子守唄の里 ~五木村 ~
一晩中 雨音が聞こえた。
ここは熊本県五木村 道の駅 「子守唄の里五木」 昨日の夕方五木村に入った。
今回の旅の目的でもある 九州中央山地を縦断 するのだ。
九州の沿岸部には有名な観光地が多く、過去に数回訪問したことはあるが、
この中央山地はなかなか訪れる機会がなかった。
この地域は平家落人伝説が残っており、平家ロマンの地である。
五木村は 五木の子守唄 として有名である。
昨夕 は五木温泉 「夢唄」で温泉に入り、館内の食事処で夕食、

地元の住人らしき年配の2人が酒を酌み交わしていた。
夕食のお膳を持ってきてくれたおばさんが、 どこから来たのかと聞く。
近畿地方からきたとぼやかした。すると おばさんは、
この五木村は和歌山県とご縁があるのですという。
すると 酒を飲んでいた年配の2人が振り向いて、 話に加わってきた。
昔、 和歌山からこの五木村に炭焼きのため多くの人が来て、ここに住みついた人も多いという。 (和歌山は備長炭で有名)
70歳を越えた年配の方は 私の先祖も和歌山出身なんだですよ
子供のころ和歌山の西牟婁郡と言うと所に行ったことがあるよ と いう。
ヘェ ~ そうなんだぁ ~ 知らなかったなぁ~

知らないことが多いなぁ~
この子守唄は子供を寝かす唄とばかり思っていた。
古くから五木村で唄い継がれてきた子守唄 その由来は・・・・・
険しい山々に囲まれた山村での暮らしは厳しく、年端もいかぬ娘達は、口減らしのために相良藩の人吉や近隣の村々へ子守奉公に出されるのが普通だったのです。
娘たちはこうしたわが身のつらさをうらみ、見知らぬ所に暮らしては母を思い、父を慕いながら、つらい思いを口ずさまずにはおられませんでした。
戦後に流行った 「五木の子守唄」 はこうした娘たちの口ずさみが誰からともなく、いつの頃から歌い継がれて今日なお歌われているのです。
(五木村 パンフレットから)
子守唄の歌詞とその意味
おどま盆ぎりぼんぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よくりゃ早よもどる (子守奉公も盆で年季が明け 恋しい父母がいる古里に帰れる日が待ち遠しい)
おどんが打っ死(ち)んだちゅうて だいが泣いてくりゅうか うらの松山蝉が鳴く (遠く離れた所に子守奉公にきて私が死んでもだれも悲しまないただ蝉がなくだけでさびしい)
おどんが打っ死(ち)んだら 往還(みち)ばちゃ埋(い)けろ 通るひと毎(ご)ち 花あぐる (私が死んでも墓参りなどしてくれないだろう それならば人通りがある道端に埋葬してもらったほうが誰かが花でもあげてもらえるだろ)
花はなんの花 ツンツン椿 水は天からもらい水 (あげてもらう花は何でもいいが 道端にたくさんある椿でよい水がなくても雨が降ってくるから)
おどんがお父っつあんは あん山(やみゃ)おらす おらすともえば いこごたる (私の父は遠くに見えるあの山で仕事をしているだろう又あの山の裾に古里があり早く帰りたい気持ちが益々大きくなる)
おどまいやいや 泣く子の守にゃ 泣くと言われて憎まれる (子守にとっては泣きやまぬ子はどうしょうもなく どんなにあやしても泣きやまない子守の仕方が悪いと叱られる)
ねんねした子の 可愛さむぞさ おきて泣く子のつらにくさ (子守背中ですぐ寝る子は 子守にとって楽であるが いつまでも泣いて寝ない子は普段は可愛いけれど憎たらしい)
