足だ。
2010.10.25

九州山地の縦断 ~椎葉村から阿蘇へ~鶴富姫の屋敷は駐車場のすぐ上だ、内に入らず外からながめるだけ。 ■国指定重要文化財 鶴富姫と那須大八郎の恋物語の舞台ともなった場所。正式には那須家住宅という。建物は藤原期の寝殿造りで、椎葉の代表的な作り。この家の建立は明確な資料がないが建築技術等から約300年前と思われる。昭和31年国の重要文化財に指定された。 (資料より)その近くに、鶴富姫の化粧水と言われる湧き水があり 坂道を登ると椎葉民族芸能博物館がある。 入館料(300円)で入る。 四季の暮らしぶりと祈りの資料が各階に展示されている。 最上階で外に出ると厳島神社が目前にある。 斜面をうまく利用した建物かぁ~ 神社を参拝してから、駐車場へ降りてきた。街中の通りを通って国道265号線に出てきた。立派な国道だ!! こちらが表玄関かぁ~資料によると、車で熊本市から約2時間30分、 宮崎市から約3時間、 大分市から約3時間30分とある。 それにしても遠いところだ。国見トンネルを越えると椎葉村とお別れだ。地図をみると高千穂が近い少し寄り道をしてみる.道の駅「高千穂」しばらく休憩して高千穂峡へ 高千穂神社にお参りして325号で高森へ 高森町を経て阿蘇へに入る。 道の駅「阿 蘇」で休憩おそい昼食をとる。 ここから国道212号線で阿蘇の山並みを越えるが、天気は曇り、それに霧、時々小雨が降り、阿蘇の雄大な景色が見られず小国町の道の駅「小国ゆうステーション」に着いた。温泉ランキングで常に上位にランキングされている人気温泉地 黒川温泉がここから20分ぐらいで行けるという。どんなところか行ってみる。国道から左に折れて温泉街を進む、案内所の駐車場を見つけ、日帰りでも入浴できるか聞いてみる。 すると数カ所の旅館を教えてくれた。 薄暗くなっている時間帯だ ラッキー駐車場の奥ににある南城苑という旅館に行くと500円で宿泊客と一緒に入れてくれた。 こじんまりとした旅館だが斜面を利用した趣のある露天風呂を堪能する。黒川温泉から道の駅「小国ゆうステーション」に帰って近くで夕食をとって、今晩はこの道の駅で野宿する。朝、余りかんばしくない天気だが、国道212号を北上する。川沿いに湯煙の上がる温泉場がある。杖立温泉だ。ここは入らず写真だけ撮ってさらに北上し飯塚市を経て北九州市に国道3号線で門司へ、九州と別れて国道2号線をひたすら走る。 道の駅があれば休もうと思っていたが2号線には道の駅がない。しかたなくコンビニで弁当を買って夕食にする。3時間ほど休んで尾道まで2号線を走る。高速が深夜料金の時間帯になったのをみはからって、山陽道を走って我が家に帰ってきた。長い旅も無事故で無事帰ることができた。
2010.10.09

平家落人の里 ~ 椎葉村 ~五家荘から椎葉村に行けますかぁ~行けますけど、林道工事のため時間制限があります国道に出て行った方が早いですょ~ありがとう・・・・ と。国道219号を あさぎり・多良木を通って奥へ進む、椎葉の案内がある。 へぇ~ 山道を22キロかぁ~ 遠いなぁ~近所にいたおじさんに尋ねると、 8キロほど行って左に曲がると桑の木原林道になり椎葉につきますよ。 と・・・・・車が一台ほど通る山道を登る。分岐点で左に曲がる。本当に椎葉に着くのか不安になる。いくら山好きでも行けども行けども山ばかりいい加減いやになってくる。少し道が広くなって人家がポツン・ポツンと見え出す。 あぁ よかった。 ついに椎葉村の中心地に着いた。 地図を見ると、九州の全く中央部、 秘境の中の秘境といった感じだ。椎葉村地場産品開発で「トロロそば」をたべる数種類の漬け物と佃煮を出してくれた 食べ放題だから 好きなだけどうぞ・・・・・さて探索に出よう その前に 「歌い継がれ、語り継がれる悲恋の物語」 およそ800年前、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士たち。