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コ ラ ム ●・ "ニートブーム"を疑え!
ヒューマン・スタジオ恒例の「青少年支援セミナー春夏編」が近づいて来ま
した(5月28日)。春夏編は今年も「ひきこもり」をテーマに開催します。
このセミナーは、今回で10回目の開催になります。そこで、記念プログラム
として、久しぶりに「特別分科会」を復活させ、支援関係者を対象に、ひきこ
もりに関連して近年社会問題になっている「ニート」をテーマに、おふたりの
方にリレースピーチしていただくことになりました。
そこで今回と次回、おふたりの考え方がわかる文章を、許可を得て掲載しま
す。お読みいただいたうえで、セミナー当日にさらに詳しいお話を聴きにご来
場いただければ幸いです。
●
最初は、1年近く前の本欄にも登場していただいた、飛田英昭氏です。
氏は、神奈川県茅ヶ崎市で、市との協働事業で軽度障がい者とチームを組
んで、地域就労の形を創出しようとする「ケア・パートナー」という就労概念を
提唱している市民活動団体の推進者です。
すなわち、湘南東部圏域に半官半民による「障がい者・ひきこもり・ニートの
磁場(就労しゃべり場)を作る「出会いと社会参加としての就労の交差点作り」
を推進している「湘南子どもフォーラム懇談会」の代表です。
湘南東部圏域...藤沢市・茅ケ崎市・寒川町の医療行政エリア
〔前〕「働く」を疑え!
「湘南版ジョブカフェ」構想を、関連部課諸団体の担当の方に説明させてい
ただいている。そのとき、なかなか通じないもどかしさを感じる部分がある。
「働く」という日常用語の言葉だ。「働く」ということが徹して個人の事情で
あり、社会参画・人と結びつくという意味合いを秘め事のように表に出さない
ことだ。ここは価値観の坩堝(るつぼ)であり、宗教や思想などに足を踏み込
む境界でもある。しかし、この発想が「ニート」や「引きこもり」当事者を孤
立させていないだろうか。
私たちは「食うために働く」「そのためには何でもすべきである」という。
「何のために」という問いに「家族を支え」「自らの命をつなぐために」とか
「人様の迷惑にならぬように」と子どもや若い人たちに語っている。ここでは
労働が受苦的に語られている。しかし、やりたいことのために忍耐することと、
通過のために忍耐することは等しくない。ひとは家族とかかけがいのない人々
とともに喜怒哀楽を共にし生きている。その部分を常識の言説は、なぜ必要の
論理で重苦しく覆い隠してしまうのだろう。
美味しい食事をしたとき、幼児と言葉を交わすと「コックさんになりたい」
という言葉に微笑を誘われることがある。中学生にもなると自分のなれる世界
が有限であることに憂鬱を滲ませながら、その拡がりの中に可能性を「探る」。
「コックさんになる」と言い切れる子は少数派になってしまう。そこに受験競
争の影を見い出したり、体験の深まりを踏まえるからというような議論をする
ことも出来るだろう。しかしその道はやがて当人にもどるとはいえ、所詮は外
野の議論、「いま・ここ」の子どもとの対話を置き去りにした議論にしたくな
いのだ。
私たちは仕事と様々な関わりを持っている。職業というよりもう少し一般的
に拡張した内容で「仕事」と呼ぼう。私の教え子に看護師がいる。このような
職種の場合、患者さんとその家族との関係の中で仕事の意味合いを見出すこと
は直感的にわかりやすい職種だ。しかし鳶(とび)になった子が、自分の葺い
た瓦が雨漏りしていないか仕事をした家の前を通ると屋根を見てしまうという
とき、彼はお客さんと見えない絆でつながっている。主婦は意地悪な姑と思い
つつ、重ならない食材を考えて買う。
こうした様々な人のつながりの中に私たちは生きている、「働いている」。
この体験的な部分を響かせていく就労への中間的な対話の場があれば、「自分
探し」をするもの同士が出会う場があれば、試行錯誤の失敗が認められる場が
あれば、その中に「自分なりの価値観」を豊かに育むことが可能となるだろう。
そこから当事者の自主的な試みが様々に生まれてくるだろう。人材配置の線上
で、就労一般への「やる気心」を鍛える、機械のようなチューンアップ論より、
まず大人がやるべきことと考える。
更に推し進めれば、私たちは「目的」の奴隷ではない。「働く目的」がある
から働くのではない。ともにつながることの喜びがあるから働くのだ。特養ホ
ームにお邪魔する。廊下の椅子に腰掛けたアルツハイマー症の進行したおばあ
さんが、雑巾をたたんでいる。「たたむ」という仕事のものへの働きかけの面
白さが黙々と雑巾をたたむという、いわば「手仕事遊び」の要素があるのは事
実だろう。しかし職員のAさんに頼まれたことが嬉しくて「始めた」のも事実
だろう。私のクラスにいた発達遅滞のあるBさんは、私を見つけるとその巨体
で私をど突いた後、走るようにして全教室の黒板を消して掃除することから日
課が始まった。私が黒板の字を消していたのを手伝ったことがきっかけだった。
「ほめられるため」ということを超えて「たたむ」「消す」ということが自己
表現として、自分に馴染んでいるのだ。
様々な出会いの中に「働くこと」は湧き上がる。私たちの「湘南版ジョブカ
フェ」は、構想の中に出会いの仕掛を含んでいる。ひとつは「障がい者」と
「ニート・引きこもり青少年」という異質な世界の喫茶運営をともにする出会
いであり、就労をめぐる機会と出会いという喫茶スペースを磁場とした、様々
な当事者の試みの苗田育成の活動だ。ここから起業の機会を育ててもらっても
いい。
前者の喫茶運用の展開をもとに、障がい者と協働する様々な試みを探り出し
たい。特に「社会復帰を求め始めたニート・引きこもり青少年」という「人に
必要とされる」動機を得て「人間関係の再構築」と「働くことの意味」探しを
必要とする存在と、自分の可能性をより開くことが可能になる障がい者の出会
いは、「ケア・パートナー」として結びつき、育って欲しいと願う。「喫茶運
営」という課題から、新たな活動が生まれてくることを期待している。特に障
がい者には、同世代の近隣の友人を持つ可能性がある。構想は自分の生涯にと
って貴重な出会いが生まれることを期待しているのだ。
就労は「糊口をつなぐ」ような狭いイメージや「家族」「自立した個人」を
支えていく活動として狭義に語られすぎた。この狭い人材束ねの思考があるか
ぎり、そこを病根としたニート・引きこもり経験者は企画に応答しないか、問
題を先送りにするだけだろう。行政と関係者の方々はパラダイムを切り替えて
欲しい。ここに自主探索型の窓口活動のデザインをひとつ提案する。共感した
関係者の方々とともに、「湘南版ジョブカフェ」実現に踏み出したい。
(『懇談会通信ピックアップ』10号「『ケア・パートナー』に込められた思い
を!」から転載)
:筆者:丸山 康彦(まるさん)
スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、
不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、
1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に
当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。
“新 し い 自 分 ” 出 産 記 〔上〕 2006.12.28
教育対策研究所の主張〔下〕 2006.12.26 コメント(1)
教育対策研究所の主張〔中〕 2006.12.25
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