追っ手を逃れて、各地のふところの深い山奥へ。 道なき道を逃げ、平家の残党がようやくたどりついたのが山深き椎葉だった。しかし、この隠れ里も源氏の総大将頼朝に知れ、那須与一宗高が追討に向かうよう命令される。が、病気のため、代わって弟の那須大八郎宗久が追討の命を・・・ こうして椎葉に向かった大八郎、険しい道を越え、やっとのことで隠れ住んでいた落人を発見。だが、かつての栄華もよそに、ひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿を見て、哀れに思い追討を断念。幕府には討伐を果たした旨を報告した。 普通ならここで鎌倉に戻るところだろうが、大八郎は屋敷を構え、この地にとどまったのです。そればかりか、平家の守り神である厳島神社を建てたり、農耕の法を教えるなど彼らを助け、協力し合いながら暮らしたという。 やがて、平清盛の末裔である鶴富姫との出会いが待っていました。・・・ いつしか姫と大八郎にはロマンスが芽生えました。「ひえつき節」にもあるように、姫の屋敷の山椒の木に鈴をかけ、その音を合図に逢瀬を重ねるような・・・ 庭の山椒の木鳴る鈴かけて 鈴の鳴るときゃ出ておじゃれ 鈴の鳴るときゃ何というて出ましょ 駒に水くりょというて出ましょ 大八郎は永住の決心を固め、村中から祝福されます。ところが、やがて幕府から、「すぐに兵をまとめて帰れ」という命令が届き、夢ははかな・・・ 和様平家の公達流れ おどま追討の那須の末よ 那須の大八鶴富おいて 椎葉立つときゃ目に涙よ このとき鶴富姫はすでに身ごもっていました。しかし、仇敵平家の姫を連れていくわけにもいかず、分かれの印に名刀<天国丸>を 与え、「生まれた子が男子ならわが故郷下野(しもつけ)の国へ、女ならこの地で育てよ。」と言い残し、後ろ髪を引かれる思いで椎葉を後にする。生まれたのはかわいい女の子。姫は大八郎の面影を抱きながらいつくしみ育てました。後に、婿を迎え、那須下野守と愛する人の名前を名乗らせたそうです。 この二人の悲恋の物語を歌った「ひえつき節」はいまもこの地で歌い継がれ、語り継がれている。 ~ひえつき節~ 宮崎民謡庭の山椒(さんしゅ)の木 鳴る鈴かけてヨーオー ホイ鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょヨーオー ホイ駒に水くりょと 言うて出ましょヨおまや平家の 公達(きんだち)ながれヨーオー ホイおどま追討の 那須の末ヨ那須の大八(だいはち) 鶴富(つるとみ)捨ててヨーオー ホイ椎葉(しいば)立つときゃ 目に涙ヨ泣いて待つより 野に出て見やれヨーオー ホイ野には野菊の 花盛りヨ ちなみに、今年の「椎葉平家まつり」 は2010年 11月 12日(金 ) 13日(土) 14日(日)
2010.10.08

子守唄の里 ~五木村 ~一晩中 雨音が聞こえた。ここは熊本県五木村 道の駅 「子守唄の里五木」 昨日の夕方五木村に入った。 今回の旅の目的でもある九州中央山地を縦断するのだ。九州の沿岸部には有名な観光地が多く、過去に数回訪問したことはあるが、この中央山地はなかなか訪れる機会がなかった。この地域は平家落人伝説が残っており、平家ロマンの地である。五木村は 五木の子守唄 として有名である。昨夕 は五木温泉 「夢唄」で温泉に入り、館内の食事処で夕食、 地元の住人らしき年配の2人が酒を酌み交わしていた。夕食のお膳を持ってきてくれたおばさんが、 どこから来たのかと聞く。近畿地方からきたとぼやかした。すると おばさんは、この五木村は和歌山県とご縁があるのですという。 すると 酒を飲んでいた年配の2人が振り向いて、 話に加わってきた。昔、 和歌山からこの五木村に炭焼きのため多くの人が来て、ここに住みついた人も多いという。 (和歌山は備長炭で有名) 70歳を越えた年配の方は 私の先祖も和歌山出身なんだですよ 子供のころ和歌山の西牟婁郡と言うと所に行ったことがあるよ と いう。 ヘェ ~ そうなんだぁ ~ 知らなかったなぁ~知らないことが多いなぁ~この子守唄は子供を寝かす唄とばかり思っていた。古くから五木村で唄い継がれてきた子守唄 その由来は・・・・・険しい山々に囲まれた山村での暮らしは厳しく、年端もいかぬ娘達は、口減らしのために相良藩の人吉や近隣の村々へ子守奉公に出されるのが普通だったのです。娘たちはこうしたわが身のつらさをうらみ、見知らぬ所に暮らしては母を思い、父を慕いながら、つらい思いを口ずさまずにはおられませんでした。戦後に流行った「五木の子守唄」はこうした娘たちの口ずさみが誰からともなく、いつの頃から歌い継がれて今日なお歌われているのです。 (五木村 パンフレットから) 子守唄の歌詞とその意味おどま盆ぎりぼんぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よくりゃ早よもどる (子守奉公も盆で年季が明け 恋しい父母がいる古里に帰れる日が待ち遠しい)おどんが打っ死(ち)んだちゅうて だいが泣いてくりゅうか うらの松山蝉が鳴く (遠く離れた所に子守奉公にきて私が死んでもだれも悲しまないただ蝉がなくだけでさびしい)おどんが打っ死(ち)んだら 往還(みち)ばちゃ埋(い)けろ 通るひと毎(ご)ち 花あぐる (私が死んでも墓参りなどしてくれないだろう それならば人通りがある道端に埋葬してもらったほうが誰かが花でもあげてもらえるだろ)花はなんの花 ツンツン椿 水は天からもらい水 (あげてもらう花は何でもいいが 道端にたくさんある椿でよい水がなくても雨が降ってくるから)おどんがお父っつあんは あん山(やみゃ)おらす おらすともえば いこごたる (私の父は遠くに見えるあの山で仕事をしているだろう又あの山の裾に古里があり早く帰りたい気持ちが益々大きくなる)おどまいやいや 泣く子の守にゃ 泣くと言われて憎まれる (子守にとっては泣きやまぬ子はどうしょうもなく どんなにあやしても泣きやまない子守の仕方が悪いと叱られる)ねんねした子の 可愛さむぞさ おきて泣く子のつらにくさ (子守背中ですぐ寝る子は 子守にとって楽であるが いつまでも泣いて寝ない子は普段は可愛いけれど憎たらしい)
2010.10.07

薩摩富士 ~開 聞 岳(924m) ~ここまで来てこの山に登らないで帰るわけにはいかない。まして百名山に登録されている。また、特攻隊員が知覧飛行場を飛び立ち 本土最南端に聳える 開聞岳 上空で 突撃機の翼を振り 本土と離れた時、本当の死を覚悟して散って征ったという。開聞岳は おかあさん と 祖国日本との別れの山でもあったのだ。 登山口は 「かいもん山麓ふれあい公園」 駐車場は無料、 ここはすでに二合目 標高 約150m管理棟で登山カード書いて出発、 案内図では頂上まで2時間30分 ~ 3時間と書いている。 樹林帯の中を進む、直射日光が当たらないので涼しいが、汗が吹き出てくる。火山灰の滑りやすい山道、急な坂道もなく歩きやすいが樹木のため展望がきかない。しかし、富士山とおなじ円錐形の成層火山の山だが、富士山のようなジグザグに登る登山道になっていない。ここは「螺旋状登山道」、 山の斜面を斜めにトラバースし、山腹を一周して頂上につく。こんな登山道があるのは、日本に数多くある山のなかでも唯一ここだけだ。七合目付近から大きな岩がゴロゴロと出現、灌木帯の間から海を見下ろす眺めの良い明るい道になってきた。頂上近くに御嶽神社があってその上が頂上だ。 2時間15分の登頂だ 早く着いた。 頂上からの展望は素晴らしい。先客の登山者が昼食を摂りながら談笑している。素晴らしいの一言につきる景色をながめながらローソン弁当を食べる。 1時間ほどの休息後下山にかかる。下山は楽だが、慎重を要する。 事故は下山の時に多く起こる。2時間ほどで下山した。薩摩半島の南部、この開聞岳周辺は火山地形の残る一帯である。大きな池田湖は一万年前の噴火によってできたカルデラ湖である。開聞岳の頂上から見えなかったが、鰻池(うなぎいけ) ・ 山川港はマール(噴火でできた小火口)である。 もちろん、開聞岳も噴火によってできた山(休火山)だ。 帰り、 鰻池に立ち寄る。 湖畔に小集落があって、山裾から湯煙が上がっている。鰻温泉だぁ~ 民宿の玄関先にも湯煙、 尋ねると500円で入れてくれる。 指宿温泉で汗をながそうと思っていたが、この民宿の露天風呂、趣があって正解だ。誰もいない、私一人 貸し切り 源泉掛け流しの露天風呂で今日の汗を流す。 あ~~ぁ しあわせ~~
2010.10.06

日本の歴史が詰まった町 ~ 知 覧 ~ 薩摩の小京都 知覧の江戸時代中期の武家屋敷通り、道路の両側に低い石垣とその上に槇(まき)の刈り込みが並ぶ武家屋敷、 知覧型二つ家民家、 知覧 独特のL字型民家、江戸時代後期の民家のようです。本来分棟だった居住用の「オモテ」 と 台所・土間の「ナカエ」 をつないだ建物、 さらに使い勝手よく小棟でつないでいるのは知覧型である。 (資料より)武家屋敷の庭園は公開されているが有料である。 ので見学しない。500mほど続く武家屋敷通り、現在も多くの方が住まわれている。 おじさんが庭の草引きをしていた。こんにちわ~ 立派なお庭で、手入れ大変ですねぇ~ ハ~ィ 剪定がたいへんですわ~ 植木屋さんがクレーン車を持ってきてしてくれますが、 費用が高くつきましてねぇ~なるほど、維持管理するのが大変だぁ~ 垣根だけ残して転居したのか更地になっている屋敷もある。武家屋敷の中をそぞろ歩きするのも、落ち着いていいものだ。 知覧特攻平和会館今回の旅で是非立ち寄りたかった所だ。 薩摩の小京都と呼ばれる静かな佇まいの街に陸軍知覧飛行場が出来たのは、1941年(昭和16年)日本軍の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が開戦したときだ。1945年(昭和20年)戦争末期、戦局の悪化にともない、本土最南端の陸軍特攻基地となった。多くの若者が片道の燃料を積んで南海の果てに飛び立っていった場所だ。 この知覧特攻平和館内には、1036名の特攻戦没者の写真、遺品、肉親に宛てた遺書等、関係資料が展示されている。隣の特攻平和観音堂には特攻隊員の霊が祀られている。 三角兵舎は特攻隊員の宿舎でありました。敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、地上には三角の屋根しか見えない兵舎でした。各地から集まった隊員は、ニ・三日後には雲のかなた沖縄の空に散華されました。出撃の前夜には、この三角兵舎で壮行会が催され、酒を酌みかわしながら隊歌をうたい、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙をしたためて、死地に赴いたのであります。ここに、三角兵舎を復元し、当時を偲ぶよすがとするものであります。 (説明文をそのまま引用)1945年4月12日、知覧基地より出撃する陸軍特別攻撃隊第20振武隊穴沢利夫少尉(のち大尉)操縦の一式戦闘機三型甲「隼」と、それを見送る知覧町立高等女学校(現鹿児島県立薩南工業高等学校)の女学生達 (ウィキペディア フリー百科事典より) 薩南の涯(はて)の山のなかの静かな町。と号(特攻)要員と呼ばれた若者や少年たちが、青春の最後の幾日かを過ごした町。祖国の難に一命を捧げた隊員たちの特攻機が250キロの爆弾を抱えて、よろけるように飛び立っていった町。そんな隊員や、それを取りまいた人びとの、さまざまな思いが罩(こ)められている町 知覧。神坂次郎文学碑「今日われ生きてあり」より
2010.10.05

~ 桜 島 ~ 静かでよく眠れたぁ~ 朝食は駐車場から連なっている「溶岩なぎさ公園」、東屋で朝食、 鹿児島市内に朝日があたりいいながめだ。今日も気持ちのいい朝を迎え、 一日が始まる。食後は足湯でのんびり、 急ぐ旅ではない のんびり ゆっくり 時間はたっぷりある。 この足湯、 温泉 掛け流し、それに100mの長さがあり一度に約170人が入れる巨大な足湯だ。 もちろん景色も最高、前は錦江湾をはさんで鹿児島市内が一望、うしろは、火の山 桜島が眼前にそびえる。 桜島を堪能して、フェリーで鹿児島市内へ 薩摩のスーパー偉人 大河ドラマでもおなじみの 島津斉彬 ・ 篤姫 ・ 西郷隆盛 ・・・歴史の見所はたくさんあるけれど、歴史に興味を示さない「花いかだ」である。西南戦争の激戦地 「城山展望台」 鹿児島市街地と錦江湾、その向こうに桜島が一望できるビュー スポットだ。街中に西郷隆盛の銅像がある。
2010.10.04

活動する火山の島 ~ 桜 島 ~ 屋久島 宮之浦港 午前10:45発 のトッピーで鹿児島へ 12:30、鹿児島港に到着、駐車場で荷物を整理して出発 (駐車料金4日間4,800円)桜島フェリーターミナルはすぐ近くだ。 乗船の手続きも料金の支払いもなくそのまま車で乗船する。15分おきに出ているので待ち時間をきにせずに良い。 なんと 24時間運航している。 15分ほどで桜島につく、下船すると高速道路の様な料金所があり1,480円支払う。さぁ~ 桜島を満喫しょう 道の駅 「桜 島」によって情報をしいれる。一周1時間ほどで回れるということで、左、回りにまわることにする。溶岩の黒い塊の中を走る 天気がいいので海岸線は気持ちがいい。林 芙美子 文学碑に立ち寄る。 港と反対側は集落が少ない、火山灰の関係だろう黒神埋没鳥居(噴火の火山灰で鳥居が埋まってしまった )を見て、先に進むがこのあたりから火口がよく見え吹き出す噴煙の迫力にすごさを感じる。 もとの 道の駅に帰ってきた。 少し日が落ちてきたので、湯之平展望所に登ってサンセットをみる。 今一のサンセットだったが鹿児島市が一望出来る素晴らしい場所だ。国民宿舎「レインボー桜島」の隣に 「桜島 マグマ温泉」 300円で入れる。 浴槽の前をフェリーが行き交う、 錦江湾の向こうに 鹿児島の明かりが見えてすばらしい眺めだ。国民宿舎で夕食を食べて、 さて、 どこで寝ようか・・・・ 貧乏旅行だから 安い国民宿舎であっても 泊まるわけにはいかない。それじゃぁ~ この国民宿舎の駐車場で車中泊することにしょう・・・・・・ ZZZZZ 。。。。。。zzzzzzzz
2010.10.03

九州最高峰 ~ 宮之浦岳 ~ 巨大杉との出会い風がテントの揺さぶる音で目が覚める。 外は薄明かり、雨は降っていないが風に流される霧に包まれ 日の出は拝めない。日の出前は寒い、 レインウェアーを着て、テントの撤収にかかる。 午前6:10 石平のテント場を出発する。登山道は両側からヤクザサが迫り朝露の水滴が顔にかかる。 レインウェアーを着ていて正解だ。 ヤクシカが3匹食事をしている。野生のヤクシカがいたる所で観察出来る。 逃げない、おそれない、自然のままだ。 ヤクザサの限界が終わり、「屋久島しやくなげ」が多くなって樹林の中に入ってきた。 7:40 新高塚避難小屋に着く。 ここで朝食、 水場もあって便利だ。 雄鹿が一頭やってきた 私の食事をじっと見つめ、欲しそうな顔をしているが、奪いにこようとしない。 賢いやつだ。8:15 出発して 高塚避難小屋に9:10着く ここは縄文杉から10分くらいのところにあるので、軽装のトレッカーが5人休憩していた。いよいよハイライトのトレキングコースに入る。先ずは、縄文杉だ。 ここは標高1310m ここを目指して巨木ツアーのトレッカーがやってくるのだ。 若者が多い、今、流行の山スカの女性が目立つ。樹齢は2000~7000年と諸説があるようだが堂堂とそびえて、存在感がある。次は、夫婦杉 男杉と女杉が地上10mの所で 仲良く枝をつなぎ合わせている。 大王杉 樹齢3000年根元には江戸時代試し切りさけた跡もある。きつい下りの階段を下りるとウイルソン株 300年ほど前に伐採された屋久杉の切り株、空洞になった内部から頭上の緑があざやかにみえる。 翁杉 今年 倒木し 株だけが残っていた。 階段を下りて行くと大株歩道入り口に着き、ここからトロッコ軌道の上を歩く。 2時間余りトロッコ道を歩いて荒川登山口(1:50)に着いた。淀川登山口 ~ 宮之浦岳 ~ 荒川登山口 までの縦走が終わった。二日間晴天に恵まれ屋久島の中心部を歩けたことに満足する。雨の多い屋久島なのに・・・・ やっぱり日頃の行いがいいのだ 2:30発のバスで屋久島自然館へ乗り換えて、安房の合同庁舎前へ、ここで約50分待ち合わせて5:05宮之浦バス停に戻ってきた。民宿 八重岳に行って、即、風呂に入って疲れを癒す。 ついでに洗濯も、明日まで乾くか・・・・???今日は疲れた早めに就寝 ZZZZZ。。。。。zzzzzz
2010.10.02

九州最高峰 ~ 宮之浦岳(1935m) ~今朝の空は真っ青 快晴だ屋久島では「ひと月に35日雨が降る」 と言われている。 が、 私は晴れ男だ。安房行き8:41発のバスを待つ。 安房の合同庁舎前 9:16発 紀元杉行き(一日一便、これしかない)、 紀元杉バス停(10:19着)から歩いて約30分、やっと 淀川(よどごう)登山口に到着。 定期バスを使うとこの時間が最も早い登山口に到着、登山開始は11時前になる。 ※ 屋久島は、普通(定期)バスの便は少ない。 一時間に一本程度、 旅行者はレンタカーを借りるのが便利、自由に効率よく観光出来る。 因みに、宮之浦岳登山だけなら 淀川登山口から往復9時間ほどで可能だ。 定期バス利用では不可能 タクシーかレンタカー利用で早朝登山開始せねばならない。 淀川登山口を11:00に出発、照葉樹林の中に杉やシラビソの樹木が混ざり、日陰の中を歩く。 11:40、淀川小屋に到着 ログハウスの無人避難小屋だ。 しばらく歩くと淀川の源流を渡る立派な橋がある。橋からながめる川は清流そのものである。 小花之江湿原に出る。しばらく休憩して、 花之江湿原(13:20) ー昼食ーすでに登頂を終えたグループが降りてくる。 高層湿原地帯は日本庭園風で時を忘れそうな空間だ。 14:00出発、樹木の背も低くなり、「屋久島しやくなげ」が多くなってきた。立ち枯れた樹木の白さが緑の中に映えて美しい投石平からのながめも実にきれいだ。 頂上近くはヤクシマダケ(ヤクササ)に覆われ、所々に白い花崗岩が点在する。 16:10、ついに宮之浦岳頂上に 快晴 誰もいない 私ひとり ひとりじめの頂上だ。 コーヒーを淹れて休憩 頂上を満喫 遠くに種子島の島影 360度の景色を楽しむ。さて、17:00、 今晩の寝床をどこにするか・・・・この頂上で・・・・ スペースはあるが、 風が強い、 もう少し先に進もう30分ほど歩いて平石展望台(1707m)、砂地の平らな場所がある。近くに水場もあり最高のロケーション、 テント場ではないが、今夜はこの場所を借りて野宿することにする。 緊急事態だ 許していただきたい。夕暮れが迫って、宮之浦岳に夕日が・・・・・ 明日は中秋の名月だ 東の空に月が出る。 世間の雑音 なにも聞こえない あるのは風の音のみ あ~ぁ 至福の時間が流れる。 一晩中、月明かりが照っていた。 ZZZZZZ......zzzzzz
2010.10.01
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